中国遺棄毒ガス調査について 吉見義明 中央大学教授(日本現代史)

1996年1月28日
記念講演「中国遺棄毒ガス調査について」

講師:吉見義明 中央大学教授(日本現代史)

 中央大学の吉見と申します。お手許に、2ページ分のレジュメが行っているかと思いますが、それに従って報告させていただきたいと思います。

<1.調査の概要>
 昨年の11月26日まで12月2日まで、社会党の国会議員と、数名の専門家で合同の調査団を組みまして、遺棄毒ガス弾の調査に行ってきました。どういう調査をしたのかということの概要から述べたいと思います。
 調査項目は、ここの載っている①・②・③・④の4つです。1番上のハルバレイの埋蔵地に最初に行きましたが、ここは中国東北に遺棄された日本軍の毒ガスが集中的に埋蔵されているところです。非常にたくさんの砲弾を日本軍は遺棄したわけですけれども、中国は朝鮮戦争の最終段階の頃から集めましてハルバレイというところに埋蔵しました。これは「一号坑」・「二号坑」という2つの大きな穴を掘ってそこに埋めたわけですが、その総量がどのくらいあるのかということは現在でも判っていません。日本の外務省は調査に行って、一部を発掘して調査し、また埋め戻しています。

 中国政府は、日本軍が遺棄した化学弾は中国全土で200万発、遺棄毒ガスが100トンというふうに言っております。そこで、ハルバレイに埋まっているのがどのくらいなのかが1つの焦点になるわけですが、私たちが行ったときの説明では、約80万発というふうな説明があったように記憶しております。中国全体での遺棄総量がどれくらいあるのかということは、このハルバレイにどれくらい埋まっているかで大きく変わってくるわけです。今年の試堀調査の結果、日本の外務省は70万発という推定を発表した。
 もう1つの問題は、日本軍がいきしてからすでに50年以上経っていることです。しかも土の中に埋められておりますので、一部砲弾から毒ガスが漏れだし、土壌汚染が始まっている。このことは、中国政府も日本政府も確認しております。このハルバレイの埋蔵地は山の中ですけれども、そこからそう遠くないところにダムがありまして、ハルバレイの埋蔵地から小川のようなものがずっと流れている。従って、土壌汚染が進んでいるとすれば、非常に深刻な問題を生み出す可能性があります。

 2番目に行ったのは、ハルビンの郊外にある「臨時保管庫」です。日本の外務省はすでに何回か行きまして、各地で小規模発見されたものについては臨時に密封をして中国側に保管してもらっているのですが、その1つです。その保管状況を見てきました。レジュメの2ページ目の地図を見ていただきたいと思います。外務省が確認した、日本軍が遺棄した毒ガスの発見場所はこのようにたくさんあります。今回見たのは、上から5番目の黒竜河省巴彦県というところで臨時に処理したものの保管状況です。住民の住んでいるところからそう遠くないところに軍の施設がありまして、そこにレンガ造りの建物を建てまして、その中に臨時に保管しているという状態です。守衛の人が2名交替でついていますけれども、非常に簡単な施設でありまして、中国側は、こういう保管状況では危ないのでちゃんと保管庫の整備もすべきである、といっております。
 3番目は、チチハルの近くにフラルギ(注1)というところがありますが、フラルギの砲弾の調査もいたしました。これは、日本の外務省もまだ確認していない場所です。従って、臨時の密封もしていないむき出しの状態です。246発の砲弾を、我々が行くので、運びだして地上に並べているという状態で見せてもらいました。
 砲弾の表面は非常に錆びておりまして、マークがほとんど確認できない状態ですが、砲弾の下から3分の1ぐらいに、かなり大きな黄色い帯状のマークが残っているのが1つ確認されました。もう1つ、同じような位置に赤色の帯があるものが確認されました。黄色の帯があるものが「きい弾」、イペリットとルイサイトの混合弾ということになります。後者は「あか弾」でありまして、くしゃみ性・嘔吐性のガス弾ということになります。そのほか、マークは錆びついて確認できないのですが、揺するとピチャピチャ音のする砲弾がありました。これは「きい弾」にほぼ間違いないと思います。それから、非常に危険なことに、信管つきの砲弾が1発残っておりました。これは、いつそれにさわって爆発するか分からないという危険な状態です。
 この246発もの砲弾はどこから出てきたのでしょうか。非常に厄介な問題ですが、これは現地の鉄工所に集められていた鉄屑から出てきたということです。どういうことかというと、砲弾は鉄ですので、それを住民が見付けて屑鉄として売る。それが鉄工所に集められていたのです。事故が起こったようでありまして、臨時に保管しているのです。
 この例が示しますように、非常に厄介な問題はーいま中国で開発が進んでおりますがー開発に伴って、例えば地中に遺棄された毒ガス弾に住民が行き当たって事故が起きる可能性があるということです。新たな砲弾がどういうところから出てくるのかも分からない。しかもそれが爆発するかもしれないという状況ですので、中国側はこれを非常に憂慮している状況です。
 第4番目に、毒ガスの被害者2名の方からヒアリングをいたしました。これはもう多くの方が聴取しておられますが、松花河の浚渫工事中に船が「きい弾」、または、「きい剤」の入った缶を吸い上げて被害に遭った方です。私たちのヒアリングで特に意義あると思いますのは、広島大学の山木戸道郎教授が一緒に行かれたことです。山木戸先生は、大久野島の毒ガス障害者の症状をずっと診てこられた方です。実際にヒアリングを行い、診断をされて「イペリット・ルイサイト傷害の急性期の毒ガス症状に酷似している」というふうに言われましたので、毒ガス傷害の診断に最も詳しい方がそう言われたという点で意味があると思います。

