kaihyoukutsu

漂着物エッセー

瓢箪から駒

写真左のガラス容器はコンペイトウ入れか
(安芸の宮島 ’98年)
右の陶片は、広島湾の似島で拾ったもの (’03年)

 馬が瓢箪からにゅっと出てきて、人々の頭を飛び越え、そのまま大地を駈け抜けて
空の向こうに消えていく。「西遊記」の金角、銀角が持っていた何でも吸いこむ瓢箪を
連想させる、少し大陸的でスケールの大きい諺を、私は昔から気に入っていました。
その「瓢箪から駒が出る」ではないけれど、海岸を歩くと、不思議で意外なものに出
会うことがあります。高波の続いた後、大きな冷蔵庫やテレビが打ち上げられていた
り、遠いフィリピンの容器が届いていたり、あるいは干潟の泥から、ほんの少し顔を覗
かせていた古い戦前のガラス壜を掘り出して感心したり、指先ほどの小さな美しい貝
を拾って、こんな広い砂浜の中でよく出会えたものだと思ったりします。

 波打ち際には、空間や時間を越えて、いつも何かが届いています。けれども海岸は
私が暮らしている社会の波打ち際でもあるようです。瀬戸内の美しい島を歩いていて
海岸に不法投棄された、巨大なゲロのようなゴミを見ました。浜辺を覆い尽くすビニー
ルやプラスチックなどは、どこの海岸でも見られますが、まるで私が生きている世界の
臓物や排泄物の類いのようです。

 金角、銀角の瓢箪の中身を吐き出したように、海岸にはいろいろな物が散乱してい
ます。海は巨大な瓢箪であり、その胃袋の中から、馬どころではなく、どんな奇想天外
なものが今日は届いているかもしれません。私はいつもわくわくしながら海岸へ出かけ
ます。海岸は私自身が属する世界の果てで、私は浜辺を一人歩きながら、しばらくの
間、私が生きる世界を覗き見ます。

アカウミガメの漂着

ココヤシ

貝の骨

鳶とカラス

広島湾

高知・桂浜の五色石

カルピスの海

瓢箪から駒

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