touhenkutsu

宮島の陶片 (〜江戸時代) (2)


たくさん拾えるもの その1

飯茶碗と小皿

 18世紀半ば〜後半頃の飯茶碗と小皿です。「くらわんか」と呼ばれるタイプのもので、これより古い時代の陶片とは比較にならないほど、大量に出てきます。この頃広島でも、陶磁器の食器が庶民の間に普及したようで、宮島では、底と縁の両方が残った状態の大きな破片が出ることも珍しくありません。器の中央に五弁花(ごべんか)と呼ばれる花のようなワンポイント模様が付いているものも多く、コンニャク判と呼ばれるスタンプや、簡単な手描きで、素早く絵付けされています。分厚くて、大きさの割りにずっしりとした飯茶碗に、昔の絵巻物にあるようにご飯をたっぷりと盛り上げて、小皿には目の前の宮島の海で獲れた、小魚を煮たものを乗せた食卓を想像してみました。もしかしたら、たっぷりと盛ることなどできない日もあったかもしれないけれど・・・これらの器の一部は白い器肌の磁器ですが、陶器の土を使ったり、磁器の原料と陶器の原料の粘土を混ぜたりした半磁器製品も多く、その境界線は曖昧で、作り方も姿同様おおらかなものだったようです。




青磁染付蓋付碗

 宮島からは、青磁染付碗とその蓋だけで、引き出し一つを占領するほど出ています。宮島は青磁の浜辺でもあるのです。このタイプは外側だけに青磁釉を掛け、内側は染付で、たいていは底に五弁花の成れの果てのようなワンポイント模様があり、縁には四方襷(よもだすき)と呼ばれる飾りがあります。蓋が付いていて、蓋と本体の模様は対になっています。くらわんか的な雑器で、鈍い、お世辞にも美しいとは言えない、灰色がかった薄緑色が多いのですが、たまに惚れ惚れするようなヒスイ色をしたものもあります。18世紀後半に大流行したようです。




京焼風陶器

 広島城の堀跡から出た陶片の中に、淡い黄土色で、高台(底の糸底周辺)がカミソリで削ったように鋭い、薄手のものがあり、京焼風と呼ばれる肥前系の器だと教えてもらいました。17世紀後半のものだそうです。それと同じものが、宮島からも時々出てきます。高台内に「柴」などの文字が彫ってある場合もあります。これによく似た18世紀のものなどを含めると、かなりの数を宮島で拾っています。こんなにたくさん出てくるのだから、たぶん、お金持ちだけの器ではなかったのではと思います。たくさん出るにもかかわらず、もろいのか、底と縁が同時に出たことがありませんので、全体の形がわかりにくいのですが、碗と小皿があるようです。たくさん集めても今一つパッとしない、華やかさに欠ける陶片ですが、淡い色のこの器に、たぶん白米ではないご飯を盛ったり、野菜の煮付けを乗せたりすると、美味しそうに見えたのではないかと思います。まだ「くらわんか」のような磁器、半磁器の食器が普及する前、17世紀の宮島の、潮のかおりのする家の中を想像してしまいます。宮島からはたくさん拾っていますが、今のところ、他の広島の海岸では殆ど見かけません。庶民とはいっても、宮島のような賑やかな都会?だけに普及していたのでしょうか?



戻る             HOME  TOP             次へ