日本軍の毒ガス製造・使用

3 日本軍の毒ガス製造と毒ガス使用について教えてください。

1929年陸軍造兵廠火工廠忠海製造所完成、毒ガスの製造始まる。最初は毒ガスの生産は需要の少ないこともあってサイローム(特殊赤土に青酸を吸収させる。)生産。ミカンの木に着く貝殻虫を駆除する農薬なども生産していました。 1937年日中戦争が始まると毒ガスの生産量が急増、中国各地で実戦に使われるようになりました。しかし、日本軍は国際法上禁止された毒ガス製造と毒ガス使用をひた隠しにしながら、日中戦争で使用し、多くの中国人を殺傷しました。 日本軍が毒ガスを製造したのは、陸軍の毒ガス製造工場である大久野島と海軍の毒ガス製造工場の神奈川県の相模海軍工廠の2カ所だけです。 相模海軍工廠は製造が始まったのも1943年で日中戦争末期であり、生産した毒ガスの総量は760トンで本土決戦に備えて国内各地の海軍の貯蔵庫に配備されたが使用されませんでした。 大久野島の毒ガス生産総量は6616トン、その約半分が国外に持ち出され戦争に使用され、日中戦争では約1万の死者が出たといわれています。日本軍が戦争で使用した毒ガスは大久野島で製造されたものでした。日本政府は赤筒の使用は認めていますが、致死性毒ガスの使用は公式に認めていません。しかし、たくさんの致死性毒ガスが中国に運ばれたのは事実ですし、使用したという証言もあります。