人生の分水嶺 -2-


歩けるようになって、知り合った人たち


車椅子のスピード狂

 事故で半身不随になった車椅子の若者が入院してきた、以前長い間ここに入院していて、退院したものの足にひどい火傷をして再びに入院してきたらしい。彼の上半身は普通の若者だけど、下半身はひどく小さく見えた。麻痺している足は栄養神経も切ったため骨と皮だけで棒のようになっていた。麻痺をしていると痛さや熱さを感じない。彼は自分の足が火で焼けていても何も感じない。ストーブにあたっていたのか足がひどく焼けてしまったらしい。火傷以外は、大丈夫だし、麻痺のため痛さもないので車椅子で元気に病院じゅう動きまわっていた。歳は、聞いたことがないけど20才前後のように見えた。

 この車椅子の半身不随のお兄さんは、やたらと元気で、普通の人間のように暮らす障害者に初めてあった。車椅子がやたらと小さいのはバスケットの競技用で、彼は障害者のバスケットの選手なのだ。病院の廊下を車椅子で走るスピードは、普通の人が全力で走る速さを超えている。バスケットの試合スピードで飛んでいく。これほど速く車椅子が走ると、人にぶつかって危険なのだけど、そこはバスケット選手の動きで見事に歩く人をよけて行く。その姿は、とってもかっこよかった。車椅子の前輪を上げるウイリーなんて何分でもやってのけるばかりか、その前輪を持ち上げたまま5〜6段ぐらいの階段なら平気で登ったり降りたりする。階段を登る車椅子を初めて見た。一番感心したのは、廊下の曲がり方だった。真っ直ぐの廊下を全力で走って来て、あ、危ないと思った瞬間、彼はスピードを落とさず90度でコーナーを曲がって、瞬く間に消えていった。秘訣は、階段の手すりが廊下の角にあって、その丸い縦の手すり握って、それを支点に車椅子のタイヤをきしませて曲がるのだ。

 彼は、自分の車で病院までやって来ているので、気が向くと時々車で外出してしまう。どうやって車を運転するのか、みんなで見に行ったことがあった。車はホンダのアコードでハッチバック。上手に車椅子から車に乗り移ると、車椅子をたたみ、持ち上げて車に積み込んだ。ハンドルは片手でも回せるように丸い握りがハンドルの上についていた。もう一つの手でギヤチェンジもする。エンジンがかかると、「じゃ」とか言って、すごいスピードで走って消えた。こんなスピードで走るのだから、たびたびスピード違反で捕まって免許停止にもなった。あるとき、免許停止になったため警察署に出頭して、講習を受けることになった。彼は警察署の入り口の階段の前で、哀れに叫んだという。「車椅子でどうやって階段を登ればいいんですかあ〜」警察官が数人出てきて、車椅子を担ぎ上げた。でも講習はさらに上の階に階段を登らないといけなかった。警察官が「これじゃ、登れないから今回だけは勘弁してやる。次は担ぎ上げるからな。」といって講習を受けなくてもよくなったという。もちろん彼は、警察署でなければ2階だろうと3階だろうと、得意そうに車椅子でウイリーをして登ったはずである。

引きずる様な大型トラックで、道の下に落ちたおじさん

 引きずる様な大型トラックで、道の下に落ちたおじさんは、胸から下が動かない半身不随で、寝たっきりで「床ずれ」をつくって治療のためにやってきた。私たちの間では「回転ベットのおじさん」と呼ばれていた。

 見ていて「回転ベット」ほど、苦しいものはない。昼も夜も3時間おきにベットが180度、回転するのだ。そのベットは担架ぐらいの大きさで、裏表に回転するようにつくられていた。3時間たつと、看護婦さんがやってきて、おじさんの上にベットを重ねて「エィ」と回すと、上のベットが下に、下のベットが上になって一回転する。人間も上向きが下向きに、下向きの時は上に向く。そして上のベットをとって出来上がり。これを床ずれがよくなるまで何ヶ月も続けるのだ。3時間ごとしか眠れもしない。この回転ベットは、横で見ていても「拷問」そのものでだった。

 何カ月も経ったある日、初めて「回転ベットのおじさん」が、ベットから解放される日がやってきた。寝たっきりだったおじさんが車椅子に移った。胸から下は動かないので、身体を車椅子にしばりつけて乗った。この病棟では「歩ける者」と「車椅子に乗れる者」は、全快したことであって病人ではない。ゆえに、このおじさんも治ったのだ。車椅子のスピード狂のお兄さんがお祝いにやって来た。「行くか!」「行こう、行こう」といって、病棟を出た。我々頸椎損傷の装具に身を固めたロボット軍団も、がちゃがちゃいわせながら後に続いた。彼らは病院の玄関まで行くと「行くでぇ」「行こう」というと、彼らは道路に車椅子ですごいスピードで飛びだした。「車より速いんじゃない」と近くの人がつぶやく。見えなくなるほど遠くまで行くと、車が走るなか今度は全力で帰ってくる。そして、道路の真ん中でスラロームのように走り、車椅子で舞う。しばらく思いっきり走り回って、帰ってきた。そして、これが出来なきゃ車椅子で暮らせんからな。といって車椅子のウィリーで前輪を持ち上げ、病院の階段をガンガン登って病室に帰っていった。

 知らない人は、異様な風景だけど、我々には、ちょっと感動的な風景だった。

 


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