時事雑感

【自分史】


ホバーリングの一年でした           平成25年12月26日


 昨年の暮れ同居十四年余の義母との別れ(12月25日没)から今年一年は喪の年であった。親族から頼まれた訳でもない、お礼を言われるほどのことでもない。すがられれば「嫌とは言えぬ情に過ぎない」。それは急転直下での同居から始まり両親最後の親との生活が出来た『運命』が本当の処だろう。ドラマ作家橋本須賀子さんとやらの世間の風・嫁姑・血縁とカネ・家風文化の違いに戸惑いながらの晩年生活となった。

 思い起こせば、H11年。尾道(電)次長単身赴任の頃・・前の年に家屋増築(義父が工事の仕上がりを待ち遠しく見ていたがその直後に急逝)長男就職〜長女の結婚と職場復帰後10年(53歳)と油も乗っていた様に思う。だから、嫁との折り合い次第では仕方の無い事と"余力"もあったのだろうな〜・・・・(?)

 H15年57歳で実母を見送ったが、晩年の寝たきりの介護は長兄の嫁(義理姉)に面倒を診てもらい感謝以上に仏さんの様な余りあるものがある。突然の次兄の交通事故と続けての長兄との別れあり、定年退職さらに不条理な仕打ちの嘱託満了など・・・ささやかな人生ながら波乱万丈の十年とも言えよう。

 儘ならぬことの多い想定外の中でも、家人の6年余の「義母の介護に伴う心身疲労からくる言動振る舞い」は正に初めての経験でもあり悩ましいものである。バック保護の立場は『必要なときに手助け』が原則、当人たちが気の済む様にさせるのがコツ・医者と介護の領域にはお任せが薬とばかりに、とりわけ想っていてもシャイな私は"優しい言葉"も掛ける訳でもなく普段どおりを心掛けたものだが・・・・『介護者へのケアー不足』は免れなかったのが現実であり情けないところでもる。

 高齢社会・老々介護や終末期の生き方など遭遇しても学べない現実がそこにある。いや学んでも活かされる知恵と振る舞いはそれぞれの家庭の違いで「標準」も無さそうだ。来年の午年の年賀状に『ボチボチ人生ホバーリングです」と書いたが、明確な着地点とランディングの方法も見えないままの2013年であった。

 年が明けて、山歩き・ギター・・・さらに一歩前へ進む転機としたい。


あんばい・安倍さん                平成25年9月30日


 名字アベさんには、安倍・阿部・安部・安陪・阿倍・・・とあり総理のアベさんもよく間違えてしまう(笑)  評論家の言う政治家一族の毛並みを否定はしないが、どこか「ボッチャン育ち」の口の軽さに早口もあって二世議員のひとりとしか見てなかったが『返り咲き総理』となると、さすがに総理経験の強さは他を寄せ付けないモノを感じる。

 最近は、字の間違い防止のため『あんばい・按配・安倍(アンバイ)さん』と覚えることにした。不思議なことに国内外での発言振りにも"ほどよく問題点を並べ、ほどよく処理(課題認識にすり替え・丸投げ指示も目立つが)さらには、過去の難問課題にも解決意欲を示して「期待」の繋ぎ方もうまい。

 空気の読めない政治家・経営トップや言葉尻を飯の種とする売国的情報混乱が目につくメディア戦火の中にあって・・・テレビ出演で鍛えたのかお茶の間受けのする感性は"支持率重視"のコイズミ譲りの政治感性だろう。→デノミ脱却と諸物価の高騰・新経済戦略・五輪と原発・女性権利・ODA援助・消費税と賃金反映・領土と集団自衛権・・・・・蓋をしているのは拉致問題・憲法改正・地方分権・沖縄竹島尖閣か。

 そろそろ政権担当一年を迎え「期待政権」から「政治実績」の評価時期なのに、ひとり勝ち・弱小多党化とあって一番恐い選挙が遠のいているだけにマスコミもなす術なしの状況だ。

 大勝大船に乗って、次期総理候補の皆さんも「ぬるま湯的」で政策論議も聞かれない。党内の引き締めと失言防止に神経を使っているのは菅官房長官だけかとふがいない。こんなときだからこそ、国民の選択だからと片付けられない選挙制度の仕組みに目を向けて「検討・論議」をすべきではなかろうか。


哲学者「イチロー」                     平成25年8月31日


 剣豪宮本武蔵の様でもある。一芸を極める者には他を寄せ付けない境地を開き身につけているのだろう。いつもイチローの大記録達成時の節目に聞くコメントに言葉は優しく内容は哲学的だと思う。日米通算4,000本安打の大記録達成の言葉も淡々とした口調に・・・・『何を言いたいのか(!)』彼らしい。

 「8千回の悔しい思いがある。それに常に向き合ってきた」 騒ぎ立てる光り輝く表の数字も確かに努力の結果として強い思い喜びも間違いないが、彼はその裏にある悔しさ・苦しみこそが多いことを言い切っているのである。

 ベーブルース、ピートローズ・・・川上哲治、張本勲・・通でなくても国民的記憶に残る名選手達にあって、イチローの走・攻・守三拍子揃ったスーパースターは他にない。記録数字に日米格差や内野安打数など"ハナモチ野郎"の評論家の声も聞くがスポーツを語る資格を疑う。

 そう言えば『国民栄誉賞』受賞を辞退したとき・・・・早過ぎる。まだまだ、これから・・・と極める先の目標は限りなくまさに"武蔵"の心境ではなかろうか。我々凡人と異なる心の内は計り知れないが、余談ながら控えめそうな故郷島根出身の奥さんが引き立てているのかも知れない。

 


かばちったれ               平成25年7月21日


 方言には間違いないだろう。通じる範囲は芸州・石見地域かも知れないが、子どもの頃に親・兄貴から怒られる毎に枕詞みたいなもので口ごたえ・言い訳でもしようものなら『かばち』を言うな(!)と一喝されたものだ。"か"は過の字で過ぎる意味かもしれないが、"ばち"の語源・意味はなんだろう・・・・・撥??琵琶・三味線のバチならなんとなく「口ふさぎ」の反語的解釈もできそうだ(笑)

 最近の家人は、株から政治・芸能界とTVからの知識の豊富さは目を見張る・・・加えて介護経験の苦労も実践苦労人の自負が付加されたのか「知らぬモノは無い」かばちぶりである。ところがPCの買い替えで驚くなかれWindows.8の春バージョンとか?・・・利用の大半はネット購入・ワープロの代替とお見受けするが【ここは黙認に限る】財務省の強権なところである。

 さてさて、かばちもハナタレ小僧時代かと思うと、そうでもなさそうだ。

 加齢と共にプライドだけは高くなり,言う方も言われる方も頑固さが加わるだけに『かばちを言うな』では終らないものだ。昨年の家人の大腸がん騒動(異変なし)から一転、今度はわが身の要検査でやや弱り目だが謙虚さばかりでは後期高齢者社会を生きて行けないぞとの「声」も聞こえる。


タイマグラばあちゃん                 平成25年5月29日


 久し振りに(公益財法)オイスカ広島県支部の映画&講演を聴きに行く。過って、むらおこし企画・実践マンとして張り切りながら会員として支援・絆づくりも積極的だった頃が懐かしい。若干ながら知り合いの顔も見えるが、ほとんどは"暇な職場サボりを兼ねた賑わい要員参加(?)だろう・・・・・何故なら平素の活動は「0」なのだから。

 「ふるさと」をキーワードとした自然環境との共存を問うものだが、岩手県早池峰山(はやちねさん)の麓の開拓地入所5家族が時代の変遷と共に限界集落への道を歩んだドキュメント記録である。私の幼心に焼きつく母の味噌作り・豆腐、こんにゃく作りは寒い朝の湯気が鮮明に残る『ついこの前の出来事』でもある。

 例によって事後のアンケートで、あなたにとって「ふるさと」とは?との項目があったが・・・・アンケートの設問には馴染まないし,簡単に答えられる軽いものではない。それは心底からどうにもならない社会変化の深刻・厳しさでもあり、反面暖かい・やすらぎも覚える生まれ育ててくれた友のいる唯一の故郷なのである。

 一番に嫌悪するのは「のぞき趣味」で見られることだ。本人・生活者にとって極楽・桃源郷と覚える幸福感は"よそ者"には解らない。為政者ぶった同情や・すさんだ心で利便・自己中の尺度でのぞきと利権化するのは厳に謹しむべきだ。・・・・会場では「人権侵害コンビの顔(N氏・S氏)」にも出会ったが、そくさくと逃げる風で立ち去った[疚しい心は態度に出るのだな〜}



心配な政治スタイル             平成25年4月20日


 日本は自民党から民主党へ政権交代をしたものの、壮大かつポピ゜ュリズムの高価な社会実験だったと期待に応えることなく3年3ヶ月で保守回帰の流れに戻った。国民と言うよりメディアは国会の政治勢力・政局の動向ばかりの追っかけと権力擦り寄りではなかろうか。

 中曽根さんは、日本は不沈空母と比喩したが、その根底には行政官僚の手腕と人材の優秀性を根底に置いていたようだ。明治維新以降の歴史は政治力・国体の強化は不幸な歴史を刻みながらも厳然とした権力機能と組織・財力を持つ官僚機構の仕組みに負うところが大きいからだ(もっと政と官の両睨みが大事)

 米国とロシアはオバマとプーチンの再選だが、中国・韓国ともにトップ交替があるなかで日本は安倍氏の再登板で首相経験者を選択し今や学習効果も出て『アベノミクス』と好調な滑り出しである。ところが心配なのは"決められない政治"のレッテルキャンペーン"を利用して微妙に政治スタイルが変化してきていることである。

 たかじん番組の影響とは言うものの記者会見好き・饒舌・軽い・何もかも「アベ頼み」・・・メディアも「安倍総理の追っかけでことたり」「政策論戦の材料すら見つけられない」・・・・・・この政治スタイルと報道姿勢は、なんらロシア・中国・韓国(極論すれば北朝鮮とも)と変わらないではないか。。。。。。。メディアの生命線は政権チェックと少数意見の発掘にある。

 一見、多数与党を背景に強力な指導力に見えるが、維新の会の橋本も同様に「ひとり発言」が党・政権の政策決定の仕組みとなっては、独裁にも繋がるばかりか「ひとりこけたらみなこけた」と、なっては本当の国民の命と財産を守るとは言えない。民主主義の政治システムは喧々諤々の論争なくして「決定」はないのである。

 TPP・0増5減・デフレ脱却の3本目の経済戦略・尖閣問題・憲法改正・・・・課題と政策は目白押しだ。


順風満帆のようで、本質的な政治スタイルに目が離せない。


参議院選挙への期待         平成25年1月30日


 目に余る不甲斐ないキュウカンチョウ民主党政権、加えて政党政治の本質を崩した「三党合意の消費税」と国民の期待と現実の乖離は壮大な社会実験に終った。しかし価値を見失ってはならない。いかなる選挙制度であろうとも『政権交代・選択』が国民の手に握られている事、つまり民主主義政治は時間と金が掛かっても独裁政権よりは"しあわせ"である事だ。

 さて、安倍自民党再政権も慎重かつ安全運転で「期待維持の滑り出し」で米国経済を反映してデフレ脱却期待と経済も上向きの様相にあり、国民は「よりましな選択」に一応安堵感である。

 ところが、実態は予算編成を見ても参議院選挙対策を意識した政権与党の強みと悪しき体質をも『復活』しかねないところが見える。そのひとつは予算編成に見る中央集権体質・中央官僚と政権の癒着である。ポピュリズムとは言わないが世論に乗った「批判を避ける」コツを随所に見せている(生活保護、地方公務員給与、贈与税、防災、国土強靭化、陳情の復活・・・・)

 「地方から国を変えると叫んだ石原・橋本維新の会も選挙が済めばスローガンでしたとばかりに、動きはばったり止まったばかりか、「いじめ・入試ストップ」と北朝鮮振り的な思いつき発言は政治家の質を問われている。石原も知ってか知らずか太陽とのしがらみに加えて、一議員の力量は押して知るべきなのに老害撒き散らし状態となってしまった。

 誰も東京や大阪を地方の仲間とは思っていない。大都市を「全て悪い」とは言わないが、大消費地帯・消費者の集まり・環境破壊、大量ゴミ発生、情報氾濫、治安悪化等々野放し状態に近い集中化と膨れ上がっただけの都市に「魅力」は感じられない。またここに強大な権力までが集中しているから機能不全状態なのに仕事・期待をしてもムリだろう。

 今年の夏の参議院選挙までに、地方の首長と地方議員が大同団結して、地方自治の自主自立と中央集権打破・地方税の分配から中央税上納方式への転換を掲げ『新党地方』を立ち上げる勇気ある動きは出来ないだろうか。いや、このまま地域格差拡大と地方の疲弊が進むと『中央対地方対決』の倒幕運動も起こりかねない。

 ヤリテの現職首長も首根っこを抑えられていては予算と議員系列や官僚のイジメが恐くて動けないだろう。    本当に泣かされたならば、ここは元首長・元議員の最後のご奉公として怨念に満ちた「新党地方」の旗揚げを期待し、戦場は全国展開可能な参議院選挙とすべきだ。     



1億5540万円の鮪         平成25年1月7日


 お祝儀とは言え、景気に縁の無い者にとっては「どこの国? なんの話?」である。新年の築地初競り市で224sの津軽の海は本間港で水揚げされたマグロの値段である。過去最高の3倍もする値を付けた・・・・競り落としたすし屋の隣には台湾人らしき姿も見える。もう「価格」「相場」を通り越したナリアガリモノノバカゲームとしか写らない。

 サラリーマンの夢であった一戸建て住宅よりも数倍高い。たかがマグロ(されどマグロ)1本に本当の生産原価プラス商い価値を押し図っても「理解不能」なのである。お店関係者にすれば売名・・PR効果と思えば安いものなのか、さっそくTV向けか一般価格で振舞われたのが、せめてもの救い?一応まとも風にお見受けした。

 デフレ・不況下ひたひたと迫る庶民生活の圧迫感がする中、広島ではゴミ焼却場でも数千万円がゴミの中から出たり6億円の宝くじ等"お金"の感覚を麻痺させる時代なのか。全国の中小企業を含めた「ものづくり製造業」の製品価格が円高の煽りで健全な競争どころか、雇用調整解雇で苦しむなかこの話は『異常』としか言わざるを得ない。

 真面目でこつこつは見向きもされない・・・・それはなかろう(!)    大リーグの超高額契約選手やプロスポーツの人たちはこつこつ真面目な練習を積み重ねてのもの。一発勝負やナリアガリに目を奪われる心の疎ましさこそ恥としよう。


加齢と猛暑のせいだろうな              平24年11月3日


 9月〜10月は「アッと言う間に過ぎ去った」誰にも時間軸に緩急の差はない公平そのものと分かっていても”あわただしい季節”となりました。ことの始まりは8月下旬、家内の腹痛から「疑わしきは検査あるのみ」と次から次へと気にする方が病をつくるかと思うほど多段階・細密検査でとうとう私自身もしたことのないPET−CTで『やっと納得=異常なし』とまずはホッとした所である【初の人間ドックと言えよう】

 不思議な事に自分まで専従者OB会(9/8)後から、はじめての経験だが”痙攣的痛みが上行・横行・下行結腸と寝起き毎に起こる”・・・・?。自慢じゃないが快食快便。まったく原因らしきこと不明。だいたい症状を話すと「飲み過ぎでしょ!」「γ−GTPも高めだからな〜」で自他共に認めてハイ終わり・・胃薬で治るでしょ・・・・・。と、生活習慣からの偏見診断なのである。

 ところが「横になる度に起き掛けの痛み」は何かありそう。掛かりつけ内科で検査するも血液〜超音波〜血液脈波〜CT検査・・・「数値・所見では異常なし」しからば心療内科か?と思うが”無用の薬ばかり出るぞ゛”との噂であっさりあきらめ・・・医者でダメなら『私なりの治癒対策』しかない。

 @冷たいものを避ける A腹巻をして寝る B酒は晩酌程度とする(医者は禁酒指示なし) Cウォーキング・起床時のストレッチ・バーベル体操の励行・・・・約50日経過。痙攣は鈍痛へ、さらにしこりも無くなって来た、原因不明だが投薬治療もなく回復したのは間違いない。

 この間、酒席のお断りも我が人生では珍しい。同窓会も「若くして一生涯分飲んだから落ちました」と体よく控えたのも自分でも珍しい出来事だった(笑い)夫婦共々前期高齢者の仲間入り・年金支給対象となればこそ暑いからと言って冷たいものをがぶ飲み等もう出来ない事を肝に銘じた次第である。


端境期を乗り切ろう                   平成24年9月26日


 米国・中国・ロシア・フランス・韓国等々世界の主要国のリーダーの交替時期を迎えた。理解不能な大統領の返り咲きもあるかと思えば、総じて次を託すにふさわしい期待される人材の不足感から前途不安は否めない。経済大国に一機に登りつめた"陽いずる国日本"も第一要因の無資源国の脆弱からグローバル世界の荒波に飲みこまれ長期デフレにもがいている。

 国内の要因の第二は少子高齢化社会の労働・社会保障政策をはじめとする人口問題への長期戦略もなく政権チェック機能の働かなかった国会議員の無責任。裏返せば意のままに操る官僚政治が今日のひずみを大きくしたのである。 政権交替に期待したものの「綺麗ごとと経験不足」はたちどころに官僚の力に屈して『見てのとおりの様』である。

 それでもましな方のどじょうの野田政権も、政党のセオリーを無視して三党合意の消費税増税、財務省の生き残り先行、一体改革を謳った社会保障も強靭国土建設の流れにじわりとシフト中と思える。経済対策・統治機構改革・税のムダ追及は棚上げのままだから情けない。

 世界の各国、国内も含めて地球そのものが、自然環境はもとより宗教の対立・領土資源の領有権問題等々『端境期を迎えている』様でならない。力の無い国際連合はいつも大国の強権バランスのもとに"建前の繰り返しで時間が解決する"とばかりに汗はかかない。

 世界が共通する端境期の乗り切り方は、エゴと言われようと『国内の蓄力専念が先』・・・・・何故ならよその国は最後は当てにならない事を歴史が証明している。『真の自主・独立』を考えた事のない日本。この端境期を乗り切れるかが正念場と言えよう。      国民一人ひとりの教育を待つしかないのだが・・・・・時間が足りないのが現実である。


四金会の沙汰ばなし                 平成24年8月25日

 昨晩は、恒例の「四金会」(参加者6名) 。先月の政局と電気事業体制、メディア批評の話題と打って変わりメンバーの近況話に続いて各自から「ひとの沙汰」が話題となった。話題に上るお人は"シアワセ"かつ個性的である。仕事や実績よりも『人柄』に重きとなるのは、年齢差、同じ職場の付き合いの無さから評価は夫々分かれるが大体"視る目"は落ち着くところに落ち着くから面白い。

M-Kさん(定年前) 「再就職、どこかイイ処はないかな〜」根からの悪ではないが"上司に好かれんタイプ"やでな〜。転職〜転職で母体からも見放され気の毒だが「付け届け」をしない気性も変わらない様だな・・・。

N-Hさん(役員OB)  シアワセな人だよな〜。癖も変わらん「一言、余計な愚痴が入るんだよね」礼を失しない様にしているが"内輪の大将"になりたいタイプだろうね。相変わらず言い訳の多いとのこと。

M-Rさん(近況不明)  噂も聞こえないが、どうしている? 老いてますます天真爛漫・この世は己を中心に回っているそうだ。破れ蓄音機の人が少なくなるながで貴重な人となりそうだな。

A-Mさん O-Mさん  オリンピック応援で睡眠不足に夏バテとのこと。体調管理に人一倍気を使いながらお付き合いの良い人だから"悪く言う人がいない。共に「人を怒らせない術」をお持ちのようである。

K-Mさん A-Mさん  N-Hさん  しばらく逢ってない。元気とのこと。皆さん共通して、己の実力・能力の自覚以上に「他人の評価が高く』運の良さも引っ張り込むタイプでしょうな〜。ナルホドと感心ばかり。

 「口角、泡を飛ばす」政策論議が時にもあってよいが、世間話の如く経験豊かな者同士が"相互評価"をしながら人物評も楽しいものである。どなたも『人前商売』をくぐってきたひとだけに含蓄はある。

抽選は納得できますか               平成24年7月26日

 政府が主催するタウンミーティングに続いてエネ聴講会でも、「やらせ」だとか「抽選が不透明」との報道が賑やかだ。信頼を失った公的機関がマル秘で行政と委託業者による非公開の抽選結果だけで本人通知・ぶっつけ本番開催するのだから、当日"気にくわぬ当局や企業寄りの意見発言"に対してクレームを付け「反〇〇派」を煽れば、おのずと開催目的自体の不信感の醸成〜反体制世論の形成にも繋がる。

 元より「反対派のガス抜き・再起動への手続き日程消化のため」とも言われる様に、やり方、抽選方法に問題があれば何故事前に「異議申し立て」をしないのか?。また、途中から誤解と混乱防止の為などと政府主催側も『抽選結果に自信が有るならば安易に辞退を勧めたり、関係者は出させない』等と腰抜け・主体性を放棄、反感を買う強権を使ってまでの価値が問われる。

 一見「応募者全員の抽選」は公平な様であるが、抽選までの手続きや抽選現場を公開しない限り作為的な疑いはどうしても残るだろう。方や『応募者の先着順方式』は、送・受信記録さえ公開すれば本人の"努力に報いる公正な結果"として一定の納得性があろう(7/15公募初日の提出者と7/25 17:00期限最終ギリギリの者も押しなべて抽選とは・・・・宝くじなら良いが)

ともあれ、開催日二日前だと言うのに私への抽選結果の『聴講券』通知は来ない。========熱意・努力に見合わない"抽選"の手法は本当に公正なのだろうか?
                                   ※【事後追記】2012.7.27 0:24・・・深夜に『当選』のメール着信あり

【平等とは機会均等の確保である。公正な成果の分かち合いは、自由な努力に見合う結果であってこそ公平と言うのであろう】


考察するが「記憶」が薄い                    平成24年6月29日

 6月は結構「学ぶことが多かった。講演会にも恵まれ日時がダブった時は内容を天秤に掛け想定し聴講券お断りするほど選択性もあった。恥ずかしながら“期待通りばかりとは行かず当たり外れはある。その時は考察・批判も巡らしながら面白く過ごすのだが「記憶に残る」ことは少なくなった”       昔ほどにメモを取ら無くなった事もある、更に仕事で゛無い「気楽さ」が覚える気も失せているのかも知れない。

 〇南海・東南海地震と五日市断層地震 私たちはどう備えればよいか【6/9 広大院 奥村晃史教授ほか】 発生の可能性は言えても何時かは予知は出来ない。発生時の『減災対策』の必要性のみ説得力あり。納得する。
 〇どうなる日本の政治 【6/21 中国新聞論説委員 岩崎誠氏】 権力の批判・チェックをメディアとしての使命は解る。しかし歴史分析「時の政治判断と後世の評価」をすべきだし、「予見」「戒め」くらいは持ってもらいたいものだ。
 〇国家の再興  【6/23 日本会議廿日市支部講演会 西村眞悟氏】 極端な持論展開は想定内である。 父は民社党の初代西村栄一氏〜「落選中」だけに、本人の再興が先決だろうが・・・頼りにするには賞味期限切れか?
 〇医(いや)す者として 【6/25 ドキュメント映画 長野県佐久病院 若月俊一医師の農村出前診療の物語】  日本医師会、厚労省さらには政治家経営トップにこそ観てもらいたい。医学者である前に行動する哲学者だと思う。
 〇本当に大丈夫?食の安全 放射能の影響から食肉、健康食品まで 【6/27 消費者問題研究所 垣田達哉氏】 TVタックル調子で素人に解り易く世の親たちに「警告」正しく恐れ・自己責任の必要性は同感だ。

それぞれに貴重な資料と研究・体験に基づくお話だけに勉強になる。我々の憧れであり国民的人気の長嶋茂雄さんは「記録よりも記憶のひと」と呼ばれる。選定基準も曖昧、瞬間的話題に過ぎない思いつき的な国民栄誉賞には昇らないらしいが(それで良い)“夢を与えたスーパースター”には間違いない。

 印象深い一言。記憶には内容よりも『時のイメージの残像のみ』かも知れない。


今度は「秘密保全法」だって・・         平成24年5月30日

 履き違えや行過ぎた『法』の解釈・運用によって、社会通念や公序良俗に則った極めて常識的お付き合いや社会生活が維持しにくい時代となった。根本原因は躾け・教えをすべき家庭・学校が崩壊(?)したと言えばキツイが一昔は子どもから大人への成長過程でバランスよく身につく”習い・教える場”に恵まれていたようだ。

 外交・防衛・重大な国民生活に関わる公安・疫病・エネルギー等々、国家の存立の為、国策遂行に重要な『特定秘密』が存在し守るべき必要性は理解できる。しかしながら主権在民の国ならば『情報公開法』による国民の知る権利・判断する風通しがあってこそ民主国家である。秘密保全法(検討案)と情報公開法(見直し審議中)の相反する法の制定を巡って水面下で動きがあるらしい。

 行政機関、自治体、法人等では、法が無くても丸秘扱い文書が多く必要以上に神経質なのが実態だろう。逆に価値観も無いものにまで部・課内の内密扱いが多く結果的に「裸の王様」を生んでしまうのである。最近特に槍玉に上がる企業の「隠し・隠蔽」体質批判を産むのは、情報共有・公開・オープン論議を恐れる内向き志向の体質改善が進んでない証拠だろう。

 私の十八番『人は堂々♪』の歌の如く、なんでもかんでもオープンなのは結果的に不器用な人生と反省しきりであるが、個人事は別としう。よほどの国家機密は独裁国家で無い限り・・・いやいや「憲法や法律違反行為の役人」ならば法律の制定が必要であろうが,民主国家の公僕・公人ならぱ゛こそ秘密の無い行政執行を願いたいものである。

 ただし国益とはなんぞや・・・・この概念をしっかり持たないと「スパイ天国」でも困るのも事実だ。

不可解な個人情報保護法              平成24年4月28日

 いつも思う事だが『法律なんて法の精神が解りやすく簡潔なほどよい。運用は"社会通念と道徳観"で判断すれば済む。こじれれば裁判で「判例」の積み重ねで社会規制となろう』まつたく法律のど素人、無学なおっさんの話と聞き流して結構である。最近の痛ましい児童を巻き添えにした少年の無謀な違法交通事故の裏側に・・・・人の社会生活の基本として『絆』を叫びながら人間関係に高い壁を法律が悩ましくしているようだ。

 個人情報保護法は報道関係者の知る権利派(左派運動系)との確執の末出来上がった不可解な法律の感がしてならない。そもそも個人個人の人権をお互いに尊重し合うことが基本であるが、あくまでも個人は社会の構成員であるから「社会」の公正・利益に背く様な保護や権利の主張はされるべきではない。

 個人情報保護を盾にした行き過ぎた不可解な事が増えてきたのは事実だ。身近な町内会の連絡名簿、近隣世帯の家族状況、ゴミ出しの自己責任記名、地番表示、同窓会名簿・・・・そして最近の加害者と被害者の個人情報の扱いに対する「権力・管理層の批判」は見ようによっては「法律バカ」が人間社会の営み・社会的公益は何かを知らない揚げ足取り報道としか思えない。

 似て不可解なのがコンプライアンスもしかりであろう。法令順守を声高に正論や正義感を片手に推奨しながら、片方では保身と隠蔽による問題先送り、加えて個人追い落としに悪用する輩も抱えている企業体質まで正す事までは踏み込んではいない。だから"法の精神は生きることなく"上滑りルールばかり増え(仕事量)た会社となってしまうのだ。

 昔は、法一辺倒でなく情もある人と人の世話、村と村の協力支援、権力者と弱者が庇い援け合った社会の営みは『美談』として心を打つ話であったが、今の世では失われていくのだろうか・・・・・。


激変の連続となる             平成24年3月28日

 年度末の月だから何かと忙しいのは"例年ならば"想定内。今年は昨年末の離職以降、マイペースの計画で読書とやり残し学習など結構のんびり我が家ペースを満喫していたところ〜なかなかどうしてハプニングの連続となった。毎度私の誕生日(3.3)も娘婿夫婦を交えての食事会だが、今年はプレゼントが変わり東野圭吾の本3冊と少しイメチェンとなった(笑)

 ATACひろしまのものづくり支援仕上げ運営委員会は『沽券を守り』パス(3.6)、PC教室(EXEL)も順調に進捗、山登りは台湾旅行を控え用心して欠席・・・・ま(!)順調な滑り出しと思いきや寒さが長引く春先の温度変化の影響なのか。先ずは義母がインフルエンザに、よろけて腰を痛めて急遽救急車で加療に、回復途上ながらも予定のホームステイに抱えての入所移動となる。重なるように家内もゼーぜーと風邪症状に喘息の症状・・・これまたW加療に。

 常々『男は役に立たん。せめて足手まといにならなければ由としよう』(まったく看病・介護は出来ない)せめてセブンイレブン通いで自活するのが精一杯とは情けない限り。ところが人間「目標がある」と気力+体がピタッとシンクロするらしく治癒も早い。16〜20日の台湾旅行には夫婦揃って元気で無事出発となる。

 さて、26年ぶりの台湾旅行に進化と1国2制度の変わらぬ現実を見ながらのんびり旅行を楽しみ帰朝。さ〜てどうしたことか、今度は私が、その夜から高熱・悪寒・関節痛と4日も続き、四金会にも急遽欠席・・・とうとう一週間寝込んでしまった。医者の風邪処方箋で間違いはないが・・・珍しく咳が切れないとか、夜になると発熱する等、治りの悪いのは「66歳」高齢化によるものか(?)

