海岸の陶片とは何か その2
干潟のゴミ捨て場 (貝塚)
不燃物の回収システムのない昔、海岸の一定の場所が、地域の暗黙の了
解でゴミ捨て場とされ、割れた茶碗やガラスなどが捨てられました。集落から近
い、アサリの掘れるような干潟の隅、小石が多いような所に、ゴミ捨て場はあった
ようです。食器などの陶磁器類、化粧品容器、ジュース壜などのガラス製品、タイ
ル、レンガ、瓦、ガイシ、漁のオモリなど、あらゆる不燃物が捨てられ堆積していま
すから、私は、縄文遺跡のまねをして、干潟の貝塚と呼んでいます。
宮島の大鳥居の干潟には、そんな貝塚が幾つもありますし、広島湾内の、似島、
江田島、能美島などにもあります。大崎下島の御手洗(みたらい)では、地元の人か
ら、今は埋め立てられた、かつての貝塚の場所や、そこでは貝を掘るのに邪魔にな
るほど陶片が多かった話を聞くことができました。
このようなゴミ捨て場(貝塚)は、かつて広島湾とその
周辺の海岸のどこにでもあったと思われますが、現在で
はその多くが埋め立てられ、わずかに島や、観光地とし
て保存された場所などで発見できる状態です。小さな島
の片隅で、そんな貝塚を見つけたときは、盗掘された大
ピラミッド(埋め立てられた都市部の干潟)のそばで、ツ
タンカーメン王の墓を見つけたような気がします。(^^ゞ
河口の生活ゴミ陶片
コンクリートの護岸に囲まれた河口でも、干潮
時に川床を探すと陶片が見つかります。広島市
西区の八幡川河口では、18世紀半ば以降の江戸陶片
が、意外にたくさん出るようです。ただし、海岸の陶片に
比べて保存状態が悪く、広東碗の丈夫な底の部分か、
3〜4cm以下の小片がほとんどです。
広島市周辺の河口は、あまりに人工的な姿をしているため、最近まで歩いたこ
とがありませんでした。しかし探してみると見つかることがわかりました。埋め立
てなどで、土の保存状態の良い海岸が見つかりにくい都市部で、河口は意外な
穴場のようです。
広島市西区の五日市に、川が埋め立てられて、河
口の部分だけ残された場所がありました。海側も閉
じられて池のような状態でしたが、海水の出入りがあ
るらしく、干潮時には川床が現れました。海水と違っ
て、出ていけない生活ゴミたちは、チョコバーの中の
ピーナッツのようにぎっしりと、泥の中に閉じ込められ
ていました。 ここの陶片は昭和の比較的新しいもの
が多かったのですが、泥の中の陶片密度がとても高
く、よく探せば明治、大正の銅版印刷や、戦時中の
統制番号入り皿など、近代陶片のおもしろいものが、
(能美島・中町)
(江田島・切串)
八幡川河口付近
※ 写真をクリックすると大きくなります。
また、( )内の地名は採集地です。
生活ゴミ系陶片の出る場所と現状
良い保存状態でザクザク出てきました。しかし、発見から2ヶ月半後に埋め立て
られてしまいました。今ではトラックの運んできた土の下で、陶片たちは永い眠り
についています。
←河口採集品
左 (広島市西区 八幡川)
右 (広島市西区
五日市の河口跡)