<2.課題(提言)>
 今後、何が必要かということを私どもは「提言」としてまとめて政府の片に持って行きました。その内容はそこに書いてありますが、いくつか説明をさせていただきたいと思います。
 6つほどあります。1つはこれまで遺棄化学兵器の処理問題について日本政府は一定の対応をしているわけですが、それが秘密裏にずっと行われてきたということです。しかし、この遺棄化学兵器という問題は重大な問題であり、また、非常に大きな予算をつかうことになるということでもありますので、早急な処理を行うのと同時に、早急な処理を行うためにも、国民に見える形で行うこと(公開性の確保)が必要であるということです。
 2番目は、情報の開示・ホットラインというふうに書いてありますが、日本軍が毒ガス兵器をどこに配備し、敗戦時にどこに遺棄して帰ってきたのかという情報を中国側に早急に伝える必要がある。新たな事故を防ぐためにもこれは早くやる必要があるということです。そのためには政府が、特に防衛庁が持っている旧軍の資料を全面的に調査して、どこにどういうふうに配備したのかということを調べる必要があります。
 もう1つは、実際に遺棄してきた旧軍関係者はたくさんおられるわけですから、旧軍関係者への情報提供の呼び掛けをやる必要があります。これは政府の責任において行うということが1番大事だと思いますが、それがすぐ出来ないのであれば、我々の方でホットラインを作ってやる。あるいは、「毒ガス展」が開かれますと、旧軍関係者とコンタクトができる可能性がありますので、そういうところで情報提供を呼び掛けるというのが非常に重要になってくると思います。
 3番目ですが、ハルバレイ地区の環境調査が早急に必要であると思います。

 それから4番目ですが、被害者の救済と補償をどうするかということが非常に大きな課題になると思います。遺棄弾での毒ガス被害者について、中国側は、私たちがいったときには2,000名というふうに言っておりました。その後、新聞報道によりますと、3,000名という数字が発表されたようです。この被害者というのは2種類あるかと思います。1つは、戦争中に日本軍が毒ガスを使用した結果被害を受けた人がいると思うんですね。それからもう1つは、日本敗戦後、遺棄弾によって被害を受けたというケースです。中国側は後者について2,000名、あるいは3,000名と言っているのですが、両方含めて被害の調査・治療、それから補償をどうするのか、ということを考えて行かなければならないと思います。
 5番目ですが、遺棄化学兵器の早急な処理の問題、それから被害者への援護の問題を検討する特別の部局を政府内に作るということ、国会内で特別調査委員会を作ることという提言をいたしました。 6番目は、化学兵器の使用や遺棄の調査と、廃棄をどういうふうにしたらいいのかということでの研究交流が必要ではないかということです。
 このような「提言」をいたしまして、首相と防衛庁長官に持っていきました。

