海岸陶片・重箱の隅

近代陶片に残る古い量産技術(1)

 新しい技術が生まれると、世の中の主流となり、時代を表す特徴ともなります
が、古い技術がどんなふうに消えていったかは、あまり顧みられないようです。
もっとも安く、もっともたくさん作られ、どんな田舎にも入り込んだ日常の雑器に
は、この時代にまだこんなことが・・・というようなものがあります。海岸陶片を
探していると、そんな技術の終焉と出会います。

 江戸時代の量産品タイプの器では、窯の中で重ね焼きをするとき、器どうしが
癒着しないよう、器と器の間に砂などを置いたり(目跡)、器の表面の釉薬を剥ぎ
取ったりしていました。近代のものにも、それに似た跡が見つかることがあります。

足付きハマの跡

 見込みのあたりに、小さな痕跡が
5つくらい、輪になって並んでいます。
五つ星タイプと私は仮に呼んでいたの
ですが、これは足付きハマという、窯
道具の跡とわかりました。目的はやは
り、重ねた器どうしが癒着しないため
です。

 おもに明治前半頃から作られた型紙
摺タイプでは、非常によく見られ、それ
より少し後、明治30年代以降の銅版
印刷ではめったにみられなくなります
が、それでも、たまに痕跡のあるもの
が見つかっています。磁器だけでなく、
近代のものではと思われる陶器や手
描きのものにも足付きハマの跡はあり
ます。

 いつ頃まで、この方法で作られてい
たのでしょうか。広島の海岸で見る限
り、型紙摺タイプの印判食器が量産食
器の主流であった時期には、ごくあた
りまえの製作方法だったようで、その
後、銅版印刷に取って代わられる頃
にひっそりと消えていったのでしょうか。

型紙摺
(能美・中町)

型紙摺
(竹原市忠海町長浜)

銅版印刷 表と裏 (宮島)

(金輪島)

 銅版印刷で足付きハマの跡があるのは、今のところこの二つだけです。お多福皿
は、とてもがっしりした作りで、裏を見ると明治前半に盛んだった型紙摺りタイプを思
わせます。海岸でひっくり返し、銅版印刷とわかって驚いたほどです。鯉皿の方は、
裏に轆轤形成の時にできたと思われる筋が残り、高台もやや歪んでいます。これは
次ページで扱う、蛇の目釉剥ぎのある近代陶片の裏とよく似ています。これらは、銅
版印刷タイプとしては早い時期、少なくとも明治のものではと想像しています。

陶器
(倉橋島・桂浜)

手描き (宮島)

※ 写真をクリックすると大きくなります。

また、( )内の地名は採集地です。

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銅版印刷 表と裏 (豊田郡安芸津町風早)
お多福の鼻のそばと頭に痕跡