ハローベストの恐怖

 頭蓋牽引が外れて、起きあがることは出来ないものの数日間は自由の身になり、肉体が何ものにも拘束されない幸せをベットの上で感じていた。頭の骨にネジ止めされ24時間引っ張り続けられるなんて、この現代の中で拷問以外の何ものでもない。でも、これが治療と言うことを思うと複雑な思いが心の中を行きかった。

 人間幸せになると、風景にも鮮やかな色を感じるもので、今まで白黒のようだった風景が、空も木の緑も人もひときわ鮮やかな色を放っているように見えた。

 そんなある日に、私の次の治療方針が決まった。「ハローベストの装着」というもので、S医師が「ハローベスト」の説明に来てくれた。何でも当時、ドイツで開発された最新式の治療器具で、これを付けると寝たきりでなく歩いたり、自分でトイレに行ったり、結構自由に動き回れる治療具だという。長い寝たきりの入院をしていると「自分でトイレに行ける」というのは海のようにも、山のようにもありがたいことなのだ。

 一日のうちには大のトイレも、小のトイレもしないと人間生きて行けないが、頭蓋牽引のままでは身体を動かすことが出来ないので看護婦さんが介助をしてくれる。当時、私は27才ぐらいだから、まあまあの若者なのでトイレのたびに、自分と年が同じか20才ぐらいの看護婦さんがおまるにしたウンチのあとのお尻をふいてくれたり、オシッコのたびにおチンチンをつまんで尿瓶のなかに入れて排尿の介助をしてくれるのが、とっても恥ずかしかった。当時も今も、あのときの看護婦さんは本当によくしてくれたと思うが、恥ずかしいのは病人もけが人も同じである。当然、風呂にも入れないので、週に一度か二度は、裸にされ体中を拭いてくれるのがとっても気持ちよく楽しみにしていたが、おチンチン丸出しのまま20代の看護婦さん2〜3人が体中を拭いてくれることの、恥ずかしさはいつも感じていた。だから、「自分でトイレに行ける」というのは、神様が君に羽をあげるといわれたぐらい魅力的な言葉だった。「いいなあ、自由に歩いてトイレに行けるのか.....。すばらしい。」

 S医師は、さらに続けた。このハローベストは結構高くて、30万は越える高級品でどこにも売っていない。「1番街に行っても、売っていないし、何より、かっこいい。」別に、治療器具は1番街で売ってなくても、かっこよくなくても、どっちだっていいのだ。うまい話の後には、何かがあることを、ちょっぴり感じていた。「ただ、固定するのにもう一度、頭蓋骨にネジ止めをしないといけない。」なな、なんと、また頭蓋骨ネジ止めの拷問か....。何カ所開けるのか聞くと「う〜ん、4カ所。」という。

 やっぱり来た。4カ所というと、頭蓋牽引の2カ所+4カ所で、最終的に合計6カ所もネジと止めの傷がつくのかと頭をよぎった。「お願いですから、もう、頭に穴を開けるのだけは勘弁してもらえませんか....。」「うん、穴を開けた傷はすぐ治るよ」「そうですかあ...。」この、穴の傷がすぐ治るというのは大嘘で、今もなお髪の中にネジ釘の後の傷が、丸いハゲとして六ヶ所残っている。「まあ、この病院でハローベストつけている人、何人かいるから、様子を聞いてみてよ。」と言うと帰っていった。そして、しばらくするとハローベストを付けたオジサンが病室にやって来た。今城さんといって、のちに親しくなるオジサンだが、いろいろとハローベストの話を聞いた。何でも、この病院で2番目にハローベストを付けた人らしく聞くと最初に付けた人は、医者も頭蓋骨のどこにネジを固定していいか分からず、こめかみあたりに二本ねじ込んだら、口を開ける筋肉にも開けたらしく、全く口が開かなくなったという。口が開かなくなったことにあわてて医師たちは、もう一度ネジの位置を変えて穴を開け直したという。よって、この最初のハローベストの犠牲者には、合計8つの穴が頭蓋骨に開いたという。「笑い事じゃないよなあ......。」「本当になあ、笑い事じゃねえ。」と次第にハローベストを装着した人間ロボットのオジサンと親しくなっていった。

 そして、考えに考えたのちにハローベストを装着する決心をした。というより他に選ぶ道はなかった。

ハローベスト


 手術の日は、すぐにやって来た。手術台と、その上の大きなライト、たくさんの金属の道具と白いタイル張りの手術室は、何時来ても気持ちのいいところではない。頭の局部麻酔だけで、頭に穴を開けていくのだが、穴を開ける道具というのがどう見ても、ホームセンターに売っている手動のドリルそっくりなのだ。というより手動ドリルそのものである。マジックで位置を決めドリルを回していくと、自分の頭蓋骨がごりごりと大きな音をたてているのが分かる。それにつれ、なま暖かいものが頭の後ろに流れていくのを看護婦さんが何度もふき取っている。麻酔が効いているので、痛くはないが自分の頭蓋骨の削れる音や流れる血の感触は、何十年もたった今でもはっきりと覚えている。

 S先生は、この手の治療の専門家なので、頭蓋骨にネジ止めしたあとは手際よくハローベストを組み立てていく。「この、ハローベスト付けるようになって、ぼくは車の修理も上手くなってきたのよ」とか何とか言いながら装着していくが患者は、それどころではないのだ。