 風邪ながら日本会議の講演会(3.24)で「乃木希典」について聴く。歴史観と時代分析で人間像も見方が変わる(坂の上の雲との対比) 加えて「小村寿太郎」に〜北京・台湾を訪れ、日清戦争・日露戦争を改めて関心の的としているところである。それにしても亡き母の口伝え話や明治・昭和天皇の御影が子ども心に焼きついている=====明治は遠くなりにけり、今必要なのは明治に学ぶ事かも知れない。


少年・死刑・人間            平成24年2月24日

 名古屋での残虐殺人事件裁判で死刑求刑の署名に参加、職場でも賛同を得て支援をした事があった。怒りを超え憎しみすら覚えた光市母子殺害では「元少年」に対する「死刑判決」が確定した。罪もない「人間」に突然襲われた尊いかけがえの無い命。人間の力の術でもどうすることも出来ない大自然災害死も痛ましさに変わりは無いが「殺人死」に対する“命の重みと償い”には人の世の戒めがあってしかるべきだ。

 判決に対する賛否意見が様々なのは、健全な自由の国として先ずは喜びと自覚すべきだが、どうも『法をひねくりまわし過ぎ』は否めない。法よりも倫理が大事とも思うが、古代から倫理も”神のお望みの如く・・・”と平和を説く宗教による支配においても『人間尊重より神の言葉』の代弁者(司教)が裁き〜まつりごと社会秩序の規範とした様だが、いまだに戦争の歴史は続いている。

 つまり、いつの世にも人間の浅ましさで「罪を繰り返してしまうのである」・・・・・犯罪者とは言え人ひとりの更正の道、機会を残すべきとの声も解らぬでは無いが、多くの人が『戒めを共感する』ことが罪の重さと再発防止に繋がることに期待と知恵こそが人が人を裁く限界ではなかろうか。

 かねてより加害者の権利保護、弁護ばかりが目立つなかで、被害者の人権保護を期待していただけに、本村氏の「勝者はいない」発言は少しでも”世に問うた”一言だったと光明をみた。


復習もいいもんだ       平成24年1月25日

 本当に第一線をリタイアし、仕事に拘束されることなく恥も外聞も、上下関係・進捗成果を気遣いもすることなく「自分の時間」を組み立てる。もちろん体がなまらない様にウォーキングの目標管理と実践はベースとしもっぱら「やり残し」のおさらいらから始めた。

 読みたかった十字軍物語全4巻も読破、Excelマスターも基本からの”学びごと”が楽しい。市政や法人団体への公募もの提言・意見書の作成も頭の体操になるばかりか結構「昔の資料」も捨てなきゃよかったと後悔すら感じる。
直近の『道州制シンポジウム』(H24.1.24)は、久し振りの刺激で過っての地域振興調査・プロジェクト推進時代を思い出すと同時に逆に苛立ちすら覚える。

 特に、是とする政権交代が「実績」の上がらないもどかしさと政治家の体たらくぶり、さらには産業界・労働界・行政等「権力と金」を握っていながら『やれば出来る立場』なのに動かない閉塞感には呆れる。だから石原都知事・橋下大阪市長の地方からの改革論が旋風として異常なまでの形に見えるのである。

 大きな政府で公務員天国はギリシャに匹敵、それ以上の実質的には共産主義政府にも劣らない中央集権国家、官僚国家となってしまった。今や民間人が明治維新の如く学び〜決起〜国を政治を動かす〜そのパワーが感じられないし、若者学生にもゲバ棒を振る元気も失せてしまっては『日本の将来は寂しい限り』である。

 敢えて申し上げる。それでも各界のトップリーダー達には「人並み以上の給料も権限も、手足ともなれるスタッフも付けている」「今のトップリーダーたちが、死に物狂いで動かずして先は無い」「もう評論家や学者が論文と講演料で食っている時代ではない。決起・行動するときではないのか」

 働く場・現役を退くがゆえに腹立たしくもなる・・・・復習が復讐とならないように一歩でも前進する各界のトップ層が力量を発揮してこそ「老いても現役ではないのか(!)
官も民もエスカレート処遇とポストの分かち合い(官民ともに天下りシステム)が続く限り、日本の前途は暗い。


だから「絆」なのだ          平成23年12月16日

 今年の漢字一文字は「絆」とおおよその国民との心が一致したようだ。未曾有の大震災の年、世界経済の悪化、"中東の春"よりも嵐、アジア諸国の不穏な緊張、日本政治の閉塞感がことさらに『未来志向』の希望を失わせている。米ソの冷戦終結は春の訪ればかりとは行かず、民族・宗教・貧困からの紛争とテロの頻発へ多国間による「共存」の連携も各国の国益エゴからなかなかまとまらない。

 製造業でも設備資産産業でもない「人的財産」の志ひとつにまとめてきた技能支援団体【NPO法人ATACひろしま】も、激変と前途に試練を迎えている。

「影では殿の事も言う」(気にすることもない)・・・とは、言うものの「影に居て枝を折る」(恩人に傷をつける仕打ち)振る舞いには、いささか驚いたが・・・なによりもそれを見抜けぬ己も節穴。ましてや戯言の尻馬に乗って喚く、挙句には『本末転倒の対応策』を判断する職責風理事に至っては『絆』の脆さを〜痛感する。

 同志と呼ぶコアーな絆も高齢化と体力も気力も衰えは、仕方ないところでもある。初志の燃える思いと発足時の苦労を知る者も、今となっては残り5人と少数になり、多勢(登録者37名+6名)の中でも『説得力・熱意・行動力』を共にする同士は居なくなったのである。

 だから培った「絆」を大事にしたいものだが、人は所詮弱いもの・・・共有する「信念」を信じるからこそ求め・助け合うのである。


自立と継承                   平成23年11月23日

 行政予算執行からみると3ヵ年継続委託事業の最終年つまり仕上げ時期を迎える(H24年3月)。受託時まったく財務基盤も、組織管理・責任体制も確立していない『白紙』からのスタートであったATACひろしまがいよいよ正念場である。無償支援のモデル的技能伝承支援事業が、有償化による『自立化』して『事業継承』が可能かどうかが問われるのである。

 自立・・つまり財務基盤も適正管理利潤が確保されるなら可能性もあるが、維持管理費「なし」で協賛金と称する個人寄付金によりやっと台所を維持してきた実態では、とても再生産・市場拡大への加速は困難そのものである。また 継承・・技能伝承支援の仕組みと人材だけは活かしてくれとは『霞を食べてお世話をしてくれ』に等しい。

 正直、人材確保から組織運営の立ち上げ・軌道に乗せるゼロからの起動・定着・成果55社(実質1年半)の成果は『奇跡の出来事」と言っても過言ではない。良き人材に恵まれ"のぼせもん"の推進力に負うところ大と率直に評価し感謝するが、ハード機器・資材も無い人的商いの「人の管理」の難しさは筆舌に尽くし難い

 時あたかも、まぁまぁ馴れ合いを職場の"花"と勘違いした甘えが蔓延したのでは「角が立っても質すほかはあるまい」・・・・・・・それにつけてもわがまま優先がまかり通るようでは『自立も継承」も前途困難か!


「当たり前」が大事です                   平成23年10月30日

 どうも、躾けの範疇に過ぎないことが守れない世の中にはびこった感じが強い。情けないことだ。『盗人はいかんよ!  嘘をついてはいけん。 疑いをもたれる様なことはするな! ・・・・』学校でよりは、子供の時の父母の小言が効いている、しかも(うちの子にだけは・・・の思い)顔つきまで脳裏に残っているものだ。

 2007年問題は、技術技能継承・労働力面で焦点を浴びたが、一方で戦後教育の偏向と同時に世の親達が"子供の躾けをどうしたら良いか解らない"世代間問題があったことは見逃せない。二〜三代目同族会社の不正、世間知らずの国会議員、縁故入社の役員二世もそうだ・・・・。共通していることのひとつが『当たり前の感覚が麻痺し、錯覚行動』が多いことだ。

 身近な仕事でも、業務上執行上の公金の会計報告・公開は当然。管理職・役員として社会的責任を持つ者は指導・管理に厳正を期すのも当たり前。・・・・・大人の話だから等と「まあまあと馴れ合い」となっては世も末となろう。どうやら人間関係が傷つき・壊れるのを恐れるばかりに『黙認したり、先送り』したのでは正論が引っ込み"悪のやり得"社会となってしまう。

 年金未納にNHK聴視料の未収実態、相変わらずの渡り・天下り団体での保身族の会社私物化・・・しかも最近の親族間凶悪事件はなんともやるせない。とても当たり前の社会だとは思えない。

 未曾有の復興支援対策を柱に日本再生が大目標だが、その前に『当たり前の社会づくり』を柱に国民運動も必要ではなかろうか。

ひろしま松江会             平成23年9月22日

 昨年の9月以来、東日本大震災で中断し、ちょうど一年振りの集まりである。新旧メンバーの交代もあるが概ね顔なじみが揃った(22名/52会員)。恒例となった近況報告2分間スピーチも個性豊か、かつ経歴そのままのパフォーマンスが出るから面白い。在籍年数順で13番目になるから若い上に立派な経歴・職責も無い『特別配慮参加の私も古株の方になってしまった。

 「予期せぬ大震災でこの会も中断の憂き目に遭いましたが、元気に顔合わせでき感謝ですね。去る17日、専従者OB懇談会で松江市を訪ね松江歴史館も見物しましたが若者女性の小グループ観光の増加は街づくりの整備の成果が着実に出ていると微笑ましく"日本海時代"の到来に意を強くした次第です。

 さて、最近気になりますのは、電力の皆さんの原子力事故後に"じっと我慢・・・耐え忍ぶ・・静かにする・・・"等々と卑屈なまでに誇りも責任感や自信を失った姿勢・態度は理解できません。産業生活の基盤であるエネルギーを守り育てる責任ある立場なら、今こそ不幸な事故を率直・厳格に解析し、関心の高まり批判から逃避するのではなく『堂々と正論』を吐き『更なる安全を高める方策』を主張すべきではないでしょうか(!)

 ましてや、現役の関係者は復旧、賠償、広報に対応処理で精一杯。ならば先輩・OBが非戦力・傍観者でなく声を大にして発言・行動し、ややもすると感情的な脱原子力、減原子力だの迎合的な世論に流されることなくOB一万人が奮起する時ではないか。生涯PA任命などと口先だけで茶を濁すようなうわべばかりの管理業務だからダメなのですよ。

 OB先輩を煙たがり遠ざけるのではなく、戦力の結集や、いざ鎌倉の時に『頼める』人間関係が大事なのに、私利私欲・保身の学歴管理に甘んじ平然としている企業体質こそ問われるべきではないでしょうか」

                                     [出席者の約半数が電力関連〜意識的に辛口スピーチに]

65歳5ヶ月の記録                        平成23年8月21日

 血圧134oHg〜83oHg、脈拍61、尿酸値4.8og/dl γ-GTP75IU/I、 中性脂肪151og/dl・・・・・戦後66年、過酷とまで言わないが生活習慣病待機人生を過ごしたことを知るだけに「まずまずの体調管理」と言えよう。高齢者の仲間入りを機に"アキ菅の思いつき"の原発定検後の運転再開ストレステスト如きも敢えて必要なさそうだ。

 ところが、生活・仕事での『加齢症状(認知症のはじまりとは言いたくないな)は酷いものだ』  時に @歯磨き後、血圧の薬飲んだかな・・・・? A事務室の施錠後にクーラー「切り」の・・再確認とか  B改札口での定期券のマチガエ・・・・・・Cもう・・PCの操作忘れはしょっちゅう・・・ 誰もだよと、人は上手に慰めるが、内心頻繁になると穏やかではない。

 最近の変化で著しいのは、世間のニュースをはじめ仕事面でもまた身近な介護や親戚の動向に『驚き・関心・興味』の薄れだ。関心力は気力を生み、行動力に繋がるのであるが「そうか、そうなったか」と関わり合いの程度で判断してしまうのである。つまり、進んでまでやることへの関りのむなしさを根限り知ったからでもあろう。

 細かい口出しは嫌われるばかりか出来・不出来にイライラまで背負い込むとストレスの素だ。かと言って「有言実行」も"好きにやらせたら"となって無責任な人任せ体制になりかねない。とにかく昨年までのクリエイティブなアスリート人生は「生き甲斐」であったが、ついにモチベーションも尽きた・・・・ことが大きい。

 某経済誌に「座右の銘」投稿の話があり、代表者に「継承」の文字をお勧めしたが・・・・よく考えてみるとこれまた余計な事だったのだ・・・・・・(性格は直らず気力は下がる)


ツアーも楽しい『北京』旅行            平成23年7月6日〜10日

 昨年のグアムは夫婦二人だけの団体ツアー(?)、一転して今回は広島空港で18名の団構成と賑やかである。私の性格からして政経社会的視点は「のぼせんん日記」で軽く触れるとして・・・久しぶりの団体お登りさん風"旗"について行く気楽な旅行記としよう。(基本事項=硬水飲み水なし。ビールが水代わり。200V差込アダプター3種必要。五輪で近代化が進み、トイレ等も良くなっている。相変わらず政治話はしないこと)
)

 広島〜大連(トランジット)〜北京空港==到着後、現地ガイドは「あと2名は?」とあわて気味、どうやらキャンセル客のツーリスト間の連絡ミスから「20名の名簿」のままだったらしい。旅の楽しみ・評価は『食事にあり』広東料理→゜宮廷料理→四川料理→北京料理と毎晩の食事メニューの名前に期待するものだから・・・・・「みなおなじじゃ〜」「薄く切った西瓜はデザートのパターン」・・・ただただ丸テーブルで囲む食事は直ぐ顔馴染みになるからこれは良い。

 大国とは言え、貧富の格差と治安は発展途上国そのまま、バスを降りる度に『鞄・ショルダーは前」「○枚シェンエン」の売り子も多い。すり被害は日常茶飯事・さすが職業人の国だ。幸いに我が団では眼鏡被害1件で済んだ。また海外旅行、特に中国は『脚力の旅』らしくスニーカーが一番。元気なおばたりあんにあって不幸にも万里の長城を歩いた以降.膝を痛めて帰るまで車椅子のお世話になる等ハードな面も覚えておきたい

 勉強不足は承知している積もりだが、中国の歴史時代と日本の時代の照らし合わせがどうも巧くいかない。それほど島国・鎖国・国境の争いの少なさを実感するし日本の歴史教育が国内版中心である弊害だろう。記念としたのは、大清帝国君主宗系の子孫である愛新覚羅・恒玉氏(1941生)の直筆の掛け軸である。『福壽康寧』『風蘭』の2幅と数珠。

 北京ダックに『わしゃ〜皮より、身の方がええわ・・・・」と同年輩おじさん。薄く切った西瓜「慣れると冷たくて食べやすい」(新発見) 中国国際航空の往復利用だが、スチュワーデス1人のブス(使用禁止語)っとした接客態度には〜まだまだサービス産業の後進国を象徴する感じだ。それにしても、帰りの大連空港で濃霧のため空港閉鎖、お陰で北京空港で7時間遅れの出発。朝4時に起きて午後3時のフライトにはいささか疲れました。

 【写真未掲載】
 万里の長城、京劇、雑技団、足つぼマッサージ・・普通自動車ラッシュ交通ルールあっても守る者なし・・

幅を利かすな「結果論」         平成23年5月18日

 よくいたな〜野球解説者で『結果論』ばかり、さらには冷静さを忘れて「応援・精神論」ばかりの現役時代にも実績の無いOB・・・・されど、そこは『内容よりも娯楽性と人気優先の世界』だから。ネライ通りならば由としましょう!

ところが、今や原子力事故レベル7とまさに世界を震撼させた東日本の地震・津波・原子力のトリプル災害は、多角的・多様な・専門的事故分析は良いが『結果論』だけでは済まされないヒューマン・クライシス管理の限界を知る人間工学の解析者が望まれる。

 安全前提主義で絶対値論の行き過ぎ論の影は、すでに申し上げたがさらに平和時の組織管理が染み込むと『臨戦時に機能しない』・・・・つまり非常時の『現場絶大権限シフト』がどうしても機能し活かされないこと見直すべきだ。

組合時代にくどく言っていた。組織図のピラミッド型三角形が硬直化する弊害と肥大化損失。お客様に近い現場で最下層の指導意識は"巧くやれ"と生の声からの逃避体質。

 3.11から二ヶ月。そろそろ結果論ばかりがはびこる様相だ。

誰も「中に入って、いやいや近寄りもせず」直面しない評論家は謙虚に現場の運転員・作業員の『心理・行動・知識」に耳を傾け、信頼して同じ人間の立場に立って、一緒に解析・対策を論じてもらいたい。

地方自治体の住民と電力現場あっての、電気エネルギーであることを消費者・本店・国もまず自覚してから論じて欲しい。

発想転換を・・・                      平成23年4月17日

 「安全対策」の考え方は、設備設計者の発想の入り口と施策の組み立て方で結果は大きく異なる。我々は全てにおいて安全第一・安全至上主義で生活の基盤を築いてきた。お陰で『安心と豊かさを享受してきた』のである。
ただ、ものの全てに「100%絶対」は有り得ないのは誰もが内心承知・頭で理解しながらも建前で話すと「絶対を追求し、理解・合意を得る為に約束・前提に決着する」のである。

 安全の裏づけに『絶対』が無いとするならば、ものの全てを『危険対策の設計発想をベースに有事対応策まで真っ向から論議し合意する』必要がある。その場合にも設計技術基準と経済コストのバランスをシュミレーションしながら選択・決断する、そして国民に納得できる説明責任こそがますます重要である(産学官、特に有識者は論文偏重社会よりもっと政治経済社会活動の中で論戦すべきだ)

 超民主主義が過ぎると、情報公開も良いことだが不必要かつ無責任なメディア煽動も目に付く。さらに何でも住民投票に持ち込む傾向がある中で『真の安全と豊かさ』を求めるための『危機管理のあり方を考える時期』かも知れない。言い方を変えれば「建前と本音」「危機対策とコスト」の選択と納得性にもっと論議・合意手続きがシステム化してこそ本当の民主主主義の成熟と言える。

  防衛も、強度設計も"発想"の転換が必要か!

救援から復興に戦略を          平成23年3月27日

 今日も、賞味期限と購入月日を確認しながらささやかながら支援物資を持参。集荷所では確認と品物の分類で被災地の仕分け作業軽減を考えての奉仕活動である。本当に日本人・民間人の「助け合い」サムライ精神は健在だと誇りを感じる。それ以上に議員・行政の「苦労と汗」が一部門しか見えない・・・せめて『ここでこそ奉職の姿を発揮して欲しいのだが(今日は休日ダモンネ---)
 さて、支援物資も金銭カンパも緊急時の一時処方箋だ。

 緊急対策の次は,恒久・持続的復興戦略の視点で国家戦略にたった政策を打ち出して貰いたいものだ。何よりも経済活動のマイナスは所得税・法人税の減収間違いない。結果、年金社会福祉も復活・成長なくして望むべくもない。
しからば、国家国民総動員で広く浅く復興支援の手法は『消費税10%への引き上げ』さらには、インフラの基本である『食料・エネルギー供給体制』の構築は半分は国家が負うべきだ(半官半民混合経済)

  大戦、神戸と日本の復興は国民の「縁」で結ばれる意識が原動力なのである。


パソコン買い替え             平成23年3月9日

 なんと苦労な事か(笑い) 丸6年親しんだのだから元は取ったのだろう。進化する機能に追いつかない自分。一部分だけの機能にお世話になりながら、いざ登録やり直し等毎日苦労の連続である。最後はサポートセンターに聞きながらであるが・・・・出来た時の嬉しさは"年寄り冥利"の感激なのだが・・・・巧くいかないもんだ。
 とりあえず「記念の日付」を記録しボチボチ慣れるよう頑張ろう

   

2011年をどう生きるか           平成23年1月元旦

 慌しい年・初体験ながらも「挑戦」の続いた年でもあった。なによりも体質の腐りきったCIICを質すのも馬鹿らしく御社も原子力点検不祥事で二度目の信頼喪失・・その中心連中との対決もアホらしく(H22.2.3)。以降(!)創造的NPO法人ATACひろしまの「ものづくり技能伝承支援業務」に熱中する。

 しかし、SOHO事務所借り上げに際してもクレームを付け、全く世間知らずの無知をさらけ出す御社の体質は重症とも見えた。しかし『世間の大道』には勝てないとみたのか再面接・書類書換で認可すると言う・・・・・「内向きな会社」だが、ともかく事務所確保から活動開始〜軌道定着の20010年だった。

 さて、20011年は
   @技能伝承支援業務の総仕上げ→モデル継承・有償化ATAC活動の進化を図ることだ。(財政再建と認知活動・目標数達成)
   A私自身は65歳を迎える。技術士ではない。しからば翌年のATACひろしまを見据えて職務交代も準備が必要だ。
   B個人的には、体調メンテナンスにも留意が必要。酒は『半酔い』程度に、脚力強化をどうするか、課題だ。義母の介護にも思案がつきまとう。

各論の具体策は、状況・時局を見ながら実行するとして・・・・今まで『外ばかり意識して,我が家を顧みず』を反省し,そろそろ目を家に向けたい。

今年は、結婚40周年を迎える。子供に期待することもなく“シャイな私”に何が出来るだろうか。一番の目標はこれかも知れない(笑)


党首選と世論          平成22年8月29日

 世論は無視はしないが、正論とは限らない。戦争突入しかり、終戦前の戦況報道を正しく伝えましたか?、竹下総理辞職と消費税導入時も世論調査結果はどうでしたか、近年のコイズミ劇場型政治のお先棒を担いだのは誰ですか?
  
 9月15日の民主党党首選挙は、政党政治だから政権与党党首イクオール日本の総理大臣を選択することに他ならない。菅と小沢の選択を巡って早くも「世論調査」を引用しつつ大衆迎合政治を非難しながらも世論を盾に国民の選択を誘導せん”とする無責任マスコミが目立つのは『最大不幸社会』である。

 政局しか見ない・書かない者が政局報道ばかりで「政策が無い」などと言う。無いなら引き出させる〜報道する〜選択肢を示す・・・『今、日本が求めるべき政策と行動は何か』を示すべきだし、候補者も発信すべきだが目先勝負にこだわつて応えていない。・・・・・・孤立する日本の姿がここにある。

 菅陣営の「世間体論議的コロコロ変わるのはまずいから続投」なんて政策支持どころか世界の目線では全く無い(総理の信頼喪失は自民党時代からだ)

 小沢陣営の「剛腕期待論」もダーティ払拭の無いまま一国総理を狙うには、礼節の国の肌には合わないだけに勝負どころを間違えている。

 綱領の無い民主党政権では「世界に通用する政権国家」とは認めがたい。旧い様だが、党内で唯一路線と政策が近い綱領を有するのは『民社党』グループのみである。ここは民社系議員の奮起と旧同盟・民間路線の労働組合にも決起を促したいが世代交代とイデオロギー喪失で期待も出来ない。

 羅針盤を失った幽霊船が如き日本。このままずるずるしているとまたぞろ左右に偏った全体主義復活の怖さをも感ずる。それほと民主主義政治とは時間と金とムダを重ねながらでも、『自由な国』である事だけは守りたい国民の知恵なのである。

 要は「一内閣・一仕事」で良いから官僚政治から脱皮して、民間主体の前進する国を創ってもらいたいものだ。


時には、知識より『知恵』          平成22年7月25日

 世渡りに邪魔にはならないのは「知識」。無いよりは有れば発揮できるし、重宝でかつ課税対象物でないのが価値一番だと思っている。ところが余りある知識・・・とは、言わないが『振り回す・売りにする・買いかぶり』する輩と、重宝する管理監督者の無能が組み合わすと概ね『結果はそれほどでもない』

 この事に、高齢者・成功体験者が加わると、もう知識のお披露目オリンピック(?)と錯覚するほど喧々諤々理論ばかりの論議になるから大変だ。特に人を使う事業ともなれば、機械工作や化学方程式分析の作業ではなく「人が人を口説く」手順と方法なのであって、ましてや“説得力”は、もう知恵の世界なのである。

 目下、ATACひろしまの技能伝承支援事業の技能者登録を含めて約30名の集団ともなると既存の経験則ばかりでもなく、どう再構築しながら合意形成と執行力を確保するか大きな課題である。

 ただ今、改革見直し中 多くを語るのは未だ先としておこう。

何故急ぐのか       平成22年6月27日

 若者であり日本そのものの代名詞であった気がする。「狭い日本。そんなに急いで何処に行く」世を挙げて超高速度化の代表、新幹線をはじめ飛行機のジェット化・自動車の高速化、道路網の高速化、流通は元よりTV、カメラ、電気機器のスイッチまて゜も日本全体が高度度路線の流れに走った。

 昭和39年の東京オリンピックも40年前の話。高度経済成長も走りす過ぎが災いし「矛盾と行き過ぎの負の遺産を残して長き保守政権までも交代した」政治も経済も生活自身も国民こぞつて知らぬ間に「持続や継承」の必要性を置き去りに、成長一辺倒が崩壊と不均衡の先進事例の姿を残してしまった。

 戦後の廃墟から目を見張る復興の歴史も「急ぎ過ぎ」が衰退の道を早めたと言っても過言ではない。

 中国・インド・南アフリカ等々は、先進国への仲間入りを目指して貧富の格差を犠牲に政治主導で「追いつき追い越せ」まさに、日本の後姿を追うが如く走っているが、いすこの国も「先進事例の日本に学ぼうとはしない」・・・走るのみである。

 そのスピードが「地球環境と資源」を食潰し、幸せの持続を求める人類の地球資産を脅かしているのである。加えて人類最大の不幸の産物である核開発の加速化などは人類滅亡のスピード化に他ならない。

 狭い日本のみならず宇宙帰還衛星「はやぶさ」に観られる如く超高速であっても無限宇宙からみると地球人の急ぎぶりは「宇宙時間」からすると一億分の一秒の世界なのかもしれない。

 ゆっくりと青い星地球が・・生命体・・・・が、感じる悠久の時間を思い出しながらなが〜く感じる時間感覚を持ちたいものである。

                            

communication & combination   平成22年5月29日

 何も無い平地に、家を建て人を住まわせ働いてもらおうと言うのだから・・・推して知るべし「難儀」は覚悟のうえである。平地になっているのも1年前、事務所を追い出されて「独り立ち」のためにNPO(特定非営利活動法人)の法人格を取得したのみで約100万円の赤字法人「ATACひろしま」なのである。

 一年間、公募への提案書検討で一般営業もままならず会議旅費の支出増が粉飾の原因となり、同時に感情のもつれから同志の脱退の悲運も重なる中、事業の受託にこぎつけたものの、この種技能伝承支援業務は、NPO法人の受託事業そのものが日本ではじめてのことなのである。

 ともかく「新規雇用」と「技能伝承」の二つのネライを達成せよとのご下命であり「人が資産の無担保」事業だから資金繰りも特別前受け金の配慮を戴くなかでのやりくりスタートなのである。

 やや、始動し始めた処であるが「プライドも年齢も高い技術士集団」だけに、コミュニケーションとコンビネーションの難しさを痛感する事しきりである。大方が大企業出身で実務や裏方よりも表街道を歩いた猛者連とあっては少々では後に引かない・・・。

 資料一枚・出勤簿・日報の作成も『自己管理・自己申告・成果の提出』を基本とする旨徹底するも・・・なかなかチーム編成での仕事だけに意思疎通とコンビの馬面あわせが成果を左右するだけに“面白くもあり-難儀な処でもある”。

 公表3ヵ年、実質2年と10日間の事業で55件の『支援成果』を目標としてやるしかない〜後に引けない事業なのである。
案ずるよりは産むが安し・・・幸いに新戦力に支えられ「前に向って!」Communication & Combinationで1歩1歩積み上げる毎日なのである。


                          

事業仕分け             平成22年4月

 やってみたい仕事と聞かれたら『即座に一番、事業仕分け』と答えるだろう。それほど肥大化した官僚組織と行政法人には無駄遣いと構造的利権の仕組みは目に余るものがある。かといってオールオアーナッシングで「官僚すべて悪」といわない処がミソだ。

 ところが、「○○相談所」なんてところは、力も無ければ、解決する必要も、成果も問われない「待ちうけ業務」の最たる部署組織であることを実感する。○○には、生活に密着した市民的立場に見えるから乾板が曲者なのだ。つまり“市民向けサービス・政治ホーズ”であり態のよい天下りポストなのだ。

 さて、複雑・肥大化した組織の効率化のための事業仕分けと異なり「何も無い。更地のところで事業立上げをするとなるとそれ相応に大変な処に個性豊かなプライドの高い博識家ぞろいの中での組織作りは、想像以上に難儀なことに驚く。

 ひとつ知恵がついたのは、組織作りの初発時点から「スリム化・効率化」マズロー理論を頭に入れて話を進めないと、人の心は「金とプライド」だけは、本性にあることを痛いほど教えられる。ボランティア精神であっても賃金・報償費の格差には敏感になるのである。

 腐りきった、「かの職場」から開放されてスカッとして自由な活動に身を投じているが、「人と仕事」の心合わせほど神経を遣うものはない。

                                     

「政治とカネ」・・報道リスクに物申す       平成22年3月9日


 世論が国民意識や総意を示すとするならば尊重し政策に反映することは重要である。ところが報道の意図的な世論操作や世論形成に作為と誇大宣伝によって『天の声』等と大上段に振舞うとするならば国を陥れるやも知れず、よって厳に慎まなくてはならないと思う。

 TV、新聞、週刊誌に見る政治・経済・国際・外交・・・評論家や、N・キャスターや解説者よりも、おでんやの夫婦・町工場の親父さんの方が『的確で地に足の着いた論評』が多く的を得た説得力もある。

 縦割り・業界の閉鎖性の弊害が随所に顕在化し業界用語と業界権威に溺れ“世論形成に弊害(公害に等しい)をもたらしている”ことを反省すべきである。

@「政治とカネ」は悪か(?)

