絶えない三井の霊泉
第十四番札所 ・ 滋賀県大津市

第十四番札所 長等山 三井寺 園城寺
( みいでら ・ おんじょうじ )
#14 Nagarasan - M i i d e r a - T e m p l e
● 御詠歌 ●

『 いで入るや 波間の月の三井寺の 鐘のひびきに あくる湖 』



本尊 如意輪観音菩薩( 秘仏 ) 開基 大友与多王
宗派 天台寺門宗 創建 天武15年 ( 686年)
住所 滋賀県大 津 市 園 城 寺町246 交通
京阪石坂線三井寺駅から徒歩約8分。
JR湖西線西大津駅から徒歩約25分。
電話 077−524−2416
国道1号の逢坂一丁目三差路で国道161
号に入り、浜大津で左折、疏水を渡ってすぐ
左折して仁王門へ。
拝観料 450円 駐車場 仁王門前に約200台。500円。

札所の観音堂 移築された仁王門(室町中期)

琵琶湖にほど近い長等山。
湖岸から疎水沿いに歩くと、三井寺の名で親しまれている第14番札所があります。

正式名称は園城寺、通称は三井寺で広い境内

寺号の由来はいろいろあるようですが、金堂横の境内に湧き出る霊泉にちなんで『御井寺』と呼ばれていたようですが、このお寺の閼 伽井屋( あかいや:仏前に供える水を汲むところ)の井戸で天智・天武・持統の三天皇が産湯につかったからとも伝えられています。

駐車場は、右側の写真仁王門手前にあります。

延暦寺に近いため、苦難の歴史を持つ寺

そもそも三井寺の創建は、壬申の乱で犠牲となった弘文天皇(大友皇子)の霊を弔うためにその皇子の与多王が天武二年(673年)に建てたのが始まりで、寺の創建費用に自分の園城を充てたために園城寺( 正式な名称:おんじょうじ )となったといいます。

しばらくは大友氏の氏寺だったようですが、比叡山の僧円珍(814〜891年)が唐から帰り、延暦寺から独立して寺を興し、寺門派としたのです。

一方、延暦寺は山門派と呼ばれるのですが、この両派は度々抗争を繰り返し、園城寺は焼き討ちに遭い、また兵火にもあうのですが、時の為政者の保護と、また京都にとって比叡山は鬼門にあたることから園城寺はたびたび復興、現在に至っている。

延暦寺と園城寺は同じ天台宗なのに、なぜ数百年にわたる醜い抗争を続けてきたのでしょうか? 人に「生きる道」を教える身でありながら・・・・・・。

それはどうも天台座主という権力の座をめぐる権力争いがもとになっているようです、・・・僧が権力を争うなど・・・悲しくなってしまいます。こういう事実を知ってしまうと、信長の比叡山焼き討ちも多少理解できるような気がします。

西国札所観音堂までのアプローチ

天台宗門宗の総本山らしく境内は広く、拝観入口も三ヵ所あります。
ひとつは、京阪・三井寺駅から疏水沿いの道を登るコース。
ふたつめは、同じく駅からの疏水沿いの道からすぐの橋を渡り対岸を進んで三尾神社前から右に曲がり総門に行くコース。
みっつめが、ふたつめの総門前から右手の道を行き仁王門から入るコース。

正統派?は、みっつめになるでしょうか!?
みっつめは、金堂(本堂)を経由していくうえに木立のコースですから境内を散歩する感じでいいと思います。そのみっつめのコースは、仁王門をくぐり緩やかな坂を上り石段を詰めたところに金堂があり、その左手に『 三井の晩鐘 』があります。
金堂前は広場になっており、その広場から遠ざかる形で目指す観音堂に向かいます。

金堂からの木立に囲まれた広い道を百メートルほど行くと観音堂に上がる急な階段が現れ、それを登ると重厚な観音堂前に出ます。

観音堂前は実に眺めが良く、大津市街をじっくり眺めるのもよいでしょう。
左の写真が観音堂、左の写真の手前の方向に大津市街が広がります。

観音堂では琵琶湖周辺を一望できます

西国三十三所札所としての観音堂は、伽藍を中心とした境内から少し東南に離れた長等山の一角にあり、観音堂の境内は古くから桜の名所として知られていましたが、その位置は逢坂山(関所)に通じる道にも近い重要な位置を占めています。ここに観音堂が建てられたのは、これらの環境によるところが大きいように思います。

現在の観音堂は元禄二年(1689年)に再建されたもので、本尊は重文に指定された六臂如意輪観音坐像(秘仏)です。
六臂如意輪観音坐像は弘法大師がはじめて日本にもたらした観音像だといいます。

観音堂の横には、西国、秩父、坂東の各霊場の観音像を祀る百体堂、観月舞台などがあり、正面はベンチのある展望台です。

金堂への参詣も忘れずに

仁王門を登ったところにある金堂(本堂)があります。
この金堂は、慶長4年(1599年)、豊臣秀吉の遺志を受けて正室の北政所が再建し、桧皮葺き入母屋造りの国宝建築で正面から見ると実に堂々として風格に富んでいます。
本尊は弥勒菩薩です。

また堂内の裏手に、あの『円空仏』が数体あり、私のホームページの別のコーナーで取り上げている「木喰仏」同様(ホームページの容量を超えてしまい98年4月に、やむなく削除いたしました)、興味のある方は是非立ち寄られたらいいと思います。