 長く感じたが、1時間程度だったのだろうか病室に帰ってきた。このあたりは、記憶が曖昧なのだけど、ハローベストをつけて初めてベットから起きあがった時に、まだ結婚はしていなかつたが今の奥さんが、高知からお見舞いに来てくれていたような気がする。何カ月ぶりに、初めてベットから起きあがったとき、ふらふらとして気分が悪く立ち上がって、少し歩いてみたもののすぐにベットに横になってしまった。長く寝ていると立ったときの平衡感覚というのがつかめなく、足や体中のあらゆる筋肉が退化していて自分の身体さえ支えきれなくなっていたのを覚えている。というわけで、その日は一日慣れないハローベストや、生活の変化に身体がついていかず気分が悪かった。

 


 ハローベストは、金属の輪っかに4本のネジ止めで頭蓋骨を固定しているため、横に向いてベットに横になるとネジ一本に頭の重さが全部かかり痛いのだ。上を向いて寝ようとするとネジで前と横からネジで頭を吊されているようで、これも気持ちが悪い。うつぶせになると、額のネジ二本が頭に突き刺さるようでどうやっても痛い。でも、このイテ、イテテテといいながら夜眠るしかなかった。不思議なもので、眠さは痛さを上回り、全く快適ではないが、夜もそのうち眠れるようになった。

 そして、「自分で歩いてトイレに行く自由」を勝ち取った。でも、オシッコのときは首が固定されているので下を向けず、だいたいこんな感じかなぐらいしか自由度はなかった。それでも、トイレに自分で行ける幸せを、しばらくかみしめていた。ウンチのときは、相撲の土俵入りのごとく背筋を正しくしたまま座る不自由さもあったが、寝たままに比べると天国に昇ったような自由度なのだ。

 


 動きは、ロボットなのだが朝起きると一番に病院のロビーや玄関まで散歩に出かけた。そして、外の朝の気持ちいい空気を思いっきりすった。ロビーの新聞も読むことが出来た。自動販売機のコーヒーだって自分で買うことが出来た。自由なのだ。病院の外を散歩することも覚えた。同じハローベスト装着の人たちとも友達になった。当時、3人ほどいただろうか、3人が連れ立って歩く姿は、全くのロボット軍団であった。外来の患者の人たちは、驚異の目で私たちを見た。子供たちは、私たちを指さし「ねえ、ママ、あの人たち宇宙人、それともロボットなの」と母親に聞いていた。

 そんな私たちの楽しみの一つは、救急車が病院に着く度に、玄関まで見に行くことだった。これは、なにより、病院の中で「歩ける者」だけに与えられた特権であった。

 救急車のサイレンが聞こえると、3人はロボットのようにガチャガチャと玄関までやって来て、救急車を待つ。救急車から降ろされた人の目に最初に飛び込むのは、おそらくこんな感じの異様な姿をしたハローベストの3人の姿である。この3人が運ばれてきた人をのぞき込みながら「これは、ヒドイわ」とか「助からんのとちがうか」とか「息しとるか」とか、「血がいっぱいでとるでぇ」とか「こりゃ、だめじゃ」とか勝手なことをしゃべっているのを聞きながら手術室へ運ばれていく、きっと、さぞかし不安でしいっぱいだったに違いない。

 ある日、こりもせず3人が救急車に駆けつけて、のぞき込んだ時、今まで以上に血だらけの人が搬送されてきていた。我々は病院に長くとどまるがゆえ血を見ることには慣れていた。今回はひどく、頭から血を流し、血だらけで血の固まりを吐いていた。その中には肉片も混じっていた。「これは、だめかもしれんなあ〜。」「ダメじゃろうなあ」「こりゃ、助からんわなあ」とか言っているうちに、病院の中に消えていった。救急車の人に聞くと、何でもタンクローリーの上に乗って作業をしていたときに、鉄の蓋吹き飛び、何十キロもある鉄の蓋が顔面を直撃して、顔がつぶれたまま、タンクローリーの上から頭から落下し、頭蓋骨も割れているだろうとのことだった。「かわいそうになあ......。」とつぶやく我々は、冷静であった。

 そんなある日、われわれ3人の元にハローベストを装着したという新人が新たに一人、あいさつにやって来た。前歯が、たくさん無かったけれど気さくそうなオッちゃんだった。「オッちゃん前歯どないしたん。」「おお、タンクローリーの蓋が吹っ飛んで、顔に当たって前歯全部、おれてしもたんよ。おまけに、タンクローリーから落ちて頸椎損傷やわ、まあ、よろしゅう頼みますわ。」といった瞬間、我々3人は、顔を見合わせた。「あの、タンクローリーの人かあ〜。」「人間って、なかなか死なんものじゃのお。」「本当になあ...。絶対、死んだと思ったもんなあ。」「おいおい、勝手に殺すなよ。」といいながら、私たちはハローベスト4銃士となった。並べて見るとこんな感じかな。

 この、四人が一緒に歩くとかなり迫力があった。病院中の注目を浴び、ちょつとしたヒーローになったような気がした。そのうち、ロボット軍団と呼ばれるようになった。でも、救急車を見に行くことにも、次第にあきてきた。


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