 民主主義国家の政治体制維持には金はかかる。何故なら政治家・秘書・政策シンクタンクの人材育成には莫大な金と労力・学力が必要なのである。(一党独裁国歌は国費=複数政党を認めないから)批判すべき悪は、利権・賄賂・買収に繋がる政治行為犯罪に動くカネなのであり、これは司法検察の強化で解決すべき事。

A「公共事業」は悪か(?)

 談合高価格・業界利権構造・集票マシン化等々が『悪』なのであって、公正で必要な優先順位と効果評価を徹底した公共工事インフラ整備はまだまだ必要なのである。ところがマスコミキャンペーンは「公共事業そのものが悪」との世論に陥れてしまったではないか。何処が悪いのかを明確に示さなかった責任と反省をすべきである。

B「郵政改革」は正義か(?)

 コイズミ劇場政治ほどポピュリズム的無責任で国民を愚弄したものはない。自民党をぶっ壊したのでなく崩壊寸前・限界を独特の嗅覚とマスコミを利用した政治ショーに過ぎない。なぜなら『改革の中味』を言わず我が支持を反対するものを蹴散らかしたことばの遊びだったから・・・・・今になって「税収・年金・官僚・・・」改革の中味に四苦八苦しているのが民主党なのだ。→年金・郵貯の次は、雇用保険だって危うい(?)

C「政権交代」は結果だ。

 マニィフェスト選挙も「多少赤い美味そうなリンゴ」に宣伝するのは仕方の無い事。どうも政権交代したら「マジックの如く」政  冶が様変わりするかの如く書き立てたのは北朝鮮帰還時の地上の楽園と変わらないではないか(!)政権交代を目的化した騒ぎは戴けないし、小沢はコイズミ流を逆手に選挙手法に利用したのだ。要は政治体制(官民癒着)をリセットした事に意義あり。

D日米「安保」が「同盟」(?)

 60年安保闘争からもう50年、焼け野原からの復興に戦争放棄と経済復興は米国を追い抜いたばかりに「出る杭は叩く」アングロサクソン気質に触れ今や日本バッシングが巧妙に仕組まれ米中二国間世界へ移行しつつあるが、これも米ソ両国の衰退の流れなのである。問題は安保を同盟と言い換える「真意」を今のマスコミは知ってか知らずか学力低下は嘆かわしい。→普天間移転の焦点でなく、日米防衛戦略の基地再編を何故触れないのか(!)

 政権交代後、期待した初の予算審議が「政治とカネ」騒ぎで政策変化や国家の財政対策など重要な課題が吹っ飛んでしまった責任は、国会議員もだがマスコミ誘導と世論風ばかり気にする政界の選挙恐怖症にある。

 選んだトップの指導力をリーダーに求めながらも、反面立派な人材を『育成しない・育てない仕組み』(政治家の育成とカネの必要性)にメスを入れないでメディア業界で飯を食っている評論家(学者・○宅・品の悪い新聞記者上がりなど)の責任は誰も突かない。

           報道の無責任さを報道する報道がこの国を救う道なのかも知れない(!)

              


薄い人権認識!会長責任も重大   平成22年2月3日 11:30〜12:30


 ○書留内容証明郵便物平成21年11月11日第89338号の文書内容ならびに、当日の講演会参加阻止の現場処置は「重大な人権侵害である」会長自身が承知の文書であり対応であると聞いたが、人権侵害に「なるか?ならないか?」発信者である責任者・会長の考えを確認したい。

 △「会議の円滑な運用をする責任から混乱を懸念し見解を述べたもので、人権侵害をするつもりではない。・・事前によく話をすれば良かった・・・・」

 ○「「見解」などと軽く考えておられるが、内容証明郵便の行動・自由の規制を通告した重みは大きい。予見や偏見をもって参加阻止の文書を一市民になった者にまで追いかけ常軌を脱した人権を侵害した事実に対する根拠・理由と、そこまでやる権限はどこにあるのか?」

 △「過去の服務規律・行動をみて、またブログ等から判断した・・・・(私は知らないから、(部下等から)聞いた話でそのようにした・・・・・)

  ・・・・・社報10月号社長伝言板を示し、確証もなく聞いた話だけで重要文書を出したり指示する時に人権侵害抵触の考えは頭に無かったのか・・・・

 ・・・何故か、Y労務部長が直前に同席「本件の問題に至るまでの過去のいきさつがボタンの掛け違いから・・・」と相づちを入れるがM会長・N専務理事も昨年株主総会以降の着任である。既に「偏見や有りもしない危害の予見など」その決裁時点から人権認識が管理監督者に欠けているのである。
                          <見せ掛けの人権教育では、トップは元より日常職場生活まで浸透していない実態、率直さもない>

 ○「私は、“立派な良い会社にも、出来の悪い上司に当たるとこんなこともある”・・・半分諦め・我慢して株主総会もクリアして静かに生活していた処へ、追っ掛けて基本的人権を踏みにじる暴挙(H21.11.11)を執拗に仕掛けて来たから『もう我慢ができない』と判断したのである。

  @根拠とされた過去の行動を言うのであれば『ボタンの掛け違い時点まで遡って話をしましょう。
             私は一年半に渡って辛い思いと罪名も解くことなく非人道的な職場追い出しを受けたままの被害者である。
  A「侵害するつもりは無かった」と言い訳をするばかり。明確な論拠も詫びもなく『言い逃れる」M-M会長とN-?専務である。
             結果して「人権侵害を認めず」言い分は平行線・・・・・人権侵害を認めないなら「第三者に判断を仰ぐしかない。
  B私は「事実に基づかない中傷誹謗など記載したことはない」“不条理な人間破壊に陥り兼ねない辛酸をなめて一年半・”
             被害者が我慢・耐え忍びして、加害者は“大企業の傘の下で「執拗ないじめ(人権にもとる)」をしながらいる非合理。
             『許せぬ!』
             そうは言っても加害者の実名問題は、子も親戚もおろうことからイニィシャルに変更しよう・・・・・(2/4決断)。
 

                                  ※然しながら事実経過は私自身の天地神明・生涯の名誉のためにも残す。

 ◇事件発生から3ヶ月を要してやっと話し合いが持てたが、話は平行線のままである。ただちに再度話し合いの申し入れを行う。CIIC内部の問題とは言え人事管理電力会社の人権認識の成熟度と対応姿勢も鼎の軽重を問う事になろう。    
             ・・・・・法務局人権委員会へ報告済み・・・・

                                

防げた「人権侵害」なのに          平成22年1月26日

 平成21年中国電力社内報Energia2009.10号に、Y社長室のホワイトボードメッセージが紹介されている。人権侵害事件(H21年11月)の一年前、理不尽・強引な再三に渡る「人間破壊」に繋がる自宅勤務処分(H20年8月〜9月〜10月〜翌年3月退職まで)を繰り返した:現実職場事件後の記事である・・・・・。

 「現場・現物・現実を必ず意識してほしい」「管理者が先入観や思い込みで報告すれば,例え実際は違っていても、それが真実になってしまう」「自分で見て、自分で考える。何でも良い面悪い面の両方がある。隠れた部分・・見えにくい部分・・仮説をたて・・いろんな角度で検証・・・背景を考える・・・それが大事だ」

『何でも報告や連絡だけで判断していないだろうか』と・・・・・分業・効率追求の進む中で憂いを吐露し戒めておられる。

 平成20年7月の時点で、S-T常務理事の虚偽の報告・羨望からの「告げ口報告・陥れ」O-Y専務・S-S会長が一方的に鵜呑み判断したばかりに後に引けない“追放劇・究極のいじめ”へと陥ったのである。(R-S会長・O-Y専務理事は6月退任)

 その背景にある「本質を見抜き・手をうって」おけば良かったのに、以降も関係者をのさばらしておいたが故に、離職後一市民となった後にまで、事もあろうことに『組織的人権侵害』をまたまた惹起したのである。

 何人たりとも完璧な人間はいない。話し合いを無視し権力を嵩に職権で押し切る不幸な実態を直視せずして職場の民主化は程遠い。つまり暗い職場となる。

あれほど愛し渾身の情熱を捧げ活動してきた旧活性化センターが不憫でならない・・・・・・ひとりの人間として戦いは続く。


平成『維新』の物語           平成21年12月21日


 政権交代のハネムーン期間も終わり、手厳しい評価が始まる。確かに政権交代は目的にあらず手段だから何を目指すか方向性を示しそのアプローチを政策提示しないと「マニフェスト政局遊びだ」と・・・それこそ国民から見放されるのは必至だ。

 日本は、3つの外的要因によって体制変化・進化を遂げてきた。「元寇」「ペリー来航」「敗戦」は万民一致団結・心をひとつにして立ち上がり国体の維持と再生を果たしたが、これらは劇的でショックも大きいからシャキッとしたのだが、戦後のゆで蛙現象では“悲壮感”がなくパワーにならないから深刻だ。

 時に自民党一党長期政権から選挙で政権交代した平成日本だから、雑談風・明治維新〜昭和の敗戦〜平成における維新の物語でもまとめておこう。

@武家支配の社会(幕藩体制)から廃藩置県(官選自治)の近代化に成功するも先進国との国力差をまざまざと見せ付けられ「富国強兵」に走る。やがて大東亜圏構想のもとアジアの開放に利するが、油断政策と核使用の米英国に敗戦。
 焼け野原の日本再生は他の途上国同様に中央集権・霞ヶ関官僚指導による目覚しい復興を遂げたのである。背景に軍備・戦争放棄と日米同盟のもと経済大国に邁進出来た事は見逃せない。

・・・・・・経済成長の成功体験の裏に「官と政の癒着」⇒官僚支配の社会体制と情報公開の遅れが構造的腐敗を産み=国民の信頼を失ってきた・・・・・
     「地域主権」「道州制」「東京一極集中からの脱皮」「生活圏域〜域際収支と地域ガバナンスの構築」


A幕府と朝廷の微妙なバランスや交替で世界に誇る日本文化(神仏混合・自然崇拝)の国民性は、維新とともに政治の主権を天皇に委ね国体の発展を期す。ところが「世界の中の日本」が生きるには余りにも無資源の国。
 特に軍部の政治台頭は統帥権乱用・・主権すら国民の手の届かぬこととなり『敗戦・荒廃』への道へ突き進むこととなる。戦後マッカーサー指導による新憲法制定・国体の見直しは主権在民とし民主主義国家の形へ1歩を踏み出したのである。

・・・・・・形は出来て真の民主主義は時間が掛かる。左右のイデオロギー政党・労働組合の混乱は授業料とし「非共産党国家体制」は救いである・・・・・
     「二大政党政治と政権交代可能な選挙制度」「迅速性のある政治主導〜二院制の見直し」「憲法見直しと三権分立・議院内閣制の見直し」

B産業界で「鉄は国家なり・電力は産業の米」重厚長大産業振興は日本人の勤勉さと技術力が貢献し世界に冠たる地位まで登りつめるが、公害問題や自然破壊等「豊かな生活と引き換えに犠牲も払った」のは間違いない。
 均衡ある全国総合開発を国家目標とし公共事業中心のゼネコン社会構造も「光と影」を持ったまま交通・物流のハード整備を仕上げてきたが、いずれも建設国債+赤字国債等「手形経済政策」と言われる借金投資なのであった。

・・・・・・国の財政破綻は確かだが、一定量は国家存続の限りあっても良い。「コンクリートから人へ」「低炭素社会の推進」も方向性は正しい・・・・
     「国家の基礎研究体制確立・大学再編」「経済団体の再編と自主と社会貢献」

C国家の一番の財産は『人』だ。だから労働人口減少と教育の有り様は政治の根本であらねばならない。今や世界が賞賛している『教育勅語」を何故見直し柱としないのか(!) 
 戦後、日教組による教育現場の退廃は目に余る。日の丸・国旗を制定した国が子供の教育に生かせない国がどこにある。塾によって知力を補ったとしても人間性の養育の出来ない国の将来は暗いのは当たり前だ。
 健全な労働組合の育成と社会的地位の向上は国家繁栄の源でもある。連合はその期待に応えているとは言えない(足して2で割る情けなさを露呈)

・・・・・・国公立・私立全て自由にし必要な税の投入もよかろう。要は競争のない学校も教育もありえない。もはや日本の学力低下は世界の孤児化現象だ・・
     「新・教育倫理綱領の制定」「国家・国民教育憲章の制定」「労組の政策チェック機能の向上」

D最後に、健全なマスメディアの建て直しを付言したい。曲がりなりにも日本の「自由と民主主義」の発展に寄与したメディア界の貢献を評価する。しかしここにも堕落以上に勉強不足と質の低下が嘆かわしいものがある。 日本に“メデァ規制”をするとすれば『社会規範保護法』なるものを導入してもよいではないか。

・・・・・・メディアの野放しは、公序良俗の規範を無くした自由と権利を履き違えたとしか思えない。自己制御不能のペンの堕落は世界の恥かも知れない・・・・
     「表現の自由と自主規制憲章」「自主規制の公開と保護法」

 さてさて平成維新の必要性と期待は大きいが、決起するは誰か。政官財+メディアの各界に「平成維新の会」なる旗上げをする人物を探すがナカナカ見当たらない。やはり日本は外的要因が勃発しないと一致団結できない国民性なのかもしれない。

  

人権週間によせて       平成21年11月25日


 「世界人権宣言」を国連総会で採決されたのは1948年(S23年)〜12月10日を「人権デー」に制定(1950年=S25年)したのであるが、爾来半世紀以上経過しても、地球上では民族間・先住民族間・男女間・子供の権利・貧富の格差・宗教等のいずれも武力紛争を伴う差別と弾圧の火の粉は消えることがない。

 地道な啓発活動や法体系の整備等政治の場での解決に期待も大きい。事実、昨年2008年6月の衆参両院本会議で「先住民族の権利宣言」(前年の国連決議)を受けてアイヌを先住民族と認める決議がやっとなされたのであるが1歩前進への道のりは長い。

 身近に遭遇しない限り、人権の差別や侵害を「わがことと受け止める」ことの難しさは無理からぬ面もある。しかし主管である人事が「ひとごと」と理不尽な職場管理実態に改善提起したにも拘らず役員の「事実と本質」に目を背けたまま放置したばかりに『とんでもない』行為に走ったのである。

 憲法で保障されているさまざまな「自由権」中でも第19条から23条では
   @思想および良心の自由  A信教の自由  B集会・結社・表現の自由  C学問の自由  加えて 第22条ではD住居・移転および職業選択の自由を保障しており、何人たりとも侵すことの出来ない『基本的人権』として認められています。

 もう、一市民として過去の憤りも堪えながら自由に講演会・講座の受講に生甲斐をもって参加しボケ防止に努めていたところ『聴講まかりならん』とのこと。職場内ばかりでなく驕りも甚だしく、まさに常軌を外れた人権侵害の暴挙が起こったのである。

 許されないとは言え、権力と職制を嵩に職場支配が行われるのがサラリーマン社会の“泣きどころ”実に、辛い思いのなか3度の理不尽な処罰を受けながら屈辱のリタイアをされた挙句「半年後の人権侵害行為」なのである。

 大企業傘下・公益団体・財団法人としてあるまじき行為に走る管理職役員にもう我慢ができません。ここは第3者機関の審判を仰ぎ善処を求めるしか方法がないと意を決したのである。        
                               [※良識ある皆様のご意見を承りたい]

   [事実経過概要]
 11月16日 主催団体CIIC他による 産業創造講演会 講演「最古の企業の経営理念」に 10/6聴講参加申し込み(FAX受理) 11月11日付け 書留内容証明郵便物(第89,338号)M-M会長名による『参加お断り』と『来場しても入場させない』との通知、併せて尚がきでHPおよびブログの削除の申し入れがきた。

 当日16日午前中、法務局人権相談所に相談し「申告」手続き後、講演会場に移動。受付で、N-専務理事に別室に呼ばれ「進行に邪魔しない約束なら入場を認める?」との偏見・クレームに心外し公文書の通告どおり退場することとした。(直後に会長への面談申し込み〜多忙とのことで話し合い無し)

     

 11月11日付第89,338号内容証明郵便   11月16日 会場にて(公開講演会の乾板・会場の撮影にもクレームがつく)⇒『言語道断!』


生命力の差              平成21年10月31日


 まったく主体性もなく言われるままについてゆく。「濡れ落ち葉」と良く聴くが時にはこれもよかろうと黙って運転手を務める。着いた先は近郊の“リニュアール施設展示会 秋の平安閣祭典”とかでベルモニ(?)会員招待秋の味覚を揃えたバザール兼商談イベントのようである。

 もっぱら私は、施設見学の後数珠や大小仏壇展示の値段ばかり見ながら「う〜ん」と意味不明の独り言、カミさんは“散らし寿司〜ケンチン汁〜焼きとうもろこし・・・”と忙しくきょろきょろ・活き活きである。

 お客さんの多さにも驚くがなんと言っても高齢者ご夫婦が圧倒的、普段並ぶことの嫌いななまけものの性か・・ばってらお一人様一個・限定50名様には急遽頭数で並ばされる破目に。。。。。なんとなんとアッと言う間に時間前から長い行列が出来上がる。

 日本の平均寿命は女性が5〜6歳男性より長い(85.99歳)この生命力の証明を垣間見る。とにかくご主人よりもお喋り・すばしこさ・行動力は格段の差。言いたくは無いが割り込みのあつかましさ・恥じらいの無さ・堂々たる態度には怒りより『生命力』の強さを感じる(驚!)

 男には、つまらぬプライドや恥への拒絶、時に後ろめたさからの行動規制を常とせざるを得ないサラリー社会が染み付いているように思うが・・・・バザール現場を見る限り???男は完全自由市場経済現場に放り出されると恐らく生存競争に勝てないように思える。

 出産〜子育て〜教育〜嫁・婿の生活〜孫の心配までたくましく生きてきたのは“がばい母さん”だけでなく世の奥様方共通のご苦労と鍛えた生命力が長生きの力なのかも知れない。

 今年は、殊のほか月日の早さと短い人生の儚さを実感する。


シルバーウィークに思う           平成21年9月21日


 どうも5月連休のゴールデンウイーク(金)に対してシルバー(銀)と秋の5連休を呼ぶらしい。当初、私は「敬老の日」「秋分の日」と国民休日の組み合わせて“先輩老人を敬い、はたまた祖先を弔う彼岸の墓参り等々”失われた日本文化の復活としてナカナカ味な呼び方だと思ったのはとんだ勘違いだった。

 サンデー毎日・年金受給者になって半年経過。最近富みに「月日のはやさ」を感じるのも、会社人間から社会人のひとりになり“やるべき事・自分がやらなきゃ誰もしてくれない”ことに気が付く。つまり会社人間・仕事人間風な振る舞いが如何に『見栄と虚像社会』(井の中の蛙)であるかに空しささえ覚える。

 それにつけてもこの僅か6ヶ月の『大激変と哀しみ』が怒涛の如く降りかかるとととも垣間見たのも珍しい。生涯最大の悲劇的な離職事件に始まり・・・それぞれの出来事に驚愕・義憤・哀悼・無情等々体感しながら事後のなすべき準備に追われもした。

 政官癒着腐敗と社会構造の金属疲労から生じた世の流れとは言え政権交代の現実は大企業ですら内なる人的腐敗から崩壊も危惧から危険水域すら覚える。また、労戦統一後の真価を問われる連立政権にあって組合の堕落振りも社会的に見逃せないインフル風邪的脅威と直視すべきであろう。

 身近にあっては、相次ぐ次兄・長兄の先立つ不憫に人生の儚くも短いことにどうしょうも無い一生の無情を知る。また家内の実家では商いの厳しいなか夫婦一代で築いた旅館と家の財も都市整備を機にたたむ寂しさ・位牌の墓守りの引き受けも大変な出来事であった。

 なによりも心配な我が身の出来事のひとつは「意識不明・原因不明の6月14日事件」である。両先輩を含めて生命の危機にも陥れた自責の念と共に今後も自覚第一の要注意生活をしなくてはならないのである(再々検査〜ドック〜異常は無いが・・)

 幸いに大病もなく今日までこれた恵まれた体を父母に感謝しながらも、加齢と体質からくる衰えは先輩に見習い努力も必要だ。血圧のコントロールと体温を上げる生活習慣にもウォーキング同様楽しみながら工夫と継続で頑張ろう。

 奇しくも彼岸の入りで亡き父母の遺影と一番の想い出写真を我が書斎に移した。兄ふたりと何を話しているのだろうか。


劇場型から反乱型へ           平成21年8月22日

 4年前のコイズミ解散総選挙は、参議院否決を逆手に「郵政選挙」と銘打って衆議院を解散し民主主義をなんと心得ているか劇場型選挙で370議席を確保したが、結果して2/3条項頼りの国会議決と言う非効率な政権で“やりどく官僚悪事と政治の無能”のまま国民の信を問う事無く任期一杯での解散となった。

 自民党政権の終焉の兆しは、この10年間随所に垣間見えていたが残念なことに野党の『力不足」から政権交代も出来ずズメルズルと宗教信者票の支えで政権にしがみつき権力維持を凌いできたものである。

 ところが安心・安定・信用の表向き公約の裏で利権・補助金誘導の妙味が効いていたが、官僚との癒着で垂れ流していた『財政破綻と天下りの蜜』が天下に晒されたことと『廻してはならない敵』を作ってしまった事にある。

 特に敵にしてしまった「高齢者年金生活者・農漁業地方の保守層・勤労者の命の手綱である雇用」に、人の痛みや汗に報いる姿勢もなく“プレスリーと漫画”
などとパフォーマンス党首の選挙向け首のすげ替えで国民を欺くのは限界であった。

 「恥ずかしがらない・反省しない・本当を言わない」どうも政治家皮肉3要素そのままの自民党となってしまったのである。地方から国が見える首長に『やり手』が出てきたのも流れを加速しているが一番の政権交代・つまり政治のリセットを決定付けたのは『官僚の腐敗』と『政権の癒着』である。

 大嘘まみれの新・年金制度と開けてビックリ消えた年金(怒)居酒屋タクシー・○ーパンしゃぶしゃぶの大蔵省・簡保の宿に・仕事館等々厚生労働省・総務省・・・・裁判官も文科省もあちこちで税の使い放題に天下りの公団役員・・・とあっては『是正すべき国会が無力』では国民の失望は極限きわまる(怒)

 国民特に若者学生どもに暴動革命のパワーも無ければひ弱な男が目に付くばかり(社内も同じ)・・・諦めていた国民のたったの一票づつが『悪人退治となるか(!)長モノに巻かれるか(!)』政権交代の無い世界でも稀有な日本にその潮目が変わろうとしている。

 民主社会主義を学び民社党の青年活動家と共に学びあった富士政治大学校の裾野が懐かしい。時代の変化は人が創るばかりでは無さそうだ。権力の腐敗に対する怒りと不条理な格差がパワーとなって世を動かす・・・その歴史的瞬間を期待倒れにしてはならない。

 権力者には責任と説得   国民は義務と協力が求められる。      8月30日の劇場型を見破った反乱劇の総選挙は歴史の節目となろう。


生者必滅&盛者必衰             平成21年7月20日
  (しょうじゃひつめつ しょうじやひっすい)

 頭では判っていても直面すると心身ともにその不条理に「無力と儚さ」を感じずにはいられない。順送りほど無味乾燥・当たり前のことと慣れすぎた日常観とアキラメによって妥当性を当てはめて“生きている”だけだったかも知れない。

 早期発見のお陰で癌との戦いに好戦魂?が功を奏したか順調な推移のなか突然のバイク自損交通事故で父母の本へ逝った兄が不憫でならない。11歳も歳の離れた兄弟なのに「頼りと手間代わり」は紙一重だろうか・・・事あるごとに相談・手伝い・使われた思い出がことさら想い出深い(合掌)


 矛盾だらけの履き違えた競争社会にあっても、特に叩き上げと人間味を兼ね備えた『兄』と慕われる成功者とは巡り会った幸せを感じる。反面他人を陥れ・かつ自らの手を汚す事無く傲慢な振る舞いの「盛者」にもいずれは必ず衰えるものだ。

 6月14日、戦友仲間とも言える「みずぐるま会」への参加道中においてA−MさんT−Tさんの『兄達』と生死の淵に遭遇したにも拘らず、神仏の加護としか考えられない生還を顧みて経過観察を終えこの程三人で記憶回復と精進明けを持てたのは最上の幸せと運なのである(7月17日吉日)

 「生かされている」この思いは、事あるごとに心に響く。


戦略変更へ「熟柿は落ちる」          平成21年6月株主総会余話

 「3分間で何処まで理解を得られますか?」「無関心の他人を頼りにしても無駄」「己ひとりの面子より家族」「会社・組合まで突き放しては全てを失う」「真相事実や正論も暴いたとしても過去、今からが長い」・・・・・多くの忠告は、受け入れ難い悔しさとの葛藤においてやはり本意を曲げざるを得なかった。

 しかしながら結果は納得。『黙してじっと見る』無言の抗議ほど迫力と手応えを感じる事がよ〜く解った。

  
熱意の無い棒読みに説得力は無い。覇気の無い蝋面無機質人間

◇総会前夜の結論
 @企業と社会の接点「内と外の両面から経営・人材・職制をつぶさに視てクリエイティブな仕事に40年近く携われたのは幸せ
 Aこれもひとえに電力事業の安定性から生活保障と社会貢献政策の加護があったからこそと感謝の気持ちは変わらない
 B最前線で戦闘中、後ろから鉄砲玉を撃たれ、かつ不条理な虚言・陥れで2度の失墜の波瀾万丈も今となっては語り草に過ぎず
   (本部専従スパイでっち上げ〜CIIC法令違反陥れ)

 いろんな人との出会いも総じて恵まれ過ぎたばかりに、反面『卑劣な男二人』は、我が生涯進路を左右する怨念事件であった。

総会人事でCIICS-S会長(副社長)退任へ、O-Y専務理事(顧問解除)交代へ。いずれも一年余りの腰掛的な期間で地域対応産業活性化の基盤づくりが出来る訳が無い。S-Tの嫉妬と虚言癖に乗じたとは言え過ったCSR運用と人権無視の日常行動が見抜けず実践戦力を敵に廻した罪は大きい。

人も柿も旬を過ぎ、いつまでも大樹の枝にへばりついているばかりでは腐りと熟柿の己の姿を見失い落ちるばかりなのである。

一連の経過で、強気を持ってしても私も人の子。心身疾病症状も隠す訳にもいかず家内・子供達にも心痛を煩わせたが「会社にいるだけが人生ではない」「ましてや社内いじめで自己満足したとしても一歩世間に出ればただの人なのだ」・・・・

推移を見ながら質すべきは質す「先は長い」

  
温度差=煽動と守りの建て前行動と見るか。もっと改革への政策論議を!

