広島に住む人々の笑顔を守りたい!

すべての人が一緒に元気で笑顔になれたらいい。

イントロダクション

安芸の国東部、みかん島の長に男の子 が産まれ、幸せに暮らしていた。

まだその男の子が幼いころ、敵である[暗黒破壊軍団オダーク]による広島攻撃があり、武術の達人のしゃも爺と共に、結界の張られた厳島に逃れ ることになる。その後みかん島の人々は、オダークによりその姿を木に変えられた。

[暗黒破壊軍団オダーク]の再攻撃は、必ずあると確信したしゃも爺。
成長した男の子に自らの持てる術を伝承させるべく、修行の道へと入る。
厳しい修行により、平和を愛し守る「心」と、究極の拳法「広島拳」を伝授された長の子。

時は経ち、暗黒破壊軍団オダークが厳島の結界に向けて猛攻撃を行った際、ヒロシマックスとして覚醒。
この戦いでしゃも爺を失った彼は、オダークとの果てしない戦いの道を誓う。

年表(西暦)

750年 しゃも爺(本名:杓子道士(しゃくしどうし))誕生。幼少時より武術をたしなむ。
1000 年 暗黒破壊軍団オダーク誕生。
しゃも爺は、オダークにスカウトされ、武術指導者になる。
1100 年 暗黒破壊軍団オダークのやり方に反発したしゃも爺は、内乱が起こった際、反体制派 についたため、その身を追われる事になる。
命からがら、安芸の国にあるみかん島にたどり着く。
1600 年 安芸の国のみかん島の長の長男誕生(後のヒロシマックス)。
1640 年 暗黒破壊軍団オダークの安芸の国攻撃が始まった。しゃも爺は、島の長の長男(後の ヒロシマックス)を連れて、結界の張られた厳島へと逃げる。
厳島を守護している3人の女神や、住人達のおかげで、オダークの激しい攻撃から難を逃れる事が出来た。
1700 年 オダークの再攻撃は必ずあると信じた彼は、男の子に自らの持てる術を伝承させるべ く、修行の道へと入る。
1800 年 オダークによる厳島再攻撃。
しゃも爺は、ヒロシマックスに覚醒した男の子と一緒にこれを迎え撃つ。
しかし、先走りしたマックスをかばい深手を受ける。厳島(の結界)をなんとか守る事は出来たが、この傷が致命傷 となり、やがて静かに息を引き取る。

全ては、自分の自惚れと身勝手な行動によるものだったと悟ったマックス。
しゃも爺の死を悼み、心を入れ替え、オダークとの新たな戦いに備え、修行を積む。

暗黒破壊軍団オダークとは?

暗黒破壊軍団オダーク西 暦1000年、人間の汚れた心や醜い心、憎悪、 怨念など、負のエネルギーが集まり、人の形になった。それがどこからともなく数多く集合し、やがて組織化された者達の集団。暗黒破壊軍団と自らを名乗る。

その目的は日本征服。首領は、汚損(オゾーン)という名の、実体を持たない意識体。荒くれ者や、傭兵達を数 多く集め、実行部隊を次々と作り、日本全国を荒らし回った。
そのやり方に反発した一部の者達が起こした内乱を、圧倒的な暴力と殺戮による力でねじ伏せた。

極めて高度に浄化されている場所や物体に対して は、何故か彼らの力が及ばず、目的遂行のために、日本各地にある結界を、すべて破壊する事を決意。

西暦1800年、日本の中で最も強力な結界が張られていた安芸の国厳島に総攻撃をかけた。しかし、かつての部下のひとりである杓子道士や3人の女 神、さらに は、見たことも無い橙色の体をした若者らによる反撃を受け、戦力の大半を失った。[厳島大戦]。

壊滅的なダメージを受けたオダークは、組織のスリム化を図ると共に、圧倒的な物量戦から、静かなる侵略戦へとその手法を変更した。これが功を成 し、人々は いさかいや殺人、はては戦争等を起こしていった。時には未知のウイルスに姿を変えるなど、その戦法は、時代 と共に巧妙に変化していった。

そして現代、力を蓄えた彼らは、現代の環境破壊により、結界の力が弱くなった厳島(宮島)を再び攻撃すべく、それを守護する広島もろとも破壊する ために舞い戻ってきた。
Copyright (C) Since 2015 Production Showji. All Rights Reserved. Design by http://f-tpl.com