<3.化学兵器禁止条約>
 次に、もうちょっと具体的に問題を考えてみたいと思います。遺棄毒ガス兵器の廃棄をなぜ日本がしなければならないのか、ということについて簡単にふれたいと思います。
 「化学兵器禁止条約」を日本は昨年(1995年)の9月に批准いたしました。この条約は、遺棄した化学兵器は遺棄した国が廃棄するという義務を課しています。今年の1月24日現在、化学兵器禁止条約を批准した国は47ヵ国です。65ヵ国が批准すると発行しますから、もうちょっとということです。

 すでに批准した主要な国は、ドイツ・フランス・カナダ・イタリア・オーストラリア・アルジェリア等ですが、これを見ますと、フランス以外の国連常任理事国がまだ批准をしておりません。それから、中東諸国が批准をしていない。中国もまだ批准をしていないということです。つい先日発表されましたクリントン大統領の一般教書によりますと、アメリカも批准する意向のようです。アメリカが批准すれば、一挙に批准国は増えていくものと思いますが、常任理事国が批准するということが非常に重要なことだと思います。それから、中東諸国が未批准というのは、イスラエルの核疑惑の問題、それからイラクの化学兵器等の問題があるから非常に厄介なのではないかと思います。東アジア、東南アジアでも批准が進んでいないことを指摘しておきたい。

 生物化学兵器は「貧者の核兵器」というふうに言われておりますけれども、化学兵器禁止条約ができたというのは、国連の常任理事国はいずれも核兵器を持っておりますので、化学兵器については必ずしも持つ必要はない、あるいは、他の国が持たないようにこういう条約を作ったほうがいいという事情があったようにも思われます。しかし、いずれにしても、早急にこの禁止条約が発行するということは大変重要であると思います。

 それから、中国がまた批准をしていないということですが、これは色々な事情があると思います。私どもが行って、中国はどうしてしないのかということを聞きましたところ、返ってきた非公式の答えの1つは、化学兵器禁止条約ができると、化学工場へ「査察」入るんですがこれはかなり広範囲に査察されるということになります。しかし中国では、化学工場というのは小規模で数が多く、査察を受け入れるにはどうしたらいいのかということがちょっと厄介で、それが批准がおくれているという説明でありました。
 いずれにしても、隣国に危険物を放置してきたのですから、この条約のあるなしにかかわらず、日本には廃棄の義務があるわけですが、条約が発効し、中国が批准をした段階で条約上の義務も生じてくるということになります。
 ②の方に移ります。遺棄化学兵器は廃棄の義務が生じた場合にどういうスケジュールでやらなければならないのかということですが、条約が発効し、かつ中国が批准した後、30日以内に入手可能なすべての情報を技術事務局に提出するということになります。そうしますと、日本政府としては、いま自分たちが持っている遺棄した化学兵器についての入手可能な情報については調査しておかなければならないということになるんですね。従って、政府が早急にそれをやるべきであるというふうに思っております。それから一般的には批准後2年以内に廃棄に着手し、10年以内に廃棄を完了しなければならないということになります。これも非常に大変なことになるので、すぐに取り掛からないと間に合わないと思います。

<4.廃棄の方法>
 4番目ですが、廃棄の方法についてはどういう問題があるのかということですが、これは私は全くの専門外で、こういう技術的な問題は分かりませんので、詳しい方に後で述べていただければと思いますが、政府の説明等で知り得た範囲で申しますと、廃棄の技術というのは充分に確立していないという問題がある。それから、遺棄された兵器を廃棄する場合、特別に困難な問題がありますが、この両方を簡単に述べたいと思います。
 1つは、廃棄するためには、砲弾の場合は、砲弾の弾体と砲弾の中に入っている内容物を分離しなければなりませんが、その分離の方法は、ネジ加工部分での解体法、高圧水流での切断法、冷却廃棄法等があるということのようです。それから分離した化学剤をどういうふうに処理するのかということですが、これは、化学的な中和法、高熱焼却法、プラズマ焼却法等があるというふうにおわれたおりますが、完全なものがあるとはいえない状況と聴いております。 特に、厄介な問題は「きい弾」の中に含まれる砒素の問題です。「きい弾」というのは、イペリットとルイサイトを等分に含んでおりますが、ルイサイトの方に砒素が含まれている(注2)。ルイサイトが保存用の陽気の中に残っていればそれも問題です。さらに、「あか剤」の中にも砒素が含まれています。処理工場をどこにつくるかというのも大きな問題です。
 そして、化学兵器を処理した後にも残る砒素をどうするのかという問題が解決されていない。西ドイツでは、それを地下に岩塩地帯に密封するということが考えられているようですが、日本の場合はそれがどうなるのか。工場を中国につくったとして最終的に砒素が分離された場合に、中国側は当然これを日本に持って帰れと言うでしょう。それをどこに保管するのかという問題が当然出てくることになります。

