釈迦涅槃像を撫でる
第二十一番札所 ・ 京都府亀岡市

第二十一番札所 菩提山  穴 太 寺
( あなおじ )
#21 Bodaisan - A n o u j i - T e m p l e
● 御詠歌 ●

『 かかる世に生まれあう身のあな憂やと 思わで頼め十声一声 』



本尊 聖観音菩薩 開基 大伴古麿
宗派 天台宗 創建 慶雲2年 ( 705年 )
住所
京都府 亀岡市 曽我部町 穴 太 東 の 辻 46
交通
JR嵯峨野線(山陰本線)亀岡駅から京都交
通バス学園大学行き、余野行きなどで7分、
穴太寺下車。 徒歩10分。
電話 0771−22−0605
国道9号から京都縦貫道の亀岡ICで国道4
23号線へ出て池田方面へ約2km、南条で
北上して門前。
拝観料 無料 (本堂・庭園 各300円) 駐車場 山門左手に約50台。無料。

絵馬に願いを込めて 落着いた雰囲気の本堂

京都市の北西、周囲を山に囲まれた盆地にある亀岡市。
その亀岡市の田園地帯の中ほどに第二十一番穴太寺があります。

田園広がる亀岡市の郊外にある

JR亀岡駅の西南にあたる曽我部町の田園地帯の中ほどに一塊の集落があり、中心とおぼしき辺りに寺の大屋根が遠くからも見えます。
近年、京都市街への通勤圏として宅地開発が進む亀岡市。 付近を通る国道9号線の通勤時間帯は、大渋滞となるそうです。
この渋滞を緩和する京都縦貫自動車道を亀岡インターで降りると、穴太寺はすぐ。

境内はそれほど広くはない。
正面に本堂、左に多宝塔・観音堂などがあり、右手手前に鐘楼、奥に納経所・地蔵堂・念仏堂となっています。
明智光秀の戦火を受けて、建物は江戸中期以降に再建されたといいます。

穴太寺の由来

創建は古く、慶雲5年(705年)文武天皇の勅命により、大伴古麿が建立したのがはじまりと伝えられています。
本堂は、江戸時代に造られた武家屋敷風の陣屋造りです。
床の間裏には、でんでん返しがあり、見張り部屋や地下牢まであったといいますが、勿論確認などできません。

本尊は観音功徳の伝説を残し、盗難で行方不明

昔、宇治宮成という乱暴者が、聖観音像を彫ってくれた仏師に自分の馬を与えたものの、やはり馬が惜しくなって仏師を射殺してしまった。

ところが仏師は生きていて、かわりに聖観音像の左胸に矢痕があったそうです。
改心した男は出家して穴太寺を建てたというものです。

しかしこの重文の聖観音は、昭和43年に盗難にあいいまだ行方不明とのこと、なんと罰当たりな者がいるのでしょう。
現在の本尊は先代同様に33年毎に開扉される秘仏で、次回は西暦2013年だそうです。

寺に残るもう一つの伝説

昔、安寿と厨子王が山椒太夫に捕らえられます。
二人は焼け火箸で額を焼かれますが、傷口に仏像を当てると火傷が治り、代わりに仏像の額に傷跡が残りました。
安寿は厨子王を逃がしますが、この時厨子王をかくまったのが穴太寺だったというのです。
厨子王は、後にこの仏像を穴太寺に奉納したのです。

釈迦涅槃像を撫でる

ここのもう一つの見所は、大涅槃釈迦像( お釈迦さまが横になっておられ、入滅された時の仏像)です。
参詣者がじかに触れることが出来、本尊横に静かに横たわっておられます。

けがや病気を治したい人は、涅槃像の同じ部分に触れて、お祈りをしながら撫でると、願いを効き入れてくださるという。

これまでに一体どれだけの人々がお体を撫で、救いを求めたのでしょう!?
「撫で仏」と呼ばれ、薄暗い中で、お釈迦さまは全身を艶やかに黒光りさせておられます。
ただ通常は、お蒲団がかけられていますが、遠慮せずにお蒲団の中に手を入れてお祈りしましょう!!
こんな触れ合いのある寺は、嬉しいですね。
● 一口 メ モ

『 涅槃(ねはん)とは 』

煩悩を断じて絶対自由となった状態、そしてそれから転じて仏陀または聖者の死。入寂。


穴太寺の主な行事
◆ 1月3日 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・福給会
◆ 2月節分 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・星祭
◆ 8月9日 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・精霊会
◆ 毎月17,18日 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・縁日


『 合 掌 』