〇 伝言 東京第二陸軍造兵廠忠海製造所
毒ガス島歴史研究所 編 2004年6月
毒ガス島歴史研究所HPの伝言は、この本の内容です。
〇一人一人の大久野島 毒ガス工場からの証言
行武正刀 編著 ドメス出版 2012年8月
毒ガス島歴史研究所HP 証言の中で証言された 行武正刀(元忠海病院長)が編集された本 です。行武先生がカルテのはしに書き込んだ言葉を整理し、遺志をついだ娘さんによって掲載 許可を得た277人の証言集です。
〇戦争と平和の島 大久野島「毒ガス工場」の記録
村上初一/大久野島毒ガス資料館/1995
私たちが戦争の悲惨さ、平和の尊さを身近に考えるための施設の中に大久野島毒ガス資料館があ ります。ここは日本の毒ガス製造と化学戦の実態を広く、伝えようとするもので、地元行政が維 持管理しています。その展示資料は時のすうせいか入れ替わることもあります。例えば、中国で 日本軍が化学兵器を使用したことは政府が認めているのに、その関係資料が展示ケースから除か れるなどです。「戦争と平和の島」ガイド紙をどうぞ。
〇毒ガス島の歴史(大久野島)
村上初一/1992
かって、日本軍が中国において化学兵器を使用したことを日本政府は認めている。しかも調査の 結果、中国に遺棄されている毒ガス弾が日本軍のものであったことも判明している。今は、その 安全処理対策が日本に迫られている。それであっても日本の毒ガス問題は、戦後の東京国際軍事 裁判では免責されている。なぜだろうか?これらの問題のジャングルとして「毒ガス島の歴史( 大久野島)」を書いたものである。
〇平和教育教材 おおくのしま 小学校高学年・中学生向用
広島県教職員組合竹原支区平和教育部会編 /1989
この本は、広島県教職員組合三原地区支部竹原支区平和教育部会のメンバーが地元の平和教材「 おおくのしま」教材化の目的で製作された。小学生高学年から中学生向け用に作られている。各 頁をコピーしてフィールドワークなどにすぐ利用できるようになっている。
〇毒ガス島と少年 大久野島を語り継ぐために
村上初一 /1998
私は満十四歳で地元の軍需工場に憧れて就職した。実にそこは毒ガス製造の登竜門であった。こ のことに気づいたときは軍紀保護法の世界にあった。規則の三ヶ年の学習期間を耐えに耐えて毒 ガスの道から逃れるために陸海空の兵士にそれぞれ志願した。そこはすでに戦場に近づく道であ った。時代の軍国少年にはこの道より他になかった。私は最後まで毒ガスの道を歩んだが後遺症 の慢性気管支炎が残り、目下旧令救済要綱に基づく救済措置により治療をうけながら余生を過ご している。毒ガス島「大久野島」を語り継ぐために書いた一冊です。
〇隠されてきた「ヒロシマ」 毒ガス島からの告発
辰巳知司 /日本評論社 1993
〇地図から消された島 大久野島毒ガス工場
武田英子 /ドメス出版 1987
〇樋口健二写真集 毒ガス島
樋口健二/三一書房 1983
〇秘録 大久野島の記
服部忠 /私家版 1963・大久野島毒ガス障害者厚生会 1988
〇秘録 大久野島の実相
稲葉菊松/私家版 1971
〇悪魔の遺産 毒ガス戦の果てに ヒロシマ~台湾~中国
尾崎祈美子 /学陽書房 1997
「貧者の核兵器」とも称される毒ガス-第二次世界大戦中、旧日本軍の最終兵器として大量に製 造されたが、敗戦により未使用弾は地中深くに埋められた。 半世紀の時を超え、中国の奥地に 遺棄された毒ガス弾が、腐食により環境を破壊し始めたと知り、著者は行動を開始する。
マイナス30度の雪原を3時間以上歩き、凍りついた大地から掘り出された毒ガス弾を映像で 記録したとき、著者はヒロシマ-台湾-中国と毒ガス取材の過程で出会った人々の心の軌跡を書 き残そうと、固く誓ったのだった。
〇毒ガス島 大久野島 悪夢の傷跡
中国新聞「毒ガス島」取材班 /中国新聞社 1996
〇毒ガス島 (母と子でみる )
早乙女勝元 岡田黎子/草の根出版会 1994
〇ドキュメント-日本の恐怖・毒ガス
落合英秋/番町書房 1973