敗戦時の中国の毒ガス

4 敗戦時、中国に持っていった毒ガスはどうなったのでしょうか。

敗戦時、日本軍は国際条約に違反した毒ガス使用の事実を隠すために、中国の畑の中や川の中などあちこちに毒ガスを棄てて帰りました。そのために戦後、2000人以上の中国の人達が農作業や下水道工事などの時、埋もれていた遺棄毒ガスによって被害に遭い、現在でもその後遺症に苦しんでいます。掘り出された毒ガス缶が何か解らないので調べているとき被害を受けたり、工事中壊れた毒ガス弾の毒液が水の中に漏れ出ていて知らずにその中に足を入れたり毒液をかぶったりして被害を受けました。戦争が終わっても平和に暮れしている人を傷つけ生活を破壊しているのです。 1993年に発効した化学兵器禁止条約によって日本政府は中国に棄ててきた毒ガス弾を処理する国際的義務を負っています。2003年までに約70万発(中国側の資料では約200万発)を掘り出し処理しなければなりません。これをなすには莫大な費用と時間がかかると予想されます。2000年9月13日黒竜江省の北安市でその処理作業が始まりました。サイト管理人のブログです。