■ 閼伽井屋・弁慶の引き摺り鐘・一切経蔵も拝観の価値あり

このコースは、仁王門から金堂へお参りし金堂西側の軒下に接して建つ閼伽井屋(あかいや)へ行きます。

閼伽井屋とは、仏前に供養する水を汲む井戸のこと。 閼伽井屋は、その覆屋(おおいや)として建てられたもの。向唐風の形式で、桃山時代の特色を持っています。 内部には,天智・天武・持統の三天皇の産水となり、三井寺の名の起こりとなった湧泉が、いまでも石組の中から、ボコボコと音を立てて湧き出しています。
明治39年(1906年)に国の重要文化財になっています。

閼伽井屋の裏を登る道をいきますと、『弁慶の引き摺り鐘と弁慶の汁鍋』を展示したお堂があります。解説のエンドレステープが流れていますから、ジックリと耳を傾けるのもいいでしょう。春ともなれば、そのお堂の前には藤棚がありますから、腰掛けて木々の間から金堂のきれいな姿をみるのもいいでしょう。

そしてお堂の上手には、どういうわけか三十羽ほどの孔雀がいる「孔雀園」があります。
時々あの甲高い声で鳴いたり、羽を広げたりしています。

孔雀を見て、金堂から観音堂に通じる道を見下ろしながら進むと『一切経蔵』があります。
慶長7年毛利輝元が山口県の洞春寺より移築したもので、輪蔵に納められた一切経蔵は
高麗版として名高いとあります。

一切経蔵から道路をまたぐ小橋を渡るとすぐ右手に三重の塔があります。
その前から観音堂に通じる参道におり、村雲橋を渡り、百メートルほど緩やかに登る参道を行くと観音堂の石段の手前右手に毘沙門堂が極彩色のお堂があります。

■ 帰路は、駐車場に通じる道から

観音堂の左手、売店の横に石段がありそこを登ると眺めの良い広場がありますから、是非時間が許せば登ってみてください。 何故か「大津そろばん」の碑があります。
実に眺めがよく大津の中心部を見ることが出来ます。

観音堂から帰る時、来た道を戻らず観音堂の石段からさらに石段を下ると、薬師瑠璃光如来が本尊の『水観寺』があります。暖冬時には、お堂左手の寒桜が咲いているはずです。

水観寺の前には、卯年生まれの守護神『三尾神社(みおじんじゃ)』があります。

千団子祭が月例祭になりました

千団子祭は、子供の無事成長・安産・厄払い等々の祈願を千個の団子を供えて行うことから千団子祭として毎年5月16・17・18日の三日間に、とり行われてきました。

今年から、この千団子祭とは別に4月から年間を通じて、毎月第二土・日曜日に月例祭が執り行われることになりました。
初回の今年2000年度は、4月の8・9日の両日夜桜のライトアップと併せて行われます。
境内では、植木市、骨董市、露店などが並んで例年以上の賑わいが見込まれています。
● 一口 メ モ

『 陀羅尼とは 』

梵文の呪文を翻訳しないで、そのまま読誦するもの。
一字一句に無辺の意味を蔵し、これを誦すればもろもろの障害を除いて種々の功徳を受けるといわれる。 一般に、短いものを真言、長いものを陀羅尼という。 秘密語。

三井寺( 園城寺 )主な行事
◆ 1月 8日 ・・・・・・・・・仁王会 ・ 寒中説法
◆ 4月上旬・中旬 ・・・・・・・・・夜桜照明
◆ 5月16〜18日 ・・・・・・・・・千団子祭 ・ 重文鬼子母善神像開扉
◆ 7月17日 ・・・・・・・・・十七夜お札焼
◆ 7月22日 ・・・・・・・・・本山大護摩供
◆ 8月15日 ・・・・・・・・・鐘供養 ・ 盆中日法要
◆ 10月29日 ・・・・・・・・・智証大師御正忌法要 ・ 国宝智証大師像開扉


||| 味 ・ みやげ ・近くのチョットいいところ |||

三橋節子美術館

観音堂からの石段を下り、長等公園に出るとそこに長等創作展示館があり、その一角が
三橋節子美術館になっています。

難病と闘いながら描き続けて昭和50年に35歳の若さで夭折した画家で、彼女の作品
が約40点ほどと遺品等が展示されている。

電話: 077−523−5101
入場料: 200円
開館時間: 9:00〜16:30
休館日: 月曜、祝日の翌日は休館( 日曜は開館 )
駐車場: 数台分あり

大津絵

大津絵は、十七世紀中頃から東海道の大津宿から京都へ向かう街道筋の大谷町、追分
町周辺で、旅人相手に安価な土産物として売られはじめた。

軽快な筆さばきとユーモアが大津絵の持ち味。

仏画に源流を持ち、鬼や美女、武者、鳥獣などの画題があり、最盛期には百種類を超え
た。 特に「鬼の念仏」や「藤娘」が有名。

大量生産の必要性から合羽摺(かっぱす)りや版木押しなど独特の技法が生まれたが、
明治時代の欧米文化追随の風潮の中で、民俗画の人気低下に伴い、廃れていった。

観音堂前の石段を降りた長等神社前などに数軒の店があります。

代表的な大津絵
鬼の念仏 藤娘