禅師については毛利の外交僧、軍師、僧にして伊予和気郡6万石の大名、豊臣秀吉の直臣、禅林の最高位、関が原の合戦における西軍の頭目の一人とそれに続く京における非業の死が禅師の生涯として一般的によく知られていることである。

確かに禅師の行動は広く、それも非常に多岐に渡っている。それも他の外交僧や戦国大名とは多いに異なり、対立関係にある大名の重臣、足利将軍、幕府用人、堺や博多の商人、瀬戸内海を行き来する真宗門徒の商人達と真に幅広い。十代後半に京に上り、それからの禅師は以前から鉢広きの西慶とよばれた人物にふさわしく水が地中に沁み込む如く、見聞し、知識を吸収し、思索を重ねた。


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