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海岸陶片・重箱の隅

防衛食容器

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 太平洋戦争中の、陶磁器製の缶詰容器です。不足してい
た金属の代わりに、昭和17年頃から作られたようですが、
広島の海岸からも出てきます。特に似島でよく拾っています。
半欠のフタを初めて拾った時は、いったい何なのか見当も
つきませんでした。実は大久野島で見た毒ガス容器の残骸
を連想して恐る恐る持って帰りました。後にそれは太平洋
戦争中の食器、代用品などに幾らか共通する、少し陰気で、
遊び心の少ない、独特の肌合いだと知りました。私は戦争
臭と呼んでいますが、この雰囲気があるものは、何かわか
らなくても拾っておくことにしています。

防衛食の破片いろいろ
(似島、宮島、八幡川)

容器の内側 釉薬の掛かったもの(左)
と、素焼きのもの。(似島)
缶詰なのですから、食品の水分を吸わ
ないよう、本来は釉があった方がよい
はずなのですが・・・

フタが完全な形で拾えました。開封時に
できた、釘で開けた穴があります。
(広島市西区・八幡川)

防衛食の全体像を描いてみました。ヒドイ絵です。ペイント、
ほとんど使ったことなくて・・・防衛食という文字を書こうとしま
したが、最初の防の字でもうたくさんと思いました。(T_T)
真空状態にすることで、フタと容器を密着させ、食べる時は、
釘でフタに穴を開けて開封したんだそうです。

底と、その内側 (似島)

 防衛食容器はバラバラの状態で海岸から出てきます。独特の形をした縁やフタ、
防衛食などの文字が入ったものはよいのですが、底だけが出た時は困りました。
底を写した写真を見たことがなかったので、形や色、質感が防衛食容器っぽいと
思っても確信が持てなかったのです。広島市郷土資料館で見せて頂いたものの
中に、これと同じものがあり、この破片が確かに防衛食容器であることがわかりま
した。ただ、広島市郷土資料館の他の防衛食容器や、有田歴史民俗資料館で見
せて頂いたものは、畳付き?にあたる部分の幅が広くて、これよりもがっしりした
感じでした。底の内側にある二重の円も、防衛食容器に必ずあるものというわけ
ではないようです。底のデザインはいろいろあるようです。

底の拡大
文字は、防1か?

胴体部 (似島)
防衛食とか、小澤専七郎謹製
などと書かれています。