海岸の陶片とは何か  その1

 海岸の中には、浜辺に散乱するゴミの中に占める、陶片や、ガラス片の割合が
あきらかに他の海岸よりも高い場所があります。ときには浜のゴミの大部分が陶
片であるため、とても汚い場所に見えることもあります。私はこのような場所を、
陶片海岸と呼んでいます。これらの陶片の多くは、新しそうに見えても、最近捨
てられたものではなく、少なくとも作られて数十年以上はたっています。

なぜ海岸から古い陶片が出てくるのか

 海岸で拾う古い陶片には、大きく分けて3種類あります。
一つは沈没船の積荷など、海底に眠る陶片が打ち上げら
れる場合、二つ目は海岸に堆積する生活ゴミ、そして三つ
目は何かの事情で大量に廃棄されたものです。

1.海底からの漂着

 日本各地の海岸の中には、海底に眠る沈没船の積荷などが大量に漂着す
る場所があるようです。海の難所であり、伊万里や唐津から出航した千石船の通
り道でもあった玄海灘周辺の海岸や、東南アジア向けの輸出品が海底に眠って
いるという、薩摩半島の吹上浜などで、これらの海岸の陶片は、生活ゴミではない
ため完形のまま漂着することもあり、玄海灘周辺などは、当時の日本全体の陶磁
器需要を反映しているわけですから、その量も桁違いのようです。これらの地域
では、長年にわたり収集研究している方がおられます。

2.海岸に堆積する生活ゴミ

 ただし、海岸の陶片を、漂着物と堆積物に分けることは難
しい面もあります。状況から見て、主として生活ゴミの堆積
と思われる場所であっても、中には海底からの漂着陶片が
混じっているかもしれません。また、堆積とはいっても、窯跡
のゴミ捨て場などのように、捨てられた時の状態のまま残っ
ているわけではなく、海岸の堆積物は、潮干狩りで掘り返さ
れ、川の増水や、波の浸食などで、たえず表面に現れては、
波に運ばれ、また泥の中で眠るという、小さな移動を繰り返
していると思われます。海岸の堆積陶片は、同時に漂
着物でもあるわけです。

3.大量に廃棄されたもの

 竹原市忠海町の大久野島は、現在は国民休暇村と
なっている美しい島ですが、昭和の初め、ここには毒ガ
ス工場が作られました。そのため、この島の北部海岸
には、よそでは見たことのないタイプの陶片が散乱して
いました。毒ガス関係の容器です。戦後、進駐軍が来
る前に、それらの容器は海へ捨てられたとも聞いてい
ますが、海岸に埋められた容器もかなりあったのでしょ
う。特殊な歴史を背景に出てくる陶片です。 

(似島の江戸陶片)

海岸のくらわんか碗
 (似島)

大久野島採集品
毒ガス関係の容器片
と、統制番号入り食器
化粧品容器、印判皿

くらわんか碗
(江田島)

※ 写真をクリックすると大きくなります。
   また、( )内の地名は採集地です。

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 私が歩く、広島湾とその周辺では、集落近くにある干潟の
隅や、河口から、古い陶片がたくさん出ることがあります。
瀬戸内の波の穏やかな場所で見つかるこれらは、海岸に
堆積した、昔の生活ゴミ
と思われます。

 この生活ゴミ系陶片は、もともと捨てられたものですし、干潟での暮らしで、みな
割れていて、完形品はほとんどありません。そして出てくるものの多くは、
活に不可欠な雑器
です。また、厳島神社への参詣者で賑わった宮島と、ごく普
通の農漁村であった島の海岸では、出てくる陶片の質も量も時代も違います。

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