[進化しない総会実情]

 △相変わらず最前列に顔なじみ連中の姿。野次る声だけで元組合役員のK-U・W-K・Y-Yと判る。主体性喪失が見え見え↓・・
 △大先輩の84歳自立して経営コンサルT−I社長の質疑では、野次と議長のそっけなさに「冷たくなった会社」に怒り・・。
 △総○屋もどきに、迎合し「ギ゛ジシンコウ」大声はOBのN-Mだが、相変わらず男芸者生活の様子だな。
 △どうして原稿簿読みするのか?原稿はあって良い。もっと心底から自分の言葉で説明・口説く努力をしないのかな!
 △経営をより良くするための改善意見提起をする論客はいないのか。I−Mのゴマすり応援質疑も新鮮味もなし
 △ともあれ「二時間余りで、一年を暮らすよい男」に成りたっかったら成ってみろ・・・と楽屋話が聞こえてきそうな雰囲気である
 △「社旗」「日の丸」の掲揚は何故しないの? →PP映写スクリーンの為とか、いつも出来ない理由付けのみは上手い(官並み)。
 △財界の気力低下傾向は久しいが、未曾有の不況乗り切り時期に「活力の無い総会」が続く様では政界よりも頼りない・・・・。

株主総会にひとこと               平成21年6月22日

 6月は『株主総会』のオンパレード。経営収支と配当可否さらに役員人事と、その筋の人達と富める生活に余裕のある皆様にとっては“年末年始”みたいなものであろう。今年は100年に一度の不況と不必要な政官の煽りで各企業とも悪乗り経費削減・首切りと生々しい総会シーズンとなりそうだ。

 話変わって、三すくみの話題を思い出す♪

 議員は国民に弱い。国民は行政(お上)に弱い。行政は議員に弱い。⇒何故か? そこには「選挙の票欲しさ」「仕事が欲しい・睨まれたくない」「議会でボロを追求されたくない」それぞれに保身欲もある。

仕組み的には“選挙であり、予算と認可権限であり、議員の行政調査権”が介在し上手く廻れば『牽制』となり権力の均衡が図られ機能するのであるが・・・・どうも近頃は、メディア媒体の『世論』と言う権力と、静かだが最大陰湿な権力者『司法』が不条理な事をしでかすから困ったものだ。

 さて、この時期「会社は誰のもの?」と良く話題にもなるし最もタテマエ的な答弁で乗り切る総会が目立つのである。コイズミタケナカアメリカ妄信経済論では株主のモノらしいが、誰も信じていないし、日本の株式会社では監査機能・株主総会機能・労使チェック機能が薄弱なのである。

 つまり、日本の株式会社の首脳の頭には、家族・従業員さらに最大の協調パートナーである組合や、人・資源・情報とお世話になる地域社会やお客さまの概念が薄い。一介のサラリーマンから努力は在ろうが役員へと功成り過ぎると・・・現場や部下、地域のお客さまのお陰を忘れご自身が“うぬぼれ・過信・錯覚”するのである。

 第一『我が社』等と簡単に慣用語として抵抗無くご使用になっているが、おこがましいと思った事は無いのだろうか?頭でっかちで企画しっ放しでノーチェックの管理部門の肥大化や、地域からの信頼度が株価に投影しているのかも知れない。

 過った人権・履き違えたCSRと「表に出ない事を幸いに温床生活」を送る不条理を黙って見過ごす訳にはいかない。6月26日は不器用なひとりの男が虚像の巨像に一矢報いたいものである。さてさてどうなることやら・・・・・???。

        

 後世はひとつの架け橋、閃光を正しく歴史評価をすべきなのである。

神仏和合から世直し・平和を世界へ             平成21年5月25日

 5月24日 第5回を迎えた世界平和祈願祭が『出雲国神仏霊場合同祭事』として、大山大神山神宮奥宮および大山寺で開催された。既報のとおり昨年三年半掛かって20社寺の「満願成就」を達成したご報告を兼ねて夫婦連れで参詣した。

 松江市では12年ぶりのホーランエの帰還祭りで賑わうなか、前日(23日)は静かに30年ぶりに鉄の歴史村“糸原記念館〜鬼の舌震”を散策し松江荘で1泊し、翌早朝大山博労広場へと向う。第22回御幸御輿祭りとの合同祭とあって武者行列・稚児さん出雲神仏管主総ぞろい平安装束で絵巻再現である。

  
大山寺参道700mを進む『御幸』行列  山門〜石段を一機に登り鎮座奉納  大神山神社奥宮 黄金柱内宮での平和祈願

 平成14〜15年中国産業活性化センター調査事業において、県境を越えた山陰広域観光の必要性やデジタルコンテンツ産業・CATV島根半島イベント活用調査等々のお手伝いをしながら・・・元は一畑の「薬膳活用と観光連携方策」など地元の熱意工夫の素地があって、その『後押し』から今日では官民一体での文化観光観光事務局まで設置と発展してきたのである。
[来賓には平井鳥取・溝口島根両県知事も来賓として定番でご参加]

  
 来年度は「月照寺」での開催決定  祈願祭H17年第1回(出雲大社)〜(清水寺)〜(大神山神社)3回参加

 悲しいかな人類の歴史は戦争の歴史でもある。地球環境保全も叫ばれるが全ての汚染は戦争が引き起こしている(劣化ウラン爆弾・核兵器製造従事者の被爆・化学兵器使用など)。戦争の根源は宗教と民族に基づく諍い覇権から始まり、結果は次代を担う近隣国の子供までが犠牲になってしまう。

 自然崇拝・多神教とも言われる日本文化を形づくっている宗教観こそ、環境保全や国境・民族を超越した紛争解決の考え方にならないものか(?)神仏和合は100年ぶりに日本で出雲の国が初めてなのである。

さらに発展して国内での連携(神話サミットの開催も提案)から海外へと情報発信できるのは、地球上初めての被爆国・日本であり、日本だから言わなくてはならない責務でもあろう。

 特に広島は平和運動に対し“ネガティブキャンペーン”が強すぎる嫌いがありそうだ。新しく中国新聞メディアセンター企画の[核兵器はなくせる」や、中東学会の「暴力とひろしまを考える会」等の動向は、政局イデオロギーを超えて国民運動として連携・発展も期待するところである。

 現実は、NPT(核拡散防止条約)等の機能はあるものの、核保有国のエゴからインド・パキスタン・北朝鮮と拡大へ逆行・・・・オバマ演説に僅かな光明を求める程度では「平和・地球環境保全への道は遠い」

 しかしな、グローバル化するほど新型インフルの如く国際的な対応決定機関の充実・強化が求められる狭い地球の時代となっているのも事実だ。

 



天地神明             平成21年3月31日(千秋楽)   7 月27日(一部追加更新)

 平成12年天職と肝に銘じこよなく愛した産業活性化センターへ就任以来、お蔭様でクリエイティブな世界で「人に恵まれ」知識と知恵の融合で多くの成果と人ネットを創造することが出来た果報者でありました。ところが悔しいかなこの期に及んで「人で陥れられる」とは人生解らないないものです。

 我が人生己訓の如く「故郷」「親」「師」に感謝しながら、墓前へのサラリーマン人生最後の報告としてしたためたものです。「天地神明」堂々と生きてきた“のぼせもん”の魂として残しておきます。

 一連の理不尽な経過をたどる中で、先輩OB・同志からも「組合を動かせ」「仲介者を立てようか」とかご助言も戴きましたことに感謝しています。しかしながら『いずれは、真実が判り事の成り行きは理解戴けるもの』と信じ、あえて手を煩わすことはしませんでした。

 職場〜組合〜管理職と「他人のお困りの事態には、飛び込んで解決も図りましたが・・自分に降りかかった事には不条理と言えど解決の難しさ」を痛感しました。最後の離職辞令の日(3/30)「人間不信の極みの仕打ち」にじいっーと我慢をし、夫婦共々深夜まで義憤の悔しい酒なのでありました。


◆3月30日のブログ “のぼせもん日記”「辞令1通」に記載の通り、個人への中傷誹謗でなく職場実態の事実を忠実に記録し、企業倫理と職場民主化のためにも、二度とまた別職場であってはならない『人権とコンプライアンスを正す』ために関係者は実名で記載します。
                          ◇H22.2.4 トップ会談をふまえ『人の有り様』としてイニシャル表示としました。



                             これだけは言っておきたい! 

               腐った職場「CIIC」の真相報告

   [目次紹介]

   ○まえがき
     「終り良ければ全てよし」と言うけれど・・・・・
     上司は「選べない・使えない・頼れない」          資料No.1(産業支援機構の将来構想)

                                        ※「理事」定年後、一般的には継続だが⇒異例
                                          統合・嘱託雇用で「企画部長」⇒「担当部長」降格
                                          (高須司登会長との約束〜統合後の戦略)
     「自宅勤務」と言う追い出し
     組合とOBのお世話が気にいらない             (※この項については問い合わせが多い・・・)

             組織統合に『責任と魂」は誰が継承するのか(怒)
           (H18.4記念披露式典は済ませたものの・・・・)
                 
   第T章  創造センターの終焉は人的崩壊から
     軒を貸して母屋を取られる活性化センター
     財団(護送船団)をわきまえろ
     周到なパワハラで排除へ                   資料No.2(職場でのパワハラ事実の記録)
                                        <H20年2月〜12月16日>業務・会議録
                                        〜
S-T部長の嫉妬・羨望の背景〜

     「取るに足らない話」=真夏の悪夢のはじまり       資料No.3(地域再生事業提案)

      ◆H20年7月24〜25日 「PFI事業の地域経済波及調査」のため兵庫県八鹿市へ
       委員会(Y-H教授以下10名)構成による先進地視察=中山間地域交通便配慮しバス借り上げ
       視察〜現地調査終了・挨拶後・姫路送迎の帰路時和田山駅にて3名が(T・K・Y)下車(後行程旅行のため)
      ◆H20年7月29日AM8:45分S-Tの「激怒と告発」が始まる!
       『センターの名誉を汚した』???・・・私は、発言内容が理解出来ず「行動は常識範囲である!」と主張。

                                        <不適切行動との一方的指摘〜反省文を提出せよ>

                                   『職場会議で話し、弁明もしましょう』の申し入れを無視し
                                     〜 S-T常務はO-Y専務・S-S会長へ即告発〜

    
 ※「職場会議」へ差し戻さないのは何故か(!)  「嘘電話がばれる」「不適切理由の捏造暴露が恐い」

                                       城代家老職たるO専務の器量、判断能力の無能を露呈
                                       CSR(電話主不問)を盾に事実確認・糾弾会へと一機に運ぶ

     
・・・・『S-Tの陥れ』を実感するも、私の行動の正当性を確信して受けて立つ決意をする。

     裁判官になれない会長は“裸の王様”          資料No.4(8月29日自宅勤務報告)

                                       S-S会長「電話の有無・主が誰かどうかは問題外」と発言(!)
                                       一般論と個別実態の解決手法・判断が迷走し「処分」ありきで
                                       直属部下の言質のみで動く=官の体質〜部下の責任で逃げる。

     引くに引けない処分理由と隠蔽工作            資料No.5(職場環境改善申し入れ)
                                       ○調査活動の常識範囲内の対応を主張「事務局を空にしてない」
                                       △S-T自身が自白して電話の嘘がバレルと論点のすり替えに!
                                       <今度は反省が足りないと指摘〜管理職不適の糾弾へ>
                                       
※吉原の「正当性の主張」「真実暴露」が恐いのが丸見え。

    
□本文より抜粋□

  2度の「自宅勤務」  8月(8月22日〜31日) △懲罰条項に「自宅勤務」は無い。
                                   一般的には謹慎・出勤停止を意味する。

    9(910日〜30日)

                      ※「処分に服し」〜「宿題提出」=屈辱と世間体に耐えながら『必ず理解される』・・信念で!

仕組まれていた「出勤に及ばず」    10月3日9:00〜 S-S会長とO-Y専務(副社長室)

101日の提言書に目を通す事も無く「下期の作業を相談する」と言いながら相談なしで
『厳命書・誓約書を準備し捺印を迫る』
まさに、強引なやり方には有無を言わせぬO-Y専務・S-S会長である
                        (
S-T常務の作文によるか?)

    106日よりH213月末  「自宅勤務」は確定準備されていたのであった。

 正当な理由もなく「解職」には出来ない。本人も辞職する気は無い。・・・・・給料補償をすることで
 『職場での真実暴露・不当労働行為等の告発外しのためにも出勤を停止することが、恐怖から逃
 れると判断したようだ。

一連の陥れと「処分」は、一人の人間の生涯をも狂わせる「残酷なものである」

地域発展と産業振興に熱意を持って具体的成果を積み上げてきた吉原の実績を評価するでもなく、
また、取るに足らない因縁を付けて第二の人生を閉ざすに等しい仕打ちは残酷なものである。

       怨みと怒り爆発!  人でなし!  S-S O-Y S-T! 

                                               (この項本文16ページより抜粋)

     
※パワハラ実態の記録提出および「センターの喫緊課題解決策」を
     提言するも===実態の公開を拒み抹殺⇒吉原を「処払いへ」と動く


                                
・出張禁止 ・会議への参加禁止  ・総括担当を剥奪
                                       ・他のプロジェクト担当変更 <職権の乱用もはなはだしい>

   第U章  持ち込まれた「乖離と錯覚」の中電体質
     大局 時局観の見えない役員の就任           資料No.6(CIICの歴史的評価と統合後の課題)
                                         ・各界有識者によるCIICのミッション合意形成を図る
                                         ・内向き、マニュアル管理職では世間は動かせない・・役員就任
                                          (昔から通シン・原の字の技術屋はクリエイティブは不適の声)
                                       <活性化センター発足・歴史・課題・統合目的を明記>

     人権・労働・民事弁護士の見解               資料No.7(経済的自立と持続のための調査研究)
                                        ・統合3年目の行動計画具現化が最大課題!推進力が重要!
                                        ・大学、シンクタンク連携方策案も提示し『推進』を提起する。
                                       <戦略思考と具体的行動計画構想にヤッカミと足を掬う卑劣さ>
                                        

                                       ◆「目には目を」こちらも弁護士と相談の自衛策をとらざるをえない!
                                         [10.4 14:30 弁護士相談]
                                         『公益・大企業グループの一職場とは言え、腐った職場
                                         ですね』「腐ったモノは治らない」
                                         
・・・田中弁護士発言をそのままタイトルにしました。・・・

     「辞職」を言わせるための究極のイジメ           資料No.8(H20年度下期活動企画書)を提出し下期計画を
                                        会長に提出するも・・・・
                                        <会長・専務も今さら処分した手前「引っ込みがつかない」〜
                                         職場で“正論バトル"は困る→職場から追い出しへ>


     ・・・「辞職」すれば、正当性の主張の場を失い、且つS-T常務の
        恣意的陥れに対し全面敗北となる。負けられない決意を固める・・・

 
                                      ※現実に、某上司を通じて「君の性格からして持たないだろう・・
                                        キッパリ辞めたらどうか(?)」との誘導し掛けもあったのである。

   
第V章  遠い再建への道「ビジョンと人の喪失」
     許せない愚策の数々  8項目               ◆「なりふりかまわぬ、イジメ攻撃に終始するS-T常務

                                       ※辛辣な職務外し、陰湿な過去の成果否定に奔走へ
                                        ○別法人格を持つPFI推進会議事務局への越権人事
                                        (総括の吉原を外し、S-Tが就任=吉長会長に相談も無く)
                                        ○ATACひろしまのNPO法人化申請に際しては
                                        (要請があり内諾済みの吉原監事就任を職員終業規則を
                                         持ち出し「兼職禁止」で廃案へ⇒結果申請延期に(怒)
                                        ○加えてATACに事務所追い出しを通告
                                        (理由:特定の団体に便宜供与の理由が立たないから????)
                                        
※歴史経過も支援機能の自覚無し=F顧問も呆れてしまう。
                                        ○総務企画機能は喪失
                                        ○年間計画の推進力低下等々

   ○おわりに
     さらば中国電力・創造センター                                             
                                       資料No.9「さらばCIIC!期末報告」を提出
                                        ◇第1章   CIICの評価と展望
                                                T期〜V期会長毎に総括・コメント
                                        ◇第2章   全国情勢とせめてもの責務
                                                地域目線の必要性・ミッションの確立
                                        ◇第3章   今後の行動計画
                                                内向きの仕事では地域の期待には応えられない

                                        「一市民・株主として徹底的に悪徳役職員の追討」を決意

                                          ※以上メール送信可(Eメールアドレス参照)

 ※H21.3.30  12:35 S-S会長に自宅より「非人道的な辞令交付・送別につて」電話確認する

    ○「辞令交付、感謝状・報奨の件について、どうしても納得できません。人の道をは外れていませんか?
    △「私は、、“事務方に(官僚が良く使う言葉)、図った事であり、事務方の結論をを認めたことです」
    私は、再度「その理由と人を送る非礼なやり方にどうしても納得できません。はっきりと会長の説明戴きたい」
    △「もう、お話する必要はありません。私は忙しいから・・・」と電話を切られる。

 ◆恐れ多くも中電副社長兼CIIC会長である。
 ◆また一人の理解・支援者を失ったばかりか、敵に廻したのである


                               ◇保存資料一式

     録音テープ 全5巻   (8月1日 上旬  8月21日 9月1日 9月9日 10日  10月3日〜4日弁護士見解)

     告発文書(抗議電話の嘘等、1ヶ月後、自白や言い換えが目立つ・・・・・原文)
    
     不適切行動のお詫び文書(事実調査、委員長の見解も聞かずに委員・団体宛てへ文書発送:S-T常務名)

     報告書提出命令文書(発足以来の行動記録の提出、離脱後の一部始終の報告提出命令:O-Y専務理事名)

     書留内容証明郵便物(H20.8.8付け ブログ記載内容削除 警告書  S-S会長名 第83714号)

     注意(処分)(H20.8.21 職務の放棄、迷惑を掛けた、センターの信用を傷つけた厳重注意 S-S会長名)

     「地域発展への期待を込めて」(H20.10.1全13頁におよぶ提言をまとめS-S会長宛て提出)  

      ※この提言について「話し合う約束」(会長確認)を反故にし、6ヶ月自宅勤務の処分通知

     【人権問題抵触・コンプライアンスを履き違えたもの】

     ○厳命事項 文書(10月2日  4項目による厳命書==重大な人権問題あり・・・・・S-S会長名捺印)
    
                       各事項に抵触あれば在籍はない        (解雇するぞ!脅し)
                       @就業規則を守る                 (当然・厳命を含む!
                       Aセンター内の情報を外に発してはならない (真実暴露は困る)
                       B独り言・指差し、ニヤニヤ・・・しないこと   (一緒の仕事は嫌だ)
                       C電話主・告発者探しは絶対禁止       (自作自演がバレル)

                ◆役員管理職ならびに実行責任者名
                         ○会   長    S-S(中国電力副社長  兼務・非常勤)
                         ○専務理事    O-Y(中国電力 顧問   専任か?)
                         ○常務理事    S-T(中国電力 出向   嘱託雇用)


      ◆弁護士=「効力は無い。あるまじき職場管理(人権・労働)の実態が問題」公益事業体の軽重を問われる。
             告発〜示談=主たるスポンサー会社の中電は長期裁判慣れしているから、逆告訴(名誉毀損等)
             は常套手段である。
             告訴期間を保留して雇用期限と裁判期間を鑑み「当面雇用確保が得策」との結論へ。

      ◆従って雇用期限(H21.3.31)の到達まで、一切公開しませんでした。離職送別の日における「非人道的な
        役職員の仕打ち」を受け堪忍袋も切れ『事実記録は実名を持って公表する』事を決断をしたものです◆

      これが送別の日だった

        ※3/30 危機一髪「我慢に我慢をしたから・・結果良かった」実に“暴力扱いに陥れ警察沙汰に持ち込まれ
         そうだったのである。

         「異例・特別の扱い」とした、退職辞令の謝意のやり方に対し、私は専務室に行き「事の説明」を求めた処・・・・
         ----「もう、何もありません」との事。  〜表彰規定に該当しない等S-Aが口を挟む???〜
         「帰れ!。退出せよ!。」「おかしいよ。理解できない」とO-Y専務とのやり取りで、小柄なS-A事務局長(?)
         に被さる如く「お前に言われる筋はない」と私は激怒、鼻息が掛かったところで、即!マッテマシタとばかりに?
                 
「殴ったデスネ」     ←触れもしないのにすばやい反応にビックリ
                 
思わず私は『???????』・・・・・            (殴られるのを待っていたのか????)
         ・・・・・・ははぁーん! 仕組んでいたなととっさに直感し、ここは引き上げるに限る!
                                  (S-T常務は別部屋、顔を出さず----ナルホド)
         おそらく指先一本でも触っていたら、連中は暴力事件として『一発逆転・逆告発し、形勢逆転』
         持ち込んだであろう。 ・・・・・・「危機一髪」の瞬間であった。

         [注=通常なら、退職辞令交付は専務室→応接セットで役職員と懇談→会長へお礼挨拶だが・・・・
            会議室で交付→「では、これで・・・・」と用無しの姿勢。⇔初めから“怒らせる”シナリオだったのだ]



     ○10月6日以降の勤務・行動に関するメモ
              (センターからの情報一切遮断。休日の会社立ち寄り禁止。親睦会への参加をさせない
              [会費徴収取りやめ]。 会社からの個人貸与PC中止。事務机は無し、出勤は会議室とする。
              自宅での宿題は全国情勢の把握とする月例と期末の報告etc)

     ○誓約書の提出(H20.10.3会長室にて“頼むから書いてくれ”(?・・)との要請で提出した=弁護士「効力無し」)
                                 〜明らかに、誰かに頼まれ!自己判断能力無し〜


     ○人権・労働・民事の公的相談弁護士との相談メモ(雑記ノートに対応メモ)
            
              ※弁護士曰く「充分な証」として有効との判断   資料保存とする。
 
    

 燃え尽きてしまいますか!  地域の信頼は得られますか!   地域や現場の声が全て活動の源なのですぞ!

◆H21年7月27日現在◆
    
あれほどまで権力を嵩に攻め立てた卑劣極まりない男達よ!内容証明郵便でHPの削除・訂正まで迫り、三度の不当処分までした役員管理職よ!
(H20年7月〜H21年3月末==(財)ちゅうごく産業創造センター・中国電力関連団体)

このHP・ブログの実名公開の事実実録に異議も抗議もない。4月〜6月の間職制在任中はもとより・・・退職後のひとりの人間としても・・・。
虚偽告発、人権無視、労働弾圧の不条理がまかり通った異常は過ぎ去ったこととは言え「生涯消えはしない」・・・盛者必衰も不正義ならば尚更だ(怒)

◇CIICH21年11月16日についに組織的に『人権侵害」を惹起する◇

 内容証明郵便で講演会参加阻止の通告し、会場受付で「偏見に基づく騒乱の予見を突きつけ」入場の条件を示し断る。
直ちに、法務局人権相談委員会に『上申』し、M-M会長^面談の申し入れをする。


侮るなかれ!           平成21年3月22日

 看板の顔としてその気にもなっていた解散風が、支持率低迷の中で麻生総理にとっては『神風?』にも思える未曾有の経済不況のお蔭を理由にジリジリと任期一杯ぎりぎりまで椅子に座れそうである(国民生活より政権維持が丸見え)。

 国民を愚弄している税金の無駄遣いとバラマキの最たるのは「定額給付金」と「高速道路1000円政策」である。いずれも官僚公務員の自らの改造手術をせずに、ミーハー国民は騙されると思っているようだ(消費刺激策効果NO。流通経済刺激効果NO間違いない)

 世界情勢の北朝鮮・ソマリア・米国経済破綻に、国内の経済不況・雇用悪化・TOO-LATEが続く・・この政治のパワー閉塞感打破は国民の気持ちを奮い立たせる選挙しか無いにも拘わらずやらないのは、現状絶対多数の政権与党保身と解散権にしがみついているからに他ならない。

 確かに国民の政治意識・情報収集能力も高まって来たが、これも全ては『情報公開』に帰する処大であるがまだまだ国民への開示は中央地方を問わず道半ばだ。今後財政逼迫・広域合併・公務員制度改革を通じて明らかにされるべき構造的"膿”の摘出が必要である。

 さて、春は桜前線と供に新入社員・学生のハツラツとした息吹の季節、一方前線戦士として職場で地域で活躍し後進に道を譲り讃えられながら節目を迎えるのもこの時期である。

 人様の気持ちも世間の生業も解らずパソコンと似非ご忠臣に囲まれて『乖離と錯覚』の世界にとっぷりつかってしまった不孝な桃源郷に住まいし社畜の皆さん!ユメユメ侮ってはなりませんぞ!


