どんなものが拾えるか

4.昭和の陶片たち(2)

肥58 (似島)

岐732 (似島)
底の部分 化粧品
容器の類いか?

岐454 (宮島)

瀬791 (宮島)

 太平洋戦争中の器で、昭和16〜20年頃のものは、有、肥、岐、瀬のような産地
の頭文字と数字(統制番号)が入っています。武骨で実用的なものが多く、鮮や
かな赤い色が使われることも少ないようで、全体に質素な感じですが、たまに意外
とおしゃれなものもあります。

 なかにはアルファベットの入ったものもあり、戦時中のはず
なのにと不思議に思いましたが、調べてみると、敵性語追放
が極端になったのは、昭和17年末以降のようでした。

 わずか3〜4年の短い期間作られた、統制番号入り器たちですが、たくさん集めて
みると、前後の時代と微妙に違う雰囲気もあり、太平洋戦争の小さな記録なのだと
思うようになりました。また、これらの陶片たちは、いわば産地と製作年代の名札付
きなので、模様のデザインや印刷方法などから、その前後の時代の陶片を拾うとき
の判断材料にもなりそうです。

戦時中、金属製缶詰の代用品として、陶製容器入りの
防衛食が作られました。
→詳しくは、「重箱の隅」防衛食容器参照

防衛食容器(似島)
戦時中 昭和17〜

 戦前毒ガス製造工場のあった、竹
原市の大久野島で拾った毒ガス製
造用の容器
です。
 写真左の白い穴のあいたものには、
KYOTO TAKAYAMA KOZAN

※ 写真をクリックすると大きくなります。
   
また、( )内の地名は採集地です。

と、刻印されています。島内の毒ガス資料館に、ほぼ同じものが展示してありま
した。右の取っ手のある容器片には、Mという文字と、星のマークの刻印があり
ます。

毒ガス関係の容器 (大久島)

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touhenkutsu

MADE IN OCCUPIED JAPAN
占領日本製とあります。当時の輸出
品には、こう記されていました。宮島
で拾ったものだけでしたが、去年、似
島でもう一つ拾いました。残念なこと
に二つとも、底の部分しか残っていま
せん。

(宮島)

(似島)