遺棄化学兵器の今(海外編)

 1997年発効した化学兵器禁止条約にもとづき、2000年9月13日、中国黒龍江省北安市で、旧日本軍の遺棄化学兵器の発掘作業が始まったことが報道されました。条約では、2007年4月までに廃棄を完了することが決められています。1992年、中国が国際軍縮会議に提出した資料によると、今までに中国で発見されたがまだ処理されてない化学砲弾がおよそ200万発、毒剤が100トンあります。また、旧日本軍が遺棄した化学毒剤で傷害を受けた人は、中国の関係部門の統計資料からみても、すでに2000人を超えています。遺棄化学兵器の処理及び遺棄毒ガス被害者の救済、そして、未然に事故を防ぐ対策を立てることが急がれています。このページでは、この動きを追ってみようと思います。

 まず、毒ガス島歴史研究所会報2号に掲載されている講演 中国遺棄毒ガス弾調査について  吉見義明(中央大学教授)をごらんになってください。調査の概要、課題、化学兵器禁止条約、廃棄の方法、被害者の救済、毒ガスの開発・生産・貯蔵・配備・使用・遺棄の実態解明という項目で、遺棄毒ガス弾問題が解説されています。

 中国で遺棄毒ガス兵器の被害調査をされてきた中国黒龍省社会科学院歴史研究所の高 暁 燕 (カオ シャオイェン)さんの「日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人民に与えた傷害」に概略がまとめられています。

遺棄毒ガス弾等による事故
2003年8月4日、黒龍江省チチハル市フラルキの建設現場でイペリットが入ったドラム缶が掘り出され、43人被毒し、1人死亡するという事故が起こりました。日本政府は、化学兵器禁止条約にもとづき、遺棄化学兵器の完全廃棄に向けての取り組みを進めています。が、遺棄毒ガス弾による被害者の問題は放置されたままです。日本政府は、戦後相次いで起こった遺棄毒ガス弾等による被害者の思いを受けとめ、一刻も早く、真の意味での謝罪をし、補償すべきです。
また、二度と被害者が出ないようにすべきです。そのために、旧日本軍の化学兵器の配備・使用・遺棄に関するすべての資料を収集し、全面的に公開する必要があります。また旧日本軍関係者の証言を掘り起すべきです。
私たちにも、旧日本軍の毒ガス弾、毒剤の遺棄の情報をお寄せください。
 
この事件は、ホームページに特集記事がありますので、ごらんください。
YAHOO JAPAN NEWS チチハル遺棄毒ガス事故
YAHOO 雅虎 中国  侵華日軍遺棄在華化学毒剤泄漏事件
中華網新聞 侵華日軍遺棄化学毒剤泄漏傷人事件

チチハルで被害をもたらした化学毒剤缶(写真は、中国、中国新聞社)

毒ガス資料館にあるイペリットのドラム缶(現在は展示されてない)

毒剤缶の特徴

牡丹江市(1982) 高さ1メートル 直径 0.5メートル缶の上に3つの銅のスクリュー・キャップがあるのが特徴。

チチハル市(1950) 高さ1メートル 凹型をした蓋と3つの大きなネジが特徴。
 
チチハル市(1987)高さ90㎝、直径50㎝、重さ約100㎏ 二重構造になっていて、側面の上と下に黄色の線が1本ずつ計2本引かれている。缶の上にはネジ。

海洋投棄のため、LSTに積み込まれたイペリットのドラム缶(オーストラリア戦争記念館データベースより)

 戦後、遺棄毒ガス弾などによる事故、被害は続いています。その経過を、「日本の中国侵略と毒ガス兵器」(歩平著 明石書店) 「日本軍の遺棄毒ガス兵器}(高 暁燕著 明石書店)「置いてきた毒ガス」(相馬一成著 草の根出版会)「『戦後50年』問題栃木県連絡会ブックレット3  訪中団本隊報告 731部隊と残された毒ガス弾 PARTⅡ」等を参考にしながら、まとめました。また、毒ガス島歴史研究所のホームページにある証言とリンクさせてあります。

■1946年夏 黒龍江省黒河市  イペリット50キロドラム缶の蓋を開け、「蠅とり水」と間違え、噴霧。1人死亡 3人負傷
■1946年、吉林省敦化地区  山で草刈り中、ころがっていた砲弾の先端から出てきた液体で被毒。 1名負傷
■1 950年8月、黒龍江省チチハル市内において、省第一師範学校の校舎を建設中、二つの毒ガス缶(イペリット)が掘り出され、7人負傷、1人死亡。
証言 1997年8月3日 黒龍江省ハルピン市
崔 英勲  崔 為(長女)
■1954年 吉林省敦化県ハルバ嶺に、周辺で見つかった遺棄毒ガス弾等を埋設。
「敦化では、廃弾による死傷者は500人以上に達したが、それには廃弾処理で出た死傷者と現在まではほとんど毎年発生している毒弾の事故が含まれている。いくつかの例を挙げると下の如し
(1)1954年 毒弾運搬時、車夫一名と工夫一名中毒
(2)1954年 毒弾溝掘削時、工夫一名炸裂傷害
(3)1958年 廃毒委の工夫、伝立葉毒剤容器の破裂で中毒
(4)同年 廃弾処理の工夫、劉洪亮、劉慶陽、毒液流出で糜爛性毒汚染
(5)1969年5月20日 官地公社官地大隊の鍛冶職が廃毒弾で鉄を打っている時、一発の105径糜爛性毒剤弾が破裂、工場の工員と社員9人が毒に汚染、緊急救助で危険を脱出
(6)馬鹿溝の村民1名毒弾処理現場の作業で毒に汚染、腰部糜爛、緊急救助で治療」 (「敦化文史資料」第5集掲載文より)