   

   【弁護士も驚く=大企業職場・公益事業団体での実態に「腐った職場は治らない」「勝てます」】


「文化観光圏」事務局設置の朗報             平成21年2月20日

 島根県と鳥取県の経済同友会合同懇談会後における共同発表によると、観光庁に認定された「山陰文化観光圏」の常設事務局を設置することで両県知事も合意し確定した。今後、場所や時期等を調整するとのことである。

 思い起こせば、平成15年度調査プロジェクト「山陰広域観光産業の連携・振興方策調査」をし報告会の開催・提言して以来、宍道湖中海周辺の商工会議所の連携、神仏霊場巡り縁座の会結成、8の字ルート構想等々の民間団体の連携を先行〜行政支援の形で進化してきたものである。

 当時の島根女子大学藤岡大拙・鳥取大学光多長温教授のご指導を得ながら山陰経済研究所・エブリプランのシンクタンクの皆さまの尽力は大きい。当時の提言内容は先見性は元より具体性をもった政策反映が着実に反映・実現されているのが何とも嬉しい事である。

 文化歴史回廊形成をコンセプトの柱に(情報発信提供・旅行商品開発・交通インフラサイン整備・受け入れ体制強化・・・)さらに、推進事業体の構築は(民間事業体の結集、活動核づくり・県境を越えた連携・行政の効果的支援・官業開放の推進・・・・)等々、少しあつかましい言い方だが地域資源活用による両県を一体化接着させるための超広域観光の教典である。

 代表幹事のコメントは「本格稼動のきっかけづくり」とあるが、是非とも天下りや腰掛的な人事配置をすることなく「熱意と行動力」のある活動家の体制を望む処である。

 東北3県観光推進協議会〜青森恐山〜青函トンネル駅・・・・PT調査活動プラス個人学習旅行も貴重な体験であり肥やしとなっきたものだ。あれから6年の歳月を経て、懐かしいのぼせもんメンバーも分散してしまったが、・・・・・この朗報を聴いて何人が喜びを感じてくれるだろうか?。

   

勝てば官軍、負ければ賊軍か?         平成21年1月24日

 だから「結局は、理屈抜きにすべて正しいこととなり」結果して保守的体質が残り改革・進化できない。サラリーマン社会では『人事権』のみが唯一最大の権力行使(虚偽・捏造・横暴・やり放題では困るのだが・・・・・)によって『官軍になりうる』のである。

 長期保守党政権が澱むのと同じく、単品商売で独占企事業体にしても共通項は『官僚支配と互恵関係の維持』で国家的保護政策でここまできたが、中央も地方も限界を迎えている。

 国民・お客さまの目は、両者に共通する「道理が引っ込む手法と体質」に我慢の限界を感じた。つまり官僚支配からの脱皮・国民生活中心の政治でありライフラインを国民の手に戻すべく声となってきたのである。

 地域振興や地場産業発展の期待を担うべき産業支援団体もしかりだ。「目線がずれてはならない」つまり官僚体質や大企業病に陥ってはならないのであるが、組織は人なりで人事によって一転するのが現実だ。

 不条理な仕打ちがまかり通って、官軍気取りで「悠々と第二第三の天下り」に現を抜かす“賊軍を黙って見過ごす訳にはいかない。熱血弁護士の助言に曰く「ここは道理が通らぬ処なら---腐敗は治らない。後で○○○してやりましょう

 今は沈黙止む無し、いずれは真相を明らかにせずして死ねるものか(怒)⇒S-S・O-Y・S-T
2月〜6月人事は注目である。



生もの談義「さらば2008年よ」            平成20年12月14日

 久し振りに、昔の職場オルグの夢を見た。懐かしくもありやや自惚れも許してもらうとして、組合専従〜現場管理職時代では「予見」が現実味を持つ事に自負し恥ずかしながらら己の話に酔ったものだ。

 CO「現場は生ものなのです。放っておくと腐るのも早い。しかし鮮度を活かし料理如何で抜群の力を発揮します。だから熱意ある管理職は現場で能力を発揮するのです・・・・・ところが、次第に全社モードが本店集中管理会社化の進向により、一昔より人間力を失い始めています」

 QM「経営・管理部門はどんなところなんですか?」 CO「乾物商品社会でしようね」QM「素晴らしい分析や方針、指導がなされますが・・・」

 CO「賞味期限付きだから、保存と見栄えで高価商品へのアピールに懸命。お客ニーズやクレーム処理は現場がしっかりすべき事、霞ヶ関官僚こそが経典(?)。後はパソコン・バーチャル世界だから・・・目と目を合わせる意思疎通も減る。つまり『錯覚と乖離』に陥った経営管理層グループになってしまう。

 QM「どうすれば?」  CO「簡単な事です(!) 現場と一体になってお客さまと地域に目を向ける。地域有っての企業だから・・・。隗より始めよで、店所長会議のやり方を逆転すれば良い「通知徹底でなく悪い話を聴くことよ」さすれば隠蔽捏造も無くなり、ましてや「真相は何かが解る」んだよ。

 平成12年、産業経済支援団体に出向以来ますます「地域・学識・官庁の各層と課題抽出〜方策提案〜仕組みづくりの合意形成」と知識と知恵のコラボレーションに活き活きと“のぼせもん人生”を謳歌した。

 時は流れて2008年。「さらなる発展をめざして」の事業記録は踏みにじられ、あげくの果てに想定外の乾物役職集団による不条理な仕打ちだ。
「だから出る杭は打たれる・・・社蓄教育の落伍者なら金鵄勲章ものだよ」とは、中国経済連合会の会員社長さんの言葉は痛烈である。

されど「終り良ければ全てよし」の言葉は堪える。「さらば2008年よ!」

                      

経済まで破壊したのは?               平成20年11月17日

 ドルを基軸通貨に戦後体制を固めたのは、1944年7月英米による経済覇権を競ったあげく決めたもので、爾来64年の歳月を重ねること米国は軍事・経済・政治の分野で世界の警察・ご主人役を務めてきたのである。

 某国坊ちゃん総理は『100年来の不況の嵐』と認識すれど、経済対策と称して政局保身の隠れ蓑に過ぎない「定額給付金の愚策」を持ち出し(行政サイドは上へ下への混乱中)もはや自・公政権の終末期すら感じてしまう。

 一方われわれ団塊世代層は、生産性向上理論を柱に「雇用の確保」「成果の適正配分」「再生産への設備投資」の均衡をチェックしながら、実体経済に沿った「人・物・金」の経済運営を標榜してきた。ところが「金融」と言う経済活動の触媒が、あたかも自己増殖するがごときマネーゲームに走った頃からおかしくなった。

 手形経済も債権・公債も経済成長政策の再投資手段として一定の効果を認めるが、官僚の人件費と浪費に充当する「赤字国債乱発」、加えて庶民にゼロ(低)金利を押し付け、株や投資信託等へ“新自由主義”を謳歌し踊らすタケナカ・コイズミ政策の、お蔭でなけなしの退職金を注ぎ込んだ団塊世代は少なくない。

 今の経済破壊・株価低落は、金融のみならず国・会社・庶民の資産を半減してしまった。年金生活者も同様だろうな〜

 かの民社党は資本主義の矛盾を質す事も使命としていたが、対峙する社会主義体制の硬直の症状が重く、よってベターの選択とすれば「如何に自由主義経済の中で民主化と福祉社会への経済政策を誘導するか」にかかってきたと言えよう。

 生産性理論やモノづくり経済の崩壊ではない。バブルの余剰通貨が富の格差を拡大し、ドバイ現象や通貨遊びに走った極々一部の富裕層のモラルハザードが起こした金融破綻なのだ。(日本は、前回の総選挙で○○チルドレンの獄中生活も記憶に新しいはずだ)

 政治も経済も手段だ。目的は豊かさと幸福実感の社会建設なのだ。そのために苦悩し汗をかくのである。その豊かさを測る手段であり、小道具である通貨が「通貨のみで自己増殖し富を産むなど有り得ない」ことに気がつくのが遅かった。なんと人間は欲で愚かで怠け者なのだろうか。 

 一度、昔の航海時代の交易経済を思い出し、物々交換経済の原点に立ち返って“金融”と“経済”のあり方を問い直すのも必要ではないだろか。  それにしても庶民のささやかな夢を食いものにする“悪”は何時の世にも現れるものだ(怒)
           
  

マニフェストと公約               平成20年10月19日

 衆議院の解散風が吹き荒れ、各候補者の事務所も開設していないのが不思議なくらいで「解散時期の駆け引きも、世論調査の動向も無かろう」国民の民意を反映せずに総理3人目の異常な中、何も節目と大義を建てられずウロウロする所に日本の政治の悲劇がある。

 各政党とも選挙に勝つ為、票のため、己の飯喰い就職のため・・・・形振り構わず『マニフェスト」(宣言・声明)に心地よい言葉を並べる。くれぐれも『公約』(国民との約束事)と間違えてはなりませんぞ。

 某コイズミ元総理大臣は「公約を破ったところで大したことでは無い」とまで言いきった日本の政治であり、何でもありの権力・税金・権限を付託している国民は「どこでチェックし、質せば良いのか」その術を失った実感が強い。

 官僚は組織としての責任・個人への訴求を免れる公務員法の蔭で生きる『官僚天国』の歴史的事実。国家の形がそうだから官尊社会の最たる大企業にあっては体質が同化されるのも無理はない。特に創世時期知らずの既製制度に乗っかる経営者たるや目も当てられない。

 私は声を大にして叫んだものだ。「あなたは、言葉で信じますか(?)それとも実績で信じますか(?)」

 選挙もしかり、人事もしかり、評価もしかり、真実と信頼は“一通の断片的な言葉でなく経過と実績”をしっかりと把握することにある。
70年の社会実験をした左右の全体主義・一党独裁の政治体制の悪も証明済み。社会責任を果たさない悪徳食品会社もそうだった。

 温故知新を冒涜する“アキハバラ的”政治家・経営者・管理職が幅を利かすようだと、持続発展の望みは薄いと言わざるを得ない。
                                                                            南無阿弥陀仏


目的と手段              平成20年9月23日

 多くの人が否定しない、出来ない生業や言葉として「平和」「安心」「改革」「正義」等々・・・・そうです希求する願望であったり目的として誰も否を唱える者はいないでしょう。

 ところが、希求目的を強調(絶叫)して大衆を煽動したりマインドコントロールを掛けて、その手段やアプローチを誤ると結果して混乱と不信を招く事に気がつかない。

 小泉政権の5.5年は、日本列島が劇場政治となつてしまったが、考えてみると田中角栄の日本列島改造論旋風と騒ぎは同じ様に見える。しかし違うのは「田中は改造の手法を説き、小泉は改革の目的のみを叫んだ」・・・・議員立法叩き上げの田中とプレスリー揚がりの小泉の差である。

 さて、CSR(企業の社会的責任 CorprateSosialResponsbilty)として、コンプライアンス(法令順守の管理体制compliance)」は目的か手段かは一目瞭然だろう。企業が存続する基礎要件あるいは企業目的そのものがCSRなのだ。

 公益法人格を持つ小なりと言えど「社会責任の大きい」されど「真夏の悪夢」に遭遇し、この歳にして苦い体験したが、「真実」だけは残しておかなくてはならない。

 【騒動の概要】

      削除

  ことの真相==  厳命により削除(職権厳命により止む無く削除しましたが、いずれ明らかにします)

CSR主管部への問い合わせに対する回答

一般論のQAに対し、個別事例を題材に質疑回答を戴いたものである。

@ 電話の捏造による虚偽の告発は有ってはならない。やり方として「いけない」行為だ。

A 不適切行為の判断はCSRのコンプライアンス基準に該当する範疇とは思えない。

(業務の運用に関しても常識は社会的な厳しい要求レベルを勘案し判断するしかない)

 【対応の要点】

  ○PJ調査委員会、PFI推進会議(別法人格)の皆さんの名誉を汚したり主権を越権してはなりません!
  ○コンプライアンスを逆手に「ひと一人の抹殺」など誤った職場の業務管理があってはなりません!
  

  

「真夏の悪夢」           平成20年8月23日

 世界は、聖火騒ぎからチベット弾圧、社会格差の共産党独裁国家の北京オリンピックに注目、ロシアのグルジア侵攻と裏で進む核兵器の拡大に超大国支配が崩れつつ、その象徴的な米国のブッシュ大統領の指導力低下は眼を覆うばかりだ。

 転じて、国内では福田政権の羅針盤なき政権は官僚の腐敗と制度疲労に毒され「ニッチもサッチも行かない」政治情勢にある。方や民主党も小選挙区制度の壁に総選挙での政権交代の加速感は生まれてこない。

 こんな社会情勢でも「世の中の流れ」を読みながら、地域産業と生活圏の維持向上を目指すべきわがセンターは、昨年の支援機関構想に基づくミッション方向性を具体化し、期待に応えなくてはならない・・・・・・にも拘わらず。

 2月以降、新年度事業計画にも“具体的な組織整備と運営化、さらには後継者づくり”を示しながら『我が人生の仕上げ』つまりCIICの10年計画の始まりでもある大事な年であった。

 つくづく「組織は人なり」と思う。特に俗人的事業・コーディネート機関では『熱意・強い創造力・連帯意識』が全てを決するといっても良い。残念ながら保身や嫉妬で大局観もなくチマチマ職場管理ならしも可愛いものだが、陥れなどは愚の骨頂だ。

 7月〜8月は、まさに「真夏の悪夢」だった。取るに足らないと思いつつも、放置できない火の粉は祓うのは当たり前だ。夫婦共闘を覚悟したものだがやはり「同志・先輩の師」の支えほど有難いものは無い。

 悪夢の中味は、『のぼせもん日記』に人生の山や谷のささやかな記録としているが、まさに人生塞翁が馬である。


どうも納得し難い                                   平成20年7月21日

 この年になって、なんら抵抗無く「理解していた(?)否、納得までしなくても“そうかな〜”と諦めていた』事が、妙に気になり納得し難くなるものだ。最近も竹島問題の教科書記載をめぐつて韓国側の過剰な反応は、何時もの事と想定内の見方だったが『根っこは何だろう(?)』と気になる。

@北朝鮮の日本人拉致
  悪事を働いた泥棒が開き直って、条件を突きつける。大の大人達が寄って「制裁で質すかと思えば、手前の弱み(核兵器保有)から、悪の中枢呼ばわりどころかテロ国家指定解除まで言う始末。人権を叫ぶ国が『ヤップ差別の中枢』でありながら戦勝国として同盟・友好国の振る舞い、「拉致を忘れない」どころか、世界に人権無視の種まき(?)までしている。======納得しがたいな〜=====

A領土問題
  北方領土は、戦後処理のドサクサまぎれにソ連が不法に乗り込み奪った我が国の領土である。樺太までとは言わない我が国の領土の『目と鼻の先』で歴史遺跡からして日本固有の領土だから「返還」して当たり前。竹島は江戸時代から日本領土として近隣も認めた領土。李承晩政権が勝手に線引きし主張し問題化し始めたもの。魚釣島、中国油田採掘にしても敗戦国日本は、余りにも主体性を失って言うべき事まで言わぬ腰抜けになった。主体性の無い外交は無用・喧嘩を恐れて国を守れるか(!)===納得しがたいな〜==

B過ちは繰り返しません・・・
  主語が無い、誰が誓ったのかも不明な文言である。また8月6日を迎えるが、人類史上初めての核爆弾による無差別殺人を行ったのは誰だ。国際法で裁かれるべきは明白ではないか。8月15日第二次世界大戦の敗戦を「終戦」と曖昧な言葉で戦後処理をした官僚・政治家たる指導者の責任感覚が、今日の無責任官僚国家の基盤となったのかも知れない=====納得しがたいな〜====

   ※国民を欺くような解りづらい官僚用語・文章使い方の辞典をお持ちの方にご教授戴きたいものだ。

   


国連機構を広島へ「夢」が動くか(!)            平成20年6月21日

 H20年6月20日、超党派議員たち16人による「日本に国連・国際機関等を誘致する議員勉強会」の初会合が国会内で開催された。代表世話人中川秀直、他に鳩山由紀夫、森喜朗、安倍晋三、大田明宏、高村正彦、穀田恵二と与野党の議員16名が参加している。

 目的[被爆地広島に平和構築や核廃絶・不拡散など世界の問題に対処する国際機関を誘致する] 今後、誘致を目指す国際機関の具体像など提言、9月の主要国下院議長国会議に働きかけるとともに福田総理も国連総会で正式表明するように求める。

-----政治の世界だから当てにはならない不確定要素が多いが、政治が動かねば実現不可能な懸案だけに期待は大きい。---------
          
                     何故ならこの発案は吉原提案であるから是非実現して欲しいのである

 平成13年9月14日  

 旧中国産業活性化センターの調査事業テーマとして、広島の中枢的活性化策「国連平和機構本部」の設置可能性調査として提案。採択事業に落ちたが、引き続き連続応募し中国地方の「光と影」の調査で提起する(櫟本教授 委員長)

 平成14年調査プロジェク

 中枢都市機能調査の中で、広島市の中枢機能の強化として「ネガティブな平和運動の脱皮」「積極的な国際都市機能づくり』 の観点から国連機能のアジア地域で日本の広島に誘致することを論議する(大構想過ぎて別項調査との認識へ

 平成15年タウンミーティング広島会場

 川口順子外務大臣に「地域発信の地域活性化都市づくりとしても、また平和外交の柱として、人類初の被爆地ひろしまとして是非広島市へ国連平和機構部を誘致できないか」と提案。悔しいかな大臣答弁は「よく理解できないが、今そんな考えはない」と一蹴された。→後にタウンミーティングの過剰な開催運営費が暴露され縮小へ向うことに。

 平成15年笹森連合会長に協力支援を要請

 一連の調査資料・構想メモを付してあらゆる機会をとらえて発言醸成作りのお願いをする。なかなか多忙のようで感触の情報等は戴けなかった(東電労書記長時代からの仲間だが、政策推進労組会議までが華、連合では力量発揮できず)

 平成16年6月 日経連中国地区懇談会にて 

 西室泰三副会長(東芝会長(後に東京証券会長へ)と懇談で激励を受ける
              @すばらしい発想だ。夢は100回喋る積りで発言を続ける事だ。必ず実現するものだ
              A問題は、誰と組むか?実力者はいますか?    △岡山の平沼赳夫元通産大臣くらいかな〜
              B日本のODA予算は少ない。使えないだろう。国家プロジェクトにしないとネ       とのアドバイスを戴く。感謝です。

 平成18年4月  世界都市「ひろしま」の再生案

 このブログでも提起したが、IDCCからCIICへ組織統合となりなかなかアピールできにくい環境変化となる。
  [参考に転記しておこう]
 世界平和都市「ひろしま」平和公園と隣接して球場跡地に『国連アジア本部』の設置をする。西風新都は外交官高級団地の集積地域とする。OD Aの国内投資と外交官の交替・パーティ経済効果は大。人口減少県の最大政策となる。なお、合同庁舎隣接国有地の空き土地 の無駄排除としてもやるべし。(従来の平和運動からの脱皮!)
 
 中国経済連合会の諸会議をはじめ、生活圏経済圏調査の委員会、最近では道州制・地方分権論議等でも提案・提起をしてみるが「夢のような話」としか写らないようである。

 つくづくと「何を言うか。内容では無い誰が言うかが重要である」ことに悲哀と力不足を痛感・挫折の連続であった。

 こうなれば、形や動機をこだわることもない。夢の実現に進むことなら全面的に支持・協働したい。



事業承継に想う                平成20年5月25日


 6月には、当センター主催の産業講演会と銘打って童門冬二氏の講演会を予定している。同氏は歴史学から現代の経営戦略、人材育成、経営哲学等について歴史に学ぶ形で「示唆」を与えられる。

 恐らく、今度も講演をおさらい的に確認しながらの聴講を楽しみにする一人である。特に毛利元就の「番傘(経営)と連合政策」の分析は中国地域の民度体質に残っているかの如き話として面白かった。

 リーダーの6訓として@先見力 A情報力 B判断力 C選択性 D決断力 E実行力(体力) を挙げられる。何もトップ役職員でなくとも「男なら」大なり小なり備える資質として求められる事ばかりだ。

 さて、己の磨きのみならず「人を見抜く目」つまり後継者を選ぶ時にも当てはまることであろう。ただ後継者に相応しくとも側近として遣われながらも3人の天下人(信長・秀吉・家康)に嫌われた戦略家・知恵袋「黒田勘兵衛、後の黒田如水その人」も知恵も野心も備えた人生も珍しい。

 知恵も策もずば抜け多くの功績を挙げながらも“油断ならぬ恐さ”を見透かされ(あるいは誤解を与えた)たのは不運かも知れない。晩年福岡に居を移し悟った如く名を”水の如し”としたのも己の人生を照らしてのことだろう。

 ところで、社長交代よりも人事権を手中にした時に『誰を抜擢するか?上代家老職に誰を配置し事業承継を図るか?』見モノであり人を見る眼を測ることとなる。その中に社長候補あり、あるいは功績報奨も推察され門外漢にはなかなか面白い。

 2年前、晴天の霹靂後2〜3年の猶予は止む無を得ないが、旧態打破にはじわりと人事を断行するに限る。今年も6月株主総会を迎えるが「内向き・お小姓努め」で手足も汚さぬ公家役員はお引取り願うのが待ち遠しい。

 何故なら現代社会では、会社・実業界法人は個人経営・団体ではない。公共社会の共有財産運営に奉じる「役職」に出身元会社の学閥・確執・贔屓で仲間作り(情実人事)をされては地域やお客さまのためにならないから・・・・(世間の目は厳しい)

 


地域コミュニティ               平成20年4月27日

 輪番制だから町内会の役員(14戸/106戸(7丁目)つまり班長の役目は果たさなければならない。特にフルタイム勤務の仕事を理由に「家内任せ」であった町内の付き合いもどうやら“公園デビュー”よろしく自分に態よく押し付けられてきた。(団地創世期以来の役回り)

 超々民社的手法の知恵となっているのか、班長同士8人による会長・副会長・会計・衛生委員・体育委員等々『くじ引き』で決定する・・・その後の譲合いで役職変更はあるものの最終的にはアキラメで落ち着く。

 今年は、家内の義母介護で手をとられる事情からおのずと外回り・伝票処理等自分にお鉢が廻ってきたが、不思議なことに同じ役が重なるものだ。7丁目の会計はクジの結果として、社会福祉委員を兼ねるとかで、その委員会でまたまた会計を押し付けられてしまった。

 引継ぎの大きな鞄には昔からの帳票・領収書が一杯・・・・帳票の保存期限等定めが無いから誰も次への申し送りしているようだ。会費の徴収・領収書の発行、出金処理の報告回覧等々コマメにやれば切りの無いこと・・・・・どまでやるか加減のしどころである。

 期初めと不慣れは別として「町内の人を知らない。活動内容に無関心。世間には熱心な世話役の多いこと。中には箸にも棒にも架からない。いろんな人との出会いがある。話の結論まで時間が掛かる」等々、今更ながら『気長に付き合う』しかない事に気がつく。。

 役員が廻ってくると『旅行どころではない」そうだ。そうなると旅行も山登りも減るかな・・・。それにしてもカンパ金を集約しては再配分し活動補助金として再配分するなど民間ボランティアや自治会任せの行政サービスの態の良い官から民へのズルサも垣間見える。

 自治会連合会とコミュニティ推進協議会の二重構造など・・・組織と金の配分の屋上屋も見受けられる。行事も住民意識やニーズを掴みながらやらないと下の役員住民はコミュニティどころか(?)コマルティが本音となりかねない。

 地域活動(町内)も産業支援活動(CIIC)も同質だ。次の世話人と企業・市民の皆さんがやり易い仕組みづくりを改善しておくことが出来れば良しとしよう。その為の1年は自分への勉強と思って久し振りに「チョウナイカイ」を勤めましょう。




CIICの組織整備に『魂』を                   平成20年3月23日

 いよいよ4月1日より、当センターの組織見直しと新人事の発令をすることとなった。組織統合して3年目を迎え、自らの手でイノベーションを図ろうと意気込んで来たものの“どんな機能組織を作ったとしても、最後は人だ”。
 
 その為に、論議検討の過程では可能な限り現状分析と改善点について小グループ毎に意見交換し「問題と対策を自らの課題」に受け止めてもらう様勤めてきた。場面では心を鬼にして罵倒もし・一緒にやろうと仲間を増やそうと酒も飲み激励も仕掛けてきたものだ。

 ライフサイクルの幕引き、とりわけ残り1年の雇用期間中(満63歳)に軌道に乗るか確かめもしておきたい気持ちで一杯である。妻には「老兵は静かに去るべし」とたしなめられもするが・・・・・アスリートは「最後にバタン」と力尽きた走りをしたいものと内心思う今日この頃である。

【私の込めた思い】

@専務理事には、大局的マネージメントの出来る電力役員の配置を望み、今後の地方部局・スポンサー企業対策に「重しと説得力」を発揮する。
Aスタッフの常務理事3名は、機能部門の総括マネージメントの力量発揮と他団体機関との「前裁き能力」の勉強と体験を積んでもらいたい。

B新設(イレギュラーながら暫定)の総務企画部担当には、時局認識に立って早め早めの計画準備・根回し・調整に全力を傾注すること。
C管理法人団体として法人会計の厳正管理と会計業務の簡素化をすべし、その為の専任ライン化にした主旨を判ってもらいたい。

D総括部長制については、上下間の意思疎通マネージメント能力要請の期待に応えて苦労してもらいたい。出向人材の育成層に位置づける。
E調査能力の向上は、中総研との業務提携による基礎資料管理・追跡の実績作りで『見える形」を是非実現しプレゼンス効果に繋げたい。

Fプロデュース専任グループは、今回の目玉だ。人事配置に見込み違いはあるが「形から育成へ」の気持ちで熱意をもって挑戦してもらいたい。
GCIICのミッション制定にこれ程時間と論議を掛けたのも「使命を自覚しない限り」単なる電力と経済局の一機関に成り下がってはならないからだ。

H打って出る機能・地域から信頼と頼りにされる機関となるためには『人材の成長』なくして有りえない。肩書きより「何をするのか」を尺度にせよ。
I「やろう思えば、いくらでもテーマはある。おってなんぼなら、それでも過ごせる」つまり『やる気の無いものは去れ』何故なら地域活性化にならん

皆さん「改善・改革」の目で「よりベスト」を求める気概を持って仕事をすることだ。プロパー職員も同様厳しく(!)また楽しく・メリハリをつけて頑張りましよう


  


21世紀の不安                平成20年2月24日


 国際的には=====地球温暖化の進行は事実としても地球誕生46億年(生物誕生2億年)の超々時間軸の中で、地球上に人類のみ生き残る前提で海水面上昇・CO2問題・生態系の変化等余りにも不安を煽り過ぎではないのか(?)

             戦後、経済成長期に化石燃料40年枯渇だと大キャンペーンを貼って、結果経済構造の急転換やあのオイルマネーの一部の富豪層を生み結果して国際株式市場を混乱させかつ金融資本自由化でA&M等と会社買収・弱肉強食の経済を社会の流れを作ってしまった。

             この間、無用の軍拡と宇宙開発競争の資金経済圧迫から米ソの冷戦終結は、自然の流れとして「世界の重し」を外した。ところが世界の各地で宗教戦争・エネルギー戦争はくすぶり続け、列強国に対する反発は非情なテロ集団に媚する小国の動きを生んだのである。

 アジアと日本では====未だにアジア国家間において、第二次世界大戦の終戦処理(東京裁判の不合理)の傷跡を「しこり」に、半世紀にわたり国策として反日好日の政経算盤外交の使い分けに翻弄されっ放しとなり、日米アジアのトライアングルの一角を占められずに単なる金稼ぎ国に過ぎない日本の位置づけとなっている。
              
              特に日本は、無資源国ながら勤勉と武士道精神の歴史と文化を糧に「和の国」外交展開を謙虚に開国したにも拘わらず、国際社会の多民族・宗教・資源戦争の荒波での航海にはしたたかさ不足から、結果アジア・日米戦争の不幸を歩んでしまったのである。

              問題は、21世紀を迎えどう国際社会の中で日本は生き延びれるかである。まずは食料・エネルギー・防衛の基盤国力の自立化だ。そして無資源国に有っても教育・技術・経済面での人材力の発揮による他国への貢献力を出せるかどうかしかなさそうだ。

 その優秀な民族国民の誇りを生かすも殺すも『国政の舵取り』が重要だが、“二世・利権・タレント”の議員に「血税と政策」を預けられる国なのか不安の多い21世紀である。

'08.2.28「earth」鑑賞 40億年の奇跡の星" 地球”の生態系は『人間が守れのか』

新年への期待                 平成20年1月27日


 嫌なトレンドの続く世界・日本と嘆いていても始まらない。身の丈・手の届くところから『明るい兆しを』を見つけたいものだ。昨年の“偽”の年からせめて“真であり信”の回復を願うばかりである。

 さて、「KY(空気が読めない)総理」から「YK(やる気がない)総理」のたらい回しで子年も明けたが、明るい話題どころか世界的株価急落のショックからのスタートとなってしまった。

 世界と日本の政治・経済は、悔しいかな動向情報を読み生き残る分析・判断を高額税金生活者に委ねるしか術がない。もはやわれわれリタイヤ・嘱託の控え選手ともなると「後の道筋づくり」をのぼせもんの証としておきたいものだ。

ひとつ
・当センターの存続すら問われかねないミッションの確立・体制整備・実績蓄力のため昨年からの検討〜構想作業を実現化しておきたい
ふたつ
・その布石である人事異動は最たる要素だ。幸いに4月の立ち上げに“型”だけは出来そうだ(投資育成した人材の流出は痛いが・・・・)
みっつ
・若手の選抜登用が期待に応えてくれることを祈る。もちろん自分は特命ながら調査部門の再生・抜本的見直しの推進役にならざるをえない

 最近の御社の組織改正・人事異動をみると、私の心配懸念を裏付けるような「錯覚と乖離」の政策が労使一体で推し進められているようでならない(?)もちろん、背景原因も有りましょうが・・・・『擦り傷を避けようとして骨を切られる』振る舞いの様である・

 つまり、あそこまで現場と地域の接点を狭めながら地域対応強化で企業誘致支援部を創る?????世間が見えてない(!)関連諸団体の資源活用で力量発揮・ノウハウ活用の発想が無い>>>>>>>>ともあれ「旧態顧問・相談役」を一掃再生への期待を繋いでいることを評価したい、いまひとつ癌と悪評高い“傀儡専務”を外す事もお忘れなきよう祈るばかりである。

   

薬害肝炎の闘い「政治を動かす」             平成19年12月24日


 被害者の会・弁護団の毅然とした「一律救済」の声は遂に、のらりくらりの福田総理の政治決断まで動かした。HIV訴訟もしかり「命」を預かる厚生労働省役人の責任逃れと利権に傾く「人の顔をした冷血官僚」にはことごとく失望を超え犯罪集団にまで見えたものだ。

 福田政権下の政府は「議員立法による一律救済の道」を選んだが、背景として内閣支持率の低下、政府自ら責任を認めると遡る補償・処罰等々国家の威信をも失墜を避けたい保身の一心がある中で“苦肉の策”と言えども一律和解への道を拓いたことは評価すべきだ。

 この被害者の会の皆さんの一糸乱れぬ『金銭の積み上げによる和解勧告に対し、「責任の所在と一律全員救済」の姿勢」は、途中ムリを言い過ぎでは・・・と一抹の嫌味も感じたが、さすが女性は強いことを証明した。

 かねがね「女の一生」は生理から始まり、女性として見目麗しく大人となり嫁ぎ嫁となり、出産そして母となり育児・家庭に仕事に携わり、果ては嫁(婿)の目利きもこなし姑としても教育・躾もおこたりない。

 男は、狩猟時代から武士・戦争時代を生き抜いた自負をもつものの「守護神」から遠ざかること久しければなおのこと。平和と生活の豊かさ・管理社会にあっては、つまらぬプライド・名誉欲に駆られ社蓄と呼ばれる会社人間となりわが子を「支える力・生き抜く力」が劣ることに気が着くのが遅かった様だ。

 そうは言っても、世の中「男と女の社会の営み」だから生活様式・レベルが向上すればするほど「人間の命・人権」を尊ぶ倫理の成長こそ大事ではなかろうか。神世界等またまた未確認宗教まがいの「人の弱み」に付け込む悪徳商売がはびこらない為にも「男と女の切磋琢磨する世の中」を望むものである。

