毒ガス島歴史研究所設立趣旨

広島県竹原市忠海町の「大久野島」は、日本陸軍が毒ガス製造のため忠海兵器製造所を建設(1923年)してから敗戦(1945年)に至るまで、地図からも消された秘密の島「毒ガス島」として、各種毒ガスが極秘裡に製造されていました。その間と戦後の製造・処理により、仕事に従事した多くの人が毒ガスによって障害と後遺症を受けました。
 
1993年、日本も署名した「化学兵器禁止条約」は10年以内に国内並びに他国に遺棄した化学兵器を処分しなければならないと規定しています。昨年(1995年)日本政府は中国に遺棄されている毒ガス弾が日本陸軍のものであったことを公表しました。そして、アメリカで見つかった毒ガス使用に閑する日本陸軍と中国側の資料、今回の調査により日本政府は過去の戦争で日本陸軍が中国において化学兵器を使用したことを認めました。

このように、毒ガス問題は過去の問題ではなく、今も続く被害者の問題、環境破壊の問題、日本の戦後補償の問題等、現在の私たちが考え、解決していくべき課題を抱える現代の問題と認識する必要があります。

「毒ガス島歴史研究所」は1996年の4月28日、発足しました。代表に大久野島毒ガス資料館の元館長村上初一がなり、毒ガス島の関係者の聞き取りを含め、忠海の歴史を掘り起こし毒ガス問題を考えることで、私たち一人ひとりの戦争の被害と加害の両面を考えていくことが設立の目的です。

毒ガス問題は国の内外に秘匿された事柄が多く、調査・研究は少ないのが実情です。この研究所では過去の悲惨な歴史を二度と繰り返さないために毒ガス問題を調査・研究することを通して、戦争の被害・加害の真実を広く伝える平和研究機関として平和と人権を守る運動、並びに大久野島の戦争遺跡の保存運動を推進していきます。

この主旨に賛同した毒ガス障害者・学校関係者並びに大久野島に関心のある様々な人々が会員になっています。

この研究会は大久野島に関する聞き取り研究、毒ガス関係資料研究、会報「記録にない島」の作成の活動をしています。その成果は会報「記録にない島」を通じて、多くの皆さんに広く知ってもらいたいと思っています。

毒ガス島歴史研究所