 もう1つは費用の問題です。費用については色々な説がありますが、これはやってみなければ分からないという面があるように思います。1つは、日本軍が中国に遺棄したガスの総量がどれくらいなのかというはっきりしたものはまだ把握されていないわけですね。それから遺棄された化学兵器の現在の状況、どういうところに遺棄され、それがどのような状況になっているのかということに左右されると思いますので、非常に厄介だと思います。
 アメリカの例ですと、新聞報道によれば、アメリカの持っている毒ガスの総量は31,000トン、その処理にだいたい120億ドルかかるというふうに見積もられております。後で申し上げますが、日本軍が中国その他に配備した毒ガスの総量は、最大でも3,000トンぐらいだろうと思います。そうすると、規模にして10分の1ということになります。これは実戦で使用されたもの、海に投棄されたものを含んでの話です。ただし、アメリカの処理の場合には、1個1個の砲弾の中には何がはいっているかはっきりしているわけですね。日本軍の場合には、掘り出したものの中に何が入っているのかということは1つ1つチェックして行かなければならないという問題があります。
 そして、腐食している場合には、そこから漏れ出さないようにどうやって処理するのかという困難な問題があるかと思います。山野中に埋められているハルバレイ等の場合には、処理工場までどうやって運ぶのかというふうな問題もあるのです。

<5.被害者の救済>
 被害者の救済をどうしたらいいのかというのも非常に大きな問題になるかと思います。一緒に行きました広島大学の山木戸先生は、2つのことをおっしゃっているんです。1つは、健康に関する実態調査を早急に行う必要があるということです。被害者が2,000人あるいは3,000人いるということですが、その実態調査をする必要がある。もう1つは、被害者の方に日本に来てもらって治療をするということでは継続的な治療はできないので、むしろ専門の医師を派遣して、もしも治療法があるとすれば、その方法を中国のお医者さんと一緒に検討するという、医師の交流ということが大事なのではないかとおっしゃっていました。さらに言えば、被害者の方は非常に大きな不安を持っておられます。例えば、これが遺伝するのではないかというような不安を持っておられます。もちろん遺伝することはないのですが、そういう精神面のカウンセリングも必要ではないかということです。
 次に、被害者救済の法的な責任が日本政府にあるのかどうかということですが、日本政府はそういう責任はないというふうにはっきり言っています。爆弾の被害があった場合は、その国の責任でやるんだというふうに言っています。本当にそうなのか。これは、戦争中に投下された不発弾の処理の問題とは別次元の問題ではないでしょうか。この法的な責任の問題というのは真剣に検討する必要があるように思います。

<6.毒ガスの開発・生産・貯蔵・配備・使用・遺棄の実態解明>
 6番目に移りますけれども、この「毒ガス点」との関係で非常に重要な問題になると思いますが、毒ガスの開発、それから生産・貯蔵・配備・使用・遺棄という全過程の実態を解明するということが、この遺棄毒ガス弾との関連でいま非常に重要になったきていると思います。
 これがどういう意味を持つのかということですが、1つは、このような実態が解明され、そして日本が遺棄した毒ガスが最終的に廃棄され、被害者の救済も行われるとすれば、全地球的な化学兵器の廃絶に大きな貢献をすることになるだろうと思います。それから2番目に、毒ガスの処理を行うということだけではなくて、使用したということも承認する、それを認める。それから被害者を救済して、はじめて日本と中国の信頼関係ができるということになると思います。これは、日本の戦争責任問題の1つにきちんとした決着をつけることになるでしょう。