広域産業支援機関の役割・機能にメス!    平成19年11月24日


 我、「のぼせもん」のお勤めも、最後の仕事期を迎えてイノベーション事業の選択に据えたのは「中国地域の広域的産業支援機関の設立」である。その性格も官の下請け・予算消化補助機関でなく、真に地域の企業群・民間企業を中心とした自立的・持続的・地域に密着した主体的産業支援機関の構築が目的なのである。

 昨年(平成18年4月)財・中国産業活性化センターと財・中国技術振興センターを合併した。動機の理由・背景はそれなりに是とするが、経過と目的・ミッションについては、全く机上のプランまさに「絵に描いた餅」。魂も入らねば責任人事も無く形だけの公益法人が出来ただけと言っても過言ではない。

 原因は、諌める専務不在の中、裸の王様(会長)の独断・贔屓の子分<=他機関役員>への丸投げ立案による「まず合併ありき」やり方をしたものだから、無駄な手直し作業を残しただけでなく備蓄資産も吐き出し、官の天下り機関(ミニ霞ヶ関)に坂を転がり始めたのである。

 この危機感を統合前から激論・直訴もしたが『役職外し・喧嘩両成敗』等と大企業病の弊害処方箋で事を濁し、予想通り時の関係者はサッサと次のポストと自書出版名誉への道を進まれ『後のことは見向きもしない連中』なのである。

 さて、私の仕掛けは
@諮問機関である第三者機関の「産業振興企画委員会」の意見を取り込み世論ニーズを固める
A何よりも現状を調査・分析し、問題点と課題を明確にし、「何が必要か」をハッキリと提示する=「産業支援機関実態調査」の設置・検討へ
B10年後を見据えた「仕上がりの形」を明確にし、それに向ってロードマップと体制整備計画を建てる
  ====H20/21年度体制整備・切り替え準備、H22年度「公益法人改定」と同時に抜本改正へ=====

 先ごろ「産業振興企画委員会」で大綱了解を取り付け、具体的立案作業に入ることとした。
いよいよ自らの手で自らの職場を、地域の民間企業のための産業支援機関の役割・機能を整備する時が来た。

 ☆中国ブロック大の産業振興政策の方向性発信(産業経済調査機能の強化)
 ☆他の支援機関との連携コーディネート機能(上流部分産学重点に自前のコーディネートづくり)
 ☆管理法人機能の整備・会員、会費の抜本的見直し(財政基盤の強化)


時間だけは公平だが?                 平成19年10月27日


 行きつけの理髪店で、毎月ほぼ定時期の散発をしながら兄ちゃんが「今年も早いですね。後二ヶ月ですよ!」その通り、齢を重ねると殊のほか時間の早く立つ事に驚く。時間は老若男女を問わず地位・人種・金持ちも貧乏人にも・・・何人にもよけへだてする事無く公平に刻み与えてくれる。

 しかしながら雇用期間満了、つまり後何ヶ月で「ゴクロウサン」が身に沁みる頃になると「同じ一日・一ヶ月が人よりも早く感じざるをえない」のはどうしてだろう。入社から退職しかも元気にハッピーリタイア出来れば、これ程の幸せは無いはずなのに・・・・人間は欲が深い。

 そもそも無人島でも無い限り多様化・複雑化した業種の入り組んだ社会生活を過ごして来ると隣の花も芝の良し悪し・運不運・・・まさに人生いろいろと頭では解っているが、人間の嫉妬と羨望欲からだけとも言えない理不尽さも感じるものである。

ーーーー最近、立て続けに同年輩の嘱託雇用満了で寂しく職場を去る姿に[やるせなさ]を感じざるをえないーーーーー

 入社のときに中学・高校・大学・大学院と同期同年にスタートする。その時既に学歴・年齢・基礎能力の「差」がある中で入社後“同じ時間を刻む”のであるが、定年を迎える頃(60歳前早期退職制度もあるが)には、退職年・賃金・退職金・職位と「差が拡大」してゴクロウサンを迎える。
                                                         (逆転は有り得ない=卒年学歴管理の基本)

 このゴクロウサンの後までもが違うのである(!)退職時の少々の差額は努力・功績の差と理解しながらもである・・・退職金1回の人生を標準に「幸せ人生」と思えども、方や再々就職(関係子会社のワタリ)・関係役職位による就任期間の申し合わせ居座り、在職中誰が見ても仕事ぶり・実績・意欲等「並以下評価」であっても・・・・・役員or雇用延長等々そこには人脈の贔屓も噂されるようではアキマセン。

あえてまた言うが処遇だけは『腐っても鯛』なのである====能力主義社会では腐ったら鯛でも無ければ食品扱いでは無いのが常識だ。

 現下、行過ぎたコスト至上主義による人財削減・経営者の顔をした事業家不在、現場軽視風潮・・・・嵐が吹き荒れている本体事業も心配であるが、関連を含め「63歳無条解雇」で役職員全員カットの大英断をするか(!)出来る訳も無い(!)

 後継者なんて「仕事が育てる」自分でなければと思うのは己の「錯覚と乖離」に他ならない。

 如何に後輩のために仕組みや制度を確立し良き伝承を残せるか(!)残された時間(余命)に掛ける我が“のぼせもん人生”も刻々と冷酷に時間だけは公平に刻んでくれる今日この頃である


※コンプライアンス再生下にあって、適正人材の配置の注目ポストは  中経連・CIIC・文化財団専務理事と役員クラス部長のメス入れだな・・


 

総理に「胆力」国民に『眼力』かな?               平成19年9月24日

 安倍総理大臣の突然の「総理・総裁辞任」劇は、日本の憲政史上珍しい想定外の出来事(事件)であった。長期一党支配政権与党の自民党は、国会開催中の異例のなか後継総裁選出に時間と国税を費やし、またぞろ勝ち馬心理で福田康夫氏を選んだ。

 「小泉劇場政治」が終わり選挙の顔として、党員こぞって「見てくれ総理」安倍さんをを選出、実力はおろか取り巻きも弱体な"なかよし組閣人事"まさに御輿に乗せられた「幼稚園政府」となりスタートから思い付き発言等を"懸念”されたものだ。

 コイズミ5年+安倍1年のカイカク政治(?)を総括すれば、コイズミ・タケナカ改革ムード劇場型政局運営による影の部分が格差問題を産んだと言うが、そうではない、本質的にアメリカカブレの市場原理万能主義+物まね政策そのものが『日本の力を削いだ』事を見抜くべきだ。

 先の参議院選挙、福田対麻生総裁選挙もしかり・・・・『改革は間違ってない』「国鉄・NTTでも証明されている・・・」「改革を止めてはならない」・・・当に其の通りです(!)。
 ただし「そのカイカクが真に国民と国益、さらに将来の産業発展に繋がる方法・時期・優先順位が妥当な改革内容ならばです

 
         [写真:宮内串戸駅前整備事業=工事終了時期不明の超のんびり官製工事]

 ところが、言葉と総論を先行させ、ムード(マインドコントロール)に乗って選挙演出、反対意見層は抵抗勢力・守旧勢力と決め付け刺客劇まで演出し参院否決・衆議院解散の暴挙に出て衆議院選挙を大勝した。さあ後継指名を受けた安倍さんには小泉さんの度胸もキャラも無い。誠に気の毒な裸の王様状態での参議院選挙だからたまったものではない。(結果は大敗、出処進退の決断すらできない精神状態に)

 安倍さんの総理資質で「胆力」の必要性の声が多く聞かれたが、一国の総理の重責は計り知れないものだろう。ただ坊ちゃん育ちでも下積みし鍛えれば身に着くだろうし、主要ポストの実力も着けてから受けるべきだろう(選んだ自民党議員に自覚・反省は無くうやむやが常套手段なのだ)

 一方国民も、もっと政官癒着の真実・実態を「知るべき」必要性をこれ程目の当たりにしたのも初めてである。社会保険庁の不正問題・官僚と天下りの利権構造・・・・国民にも『眼力』は必要だが、これも情報公開制度が進まないと闇の中なのである。

 政権交代は「膿を出す」だけでも、国民のためになる公僕・官僚組織の再生に繋がる(!) 民間が立ち上がらずして政治改革は無い(!)
 

 

現代・昔話「中つ国物語」  (後編)          平成19年8月25日

 因習因幡の里にも春が訪れ、平和な時の流れは何事も無いように静かに流れていた。城主蔀鷹ノ巣の上のへの平民の期待は、得意の論客ぶりと押しの迫力でたのもしく見え、江戸からの中つ国派遣代官からも”さすがやり手”と当初は順調な滑り出しであった。

 ところが、「情よりも理」「人より金」「信よりも権」・・・それでのし上がっただけに体制を守る為には忠実な「利とする」側近で固めるしかない。
時が過ぎ・・・・就任して半ばも過ぎた頃の事。側近中の側近清濁あわせ飲む間柄の金庫番浜田藩の出、松の権六の突然の死は、城主の懐刀だっただけに防波堤を失った如く衝撃を受け憔悴したと言う。

 この世間から見ると薄々同情を誘う程度の一件が、後々のお家騒動にまで発展するとは誰もこの時気がつく者は居なかった。

 ところが予期せぬ事からお家断絶に近い大災難に見舞われたのは中つ国の任期を余す1年前の城主交代期を迎えた頃、時あたかも幕府もコイズミ郵の進のサプライズ長期政権から亜屁御ちょぼ口の上に禅譲がなされ、地方藩切捨てと武士社会の俸給格差拡大と強引な幕府政治に不満が高まって居た時のことである。

 中つ国の実情は、カリスマ城主の「小藩を支える技術現場の事に関心も薄く、経営手腕は経理と管理だと言わんばかりに人も組織も意のママに天守閣ほか城内整備ばかり進める慢心と側近経営が、いつの間にか世間からの『かい離と錯覚症状』を進化させ”裸のお上”的存在を色濃くしていたのである。

 運悪くと言うより当然な流れとして家老職にある堀の青瓢箪素封の助は、根っからのおべっかい野朗。城主以上に現場卑下・情も無ければ赤い血が流れているのか疑わしい程、話も下手ときてはつける薬も無いのだがこれが城主とホモかと思う蜜月関係。

 平民達は、ささやかな幸せも仕事の生甲斐も失われ・・・殊のほか城から遠い現場因習因幡藩においては、経済格差のみならず目も掛けてくれない鬱憤が噴上げたのである。

 ところが現場と経営者の信頼感の薄れは世間のCSR風邪の大流行に乗り、瞬く間に城主蔀鷹ノ巣の上は元より城預かり人白熊茂早大臣ををはじめ御三家藩の紺サル城主の喜多方の謡曲介までを巻き込み、家老職・公己の麻呂多田介老中に至るまで責任追求問題に発展。

 世が世なら武士精神のカケラも有ろうものなら潔く「全責任を被り、後輩に改革を託す」ところであるが、城主と城預かり人の前代未聞の責任転嫁劇が勃発。

 諫言する先輩老中も発言力は無く火中の栗を拾う者の居ない中つ国の崩壊は誰の目にも明らかと写っていた。しかし厳しいかわら版記者の執拗なキャンペーンにも拘わらず城が救われたのは『現場が持ちこたえ、地域の信頼を一心に留めているからこそである』

亜細亜ゲートウェイ戦略にあって幕府の要所を占める中つ国・・・・・・再建策も現場切捨ての戦略では本当に頭も尻尾も無くなってしまう(!)
歴史と文化の薫る中つ国の将来を継承するためにも『人の再構築』無くしては始まりそうに無いのであった。


現代・昔話「中つ国物語」  (前編)             平成19年7月21日

 昔、中つ国と言われる中の下格ながらも一国(780万石)があったそうな。城主は公巳の麻呂多田介と呼ばれ、人当たりの良い「和をもって尊し」そのもの、穏やかで敵を作る事を嫌い結果、大きな仕事もカイカクも為さなかったが人徳のみで「守り」には強かった。

 「人は人を呼ぶ」のか、その城主に寄り添う家老には、威圧感の全く無い、いつもボソボソと話す癖が難点ながら実に気配り・藩財政はもとより近隣の城の面倒見の良さから人望の厚い中の電介林が実に城主の足らず改革部分を支えていたのである。

 時に、東国の官僚中枢の江戸幕府においては、奇人変人が将軍に名乗り出る事3度目にして遂にトップの座を占めたのがコイズミ郵の進。パフォーマンスと幸運のみで登りつめた男だが、前々・前将軍の小渕大根2両紙幣の上、初の密室体育系の丞等不審な急死や潜水艦激突時に好きな玉転がしなど・・・・・失政よりもハプニングの裏仕掛けに陥り失墜したものだ。

 いずれにしても大衆は、藩閥政治の流れに嫌気が沸騰し無派閥で独身・金に縁のないロカビリー将軍がまだましとの世論の支持に乗って「劇場型将軍」が生まれたのである。
 変人将軍は、大衆のもてはやされに乗じ国民の飛脚郵政貯金を金融鎖国の解除と称しペリー米国に売り飛ばし、地方大名は切り捨てて「改革」「自由」などと誰も否定しないできない言葉をスローガンに、かわら版の書き手を巧く操り「偽カイカクの嵐」の裏で゜大衆国民の生活を破壊への道へ陥らせたのである。
深く静かに蝕まれていく社会保険庁の国民年金は一切お構いなし、論点操作のための郵政選挙へと地方幕藩体制を締め上げていたのである。

 一方、中つ国においては長すぎた城主在任と中央の改革の流れに対し城主交代の声が日増しに強まり、幕府も大衆もお目付け奉行に浮世絵文化人も地方藩経済の閉塞感打破を期待するがゆえに『少々癖と、理屈っぽくても押しのある改革者らしき城主を』との声で颯爽と就任したのが蔀鷹ノ巣の上であった。

 城主就任の世は正に譜代大名の首も城主の意のままの体制を着々と固めており恐いものなし。側近はイエスマンで固め、順風万歩の航海の船出と思われた・・・・ところが如何に豪腕・専制政治家にもアキレス腱はあるのだが、この時本人はもとより城内だれひとりと「諌める」モノ無く大波乱の幕が開けようとしていたのである。

                                                     −−−−続く−−−−

善意が通じない社会に!何故?              平成19年6月24日

 情報とは「情を伝え、報いる」ことらしいが、最近のニュースは知れば知るほど「空しさ・不信・募り」ばかりが多いと思うのは私だけでしようか?国民生活の最大の安心の糧であろう年金制度が「国からして振り込め詐欺」であった。国民の怒りは最高潮に達し、世が世なら国会周辺デモ・社保庁へ押しかけ「金返せ要求のむしろ旗」であったでろう。・・・・・・・今の連合も経済界も野党も歯切れが悪くリーダーシップも失っている。

 さて、国民の善意と信用を踏みにじっては「社会福祉・互助制度」は成り立たない。このことは個人個人の社会生活・職場でも同じ事だ。そこには人としての善意と善意の結びつきがあるから制度が確立され中味が充実・安心の享受となるのだ。

 社会保険庁・緑資源機構・政務調査費・天下りの実態・国会議員年金・宿舎問題・公共事業談合・朝鮮総連問題・連続放火事件・・・・・・情報公開は国民の知る権利として徹底的に推進すべきだ。今の日本は「主権官僚・霞ヶ関国家」だから、この体制を真の国民主権の政治・社会に移行するためにもゼッタイだ。
 
どうしてこんな社会に!なったのだろう?

@国民の声は選挙を通じて代議士に託すのだがこれが機能マヒ(国民の政治意識レベルと投票行動も問題だが議員の質も)。ところが、官僚の最大のチェック機能は議員だが、政党政治だから政権交代の無い国では「政党との癒着が牽制力」を失っていることに気付くべきだ。

A参議院選挙・・・・・自民大敗・安倍政権崩壊へ。しかし自民党は衆議院の圧倒的多数で政権は変わらない。つまり二院制で国民の民意はお灸をすえても政治の仕組みは解散・総選挙でないと「現状維持」の構図なのだ。

B今ひとつ、日経連をはじめ経済界までもが、前小泉政治の負の遺産「竹中病」に煽動され、日本の良さを失った自由化・コスト主義の歪みは米国病を国内に感染させ日本の文化・伝統・技術力までも蝕んでいることにお気づきでない

 国体の基本は、まず家庭や地域社会を縮図に考えれば簡単だ。善意の通じる親子兄弟さらには学校教育・町内会のコミュニケーション・繋がりが出来ているか?これが尺度だし手の届く改善フィールドだ。

職場では「後輩育成・登用の決断や謙譲」の善意も通じなければ『効』なし、義母の介護も「財産ネライ」等とウソブク輩をみると情けないのを通り越して、ここまで人は堕落したのかと寂しい思いである

                               

居酒屋放談「裸の王様」                    平成19年5月26日

 各社とも株主総会に向かって決算報告・役員人事の発表がされる。事業報告は株主に対する配当益の確保を第一義に健全・持続・発展をめざした経営方針の提案がなされるのである。一従業員から眺めるに、肩を並べ口角泡を飛ばした職員の中から『役員』として経営に携わる大出世を果たし、何時までも「人付き合いを大事にする方」もいるが・・・・どういう訳か中には、錯覚とかい離の病に掛かり"裸の王様"に陥る者もいるのである。

「裸の王様にも、前兆があるものだ。日常の細かい事にまで自分の思い通りにならないと機嫌が悪い。新しい事業・改善事の建議には何故しなければならないのか(?)と、現状の守り(自己の安泰)のみに固執する。部下の話を上の空で聞くようになる」

「発症すると、ペコペコと良い話(己の賞賛)には憂いな奴と可愛がり、少しでも批判がましい諫言には烈火の如く感情丸出しで“詫びをいれろ・協力するな」と権力を振り回し、時局も立場もわきまえず駄々っ子となり・・・こうなると部下も世間への大局観・配慮も見失うのである」

「裸の王様に共通しているのは、大卒・管理部門ばかりの勤務(現場経験なし)・知識(規定とマニュアル)で仕事も人も動くと思っている。上司のみの意向を守り、部下にも守らせることを生甲斐とする。権力・権限の大小で政策選択(勝敗)を図る。企画畑に多い(無傷こそ出世の道と信じている)一様に冷たい暗い雰囲気だ(パーティでも周りに人が寄り付かない)」

「経営体質が問われるが、要は人間体質なんだよな。どんな人を集めるか、組み合わせるかだ。強く・長い権力は腐敗するのは同じだ。絶えず新しい血、緊張感のあるシステムを勇気をもって自ら決断実行するかだ。何処の世界も腐るのは手足(現場)ではない。頭(経営トップ)からだ」

「面白い!否、情けないのは、裸の王様の二代目・三代目が必ず生まれるから・・・人間は業なものだ。特に院政と呼ばれる人脈派閥が続く限り前任の甘み・快感を自分になって捨てる馬鹿はいない。土光・木川田・・・倫理・哲学者とまで無くとも『謙虚』な人柄こそ経営体質の改善の一歩だと思う」

・・・・・・・・・・・これからも前途のある中年仕事師4人の居酒屋談義だと軽く流してください。但し酒の肴にも真理ありですぞ・・・・・・

                           

                          写真と放談内容は関係ありません!(供養みたいなものです)

外圧による再生の国「日本」              平成19年4月28日

                            

 日本は、歴史的に3つの大きな国難が降りかかった節目に、やっと国論を統一し「よりましな選択」をしながら国の再生を図ってきた。

@元寇の役
  鎌倉時代、武家政治の始まりと言う政治機構の大変化が起こったが国内の混乱・統治は不安定の時代、中国の元の来襲(1274年・1281年)は 国防の一点で世論を形成し結束。島国日本の海外との国交・防衛のあり方iについて学習が始まったのある。

Aペリー艦隊の来航
  徳川幕府200年余の一武将一族ながらも幕藩体制を敷き各大名を操縦・駆使し、鎖国・保護をしながら封建政治を稀有なる長期に続けてきたが、1853年ぺりーの浦賀来航により、欧米諸国の産業革命で進化した産業技術力の格差に驚愕。国論がまっぷたつの末に開国、明治へと文明開化の道を選択する。

B第二次世界大戦の大敗
  第一次世界大戦〜防共・アジア開放・石油封鎖・・・戦争に正悪の大義はないとしても。島国の日本が覇権侵略の無謀な戦争の末路はパールハーバー(1941.12.8)以降、終戦の玉音放送(1945.8.15)をもって叩き飲まされ荒廃の国ゼロから戦後再生への道を歩むことになる。

 事ほどさように日本は『外圧があっての立ち直り』でイノベーションをしてきたのである。つまり内発的に自ら国論をつくり改革への道を歩んだ経験と人がいないのかもしれない(明治の先人は孤立した文明の格差に悲壮感を抱き西欧に学び・日本型に焼き直す作業をしたから立派である)

 さて、同様な歴史の流れを感じるのが戦後の産業復興と経済を支えてきた「電力会社」なのである。
巨大産業として地域の設備投資・雇用・地域経済の牽引を果たしてきたが・・・今、晴天の霹靂一通の投書が経営体質を問われ基盤産業としての存立をも揺るがす心配な影を落としている。

「産業の米・電力」として電源開発の日本発送電国営企業から民営化9電力体制へ、さらに国策基幹エネルギー確保の為の原子力開発、販売独占から自由競争へと正に「国とエネルギーと電力会社」は国・地域・会社三位一体なのだ。(先進主要国も同様に国策的取り組みなのである)
(本質的に内発よりも外圧による改変が多い===9社分割・電力自由化・石炭保護政策・円高差益還元etc)

今、電力会社は一斉に「経営機構改革」をはじめ「コンプライアンスの徹底」に"外圧によって"再生への1歩を踏み出そうとしている。今さらながらと言う無かれ!!!!外圧はきっかけとして良しとしても改革は外に頼るまでも無く『内なる真面目な現場の声』こそ耳を傾ける事を忘れてはならない。
何故なら背景と要因・事実経過を知るものこそ「打つ手」を知り、自らを律するからである。

悔しいかな管理部門の強化・肥大化と同じくして管理会社化、請負委託化で技能温存よりも目標管理などと「一般メーカー的」マネージメント流行思考がはびこったのである。勿論@合理化に代わる保障・代替施策の必要性 A本店集中・管理部門中心でなく現場・地域に強い体制 B真に緊張感のある労使協議制等々の声よりも経理・資材・企画にあらずんば経営人ではないと『錯覚とかい離』が幅をきかすのである。

言わずと知れた"裸の王様"たちが檄と横文字を掲げながらマニュアル漬けの会社づくりへと陥るのであった。地域にお世話になってこそ電気屋さんと言う謙虚さと泥臭さを嘲笑し知識を振り回して役員にまでなった方達も桜の如く散っていく ・・・人間の生業(なりわい)とはなんともやりきれない。

心配な社会現象                      平成19年3月24日

 定年してみて「会社って何だったのだろう」と今さらながらふと考え込むがある。私の人生と家族を育みお世話になり、かくも有難く素晴らしい働き場所であり二つと無い半生(40年)を捧げた仕事を通じての社会参加の時間でもあった。

 自分は入社当時、55歳定年までに10〜12年毎・1/3づつ会社と組合と政治or社会団体の中で生涯を過ごそうとぼんやりと設計していただけにほぼその通りの人生を過ごしてきた幸せ者である。

 この幸せ者とて「何よりも生活基盤の安定無くしては出来ぬ事、とりわけヒト・カネ・チエの後方支援ほど有難く」感謝々々の気持ちである。

 ところが、最近の市場原理主義・自由化競争こそが成長の万能薬の風潮。加えて個人情報保護だの人権・平等の偏向価値観がはびこってしまい、働く場・時間の大元である会社をとりまく社会現象がおかしくなりました。

 不祥事・不適切・改ざん・隠蔽・無届・・・実に終戦直後の河川水利権から始まって人類の英知の結集とまで言わせしめた原子力発電所に至るまで「信頼喪失・企業体質最悪会社」のレッテルがベタベタト貼り付けられる始末である。

 私は、法を無視せよとか、ごまかしを勧め、情報公開の有り方に異を唱えるつもりは毛頭ない。しかしどう見ても「タメの告発・魔女狩り」的な動向に角を矯めて牛を殺しはしないかと深刻に受け止めている。今さらながらの内部通報制度の意義すら疑問も感じる。

 堆積砂の測量、発電用水+その他取水利用権、定期検査中の制御棒脱落、冷却海水放水口温度管理と流量・・・・・いろいろと背景・時の判断契約レベル等々詳細には夫々に根拠と時の合意と認可があってのこと。

 ご批判を恐れず言うならば、疑問の一つには形骸化した法が科学や社会動向スピードに追いつかない面がある。二つ目には法的に監視官庁の監督立会い・審査があったにも関らず「今?」である(認可責任)。三つめにはトップの「経営責任と報酬の自覚の無さ」である。

 日本経済産業社会の底流に恐るべし米国流思考の植え付け・政治家・学者の煽動が気になる。本来日本の成長を支えたのは雇用の安定と愛社精神そして人のチームワーク(村意識)の良さであった。恥じることなく否定も破棄もすへきでない。

 会社とは『仕事そのものであり・人であり・社会奉仕』である。拝金主義・株主主権主義・成果利益主義一辺倒ばかりでは「世のため・人のための会社」は潰れてしまう。会社が潰れて山も残らなかった三井三池炭鉱争議を知らずしてエネルギーを語るなかれ(!)


