下半身が焼けた本尊
第二十二番札所 ・ 大阪府茨木市

第二十二番札所 補陀洛山 総 持 寺
( そうじじ )
#22 Fudarakusan - S o u j i j i - T e m p l e
● 御詠歌 ●

『 おしなべて おいてもわかきも総持寺の 仏の誓ひ頼まぬはなし 』



本尊 千手観音菩薩 開基 中納言藤原山蔭
宗派 真言宗 創建 寛平2年 ( 890年 )
住所 大阪府茨 木 市 総 持 寺1−6 交通
阪急京都線総持寺駅から徒歩約7分。
電話 0726−22−3209
名神高速茨木ICから国道171号線を東へ
約1.5kmの西河原で右折、JRをくぐって
左折すぐ清風会病院の手前を右回りで山
門前。
拝観料 無料 駐車場
山門前および横に20数台。 無料。

石段を登れば山門 その山門から本堂を見る

大阪府の北東部茨木市にあり、小高い丘の上に建つ霊場です。

小高い丘の上に立つ、でもアプローチは気を付けよう

この総持寺と中山寺は、震災後の国道の混雑もあり電車を使って巡礼しました。
私たちは地図を持ちながら、それでも迷ってしまいました。
ポイントは、大阪方面から来た場合「寺の位置」は、進行方向「左」にあるということです。

駅からお寺まで約200mですから、以前は阪急・総持寺駅から見えたようですが今や商店や住宅が建ち並び、丘すら見えません。

三層の楼門をくぐると、本堂が建っています。
およそ四百年前、織田信長の兵火で伽藍はことごとく焼失しましたが、その後豊臣秀頼によって再建されました。 本堂の大きな屋根の曲線が美しい。

寺の由来

寺の創建は、仁和2年(882年)山蔭中納言政朝( 藤原山蔭 )が千手観音像を造り開いたといわれる。
この方は京都の吉田神社の創建者でも有名で、さらには歌人でもあり、料理の名人としても名を残した、まさにスーパー・ヒーロー的な人だったようです。

膳部料理の山蔭流(四条流)庖丁式の開祖とされ、日本料理の中興の祖ともいわれる。
山蔭流庖丁式は食材の魚に直接手を触れずに箸と庖丁だけでさばく儀式料理の技で毎年4月18日に古式ゆかしい装束の料理人が披露します。
全国から多くの板前さんが集まるといいます。

しかしながらスーパー・ヒーローの正朝も、志半ばで亡くなり、その後子供たちによって多くの堂塔が建てられ盛隆を極めたと言います。

境内には大師堂、薬師如来を安置する金堂などから稲荷社まで様々な堂が立ち並んでいます。

本尊十一面観音が亀の背に立つ

織田信長の兵火にかかって焼き尽くされた時に本尊・千手観音菩薩像も下半身が黒焦げになってしまいましたが、なぜか上半身は金色に輝いて焼けなかったといいます。
『火伏せの観音』といわれる所以です。

この本尊は亀の背に立ち、蓮弁はないという珍しい様式。

ではこの千手観音菩薩が、なぜ亀の上にのっておられる理由はといいますと、政朝とその父・高房が太宰府に向かう途中に、漁師に捕らえられた大きな亀を「今日は観音様の縁日」と言って買い取り、川に放してやった。

翌朝、継母の策略で子供の政朝が川に落とされ行方不明になったのを高房が嘆き悲しみ、観音様に祈ったところ、昨日助けた亀にのって政朝が現れたという。
これを契機に高房は寺の建立を決意し、その遺志が子孫に受け継がれていったといいます。

都会の寺院でありながら、周囲は田舎の風情が残っており、台地の寺であるため境内は明るく静かで、しかも意外にも眺めは良い。
● 一口 メ モ

『 眷族(けんぞく)とは 』

眷属とも書き、一族、親族、身内をさす。
仏教では、仏・菩薩に従うもの。 薬師如来の十二神将、千手観音の二十八部衆など。

総持寺の主な行事
◆ 4月15日 ・・・・・・・・・本尊開扉
◆ 4月18日 ・・・・・・・・・山蔭流庖丁式
◆ 7月土用丑の日 ・・・・・・・・・きゅうり加持


第1番から順に読まれた方は、ずいぶん読んでいただきましたね。
ありがとうございます!!