第 4 章


毎日天井の生活 当時26才

 この日の朝、ICU(集中治療室)から、「この病棟で歩いて帰った人はいない」といわれた整形外科の第一病棟にストレッチャーで移された。ナースステーション隣の症状の重い人ばかりの部屋。8人部屋だったように記憶している。人の話し声は聞こえるが頭蓋牽引のため上半身は天井を向いたままピクリとも動かないので、天井以外の風景や人は見えない。時々、ベットの上から看護婦さんがのぞき込んで声をかけてくれるのが目に見える、すべての世界だった。朝起きても、昼も夜も、ずっと真っ白い天井を見て過ごすことになった。一日に一度だけ看護婦さんが身体を拭いてくれる。その時は身体を横に向けて背中を拭くため頭蓋牽引を外し、一度だけ横を向くことができる。これが、一番うれしい時なのだけど、カーテンを引いているので部屋の様子は分からない。

 こうやって一日中同じ姿勢で寝ているときに恐いのは「床ずれ」である。床ずれはベットにずっと接している部分に起こるもので、ひどいときはその部分が腐ってくる。寝たっきりの患者は「床ずれ」起こさないように、たびたび寝ている姿勢を変えて、同じ場所が接しないようにするものである。そんなのホントかなあと思っていたら、一日で背中に痛みがでてきた。夏なので、身体の下の汗を吸うためにバスタオルを敷いていたのだけど、タオルの起毛のブツブツの一つ一つが背中に当たって痛い。でも身体を動かしてくれるのは一日一回だけ。あとは、ひたすら手を背中に当て撫でながら耐えるだけだった。一日中天井しか見られない生活は、自分の人生を振り返り、色々なことを考え、本を読むのに十分な時間があった。手は自由なので宇井純の「公害原論」を何冊か読んだ。

食事と憩い

 食事も自分で出来るようになった。ベットの上にオバーハングするコの字型のテーブルがあって、そこにアームのついた四角の鏡を付けてくれた。寝たっきりでも、この鏡でテーブルの上が見えるので、このテーブルに置かれた食事をスプーンで口に運ぶのだが、最初は何度も顔の上に食べ物を落とした。鏡に映るものは左右反対なので感じがつかめないのだけど、一週間もするとだいぶ慣れてきた。歯磨きもこの鏡を見ながらするようになった。急須のようなものでコーヒーも飲めた。コーヒーを飲んでいると、ふとあるものが頭に浮かんだ。タバコだ、タバコを何日も吸っていない。そうだ、病院に来たときタバコを持ってきたはずだ。「看護婦さん〜、タバコ吸わしてぇ〜。」と頼んだ。「主治医に相談します。」といってくれた、主治医が来たときに「ここへ来て、不本意ながら頭に穴も開けました。重たいオモリを毎日頭で引っ張っています。毎日上を向いたまま、ピクリとも身体が動けません。毎日耐え難い寝たっきりの生活をしています。せめてタバコを吸わせてください。」とひたすら頼んだら「いいだろう。」ということになった。かくして私のベットの上のテーブルにはタバコとライターと灰皿と時計がいつも置かれるようになった。

白い書類

 そんな、ある日職場の偉い人がお見舞いにやってきた。「すみません。こんなになってしまって、大事な白い書類書けなくなってしまいました。」私の職場では7月の20日頃白い書類をいっぱい書いて、人に渡すことになっていた。「うーーん。20日までは無理としても、夏の終わりでもいいから書いてくれんか。」と言われた。「この状態のままですか。身体動きませんよ、手と足は動くけど、字を書くのは無理ですよ。見てわかるじゃないですか。」「うーーん。そこを何とかならんかのう。」このとき、初めてこの人には、自分の命より白い書類の方が大切なことに気がついた。「仕事中の事故と言うことで、給料はでるから仕事だと思って、どうにか頼めんかのう。」と言う人をぼんやりと見ていた。その人が帰った後、放心状態でぼーっとしていた。「やっぱり書かないとダメか...。でも、どうやって.....。」天井を見て考え込んだまま、ゆっくりと日が暮れていった。

 次の日、母親に仕事道具を一式持ってきてもらった。天井を向いたまま鏡でテーブルの上に字を書いてみた。何と鏡では反対に写るので、字が書けない。ミミズの様な字で、しかも大きく書かないとダメだった。しかも、まさしく鏡文字。数文字で疲れてしまった。さらに、胸の上にノートと鉛筆を持ち上げ書いてみる。これもすぐに手が疲れる。その次は、胸にノートを立てて、手をあげて書いてみる。これは、どうにかいけそうだ。欠点は頭が固定されているので、目を思いっきり下目になること。いいのは、口述筆記をベットの横の母親にしてもらうことだが、そんなに文章はすらすらと出ては来ない。これらの方法で、いくらか書きだめて後は口述筆記という方法で、どうにか出来そうな気になってきた。

 その日から、書類作成が始まった。朝起きてから寝るまで、時間はたっぷりあった。看護婦さんも医者も、頭蓋牽引のまま仕事をすることになってた私に、ちょっとびっくりしていた。首の骨を折ったのも初めてなら、病院で入院し、寝たままで白い書類を書くのも初めてである。それも重病人の1病棟で、病室の8人の治療のなか、ひとり異質なことをしていたように思う。それでも、寝たっきりで朝から晩まで仕事をした。とっても不思議な気分だったが、何日か後に書類の下書きが完成した。しかし、いくら考えても寝たままで書類に書きこむ自信はなかった。その下書きを職場に届けてもらい、チームの人に書いてもらうことにした。チームの人は分担して、書類に書き込み、たくさんのゴム印を押してくれた。その時のチームの人にホントに感謝している。

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