「指」を自分に!                 平成19年2月24日

 次年度の事業計画策定に当たって『何をするか?よりもどんな体制で行くか!」が先だ[事前骨太方針策定作業]

 この一年組織統合はしたものの組織運営の骨格体制は固定しないどころか、U常務理事の解任(?)か中途復帰、Y常務理事の交代による後任者が家族介護を理由に途中退任、加えて会長までが辞任となり・・・・・まさに体制ガタガタ、後継者不在「仕事の関り方」のマネージメント不足から「労多くして益なし」の一年であった。

 当初から「3年計画で、様子見・人材確保・何をすへきか?じっくりと体制基盤を整備して助走・整備・定着そして発展目標の設定が基本であり、それなくしての統合は存立の意義を問われる」と言ったものだ。

 新組織発足のセンターとして、最下限の形・ミッション作りと「魂」の吹き込みに嫌われ者を覚悟で“のぼせもん”らしく働いてきたが・・・・・ここにきて昨年の会長談判以来とも言える『心機一転・英断』を下した。

それは
      @世代交代      A若手の育成      B大物の受け入れ準備   である。

 常務理事への昇進抜擢、ライン部長・部部長の若返り、役員クラスの受け入れに相応しい体制づくりの人事を提案し、自らを含め古参は後退し真の支援・育成に徹する体制移行を図った。

 そうは言っても、円滑には行かない懸念も、あり特命プロジェクト部長として「やりたい調査と仕上げなければならない事業」を引き続き担務することで我がライフサイクルの仕上げもする積もりである(63歳雇用満期)

 折りしも2月23日(木)の生産性トップセミナーでの、講演にて「仕事が出来ないのは、部下が悪いのではない」
             (A)今のところが・・・・・・
             (B)上司が・・・・・・・・・・悪いからだ。   と『自分に、指をさして見ろ』とのキツーイ一発を喰らった。

今回の事業計画策定で、知らず知らずに自分に指を指して考えた訳でも無い。定年後一年で体得した職場実感が「錯覚とかい離」からの脱皮を決断させてくれたのだろう。     アリガタイことだ。


全ては人事にはじまる                                     平成19年1月27日


 リタイアして一年。いつもならこの時期は人事異動でサラリーマンにとって悲喜こもごも、家族を含めて落ち着かないものである。

 さて人事とは「ひとごと」と読めば気楽な商売だが、「人ひとりの人生を左右する。会社業務の浮沈・適正化・職場モラルさらには社会責任」と自覚すると心痛な作業である。

 ところで、現下人事の最大の欠点は「管理すれども育成せず」の面がある。もともと『人の育成は現場にあり、仕事を通じてこそなせること」だから人事とは現場管理者の力量・眼力が最も重要なのである。

 にも拘わらず現場直属長の人事評価持ち点(業績考課点数・上位ポストほど高い)は低く、適正評価をしても申請側・意見は通りにくく最後は、人事主管で総合的に均衡・配分するからおのずと『学歴・卒年管理』となるのである。(学歴尊重・卒業年昇進・得点よりも失点評価主義となる)

 現に現場が恐くて机上にへばりつく特別管理職・役員の増えたこと。ましてや新し物好き・事後評価が恐くて部署転任・昇進だからますます現場把握力・指導力が低下するのである。

 我が社は実力主義・能力主義です。職務給から職能給と「能力・実力・実績評価」の制度とは建前。立派な制度でも運用と評価者の能力が備わっていないから“絵に描いた餅”なのである。

 特に、地域の産官学各界との産業支援・地域振興を仕事とする当センターでは、職場構成から適正者配置・育成をしようにもままならない。ましてや社内人事の旧態依然とした考えだから「活性化も進化」も期待できなくなっている。

 改革意識の塊りが如く、人生を走ってきたが『賞味期限(定年)』には勝てない。心残りは、やるべきこと・やれば出来るこの財団ですら学歴・雇用形態・年齢によりベンチを暖めざるを得ないのである。

 組織創りは人づくり。組織を統合し、ミッションを作っても「やる人の配置ができない」真のマネージメントをしないサラリーマン管理職では先が暗い。誰も助けてはくれないから『自ら立ち上がれ』と檄を飛ばしながら内心(組織統合に関与できなかった悔しさに)今も情けない心境である。

「民主主義」の危機?崩壊?いや幻想なのか?            平成18年12月23日

 最近の政治の有り様のみならず、経済界を見ても・・・はたまた労働界の存在感を見るにつけ日本に「民主主義」は存在したのか?疑問すら覚える。自由主義経済陣営で唯一成功した「社会(共産)主義」の国との悪評も、官僚天国・税金の無駄遣いをみると三権分立もおぼつかない。

 郵政民営化法案を巡っての解散総選挙、お経染みた「改革念仏」でなだれ的ムード選挙の劇場型政治に国民は惑わされ、数の論理が民主主義とばかりに選挙目当ての総裁選びから「マニフェスト反故」審議内容より手続きと時間で測る教育基本法改正、国民犠牲の新年度予算・・・・

 特に、広島県知事後援会資金不正疑惑で明らかになった県議会議員対策費の金の流れは・・・・県民の声を代表する議員を行政権が買収した(?)構図となり正に民主主義の根幹問題である。

 県知事の権力と金の集中は大統領的とも言われ「恐いものなし・天の声」とも言われる所以である。それだけに強い牽制力・歯止めとしての議会は強くあらねばならないのだ。地元新聞の執拗なキャンペーンは一定の正義を貫いたと思うが議会側は、来春の選挙恐さでしぶしぶ可決した『県知事辞職決議』程度と言うか?ポーズなのである。根底は影の知事(?)「ボス議員政治」を引きづったままなのである・・・・。

 もともと日本は、明治憲法こそが欧州国に学びながら創った「手作り憲法」であって、封建から民主の国への1歩となる大和魂を残したものであった。昭和憲法は一転反動的に大東亜戦争の敗戦・全面講和から戦勝国の意を反映した、民主主義教科書の経典的なものとなっているのだ。

 そう言う私は、新憲法下の生まれ。組合民主主義から産業民主主義そして政治民主主義と3つの民主化運動を目指した人生であったが所詮バックボーンにはなっても現実の社会は「川土手に蟻穴を掘るが如し」小さな小さな世界であった。

 よく考えると「勝ち取った民主主義でない」「共産主義国家に支配されたこともない」「島国で外国人の占領・支配がない(敗戦処理のみ)」だから本当の恐さも・自由の良さも・体感意識が無いのかも知れない。(学識層に多いのも不幸なことだ)

 周辺国家のキナ臭い動き・拉致もいとわぬ独裁国・国内では信頼を失う政官財に赤字国家・・・・無責任な官僚腐敗構造と戦後行き着くところまで来たならば「ここぞ再生の好機」と思うしかない。

だから、民主主義の危機でも崩壊でもない。育っていないのだから「今から育てる」運動を決起したほうが説得力が有りそうだ。


「無責任体質」は何故治らないのか?                     平成18年11月12日

 「奉仕・啓発・協力」永らく職場の末端隅々まで、俗にホケキョウとして浸透していた社訓である。古いとののしるなかれ会社の方針・精神的主柱とはトップから末端の機器点検・掃除をする個人個人までの『心』と『行動』の魂となってこそ社風であり誇りなのであった。

 地域の最・大手企業として経済・生活の根幹をなすエネルギーの確保に君臨すれど、所詮は人様の金と土地とお力の上に成り立つ事業であることを先代の苦労人桜内社長は自らにも厳しく社員にも辛抱を強いておられたものだ。

 ワンマンとまで呼ばれた社長の夢は「店は大衆食堂でよい。儲けたら一に株主へ、二にお客様に,そして従業員に還元する」と約束し事実その通り、時代背景・経済情勢を鑑みるとズレと意見の相違はあったが頑固に実現されたから「敵(?)ながら立派」と敬意を表したものだ。

 さて、「中電ダム測定値改ざん」についての新聞報道に接し「驚きとやっぱり」と複雑な鉛を飲み込んだような思いは私だけだろうか?いや濃淡軽重の差こそあれ、緊張感ある労使対等の旗頭としては元より、現場第一線重視の職員の立場からすると「情けない・治らない=無責任体質」を厳しく受け止めざるを得ない醒めた心境ででもある。

 ここは、事実関係調査・公表隠しの責任・安全確認再発防止策の三点については会社の調査委員会による国への報告経過を信じるしか術はない。よってこの時事雑感では何故治らないのかその体質と背景の今昔をたどっておきたい。

@技術畑のI副社長は、取締役会が全会一致の時代に反対の意見があったことを議事録に残すよう強く発言した勇気と責任ある役員がいた
A一方「殿!ご乱心。ここは体を張ってでも」と諌めることや、表に出せない清濁併せ呑む、責任を被る汚れ役の「副社長」が必ずいたものだ。
B経営評価をしたなら経営判断ミスは、ゼロどころか「猛省・出世は辞退すべき」役員はいたのに温情主義人事は甘えを生んではいませんか
Cちょうど電産と電労統一時期と同じうして「会社の組合・組合の会社」等緊張感の無い労使関係、ピラニア不在の水槽現象になってしまった
D経営者・管理者の育成が学卒卒年管理人事により、第一線現場知らず、さらに現場を恐れて管理部門ばかりの机上企画が支配し過ぎて来た
E関連企業をパートナー・緊急時の消防団意識が薄れ、コスト主義・連結決算を強化し関連いじめ(?)が目に見えない圧力となっていませんか
F組織のフラット化、管理部門と第一線現場の直結、IT導入による決済の迅速化等々『型』のみでなく『魂」を吹き込むオルガナイザー不在では
G現に商法改正による監査機能強化も、経理・業務・CSR等々「現実的に権限を行使する」仕組みを作らないと株主総会同様形骸化の見本だ
Hサプライズ人事は、小泉劇場か政治のショー的なら愛嬌(?)。人様の株によって支えられる経営者役員の人事は厳格・誠実・実績であれ
I「社内のきしみ」「甘え」を新聞で叩かれるまでもなく、もっと緊張感・業務のチェック機能・更に『真面目な者が救われる』社風構築こそ急務だ

※11/8中国新聞掲載記事によると、当時の社長(現相談役)が「非情に心外、事務レベル決済だから知りうる立場に無い」との談話が載った。
 経営管理の全責任を負うべく経営者のトップたる発言に、直近部下を始め従業員はどれほどの驚愕を覚えたことであろう(!)
※『誰も隠蔽を指示した事実は無い』しかし「公表しない事を関係者全員が「追認」した(?)とは、皆で渡れば恐くない(?)

武士の男なら「全ての責任は当時社長の私にあった。指名した現社長には今の職責を全うし、社内外の信頼回復に役員一致挙げて取り組ませる」と部下を庇い、「自らは責任逃避はしない」と信じていたが・・・・・・残念である。


広島の私的「事業性評価」ですが・・・・                     平成18年10月22日

 いつかは言いたくないけど記録しておかなくては思うことがある。ただし長年「広島根人」としてお世話になっているのだから単なる悪口・批判に留まっては心外であるから対案も混ぜながら記録しておこう。
 
 広島県の七不思議かも知れない。他県の人から見ると「県民性かね〜、傍観的・引いてる美徳?」とにかく保守的な体質・お上依存は政官財学民全てのリーダークラスに共通した言行姿勢なのである。(もちろんメディアにも言えるが・・・)

 卑近な事例の最たるものは「藤田県知事後援会疑惑」である。他県なら「知事不信任決議・県議会解散請求」に発展し大騒ぎになるほどだが如何にせん知事選挙対策費として金が配られた事実ははっきりしても「自分は知らない・関知せず」の執行部と議員だから同じ穴の狢同志。

(広島の政治地図は裏ボス政治なのだ。KKH戦争・市長選挙での自民党分裂、財界のアツモノニ懲りた財界企業の気力喪失・だから政策より一部スキモノ同士に任せている・投票率の低下は如実にシラケを示している・・・・・玄人筋は一致した見方だ)

 さて、金権腐敗政治体質も是正の第一義であるが「政治は結果、成果で勝負」「1歩踏み外しても政策・成果に余りある評価があれば支持があるものだ。一番悪いのは「無策で多選・給料泥棒の汚名」はなんとしても避けなけば県民市民はたまったものではない。

無策事業実態を列記してみよう。

@広島空港移転、ただし空港アクセス整備があっての国際都市づくりなのに十年たってJR乗り入れ案を諦める失態。なんともふがいない
A旧広島空港は「生殺し」どっちつかずの整備は無責任(県・市)、関連して2号線バイパス工事の遅延→経済損失は大きい
B広島大学移転、跡地ビジョンとセットで開発すべきだが、移転後10年やっと大学任せの「知の森?」構想に着手=県庁移転も方策だ。
Cアジア大会でのアストラムラインの環状線化(施設建設国家予算+自主予算での周辺整備・都市づくりの発想が無い)
D一等地で平地の吉島に刑務所温存(移転が筋だが国の法律にも矛盾・規制緩和の最たるもの)
E広島市民球場改築か、JR貨物ヤード跡地移転問題(土地開発公社の無策・税の無駄遣い・執行部の超丸投げ姿勢の結果)
F広島駅の地下道工事・・・地下街では無い。何処の都市玄関前に地下道だけ作るところがありますか?結局民間ホテル建設任せに。。。
G紙屋町交差点地下街・・8年かけても八丁堀まで伸ばさなかったから周遊性のない賑わい街?商店街のエゴはあろうが政治の努力不足だ。
Hふたつの国際遺産を活かしきれない。硬直した閉鎖的なイデオロギーに固まった平和運動の支援に引きづられから脱皮しない実態。
I山・海・川のあるコンパクトシティを活かした国際都市への情報発信・ソフト整備が遅れている。市内の国の遊休地が野放しのままだ
Jいすれにしても県知事と市長の政策論争を聞いたことも無い(不仲?)公僕・権限と予算を有するトップだ。県民市民納税者はたまらない(!)


あえて言おう「組合もディスクロージャーを」                   平成18年9月9日

 官僚機構の倫理・公僕観の腐敗は、政権交代の無い国・権力一極集中国家には宿命の道なのである。あの地球の楽園と言った国は自由も無く独裁国家で共産主義国家でもない。従って内部構造は、贈収賄社会に陥る「情報公開の無い」社会だから自由・平等・人権に無関心な閉鎖集団なのだ。

 ところが、自由と民主主義の国家と自負している日本がおかしくなった。仮面こそ自由主義経済圏で政治体制も西側諸国と肩を並べサミットではしゃぐ首相も”可愛い敗戦国”のお坊ちゃま。でもしっかり働いて金をばら蒔くから人並みに扱っている感じである。

 何よりも象徴的な事件。と言うより構造的官僚機構の断層写真を見る思いになったのが「岐阜県庁裏金問題」なのである。国民の血税をあろうことか「裏金づくり」にせっせと40年以上、この10余年だけでも約17億円捻出、その捻出労働に我らの税金で給料まで支払っていたとは・・・・。

 ここで、深刻かつ重要な視点は「組合」である。労働法で保護され、かつ国民的立場に立つべき社会正義を発揮すべき責任を果たすべき労働組合が汚れた金作りに加担・恩恵を享受しておったとは・・・・総評時代から体質は変わっていないばかりか「解散命令」ものである。

 あえて言う。労働組合は刑務所の塀の上を歩いているようなものだ。1歩間違えれば社会からも信用失墜・チェック機能も社会正義も捨ててまさに機能不全に陥りかねない処なのだ。最近、組合費や労働金庫の不正横領、書記の不祥事、さらに経営側のコンプライアンス・欠陥製品・事故隠しについても社会的責任に立脚することなく「会社のお先棒担ぎ」にまで堕落してはいないかと思うほどである。

 このことの背景は
@イデオロギーのない仲良し集団化、労働者のみ組織づくりのマチガイ
A切磋琢磨する組織競合の喪失、社会責任を負う社会団体との自覚の喪失
B官公労組と民間労組、マルクス主義との一線を曖昧にした何と言っても連合結成のプロセスとその後の政策力低下
C経営側をチェックし、国民的立場にたった労使関係構築の未成熟さ    ・・・・・・・努力している組合も有るだけに多くは差し控えるが実態だ。

 最近の政治も劇場化、一国の総理大臣も「何となく雰囲気で選ばれる」こんな国が世界中にどこにある?。一応話題の為「美しい国へ」なるものを手にしてみたが、とても一国の総理をめざす「政策」とは程遠く、私のブログ日記を再編集発行した?程度ではなかろうか(失礼ながら・・・)

 あえて言おう。ここ20年、日本がおかしくなった一端の責任は「労働組合にある」
それだけに、ディスクロージーに徹し、政治に関与・経済政策に物申すかつ経営側に緊張感のある労使関係を再構築する事を強く望む!!!!
 

忘れ物               平成18年8月27日

 私の人生は、出張や旅行も多い類の仕事ばかりだつたと思う。定年退職した現在も、仕事がら旅で知る「人・歴史・街の匂い」が楽しくて仕事を通じてありがたい人生だと感謝している。

 そんな国内外回数・場所・用件・加えて同行メンバーも異なる「出張」で忘れ物や落し物をした事は無い。考えて見れば自慢するほどの事でも無いが、人様の失敗談・まさか???等と笑い話、酒の肴程度の話題を多く聞いているものとしては自慢(?)かも知れなかった。

 ところが、今月の調査事業における先進地ヒヤリングで最終コースとなる帰りの切符を購入、車中での弁当・お茶・缶ビールを仕入れ早めに入線している「特急しなの14号」に乗り込んだ。

 仕事も終わり午前中の善光寺参りも済ませ、さぁ帰るだけだ。車中の冷房にホッとして、ビール弁当とひといきついて、そのうちに連れの人も乗り込んで来て「お疲れさん!」とお互いに揺れる電車に身を任せていた。

 12時50分長野発からものの30分。冷房温度を下げ過ぎ?と・・ふと網棚に目をやる「あっ!背広が無い!」・・・・・ははぁーんカバン2つにスーツ上着は手持ちで「菓子のひとつをも」と駅売店で買い、カバンに入れようとスーツをベンチの背もたれに引っ掛け・・・た。

 まったく傘の忘れ物と同じ。ただちに車掌に報告、「探索します」「しばらくお待ちを」・・・・一方、長野でもう一泊する友人の連れを思い出し「すぐ携帯に・・・」なにぶん中央本線は木曽川の渓谷を走る山の中・・「圏外」表示のなか何とか連絡が取れた。

 「探索」とのJR用語も珍しかったが、ひと時経って「ありました。駅で預かり中、名古屋にて手続きください」連れの同志から「別所温泉向かう途中ながら長野に戻り受け取りましょう」との連絡を戴き、まったく面目ないチョンボを手際よく解決して戴いたのである(感謝!感謝!)

 6月市内の赤ちょうちんで一杯やった時「傘忘れ」はあった。しかし旅では初めて。年齢から来るボケか。緊張感の薄れから来るだらしなさか。妻からのメールには「若くないんだから、大きな袋に詰めて一つにしなさい」・・・・・・・・さもあらん!ここは感謝すべき友人にお礼を!

======ともあれ、今までに『忘れ物をした』その記憶を忘れてしまってはいないか(?)と心配になるこの頃である======

平成18年7月23日  普通の国の普通の人

 小沢一郎民主党代表は『普通の国』を常々口にし、著書でも政治姿勢としてその考えを主張している。すべてを理解している・・また実践している訳ではないが普通に考えれば至極当然のようだ。

 今週の動きを拾い上げてみても我が国社会はどうも普通の国からは遠い「異常?または未熟児?」の国ではないかと錯覚するほどだ。まずは秋田の連続児童殺人、熊田瑶子願望連続放火事件、北朝鮮非難制裁決議を巡る国連外交、靖国問題と近隣諸国外交手詰まり、シンドラーエレベーター事故・パロマガス器具・トヨタリコール等々、連日・毎月事件事故のニュースが絶えない。

 そもそも『普通』ってどんな事をさすのだろう。特に変わったところが無いことだから、価値の薄い重要視されないように受け止められるが、むしろ目立つ異常・変人・専門バカの方が如何に恐いかはご承知のはずである。(北朝鮮・一神教と宗教戦争・テロ国家・・・)

 幼い罪の無い可愛い盛りの彩香ちゃん・豪憲くんの命を奪った鬼婆か!畠山容疑者の事件も寄って集って騒ぐ専門家・専門職・専任職位の人たちよりも、普通の一般の人の「感」が的を射てたのではなかろうか。。。。。普通の人の声をバカ?にして「聴かない・取り上げない」初動の操作にもその事が伺える。

 今の世は、グローバル化と多様化した社会構造が進み「専門化」「部門化」「有識者」の流れは是としても余りにも「重宝と鵜呑み」し過ぎの嫌いがある。そもそも一芸に秀でる能力と集団も必要だが、事件とか事故は「複合的要因」がつき物であり一面からの解決では無理があるのだ。

 冷戦終結後の世界にあっては、様々な国が国連に参加し「重石が外れて好き勝手に主張」する大小各国と世界大戦の戦勝国組主導の仕組みは変わらず、とりもなおさず我が国は「敗戦国」として未だに「普通の国」になっていないのである。

 先般、某実践経営者の体験談として「会社を最後に救ってくれたのは普通の社員だった」と含蓄ある言葉を聴いた。
普通の人が普通の国家を創るのか?普通の国家が普通の人を創るのか?国の形・教育問題とまだまだやらなければならない課題が山積する中自民党総裁選は進行する。

※くれぐれも劇場政治・マスコミ主導・迎合型政治だけは脱皮して「普通の人が普通の国を託す」選挙を望みたい。

平成18年6月25日   ストップ・ザ「官益法人」

 官から民へ、民間にできる事は民間に!ご趣旨は全く意義ございません。将来の子供達のためにも放っておけないから行財政改革の骨太方針までは理解する。ところがどうも各論・各省庁や地方自治体の取り組み実態と具体的施策になると「官僚の既得権益」はしっかり守りl、実質の財政削減・効率化への道筋には程遠いのが現実である。

 公共事業の高コスト・無駄遣いの追求・改善がいつしか論点操作で「公共事業は悪」「一律公共事業の削減」に政策をすり替え、官僚機構の無能な経営責任や補填を回避。「税金」を権力まで付して官僚に与えた株主たる国民はたまったものではない。(国会の機能マヒも大きい)

赤字を生んだ、政府機関・公団・公益法人の腐敗構造・不正経理に眼を瞑り、民間準拠どころか生涯所得の優遇措置等々の放漫管理に対策も責任もとらず、「やりどく・やり逃げ」のままの行財政革法案は、税金での穴埋対策法案と言っても過言ではない。

 さらに、国所管の公益法人1,900法人への天下り約4,500人にはポストと金を用意しての受け皿が厳然と存在している。尻抜けザル法の天下り法案(前職務5年に密接な営利会社の就職禁止、法人団体理事割合1/3以下)のなか、飴とムチ理論でポストは確保、補助金は中央本省の指導を?理由に大幅カット・・・では誰が面倒見るの?民間会社の負担増(民業圧迫)ではないですか!!!!!!

 余りにも、表と裏の違いは端的だ。「名こそ公益法人、実態は官益法人」と批判されても仕方ないのである。何故なら「民や地域中小企業の益よりも官仲間の益確保」こそ命題だからである。

 ふれたくは無いが、事実、財団を統廃合してもポストはがっちり確保、人件費は財団の丸抱え。補助金は大幅に減額。しかも地域企業の声や目線に立つのではなく「民の指導」に来ているとの感覚。「お待ちくだされ・・・」下手に逆らえば実家の権力機構?にご注進!!!!

 地方分権も中央集権の害である、霞ヶ関の地方版拡大では地方はたまったものではない。やはり長年染み付いた官尊民卑構造はいくら「地方の自立」を叫んでも遠吠えが如く空しい。。。。。。。

平成18年5月28日   深刻な『信用ゼロ国家』の憂い

 12~13年前の年賀状に、素人ながら世相の批評を書いていたが当時「信用・信頼の喪失」を嘆いたものだ。振り返ってみれば、政治不信は元より国民が頼りと信じていたものが次々と崩壊し始めたのはこの頃からだった。
・・・・・・・・・・・・情報公開制度・企業倫理も声となってこの動きは重要な事だった・・・・・・・・・

 国内では,政権への執念から政策もイデオロギーもかなぐり捨てての信じられない「自社政権の禁じ手?」による自民の政権復帰、その後はご存知のとおり社会党への袖振り・切捨て、あろうことに宗教政党との政権維持・・・・一方の明治開闢以来の官僚機構国家の『絶対権力と信頼?を誇った』お役人たちの構造的腐敗が異臭を放ち始めたのだ。

 「ノー○○しゃぶしゃぶ」なる料理(?)があるのを知ったのもびっくり、流石に先端時代を行く官僚だと大蔵省・税務関係者・警察官の不祥事・教師破廉恥事件、道路公団・保険庁等の政府系公共団体も天下りのみならず、ずさん極まりない私服肥やし・・・一方民間の大手食品・自動車・流通会社・弁護士・新興宗教の乱立・・・・数え切れない程の「悲劇・構造的崩壊」が20世紀末現象として起こった。

 また、世界情勢も東西冷戦の雪解けは壮大な社会実験の結果として当然の流れとは言え、21世紀は「9.11の米国同時多発テロ」で象徴的な幕開けとなり、その前兆は東西問題から中東宗教・民族問題としてくすぶり続けていた。もちろん北朝鮮国家の無法ぶりと拉致問題は、タブーな扱いに仕向けた外交・国家政策の中で「解決の時期」を大きく遅らせ『人命・人権』の取り返しのつかない現実をさらけだした。

 最近の不信感増殖現象は未だとどまらない。保険庁の表面改革(実態は全く変わっていない。道路公団もしかり)国税投入までした大手・地方銀行の軒並み史上最高利益の裏腹に相変わらずの行内不正事件だ。
 (いずれも国民のささやかな虎の子と生活の安心を求めての"希望"を踏みにじる信頼の裏切り行為にほかならない)
 小泉改革路線なる改革の中味について、総理ポスト争いと共に小沢民主で賑やかになったが、一番大事なことに気が付いていない。

それは『信頼・信用の回復なくして改革はできない』と言うことだ。
信用の要素は「実績」!!!!!!実績の無いときは「その人柄と生き様」しかない。

 構造的な体質改革となると官民の総入れ替え・与野党の総替え・中央と地方の逆転・世代間の役割入れ替え・男女の家庭職場での働き交代
・・・・・出来もしないが、親子世代間交代パターンを視野に入れれば「可能」な話。中小企業の個人会社は、外の血を入れたり他所の修行をさせながら、社業を持続しながら発展させながら生きているのだ。大手会社の長すぎるサラリーマン社長・会長・相談役など、官の天下りを批判できないところに「信頼ゼロの相関関係」をみるようだ。


平成18年4月30日  世界都市「ひろしま」の再生案

 過去、広島の三大いや七大バカ事業(無策行政)については、死んだ子の年を数えても仕方ないので『今からどうする』視点で考えてみよう。
広島の気質に「官へのぶらさがり体質」がある。これは各地域共通しているものの特に、臨時大本営の設置や国策戦艦を始め公共事業(軍需産業)が地域経済を下支えした歴史から止むを得ないところもある。

 ところが、いつまでもこの体質を引きづるから問題である。なぜなら「自立・内発型」地場産業づくりや、積極的外部からの誘致・受け入れに動こうとしない。逆に知的産業集積の大学を外に、空のインフラ飛行場の追い出し、早く出すべき国道2号線を都市のど真ん中から出せずにいる等およそ道州制の到来があろうというのにその中枢機能は恥ずかしい限りである。

 広島県(市)の社会環境条件の優位性は数知れず、特に人類初の原子爆弾による被爆都市「ひろしま」は世界に名の通った街なのである。
気候温暖・少ない天災地変・瀬戸内海資源・交通流通の起点性・均衡ある中核都市の魅力・海山川揃った街・周辺の自然環境・・・・・

さて、この条件を活用しない『知恵と熱意不足』を官民一体で知るべし・行動すべしなのである。その方向性は

@世界平和都市「ひろしま」
平和公園と隣接して球場跡地に『国連アジア本部』の設置をする。西風新都は外交官高級団地の集積地域とする。ODAの国内投資と外交官の交替・パーティ経済効果は大。人口減少県の最大政策となる。なお、合同庁舎隣接国有地の空き土地
の無駄排除としてもやるべし。(従来の平和運動からの脱皮!)

A世界の文化・民族芸能ミュウジアムの建設
広大跡地に、「知の拠点再生プロジェクト」なる構想を6大学学長が出しているがダメだ。学の知恵はその程度(東広島サイエンス都市で十分可能)ここは、滅び行く世界各国の伝統文化芸能を集積し常設の入れ替え『芸能ディズニーランド』にする方が地域経済にラスだ。そして世界からの観光客を呼べるものとする(サービス・知的産業の雇用・若者就業の拡大)

B瀬戸内海マリーンスポーツ拠点都市
宇品・観音・五日市と廿日市・宮島、、、、多島美に恵まれた瀬戸内海の内海資源をゼッタイ活用すべし。さらには豪華客船を停泊(出入国管理で海外特区)定期カジノ社交場の開設。

 まだまだ、中山間地域を抱える周辺他県との広域観光連携によって中枢性を高めることによって、都市機能麻痺した東京・大阪・名古屋に負けない『国際都市国家』建設ならば、これこそODA国家予算をつぎ込んでも「ぶらさがり」でなく、閉塞状態の国の活力回復にもなるであろう!


平成18年3月29日   定年退職に想う

 自分自身は、今からこそ「気力と知恵」で地域の皆さんと一緒に町おこしや地場産業の育成に頑張ろう・・・と思っていても、人間「時間ですよ!」とゴングがなる。
不思議な事に、雇用形態は変われども仕事は継続してやる予定だからなおさら「退職実感」が湧かない。

ところがである。周りの動きがその雰囲気を作ってくれるのである。
@年度初め(昨年4月)退職旅行券が届く A共済会から記念品ギフトカードが届く B退職に伴う記念品の回章が始まる
C退職者対象者への事務手続き説明会が開催される D友人から記念品をもらう  E送別会と称する宴会となる
F理事解任の話が来る  G子供たちから還暦のお祝いを贈られる  H夫婦で小旅行にも行く ・・・・・・・

なるほど、時期が来ればどれをとっても始めての事だが、無ければ寂しいことには間違いない。(会社の諸制度の充実振りに改めて感服)
本当にハッピーリタイヤとは贅沢この上ない話だ。

さて、定年制度は組合側から延長要求までして作った制度であるが、当時も一考したものだ。

「定年制度」は要るのか?元はと言えば劣悪労働条件に縛り付けて働かせた雇用主の悪の制度であった(労働者解放へ)・・・・時代の進歩は労働三法整備・健全な労使交渉の積み重ねから労働条件の主要な柱として安定雇用制度として機能してきたのである。

今日の超高齢化社会になると「定年」でなく熟年労働者として経験・知恵・人柄の特性を活かした仕事は多種多様化している。だから終身雇用でなく終身労働力として、すなわち健康であれば定年制廃止で労働市場の拡大・流動化を40台位から個性に合った選択できる社会のほうが国家・国民・労働者のためになるのではなかろうか。

 介護保険制度・厚生年金制度・・・・国や社会が面倒見る政治等と詭弁は止めて(制度は最小限が正しい)自ら働き・貯え・家族が面倒見る社会。努力したものが救われる社会に戻すべきだ。真の弱者への福祉手当は厚く!バブル敗者共への補償・救済はありえない。

どうも「福祉」の言葉に弱い国民に向かって、選挙上手な政党が伸びるとロクナコトハ無い。
大きな政府か、小さな政府かの論点もナンセンスそのものなり。


平成18年2月18日  トリノオリンピックに物申す

 皆さんはどんな思いで夏・冬のオリンピックを見てますか?とにかくやたらと
@競技種目が増えすぎた
Aルール改正が多過ぎ
Bゲーム化・ファッションの競演が目立つ
C何を競っているのか解らなくなった
D世界のレベルと参加基準が不明確   等々自分の「スポーツ音痴」を棚上げしての偏見で心苦しいですが理解できない事が多くなりました。

 本来人間の精神と肉体の極限を追求するシンプルな競い合いこそに「感動と挑戦」の歴史がオリンピアて゜はなかったのか。
「より速く、より高く、より強く」そして競技判定機器の進歩は東京オリンピックを境に1000分の1秒の勝負へと体力改造問題にも変化を・・・
蛇足ながら、昔は"運動選手は水を飲むな!水分をとるとスタミナがつかない"だったが、今は逆ですよね。

 スポーツ産業も多様化、ビジネス化、塾学校、デザイン産業へと拡大。さらに器具・ユニフォームの材質改良開発競争はめざましく。トラックやリング意外での国際競争がオリンピックとなったのである。こうなると国際総合産業・スポーツ・演出デザイン大会と改称も必要ではなかろうか?