■1954年 孫呉県 毒弾処理委員会設立。周辺で見つかった毒ガス弾等を埋設
証言 1997年8月2日(土)  孫呉
孫作敏
■1970年5月 黒竜江省拝泉県中興郷の農民が、砲弾を利用して農機具を作る過程で、鉄職人が砲弾を鋸で引いたとき毒液が流出し、8人が中毒。

■1970年2月 黒竜江省依安県双陽郷   砲弾を利用して農機具を作る過程で被毒,18名中毒 内1名死亡 化学砲弾(イペリットルイサイトの混合剤)
■1974年10月20日黒龍江省ジャムス(佳木斯)市の松花江のドック入り口付近の浚渫作業を行なっていた「紅旗09」号がポンプに一発の砲弾を吸い込む。砲弾は、ポンプ内で破損し、毒液(イペリットとルイサイトの混合物)が漏れ、4人負傷。
証言 1997年7月30日 黒龍江省ハルピン市 
李 臣  呉 鳳琴(李臣の妻)  劉 振起  孫 景霞(肖 慶武の妻)
■1976年5月、黒龍江省拝泉県において、鉄くず処理中に、毒ガス弾の中から毒ガスの液体が噴き出し作業中の農民が被害を受る
証言 2002年3月24日 広島県竹原市
張 岩
■1982年7月、黒龍江省牡丹江市で排水溝を建設中、4つの鉄製の丸い筒(イペリット缶)を掘り出し、上部のネジを開け、5名被毒。
■1987年10月 黒龍江省チチハル市 工事中に日本軍の遺棄した毒ガスの入った鉄缶が掘り出され、毒ガス剤とは知らず、何であるかを調べているうちに、13人が被毒
証言 1997年7月29日 黒龍江省チチハル市フラルキ
王 岩松 李 国強  王雅珍(李 国強の妻)
証言 1998年 8月 1日 広島県竹原市
李 国強  王雅珍(李 国強の妻)
証言 2001年8月19日 黒龍江省チチハル市フラルキ
フラルギのガス会社にて曹志勃先生の話 祖暁慧
証言 2002年3月24日 広島県竹原市
李国強
新華網斉斉哈爾(チチハル) 8月14日付けの記事 「毒気害人已非一日??哈?市民受毒害大事記」によるとチチハル市での事故は、1950年、1987年の他にも起こっています。
■2001年4月 チチハル市 毒ガス弾3個、30数個の砲弾を発見、2人負傷
■2002年3月 チチハル市フラルキで、毒ガス弾多数発見
■2003年3月 チチハル市で24個毒ガス弾を発見 1人負傷

毒ガス島歴史研究所では、遺棄毒ガス弾等による被害者と交流を行っています。
毒ガス島歴史研究所では、1997年遺棄毒ガス問題の検証するために、中国黒龍江省の旅へ出かけました。その報告集「遺棄毒ガス問題-検証と証言」には、遺棄毒ガス弾による被害者の証言も掲載されています。
また、化学兵器による被害者の補償問題の解決を目指して、1998年中国遺棄毒ガス弾被害者来日の取り組みを行っています。
2000年、9月13日中国黒龍江省北安市で日本軍が遺棄した毒ガス弾の発掘回収作業が始まりました。この機会に、3回目の遺棄毒ガス弾被害者との交流をしたらどうか、という声があがり、第2回日中友好黒龍江省の旅を行いました。
2002年3月24日 第2回中国遺棄毒ガス弾被害者竹原証言集会を開催しました。

化学兵器禁止条約に基づく遺棄毒ガス弾など完全廃棄への動き

この問題について日本政府の窓口、内閣府遺棄化学兵器処理担当室のHPが開設されています。
1997年4月29日 化学兵器禁止条約 発効
2000年5月 江蘇省南京市で遺棄毒ガス弾の発掘回収作業
あか筒、みどり筒など17612発
2000年9月 黒龍江省北安市で遺棄毒ガス弾の発掘回収作業
きい弾を中心とした化学砲弾897 発
2000年11月 江蘇省南京市で遺棄毒ガス弾の発掘回収作業
あか筒、みどり筒など9419 発
2002年 9月 孫呉における遺棄毒ガス弾の発掘回収作業
あか弾、きい弾、有毒発煙筒など合計377発 化学剤入りと見られるドラム缶4個
2003年9月 河北省石家荘市で遺棄毒ガス弾の発掘回収作業
きい弾を中心に47発
2004年6月、黒龍江省チチハル市昂昂渓区で、発掘回収作業
きい弾を中心に542発。
2004年8月、河南省信陽市で、発掘回収作業
あか弾を中心に67発
2004年9月、黒龍江省寧安市で発掘回収作業
あか弾、きい弾を中心に89発
2005年7月、広東省広州市番禺区で発掘回収作業
あか弾を中心に13発
2005年9月、黒龍江省伊春市で発掘回収作業
あか弾、きい弾を中心に281発
2005年11月、吉林省敦化市蓮花泡で発掘回収作業(第1次)
旧日本軍の化学兵器の可能性がある374発の砲弾等
2006年6月、吉林省敦化市蓮花泡で発掘回収作業(第2次)
旧日本軍の化学兵器の可能性がある231発の砲弾等
2006年7月、黒龍江省寧安市で発掘回収作業
あか弾、きい弾を中心に210発
2006年8月 黒龍江省綏化市で発掘回収作業
旧日本軍の化学砲弾等の数は697発
2006年9月 吉林省敦化市蓮花泡で発掘回収作業(第3次)
旧日本軍の化学兵器の可能性がある438発の砲弾等