 次に、それでは今これらの問題がどの程度明らかになっているのかという概要を簡単に申し上げて終わりにしたいと思います。まず生産の問題からみると、現在まで明らかになっている資料によりますと、大久野島で生産された毒ガスの総量は6,616トンです。このうち、敗戦時に大久野島周辺に残っておりましたのが3,647トンですので、だいたい3,000トンづらいが配備されてということになります。この配備というのは、中国だけではなくて、日本の国内、それからアジア・太平洋の各地域も含めてということです。それから、砲弾に填実された量ですけれども、判っている限りでは、福岡県の曾根のありました「曾根兵器製造所」で161万発を填実しております。大久野島でだいたい43万発ですので、海軍を別にすれば合計204万発ぐらいになります。敗戦時に大久野島・曾根周辺に残っておりましたのが9万発程度ですので、だいたい190万発ぐらいが配備されたと思われます。砲弾ではなくて、筒(注3)につめて放射する場合があるわけですが、放射筒は564万本ぐらいということになります。
 中国側が言っております200万発というのは、放射筒を含めての数字ですとそれくらいの数になる可能性はありますが、放射筒を含まないとすれば、現在判っている資料からするとかなり多いという感じがいたします。
 ただ、海外に生産・填実の拠点があったかどうかということによってもまた変わってくると思います。特に、中国の東北地区に関東軍の造兵廠(火工廠)というのがありますが、そこで生産・填実していたのかどうなのかという点はまだよく判っておりません。陸軍の記録によりますと、1940年に関東軍の「遼陽製造所」でイペリットの生産施設(注4)を造るという予算案が作成された、という資料があります。それが実行に移されたのかどうかによっても、また変わってくるという気がいたします。
 次に海軍ですけれども、海軍は「相模工廠」というところで生産しております。判っている限りでは、総量は760トンということでありまして、陸軍と比べて9分の1くらいです。敗戦時に周辺に残っておりましたのが268トンですので、配備等が492トンということになります。こらは日本国内での配備を含めての数字です。砲弾については7万発くらい生産しております。これが判っている限りの生産と備蓄です。
 海外にどれくらい配備したのかということですが、これはほとんで判っていない。ただ、ある程度まで調べる方法はあると思います。というのは、防衛庁に残っております旧軍の資料の中に、弾薬関係の資料がかなりあります。そうしますと、資料を1点ずつみていくという非常に長い時間のかかる作業が必要ですけれども、総点検をしていくことによって、かなりの程度配備状況が浮かび上がってくるような気がいたします。これは、政府の責任においてやるように求めて行くということが必要です。
 配備の状況をある程度示す資料が出てきております。お配りいたしましたレジュメの2枚目に「大陸指第千八百二十二号」というのが出ております。1944年1月29日に出されたものです。これはどういうものであったのかということですが、日本軍が毒ガスを使っていたということをアメリカ軍は知っていて、報復的に使用したらどうかということをアメリカ軍は検討いたしますが、やがて太平洋上の島々での先頭でアメリカ軍の被害がかなり出ますので、先制的に毒ガスを使ってー例えば、洞窟にこもっている日本軍を攻撃しようというふうな意見が非常に高まった参ります。
 アメリカの国内で毒ガス使用論が高まっていることを日本側は知りまして、アメリカ軍が使った場合に報復するために毒ガスをいくつかの拠点に配備しよう、という決定を行います。それが、この「大陸指」の「化学戦準備要綱」ということのなるわけですけれども、「別紙第二」という表をみていただきますと、「弾薬資材推進要領」として集積の施設が書かれています。
 まず1つは「札幌(小樽)」というふうに書いてありますが、これはアリューシャン方面から進攻する米軍に対抗するために、ここに集積するということです。2番目の「宇品(忠海)」というのは、大久野島とその周辺に集積するということです。次が海外になります。「上海」・「マニラ」・「昭南」、シンガポールですね。それから「トラック」島という、この4つを拠点にして集積しようとしたようです。
 しかし、現在までのところ、この4つの地域で遺棄毒ガス弾が見つかったという報告は一切出ておりません。恐らくこれは、この4つの場所で敗戦の前後に海に棄てたんだと思います。例えば、マニラですとマニラ湾、それから上海ですと近くの海です。シンガポール・トラック島も同様ということになります。主なところはそういうところに配備し、最後は海に棄てたということです。しかし、これは重要な拠点ですね。そうではない場所にも配備している可能性があるわけです。実は、海外配備の遺棄毒ガスの問題は中国だけではなくて、アジア・太平洋の各地に広がっていて、そういう問題が今後出てくる可能性があるということです。
 次に、使用の問題ですけれども、遺棄したということを認めながら、使用したことについては何もふれないでこの問題を処理するということは非常に不誠実です。やはり、使用したということについても認めていくということが必要であると思いますが、化学兵器禁止条約や遺棄毒ガス問題の審議の過程で政府は「あか剤」の使用については認めはじめました。非致死性ガスの使用についてはかなり頻繁に使用したということを認めておりますが、致死性のガス、イペリット・ルイサイト・青酸・ホスゲン等については使用したという事実を認めておりません。しかし、致死性のガスを使ったという日本軍の公文書はずっと前から出てきているわけですね。ですから、これを認めさせていくということは非常に大事なことだと思うんです。
 いくつかの例を述べてみますと、1939年5月13日に「大陸指第四百五十二号」というのが出されました。これは参謀総長の指示として出されているわけですが、山西省で糜爛性のガスを使用せよ、という命令が1994年にはじめて発見されまして、この「大陸指第四百五十二号」は、非常に重要な文書だと思います。現在まで致死性のガスについてそれを使用したということが日本軍の公文書によって確認されますのは、レジュメに書いてあります、いくつかの例です。

