大久野島海辺の調査について 森崎賢司(毒ガス島歴史研究所)

(1)松本教授の論文「毒ガス島の動物相とその消長」

 1948年,雑誌『広島医学』創刊号に「毒ガス島の動物相とその消長」という論文が発表されました。それは,県立広島医科大学(現広島大学医学部)予科生物学教室の松本邦夫主任教授が,戦後処理を終え日本に返還された直後の大久野島で実施した海岸の生物調査を報告したものです。調査の目的は,汚毒地帯の海岸で生物がいかに毒の影響を受けているか,また,毒によって汚染された地帯にどのように生物が復活してきたかということを明らかにすることでした。調査の結果,毒の影響が無い事務所下の海岸で見られた小貝類が,汚毒地帯である島西側の工場下海岸では,全く見られないということが分かりました。また,両方の海岸で見られた同じ小動物についてもその大きさに違いが見られ,工場下の個体は事務所下のものに比べ著しく形が小さいことも明らかになりました。これは,その動物が工場下の海岸で生活を始めてからあまり日がたっていないことを意味します。つまり,大久野島の海辺の環境は毒ガス製造の過程で破壊され,そこに棲む小動物は壊滅的な被害を受けたことが,この松本教授の論文で明らかになったのです。

【論文の概要】

①松本教授が見た大久野島とその近海の様子 
・島全体にカルキ(消毒用サラシ粉)200トンが厚さ1寸(約3cm)撒かれていた。
・特有のアホイ臭が鼻をつく所があり,これは地下にしみこんだガスがなかなか解消しない事を示している。
・第1回調査の時,鼻をつく悪臭,目が痛いほどの刺激がある箇所が所々あった。
・「どんなところでも岩石や木材の上には絶対に直接腰をおろしてはならない。」と何度も注意された。
・ビラン剤の積み出し作業を行った海岸の風下一帯は松をはじめ地上の雑草が一せいに枯れ,毒作用の激しさを物語っていた。
・島付近の潮流は工場地帯を避けて島の南北両端をかすめて流れているため,毒の四散を防いでいたと推測された。
・イペリットは比重1.3,ルイサイトは1.7乃至1.9,何れも海水より重く放出された毒物は工場下に沈下し,干潮時石垣下砂上の歩行は絶対危険の時があったと言う。

②毒物が生物に与えた影響
・全島的に観察すると,工場下の石垣に附着する動物は明らかに数が少なく形が小さい。同じ状況下にある事務所下の石垣に比べて著しい差のあることが分かった。
・工場下の生物は,いったん完全に痛めつけられたと考えられる。

③調査の目的と方法
(目的)
・汚毒地帯の海岸で生物がいかに毒の影響を受けているかを見たい。
・一旦生物が完全に痛めつけられたであろうと想像される海岸に今後如何にして如何なる順序で如何なる生物が復活してきたか。
(方法)
・フジツボやヨメガサ等,固着性のものは1㎡の枠を石垣に書いてその中の個体数を数えた。
・カニやフナムシは,概括的に目測する他なく,その多少を比較した。

④調査結果
(ⅰ)事務所下と工場下とを比較して 
・カニやフナムシのように十分な移動力をもった節足動物は同様に見られる。
・軟体動物の一群には,分布の差が相当に残されている。
  →ヒザラガイの類は工場下には全然見当たらない。両地帯の最大の相違点。
  →イボニシ,アマオブネ,ナミマガシワ,マツバガイ等の貝類が工場下には見られない。
・同じ貝類でも,タマキビ,ヨメガカサ,ウノアシ等はすでに早くから汚毒地帯に侵入している。→浸入速度の強弱,分布速度の大小を考えてよいだろう。

(ⅱ)工場下の節足動物と軟体動物の分布の比較 
・フジツボ等の固着性節足動物並びに,ウノアシ・ヨメガカサ等の軟体動物は,1947年6月に比べ1948年の夏ではその数と分布区域を拡大した。
・汚毒地帯中央よりやや北寄りに生物がほとんど着生していない地帯があるが,毒物による影響に加えて,潮流の影響により卵や幼生が漂着するのが一番遅いことが原因だと思われる。
・灯台下付近の動物相は,種類も多く,個体数もきわめて多いことが著しく目を引く。

(2)大久野島の海岸生物調査
 近年,旧日本軍の遺棄毒ガス弾等による土壌汚染や健康被害が頻発していることを考えると,未だに島内の毒物が完全に除去されていないことが明らかな大久野島では,その毒物が環境にどのような影響を与えているのかが心配です。そこで,私たちは,この松本教授の論文をきっかけとして,50数年前と同様に生物の生息状況を調べてみることにしました。現在,西側の海岸ではどのような生物がどのくらい見られるのか,戦後60年たった今,汚毒地帯の海岸はどのような状況なのかを生物学的なアプローチで調査しようと考えたのです。
そこで,この度,2004年と2005年の2回の調査の概要と結果を報告します。今回の調査に当 たっては,調査場所を西側(工場下)海岸に限定し,自分たちで調査可能な場所で,かつ,毒ガス工場時代の各工場の位置との関連を考えながら調査ポイントを選定しました。

第1回 大久野島の海岸生物調査
1.日 時 2004年10月11日(月) 12:55~16:00  天気(晴れ) 
 参加者13名
2.調査ポイント
A.北部海岸西側   B.旧催涙ガス工場付近  C.旧長浦桟橋跡付近
D.国民宿舎近くの排水口  E.国民宿舎近くの排水口南側
3.調査結果
 略

第2回 大久野島の海岸生物調査
1.日時 2005年10月1日(土) 12:30~15:30  天気(晴れ) 
 参加者12名
2.調査ポイント
A.北部海岸西側 【※護岸工事のため調査せず。】
B.旧催涙ガス工場付近 【境目は,地図参照】
C.旧長浦桟橋跡付近の階段 【階段部分のみ】
D.旧沈殿槽付近の階段 【南側の10m部分のみ】
E.国民宿舎近くの排水口 【排水口付近足場悪い】
F.国民宿舎近くの排水口南側岸壁 【①岩場②砂浜】
3.調査結果


【調査を通して分かったこと】
①敗戦直後の調査で生物の生息数が少なかった西側の海岸全体で生物の生息が確認された。
②今回の調査で,敗戦直後の調査では生物がまったくいなかった地点からも生物の生息が確認できた。しかし,相対的に見ると他の地点よりも生物の個体数も種類も少ないことが分かった。
③海岸近くの藻場では,瀬戸内海の美しい海域でしか見られないという珍しい生き物(オノミチキサンゴ等)が見られた。
④2005年の調査では,2004年の調査よりもカメノテ,イボニシの数は増えている。

今回の調査では,大久野島の海岸付近でたくさんの生物が確認できました。そのことから考えると,島の海岸に生息する生物が次第に豊かになってきていると言えます。戦後60年近くたって回復してきた,自然の生命力を感じます。しかし,今回の調査からだけで毒ガスが海岸の生物に与えた影響を論じることはできないと考えています。今後も生物の調査を継続し,島の歴史と生物の生態を研究していく必要があります。