漂着物エッセー
馬が瓢箪からにゅっと出てきて、人々の頭を飛び越え、そのまま大地を駈け抜けて
空の向こうに消えていく。「西遊記」の金角、銀角が持っていた何でも吸いこむ瓢箪を
連想させる、少し大陸的でスケールの大きい諺を、私は昔から気に入っていました。
その「瓢箪から駒が出る」ではないけれど、海岸を歩くと、不思議で意外なものに出
会うことがあります。高波の続いた後、大きな冷蔵庫やテレビが打ち上げられていた
り、遠いフィリピンの容器が届いていたり、あるいは干潟の泥から、ほんの少し顔を覗
かせていた古い戦前のガラス壜を掘り出して感心したり、指先ほどの小さな美しい貝
を拾って、こんな広い砂浜の中でよく出会えたものだと思ったりします。
波打ち際には、空間や時間を越えて、いつも何かが届いています。けれども海岸は
私が暮らしている社会の波打ち際でもあるようです。瀬戸内の美しい島を歩いていて
海岸に不法投棄された、巨大なゲロのようなゴミを見ました。浜辺を覆い尽くすビニー
ルやプラスチックなどは、どこの海岸でも見られますが、まるで私が生きている世界の
臓物や排泄物の類いのようです。
金角、銀角の瓢箪の中身を吐き出したように、海岸にはいろいろな物が散乱してい
ます。海は巨大な瓢箪であり、その胃袋の中から、馬どころではなく、どんな奇想天外
なものが今日は届いているかもしれません。私はいつもわくわくしながら海岸へ出かけ
ます。海岸は私自身が属する世界の果てで、私は浜辺を一人歩きながら、しばらくの
間、私が生きる世界を覗き見ます。