 例えば、1939年末から1940年はじめにかけて、中国の南部、広東省で「翁英作戦」というのが行われますが、この作戦の中でイペリット・ルイサイトを使っております(注5)。
 1940年8月、日本軍は中国の八路軍の攻撃を受けて、非常に手痛い打撃を受けますが、それへの反撃作戦として、「晋中作戦」を行います。これは八路軍の支配地域を「覆滅」するという目的で、村々を焼き払い、住民を殺していく作戦ですが(注6)、この晋中作戦の中で毒ガスを使い、特にイペリットを撒いて帰るという作戦をしております(注7)。

 1941年10月、有名な「宜昌攻防戦」という戦闘では、宜昌という重要拠点で日本軍が完全に中国軍に包囲されます。全滅寸前になりまして、日本軍は軍旗を焼いて、全滅を覚悟で最後の反撃をしようとするわけですが、その時にイペリットを含む毒ガスも併用して、ー飛行機からも撒いたようですがーかろうじて包囲を突破して宜昌という都市を守るということをやっています(注8)。これは1941年10月という、ちょうど日米開戦の直前という時期であったため、アメリカも非常にこの戦闘を注目していました。そして、武官を派遣して、毒ガスが使われたということを確認いたします。アメリカ側の対日毒ガス戦の準備が始まって行くのは、この宜昌攻防戦がきっかけになっているのです。
 同じ頃の「河南作戦」という作戦でも、日本軍は撤退する際にイペリットを撒いて、中国軍の進撃を阻止しようとしております(注9)。
 1942年の冬には、八路軍の支配地域であります山西省の大行山脈で「大行地区粛正作戦」というのを行いますが、ここでも日本軍が侵攻して住民を殺害するというようなことをやっております。それから部落の爆破等もしておりますが、爆破しない場合には、住居の中にイペリットを撒いて帰ってくる。住民が帰ってきてそれに被毒するという事態を生んでおります(注10)。
 さらに、1941年12月から日本軍はマレー・シンガポールへ侵攻しておりますが、その過程でも英連邦軍に対して、小規模ですけれども、「ちび」という青酸の入った手投げ瓶を、ーこれは対戦車攻撃用に開発されたものですがー使用しております。ビルマで使用されたという例もありますので、公文書によって致死性の毒ガスが使用されたということははっきり証明できるのです。にもかかわらず、日本政府はこういうじょうきょうですけれども、致死性のガスについては使用したという事実をまだ認めておりません。また、それに関連する資料も隠している(注11)。
 従って、使用の事実を認め、非公開資料を全面的に公開するということを政府に求めていくことが必要なのではないかというふうに思います。
 以上、遺棄毒ガス問題に関連して何をしなければならないのかということで私が考えていることを申し上げました。どうも御清聴ありがとうございました。(文責・注記:松野誠也)

 

