市の聖 空也上人
第十七番札所 ・ 京都市東山区

第十七番札所 補陀洛山 六波羅蜜寺
( ろくはらみつじ )
#17 Fudarakusan - R o k u h a r a m i t s u j i - T e m p l e
● 御詠歌 ●

『 重くとも 五の罪はよもあらじ 六波羅堂へ参る身なれば 』



本尊 十一面観音菩薩 開基 空也上人
宗派 真言宗智山派 創建 天暦5年 ( 951年 )
住所
京都市東山区松原通大和大路東入ル2丁目
交通
京阪五条駅から徒歩10分。
阪急河原町駅から徒歩15分。
JR京都駅から市バス約10分、清水坂下車。
電話 075−561−6980
名神高速の京都南ICから国道1号へ出て五
条大橋を渡り約200mで左折、さらに約200
mで右折。
寺の周辺では駐車場はない。
五条坂に入ると市営清水坂駐車場がある。
拝観料 無料 (お賽銭として) 駐車場
市営清水坂、約70台。 800円。

鎌倉様式の本堂は重文 庶民の願いの灯

鴨川の東から東山の山麓にかけては現在では想像すら出来ないのですが、平安時代六波羅鳥辺野と呼ばれる葬送の地でした。
六波羅蜜寺は、この鳥辺野の地に、天暦5年(951年)空也上人によって開かれました。
ちなみに『鳥辺野』とは、平安時代の火葬場のことです。

空也上人とは・・・

空也上人は、醍醐天皇の皇子として生まれたと言われています。
しかし空也上人は、一生一介の僧として過ごし、庶民の為に生きる道を選びました。
貧しい人々や病人を救い、井戸を掘るなど人々から市の聖と呼ばれ敬れました。

六波羅蜜寺の本尊は、空也上人自らが刻んだ十一面観音です。
空也は、京の都に広がった疫病を追い払うため、その仏を車に載せ引き歩いたのです。
現在は秘仏となっています。

異国情緒を漂わせる寺

清水から巡礼の場合は、清水寺の門前町をすぎてまっすぐの道を行き東大路通りを渡って、どんどんそのまま西に進み南に下がったあたりにあります。

『 六波羅蜜 』なんと不思議な名前でしょう。 少し調べてみました。

観音さまは、憤怒の地獄の苦しみを解決する道は「精進」にあるとされます。
その「精進」は、「六波羅蜜(六度)」という、仏道を修める者が実践すべき六項目のひとつです。

六波羅を六度ともいうのは、度数ではありません。 度は「渡」と同じで、わたす、つまり迷いの流れを超えて、悟りの彼の岸にわたす(わたる)ことです。
精進は、自分自身を豊かにするように励むことをいいます。(文献より)

昔この寺の境内は広大で、鎌倉時代には六波羅探題がおかれ、平安末期以後にはこの寺をめぐる地域が京都の中心だったといいます。
今は広大な寺域を持っていた昔をしのばせるものはなにもありません。

市(いち)の聖(ひじり)空也上人ゆかりの寺

京都の都に伝染病が広がり、村上天皇の命をうけた空也上人が悪病鎮静を行なった時のこと、上人は十一面観音を携え、梅干しと結び昆布の入ったお茶「皇服茶」を人々に飲ませて回り、病を鎮めたといいます。
その時に病死した人のためにお堂を建て、十一面観音像を祀ったのがこの寺の始まりといいます。

空也上人(903〜972年)は、市聖(いちのひじり)とか阿弥陀聖ともいわれる方で、浄土宗を開いた法然(1133〜1212年)よりもかなり以前に、南無阿弥陀仏を唱え、各地を遍歴し苦しむ人々のために生き抜いた僧です。

念仏の祖は、いかにも法然が始めたようになっていますが、空也は十世紀の僧で、法然が十二世紀から十三世紀に活躍した僧ですから、明らかに空也の方が念仏の祖なのです。

ここには、空也上人の「 口から像が並んで体内に入る 」一風変わった像があります。

道路沿いにあり、しかも繁華街近くなのに、エキゾチックで静かな独特の雰囲気を持ったお寺です。

それにしても応仁の乱以後、東山一帯が鳥辺野といって墓地となり、鎌倉・室町・江戸そして現代と、時の流れを思う時 「無常なるもの 」を感じるのは私だけでしょうか。
● 一口 メ モ

『 衆生済度(しゅじょうさいど)とは 』

仏・菩薩が衆生を迷いの苦海から救済して彼岸に度(わた)すこと。
人々を救って悟りを得させること。


六波羅密寺の主な行事
◆ 1月1〜3日 ・・・・・・・・・皇服茶授与
◆ 8月8〜10日 ・・・・・・・・・万灯会
◆ 9月11日 ・・・・・・・・・開山忌
◆ 12月13日〜除夜 ・・・・・・・・・皇服茶筌授与会式、空也踊躍念仏
◆ 毎月 1・16日 ・・・・・・・・・聖天縁日
◆ 毎月 7日 ・・・・・・・・・巳成金弁才天縁日(都七福神のひとつ)
◆ 毎月 17日 ・・・・・・・・・観音縁日、写経納経会


『 合 掌 』