不動院蔵
安国寺恵瓊禅師
不動院の歴史
令和5年 4月 7日更新
不動院を知る
:元和年中(1615-1624)頃より藩主の祈念のため不動院住職は修験道の聖地である大和の大峯山にに毎年参詣していた。また、同時期より芸備の修験者の役所もつとめ、各修験寺院に法度・覚を発布した。
仏画教室 真福寺仏画道場不動院室
山伏焼印札
瑤甫会お茶会案内
修験道と不動院
芸備両藩の山伏支配
〒732-0068
広島市東区牛田新町3-4-9 不動院
不動院の文化財
不動院江戸時代文書
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享保8年(1723)5月8日の覧
殿様(広島藩5代藩主浅野吉長公)江戸より広島城に帰られ、段々拙僧(宜命)に対し御意ありがたく。
5月18日 殿様が寺社の年頭のお礼を請けるお祝いの事 段々済、
6月1日 新庄山へ殿様が来られ 前年より言われていた鎮守社を訪ねられたところに、半分以上出来上がっていた建物を見分された。夜に御城に帰られた後、夜四つ半時(11時)に竹腰靱負殿より竜神武左衛門殿へ手紙が城より来た。
明日2日 祇園感神院へ御用の儀があるとの申し出があったので、明日昼九つ半(1時)靱負殿宅へ来るようにと連絡が、2日の朝七つ半(5時)に、武左衛門より右の通り連絡があった。
平成の大整備報告
300年前の不動院と広島藩とのやり取り
明和3年(1776)不動院から芸備(広島藩・福山藩)の修験者(山伏)に配布している山伏焼印札に関する通達状
真言宗 別格本山
安芸の国 安国寺
安国寺恵瓊 ゆかりの寺
不動院江戸時代の文書