注の説明

注1 
 フラルギは、後に「関東軍化学部練習隊」へと発展する「瓦斯第三大隊(満州第五二六部隊)」、および瓦斯第三大隊の前進である「特種自動車第一連隊」の駐屯地で、日本軍の化学戦とは不快関係にあった地域であった。なお、これらの部隊では、毒ガス人体実験が行われていたことが元関係者の証言で明らかになっている。

注2 
 ルイサイトは、ビラン性のガス傷害だけではなく、砒素中毒によって死亡させることもあるので、「死の露」という異名を持っている。

注3 
 「あか筒(つつ)」や「みどり筒(つつ)」など

注4 
 製造能力は、月産75トンであるという(桜火会『日本陸軍火薬史』)。

注5
 この作戦で、独立山砲兵第二連隊が「赤B[山砲]弾」10発、「黄B[山砲]弾」294発を使用している(同連隊『翁英作戦戦闘詳報』)。

注6 
 このような徹底した破壊作戦のことを日本軍は「燼滅(じんめつ)」と呼称している。「燼滅」とは、「敵根拠地ニ対シ徹底的ニ燼滅掃討シ敵ヲシテ将来生存スル能ハザルニ至ラシムコト緊要ナリ」と命令されているように、「敵及土民ヲ仮装スル敵」や「敵性アリト認ムル住民中十五才以上六十才迄ノ男子」は「殺戮」し、「適性部隊」は「焼却破壊」することで(独立混成第四旅団『第一期晋中作戦戦闘詳報』)、華北の中国共産党軍の根拠地では1943年まで継続して行われた。これが、いわゆる三光作戦の最初の発動である。そして、この晋中作戦は、その一環として、イペリットを含めた毒ガスを激烈に使用しはじめた最初の作戦であった。

注7 
 この作戦で、独立混成第四旅団は、山砲「特殊弾[=きい弾]」13発・同「あか弾」43発を使用し(同旅団『第一期晋中作戦戦闘詳報』)、歩兵第二二四連隊第二大隊は、[きい弾]47発・「あか弾」62発を使用している(同大隊『第一期晋中作戦戦闘詳報』)。中でも、「輝教」という部落は9月13日に「毒化」した、との記録が残っている。(同前)。

注8 
 この戦闘で第一三師団は「きい弾」1,000発・「あか弾」1,500発を使用した大規模な毒ガス戦を展開し、「敵ノ攻撃企図ヲ挫折セシメタルノミナラズ密偵其ノ他諸情報ヲ総合スルニ瓦斯ノ効果ハ極メテ大ナリシモノノ如シ」と日本軍は記録している(陸軍習志野学校案『支那事変ニ於ケル化学戦例証集』戦例四〇)。

注9 
 華北の都市・鄭州からの撤退に際して第三五師団は1941年10月31日に「きい剤」330キロを撒毒し、「敵ノ前進ヲ完全ニ阻止シテ主力ノ撤退ヲ容易ナラシメタルノミナラズ、密偵報其ノ他諸情報ヲ総合スルニ敵ハ甚大ナル損害ヲ受ケ周章狼狽シテ後退セルモノノ如シ」という効果をあげ、「戦場離脱ノ為要点ニ撒毒セバ小量ノキイ剤ト雖モ効果大ナリ」という教訓を日本軍は得ている(同前、戦例四四)。

注10
 この作戦で第三六師団の「特殊作業隊」は掃討戦終了後、八路軍根拠地の「兵舎、洞窟、工場」(といってもほとんど住民の村落他)等に、「きい一号甲」約300キロを撒毒した。日本軍撤退後、復帰してきた人々が次々に被毒し、日本軍は「敵ハ数千ノ瓦斯者ヲ出シ内約半数ハ死亡セルモノノ如シ」と判定、「陣地ヲ有セズ洞窟、村落等ヲ根拠地トシ政治工作ヲ主トスル共産軍ニ対シテハ此ノ種瓦斯用法ハ効果甚大ナリ」という教訓を引き出している(同前、戦例二一)。住民を巻き込み、地域ぐるみで「毒化」する作戦が師団規模で展開されていたのである。

注11 )
 例えば、防衛庁防衛研究所図書館では、注5が記録されている独立山砲兵第二連隊『翁英作戦戦闘詳報』のカード目録が末梢され、現在では一般の閲覧はおろか、その存在すら確認できない状態にある。ただし、隠匿される前に、吉見先生がコピーを取られていたのは幸いであった。(以上)