 また、競技場外の争いは「ルール変更」の争いと聞く。柔道しかり体操、バレーボール・・・自国の有利なように!憎き国の引き降ろしの為のルール改正会議は、裏で交際費の予算競争・買収の巧妙さとまさに「国際的談合社会」と言っても過言ではないと聞く。

 こうなると知らないのは納税者・テレビ視聴者・・・この度のトリノ大会「メダルどころか、どこの若者か?競技レベルも解らない」なかで、NHKを筆頭に放送関係者ばかりの騒ぎが目に付く。これでいいのか?
 今、開催中の予算委員会意質疑の一つに加えてもらいたいものだ。
その国会も、揚げ足取りと劇場政治の結末が耐震構造事件・ほりえもん・BSE・拉致問題の停滞等の体たらくになっているのがより深刻だ。



平成18年1月14日  驕ることなかれ都市中心社会

 南関東地域の発展成長振りには、ひとり勝ちの羨望も含めて驚きである。GDPは元より、人材集約・社会インフラ整備・都心からの癒し都市としての文化・遊興施設の構築と・・・影の部分を抱えながらもそれをも上回る生活メリットを享受しているようだ。

 戦後60年。我が人生と社会変化を振り返るに[地方があっての中央][供給があっての消費][技術があっての成長]等々のキーワードを良く噛み締めて欲しいものだ。

 地方よ!自信を持てよ!。国家建設を担ったのは地方からの貴重な人材・自然環境資源であった事を!

金の卵として送り出した労働力、三ちゃん農業とまで置いてきぼりにしてまで製造業・工業都市建設、日本列島改造の旗のもと高速道路・新幹線整備、鉄は国家なりの電力生産を支えてきたのは地方ではないか。
 自動車やIT産業でもなければヒルズ族の資金でもなかった。経済成長の成果分配も還流はしているものの「感謝に満ち、謙虚な姿勢」とは程遠く、最近では小泉切捨て論が大勢ですらなってしまった。
 加えて、竹中某大臣連中が米国型グローバリゼーションを振り回しているが、無資源国の日本は[食糧・防衛・エネルギー」の再生整備が必要であるし、「科学技術立国としての人材育成・教育の建て直し」は緊急の課題である。
狭くて小国日本は、もっと生産部門と地方を大事にし、モノづくりの貴重さを教え育てることこそ「真の改革」ではありませんか!
 あえて言う。この課題克服は今の都市中心社会環境の中で解決は困難であろう。

 もともと、高級官僚も財界トップも地方の出身ではないか!いつ頃から「生まれた田舎・墓・地方を捨てなさった?」・・・・どうも嫁に引っ張られ、利便性、拝金主場の魔力に侵されてからなのでしようか?
 故郷に錦を飾るなど死語となったが、心まで捨ててしまっては「国内拉致問題」と言わざるをえまい。


平成17年11月26日   技術の崩壊は日本の沈没

 マンションの耐震強度偽造問題が表面化・・・・どうなっているのだ。氷山の一角?、今に始まったことでも無さそうだ?それだけに他にも有りはしないか?一体何処の何を信頼すれば安心なのか?こんな日本の雪崩現象の兆候は実はあったのだと思う。

 三菱自動車・明治生命・牛肉牛乳事件・JR福知山線事故・東海原子力・・・・・いつも表に出ないが「技術現場の倫理低下」「コスト至上主義」「営利優先の経営」「経営責任者者の現場離れ」「社会責任の欠如」「官僚のセクト・責任回避」・・・・
 どうも日本列島社会倫理の崩壊が「失われた10年」の最大のものではなかろうか。

 「衣食足りて礼節を知る」そうであろうが、全てそうならないのが世の中なのか?追いつけ追い越せの経済成長路線が悪くは無いが、拝金主義と急激な成長スピードとミスマッチが起こったのだ。
走る前に「小さな躾」から高徳意識を始めるべきだった。

 今からでも修正は可能だ。技術現場の原点に帰り、「ものづくりの汗と努力に立ち返ることだ。技術有っての経営である事を再認識すべきだ。マーケットイン?・ニーズ販売?・お客様意識?・耳障りの良いことが並び過ぎだ。

真の信頼と安全はものづくりの社会責任・使命に裏打ちされていることを大いに声とすべきだ。

平成17年11月12日  新日本経団連御手洗会長にエール

 財界の総理第11代会長にキャノンの御手洗富士夫氏が内定した。
間接的ながら氏の人柄・経歴手腕を聞くところ久しぶりに大和魂インスプリット?に期待したい。
特に日本の生命線とも言える「ものづくり」について安易な海外移転をいさめ批判、自らもコスト低減に一家言をはいておられる。

 「製造現場・生産技術・設計者が一体にならないと真のコスト削減はできない。高付加価値製品の開発も難しい」
 「海外工場移転は、安い労働力を求め渡り歩くことになる・・・」 ←エコノミックアニマルから一歩も進化していない?

 IT時代も否定はしない。しかし今やインターネット長者のマネーゲーム化経済?・・・これが経済構造改革とは思えない。
 ましてや、経済界のトップリーダーは各国との協調・共存さらに日本国力基盤のアキレス腱を自覚した謙虚さが求められるのでないだろーか。

今の・・・・自由化万能の神話はゼッタイ崩壊する。弱肉強食勝ち組負け組み経済構造は改革の痛みではない。
今は・・・・行き過ぎた規制緩和と行政の無駄・不正な税金垂れ流しの粛清さえすれば、日本の再生は可能であろう。

とにかく新会長の終身雇用重視・ものづくり熱意・和魂洋才・・・失われた10年を再生への期待は私一人の期待ではないことを祈る。



平成17年10月30日  産学官民の「協働・共創」への苦言

 中国地域の産官学連携コラボレーションの動きは我が国でも、早く先進的活動を自負して良いだろう。2003年からの3ヵ年行動目標を立ててその成果も一定の総括をし、次なるアクション計画へと進行中である。
 国立大学の独立法人化と行政評価システムの導入、産業界の空洞化現象等々の大きな転換点もさることながら、少子高齢化・労働力減少・地球環境問題・長期デフレ経済・勝ち組負け組み社会・・・・・・等、国家目標も見えない、地域づくり戦略も定まらないまま夢の無い将来へ押し流されているのが「民」の実感ではないだろうか。

 そうした中、産官学民の連携による協働社会・共創社会の実現をめざすコラボレーションは時宜を得たものであるが、そこには求められる辛口な期待を申し上げたい。
 @既成の仕組みをスクラップアンドビルドする勇気を持つこと
 A現状認識の共有が必要だが、何よりもお上依存の体質から脱皮すること
 B構想・ビジョン・目標並べよりも、具体的行動計画(各業界毎に数値目標と期限)を示し自ら実行に移すこと
 C何よりも、スピードと実行力を率先垂範すること
 D若者の抜擢活用、そして自ら勇退する勇気を持つこと

 広島市民球場問題しかり、最近の指定管理者制度導入の名を借りた無責任な公共サービス事業の放棄、論点操作による選挙結果後の豆鉄砲的な税・年金問題、憲法改正論議・・・平成大合併後の道州制などと浮つくこと無かれ!

 ここは、地域のトップリーダーに「決断」と「行動」を求める以外に現状打開の道はない。。。。。。。。。


平成17年10月1日  現代文明「三つのM」の怖さ

西部氏がニーチェの言葉として現代文明を「三つのM」に侵されていると言っている。
     @モーメント(瞬間)
     Aムード(気分)
     Bムーブメント(運動)
さらに、つかの間の流行が巨大な大衆の動きとなりマスクラシー(大衆政治)を産むと言う。既に日本は侵されたのを証明したのである。

 議会民主主義の崩壊の一端が住民投票なるものとかねがね主張し、これこそ選良?達の責任放棄はなはだしく、情けなく思ったものだが、これを国政の場で何食わず顔してやったのが「小泉郵政総選挙」ではなかったか。
 結果は結果。これからが「本物を見抜く眼力」が有権者に掛かってきた。

私は、公約・カタログより「実績」を見ないと信用しないタイプである。だから株はできない。

平成17年9月17日  ローマ人の物語の塩見さんへ

 吉川英治全集以来かな、イマフウなら追っかけの如く発刊を待ち望んで読んだ塩見七生さんの歴史史観小説の傑作である。
政治家はもとより経営者を初め指導者の方は、必読の書としてすばらしい洞察力に感激されたことと思う。
 そのローマ在住の塩見さんから「日本人へ」と言うコラムを文芸春秋に掲載中であるが、今月号では問題の単純化と才能について投稿されている。いささか9.11日本列島ショックで頭が混乱しているおり冷やされた思いである。

 かねがね「法律」とは政策の明文化であり、たえず見直しは頻繁(むしろ見直しを前提に足して二で割るなれあい国対政治?)であるのが自然だと言われる。しかも重要な問題ほど単純化し一人ひとりが判断し易いほどよい、そして方向性さえ決めれば微調整すればよい。

 なるほど。そう言われれば解らないではないが、郵政を政局化・ポピュリズム的・国民投票のような手法で他の政策をぼかしながら政権選択を混ぜ飯にした処に「小泉流」があり見抜けぬ与野党と財界首脳もマスコミも「総理ひとりにしてやられた感」

それだけに「ヤリマスだけでなく、どのようにしてヤリマス」の実行力が一層問われることとなつた。塩見さん「日本人の物語」は紙と石の文化の違いで書きづらいでしょうが、是非ご執筆願いたいものである。


平成17年9月7日  尼崎JR脱線事故調査中間報告

 4月25日事故発生の現場中継を見て、技術職場を離れて久しいにも拘らず「明日は我が身に・・」と背筋がゾーっしたものである。それほど技術現場は事故との遭遇に神経を尖らせているものだ。自損・加害・物損・人身・・ヒヤリハットの塀の上を歩く心境にもなったものだ。

さて中間報告なるもの「想定内」と不謹慎かも知れないが、まだまだ本質を突いてないと思うのは早計か。学識者、技術者の権威ある調査委員会だから調査能力に不足は無いと思うが、止むを得ないことだが当事者(冥福を祈るのみ)の過失か゜主因であり、想像できない異常な運転操作の前兆までを記録分析されている。。。。
しかしこれは「原因ではない、結果である」ことに気がついてない。

建議にあるハード整備はあくまでも「人的判断・操作のバック保護」であり「精神安定剤」に過ぎない。第一義は「使命感・安全意識・生きがい」あっての運転なのだが、そこには万が一のアクシデントも想定し後備保護装置が作動するシステムすなわち機械的ロック装置なのである。
さてさて、この精神安定剤としてATS・非常ブレーキ・速度計等々に頼るのみでは駄目なのである。

 もっと大事なのは「職場の人間関係・仕事に対する生きがいモラル」が何よりの精神安定剤なのに「恐怖の日勤教育あり、職場組合が5〜6つ現存?していては、労使間も管理者との意思疎通も相当難しい職場環境にあると飯を食った者なら推察もするだろう。
加えて、経営戦略として過当競争化、コスト偏重、営業重視、時間勝負は「安全より優先」との神経麻痺を起こすだろう。人間は弱いものだ
 往々にして「準則・マニュアル・遵守事項」を整備し、安全管理体制を確立してありますよと係争時に管理監督過失は怠りなしとの保険・保障みたいな風潮の安全対策であってはならない。

 たまさか今年のプロジェクト調査で技術人材の育成・継承問題を取り組み中だが、どこまで本質に迫れるか!期待している。


平成17年8月27日  一連托生の裏に名誉の影・・・

 高校野球選手権二連覇の偉業を成し遂げた駒大苫小牧高校・・・高野連の処断は今からだが、注目は「事実に対して逃げるかどうか」である。

 北国のハンディを克服し、劇的な感動の渦中に水さす今回の野球部長暴力事件の事実・穏便処理・告発・和解とグランド場外での明るみに出てくる情報は誠に「いただけない」残念な出来事である。
しかし、われわれは優勝チームに限らず野球学校・輸入選手集め・金銭の噂・部長監督のプロ関係者との癒着・甲子園滞在費カンパ負担の実態等々生々しく耳にしているではないか。
 スポーツ関係者以外の不祥事までもが「発覚」と言う事件によって、一蓮托生の考えから、夢も希望も断つし、事後においても剥奪も有りうることを正義としているが、はたしてそのことは正しく潔いことだろうか?

 スポーツ練習中の体罰騒ぎに異論もあるが、暴力・非行を是とする訳ではない。それはその範疇で抑止・処断されてよい。
しかし、有る特定の連盟機構の歴史的大会名誉を保持するための処罰であっては、あまりにも現実逃避を地でいっているとしか思えないがどうだろう(名声・名誉なんて瞬間風速であり、史実に残るものは後世の判断しかないのに・・・)

 近代スポーツはオリンピックしかり世界のトップアスリートをめざす裏には、本人だけでなく組織的資金・訓練・技術の支えがあっての話。古代に戻り「早く・高く・強い」者のみの勝負、つまり単純種目に絞り込む方がスポーツには必要だ。

 願わくば上位の裁断でなく「部自ら、学校自身」の事実と教育責任について是非を潔く決断するのが「武士の国」ではないかと思うがいかに。


平成17年8月23日  チェック機能の低下は何故?

 謎の「ピアノマン」として4ヶ月もTV新聞を賑わしたオソマツ報道・・・・・・チェックも確かめようも無い世界の人々は「開いた口が塞がらない」
事の発端は誰が何時なんの目的なのか、故意,過失、捏造、騙し、その原因の確かめようも無いが最近の「チェック機能の低下」は無視できない処まできた。社会的甚大な被害・破壊行為で無い限り看過しても良いが「確認チェックの必要性」は絶対である。

それ本当なのと再確認してみたい最近の報道記事の類は多い(イラク戦争の鵜写真・月面着陸・反日運動・北京弾圧・残留日本兵)=報道関係
また、行政・企業・外交・医療・環境等々では(政界の贈収賄・薬害エイズ・明治乳業・アスベスト・拉致被害・航空機・電車事故等)=社会生活関連
@高度情報化社会は「スピード」「全世界エリア」「臨場感」と結構だが、そこに競争と営利・特ダネ・売れればよい意識が強く「社会倫理・事実チェック」の機能がおろそかになっていないか!
A組織管理も法規制も社内規定もマニュアルまで整備し、かつ最近ではCSRまで叫ばざるを得ないようだが、ここは立ち止まって人づくりと企業体質にメスを入れるべきではないか(過剰なコスト競争・リストラ経営のはき違い・マネーゲーム経済・グローバル化の錯覚)

やろうとする事が「人のため、世のため、国のため、世界のため」なのかを一人ひとりが職位に照らして自分自身に忠実になって行動できるかどうかにかかってきた。

我々は、右肩上がりの経済と成功体験に「既存組織・仕組み」が社会変動にミスマッチしているこ事に気がつくのが遅かった(茹で蛙現象)
取り組む前に「出る杭は叩かれる・成果主義の亡霊・会社不滅神話」があるようでは「チェック機能の厳正」への期待はおしてしるべしか。


平成17年8月21日  「おたがいさま」の心で考えてよ!

 誰でも、何処でも「嫌なものは欲しくない」しかし「嫌々でも、何処かで、誰かがお世話をしないと我が身・家族が危ない」事に気がつかない。
俗に言う「嫌悪施設は必要だけど自分の所には来るな・・・・・」である。気の毒なり。我が儘なり。エゴイズムの権化なり。

世のため人のためなのに・・・・・・身近ではごみステーション・廃棄物処理場・刑務所・火葬場・墓地・下水処理場・発変電所・自衛隊米軍基地・飛行場・・・・モノによっては利便のみ追求し、負担・犠牲は他所で!   こんなことで狭い日本ヤッテイケル訳ないよ(怒り)

 施設地域は先端技術の活用、生活補償と周辺のソフトハード整備向上による生活環境改善は当然であり、理解と負担を負うべきは消費地・利益享受者であり感謝の心も言葉のひとつも絶対である。
このままでは、いずれ行き詰るのは必至。。。。。ましてや国家国民の安全保障問題はタブーしがちだが重要課題だ。

沖縄の心の痛みの解決策は、国民の今日までのお世話になった感謝の気持ちがあるならば「米軍基地の縮小と20年持ち回り遷都」を提起したい。(米軍・自衛隊基地を総合的に再編し重要施設分担地域を20年毎に遷都すべきです=地域整備と活性化を公的施策展開可能)
在日米軍再編問題が出た途端に「地元受け入れ反対声明をいちはやく打ち上げる・・保身首長(近隣連携も早い)」・・・・しかしそれで良いのか?

日本は自由主義経済・民主主義体制・日米安全保障を基軸として継承・発展を期するならば、「おたがいさま」の民意形成が急がれる。


平成17年8月20日    51対49

 交渉ごとには「大勝」「完敗」は無い。有るとすれば不意打ち・だましの時だけだと思う。(100対0)
話し合い・交渉とは、事前があって本番、そして確認整理するのが近代的ルールでありマナーでもある。
私の交渉哲学は「51対49」をめざして最後まで1ポイント勝つことにこだわることだった。交渉テクニックとして退路を断って追い込み過ぎる嫌いは有ったがことごとく結果には、逃げ道(相手の立場)を残したつもりである。

この優勢勝ちこそが長い眼での安全・安心システムと民主主義のなせる業なのである。

[蛇足::::外野席には引き分け?馴れ合い?出来レース?と表目にはそんな酷評もつき物だが・・・真の交渉責任とは芝居ではすまされないのだ]

 郵政改革法案=衆院の5票差(可決)・参院の18票差(否決)は、勝ち負けでなく内容への賛否・理解不足を示したまともな結果だと見た。大筋流れは「民営化」を勝ち取り、移行手段に姑息な配慮を加えたばかりに即決こそ逃がしたが、継続審議すれば「どちらも勝つ」
ところが「衆院解散・民意決着」との大権を抜いた!!!!国政選挙で「争点作り」「劇場化」し、国民を馬鹿にしているがこれこそ「ほぉっておくと怖い話」かも知れない(世論を利用して北も東も中東も専制国家となった)

「時流をみて,一気呵成な保守体質の脱皮」を図る改革者は必要だが、真の改革者か?裸の王様のスタンドプレーかの見極めはこれこそ「世論」でなくてはならない。
・・・・・・・・・・・・人望ある大権者には、優秀な側近ブレーンが居るのにどうも見えないところに不安が消せない・・・・・・・・



平成17年8月18日  政治家の要件

『恥ずかしがらない』
『反省しない』
『本当を言わない』

 しばし名言と言わざるを得ない。いや全くその通り。出したい人より当選した人の共通性でもある。
それぐらいに神経も図太い人。懇切丁寧な解説は返ってボロが出る。我が道を自分のペースで行く。建前のみもっともらしく喋る。馬鹿・無知な(本人から見ると)国民・メディアはワンフレーズで十分。過去の言行は気にしない、何故なら公約は守られたことが無いから気にしない。将来の夢のみ吹けばよし、やるのは他人。自ら実践した者はまずいない・・・・・・
全国各地の各級議員には、「こんな議員ばかりではない」から救われるのであるが、いみじくも国政選挙である衆議院選で、刺客候補探しの劇場化したタレント・借り物候補については余りにも国民を馬鹿にしていないか。

 私が、まっこと洞察力と仕掛け人として、心底から師と仰いだ大先輩(故人)を偲びながら要件に照らしながら「郵政改革解散」を観るのはヒガミだろうか。


平成17年8月15日  夏が来れば思い出す「傾斜政策」

 夏が来れば思い出す・・はるかな尾瀬・・。そう水芭蕉の花の涼しさを。・・・こんな自然に心身癒していたいものであるが。。。。
一週間の夏休みをとり家族サービスを努めた、いや楽しんだのであるが、夏が来る度に貧乏人の性か?思い出すのは『傾斜政策の反省』である。
暑い夏には殊更「職場は涼しく・快適環境・この世の天国か!」「職場の近隣には食事どころ・病院・遊興設備・カルチャーセンター・勿論交通アクセスも格段に良い」
一方「我が家・町内に近づくにつれ不便・暗い・店も少なく・いわゆる在郷なのである」
 サラリーマンの持ち家は所得傾斜の高から低に応じて、都市中心から遠くならざるを得ない、一回きりの退職金を叩いて建てたマイホームも質的・広さも努力して引き上げてきたもののまだまだ『会社・職場中心の政策』からすると見劣りするものだ。
  近年まずい事に、グローバル化・海外競争・コスト重視の大儀を盾に、我が国の労働者賃金が高すぎるとの論法を労使挙げて言うではないか。かって傾斜政策も優先順位・選択肢として合意してその傾斜を『今から地域へ・家庭へ』と嵩上げに掛かったところであったのに・・世の中巧く転げないものだ。
  過去と現状までの成果と反省点は見えた。将来に向かってどうするのか?温故知新・歴史を観て勤労者が踏ん張らないと『お茶の間劇場」と化した政治に振り回されはしないか。すでに政府税調は仕掛けに入った、まだ消費税に反対する勤労者たちよ。そろそろ眼を覚まそうではありませんか。私は自身の反省を込めて言いたい「傾斜政策の転換を」

平成17年8月13日   迎え盆  報恩感謝

 初孫京香の帰省で、一週間早いお盆休みを家族揃って過ごした。まさに義母と子供たち二組夫婦と孫そしてポメのエミリー、我が家の勢ぞろいであった。
 今日は、迎え盆。いつもだと里帰り、お墓参りし報恩講であるが今年は失礼し人間ドックと自宅でのんびり過ごすことになりそうだ。

 ふと世の中観ると、郵政民営化6法案で「参院否決・解散・自民分裂・刺客選挙・・・」とお茶の間劇場どころか「こんな日本に誰がした?」とご祖先様が怒ってはいませんか? 靖国問題も終戦記念日とゴチャマゼで英霊も浮かばれまいに・・・
 ジジ馬鹿で醒めた末端国民の一人としてこの騒ぎを眺めて観る。

「小泉さんは、変人でも奇人でもない。家族の痛み・愛・苦労の少ない、ケンカ上手なわんぱく盛年かも知れない。」
「したたかさは、並以上。郵政と改革を唱えながら選択肢をそらし長期政権へシナリオへ800億円の選挙費税金を使っているかも知れない」
「亀・平・綿・小・・・誰彼言うのも子供じみて気の毒に見える。相撲のとれない力士は引退と違って、議員はバッチさえあればの感」
「政党政治の終焉。民主主義、多数決手法の崩壊。しのびよる強権断行は癌細胞によく似ている。代表・議院内閣制の意義喪失」
「かって自民党には、右翼から保守、社系まで幅と均衡で国民ニーズを受けた。主義無くして一政策手法のみで割れた例は皆無」
「それにつけても民主党よ、どうした。年金しかり郵政しかり「改革の専売特許」を小泉一人に取られ、なす術を無くしたのか」
「期待された者のみに、支援の手は続くもので投げたさじをわざわざ拾ってまでくれないのが国民だ。将来に託す政党は産まれないのか」
「いかに劇場PRと演出をしても、解散選挙の意義が一政策の賛否で国費・人手の浪費となったのでは、この国に将来はない」
「もっと祖先、先達の礎を噛み締め報恩の心をもって改革を進めるならば、せめて若者子供たちへの教育的価値が有ろうものを」

一年節目ごとの祭りごと(政)は、日本の文化として守り大事にすることが国家百年の計事、とくに慣わしの意味と心をこめた「報恩感謝」を言う親子家族づくりこそが国家作りのもとであり、けっして『選挙』ばかりでないことを醒めた男は思うのである。


平成17年8月6日   先進地?・・・・ウーン!

 先週と今週は「先進地視察」と言う事で学・産・官と構成した調査プロジェクトチームで各地を訪問した。
平成の大合併で各地域とも名称変更、各種団体の統合再編等動きが活発であるが中身はいろいろと課題もありそうだ。
 そのひとつ
 消える地名に悠久の歴史も文化も忘却の彼方へ捨て去られるのかと惜しまれてならない地域もある。この度も幸運に世界遺産を
横目に視察を終えたが、一方で壊し一方で保存の動きはバランスの取れた知恵のように見えるが、動機たるや経済性・法整備に
基づくお上主導であり、自発的な「土地文化・地元の声」が聞き取れない所もある。
 この視察の名称も「先進地であるが・・・」果たして、受ける側も訪問側もぴったりした呼び方なのかとふと疑問も感じる。
呼び方を変えれば済む問題でもない。が・・・交流・連携・学習・交換等目的が見える方が今風ではないかと。
 後進国を発展途上国に(そのくせ自国グループを先進国と言っている)。。。差別でなく区別だとか・・・中身の伴わない改称は
文化の荒廃を招き兼ねないし、本質を見失うのではないか。

 そうは言っても・・・と言うのが味噌で「学び・体験する」限り先進の師であり、道しるべであればこの名前のとおりかも知れない。
ともあれ、各地域で資料準備を初め眼いっぱいご説明を戴き感謝の気持ちが一杯である。        謝々

平成17年7月30日   ひとり二票制はどうか

 日本では、平均2〜3日毎にどこかで選挙が行われている。だから民主国家と思う無かれ・・・投票率が低いと
「真の民意」は反映しないどころか選良とは程遠い「ひと」に政治を委ねていることになる。
 そこで選良選挙と投票率アップには現行選挙制度の抜本的見直しが必要である。

 一人一票では、余りにも選択肢が狭い。出したい人と出してはならない人を意思表示するには「ひとり二票」の権利を
有権者に与える投票のしくみこそ、選択性を高め投票意思を示す事になり、よりましな選良者を出せるのである。
 勝った人も「批判票」を知ることによって、謙虚にしてもらいたい、且つ差し引き得票数ここそが「生の支持者数」なのである。

 時に無投票選挙では、税金の無駄との声とともに選挙をしないのは、政策公開の場を失い、さらに政治への関心を下げている。
対立候補がいなくても「政策実績の審判」を受けることが選挙なのだから、○×の選挙だけでも緊張感を与え、政策を訴える
選挙期間は義務を果たすのが被選挙者の務めである。
 
 納税者の声が届かない仕組みと、投票率の傾向は連動しているところに「日本の政治三流」の所以ではなかろうか・・・・


平成17年7月24日    公園デビュー

 川崎に住む初孫の子育て成長の記録を、嫁さんのブログで連日観ながら可愛い振る舞い姿に早く、
帰ってくるのが楽しみなこの頃である。
 共稼ぎ夫婦として仕事に専念していたものだから出産・子育てと社宅コミュニティが巧く行くのか?
ジジ馬鹿は心配もしたが取り越し苦労とはこの事だ。
 若者は、地域でも職場でも馴染みが早い・・・・本人の努力・性格の良さも加わって「公園デビュー」
は不安の素振りも無く即、花形スター?かも知れない。

 そんな、嫁と孫を見ながら「オッと、心配すべきは定年後の私の方だわ・・・・」折りしも、先輩から
日経マスターズの「定年後の地域デビュー」を薦められ、
                               そのOBさん曰く「君なら、間に合うから・・・・」と。

平成17年7月18日      「空の山手線」を創ろう

 国内線ローカル空港は、赤字・接続不便・二次アクセスの悪さから、ますます利活用率は低下している
そこで、国内外の観光誘客・ビジネス活用の活発化のため『日本列島・空の山手線」を創ろう!
 新幹線は、日本列島の背骨動脈・国道整備は地方都市の主体性で二次アクセスとして整備するがよい。
航空会社の統合を機会に航空機の効率的利活用と東京一極集中ダイヤの改正のためにも、またインバウンド
対策として、是非『空の山手線」を創るべきです。

1.国内・国際線空港を全てネット化したダイヤ・機体の運用をする
2.羽田を起点に右回り・左回りの周遊ダイヤで運行する
3.快速便・普通便10本づつ主要空港経由型の新空のダイヤ改正を


平成17年7月17日    開設のご挨拶


 今日は、新築工事に頼もしい甥っ子さんにご支援戴き上棟いたしました。
まことにめでたい記念すべき一日です。

よって、時事雑感は追って
皆様と共に歩みたいと思います。