「我が人生悔いなし」


私は、終戦直後の昭和21年新憲法っ子として、およそ戦後の荒廃と混乱とは
程遠い高津川の清流で産湯を使ったのである。

田舎で十分とは言えないまでも、衣食住の揃った農家の9男として自然のままに
「日本の原風景」の中で中学校までを故郷で過ごしている。

工業高校を卒業後、10年間の現業機関生活は「泥臭いが暖かい」青春時代の
良き思い出と共に二人の子供にも恵まれた我が家のスタートであった。

青年将校ぶった熱き魂の組合専従生活の約20年間は、「思考・行動・知恵」を
育んで戴いた「我が人生形成」の時代でもあった。

職場復帰後も、殆どの仕事が地域社会・産学官民の皆さんと共に歩む環境に
恵まれ今日まで「社会の中で・・・」生かして戴いたのである。

父母への感謝

両親は明治・大正・昭和・平成と栄枯盛衰、艱難辛苦の時代を5人の息子達の嫁
に恵まれ、7代当主として故郷の「家と墓」を守つた根っからの長男であった。

晩年の孫宅巡りで、父の歌う「星影のワルツ」と母の「皆、ええ嫁じゃ」の言葉は
今も心に焼き付いて偲ばれる。
父は七夕の日に、母は釈迦の生誕の日に召された

合掌


「自分小史」

第一期    故郷・学校時代
1946年 昭和21年3月3日生(9男)
中学まで日本の原風景匹見で育つ
昭和30年天満宮祭大名行列の先乗り(人生運はこのご加護と今も感謝)
中学卒業前に自転車転倒膝皿損傷
江津工高電気科に入学し、兄宅旧邑智町築瀬駐在所より通学生活を送る。
亡き父の望み(近くの発電所勤務)に沿って、昭和39年中電に入社。
潮・明塚発電所時代の同志が我が人生の一番の先輩後輩仲間である
第二期    現業機関・青年部時代
島根支店の導入教育後、潮発電所勤務。田舎の青年団的よき青春時代を過ごす。昭和44年現業機関整備により益田電力所へ転勤。昭和46年結婚、一女一男に恵まれる。昭和49年、本部委員長の「たかが100名・・」答弁に魂に火がつき組合専従として広島。人生の転機となる。
本音は現場の声は本部で勝負しないとダメだの実感からである。
ただ、田舎ものの体感は正直かなり堪えたものだ。
第三期    組合専従役員時代
教育・機関紙・経営対策・組織対策・交渉対策各部長、交渉対策局長後、書記長として6年。本部生活18年勤める、この間海外出張7回。「○○節」と言われるまでに!盛年時代は組合と共に社会・人生勉強を学ぶ。
痔手術・痛風の発症・意識不明で倒れたり大過小過の中お世話になりながらの「のぼせもん人生」であった。
鉄砲玉は後ろからも来るを知る!現場もの、中電独自課題ばかり取り組む充実の人生であった。
昭和62年7月自宅新築。
第四期    管理職・経済団体時代
平成5年、志半ばにして組合役員を退任。経済研究センターに着任するが人生節目をつける大事さを知る。
副長・課長・次長とそれなりの処遇を受けながら8年管理職生活。「人」が仕事をする事を実践した積もり。
平成12年経済団体へ出向。持ち前の熱意・度胸と正義感をバネに「創造的改革」に驀進中?世間は広い!
平成18年4月「ちゅうごく産業創造センター」として統合再編・体制整備に一からやり直しに掛かる。
嘱託出向とは言え「のぼせもん」は根っから変われない・・・・・


人生スパイラル

西暦    
年齢
人生の節目     世の中の動き
1946年(s21) 0 父猶幸 母良子の9男として生 新憲法交付・労組法施行
1953年(S28) 7 匹見小入学  中国電労結成(8.28)
1955年(S30) 9 天満宮先乗り 町村合併 保守合同55年体制
1960年(S35) 14 北九州修学旅行 自転車事故 新安保条約調印 岸退陣
1962年(S37)16 江津工高電気科入学通学 S38豪雪 ケネディ暗殺
1964年(S39)18 中電入社 潮発電所青年時代 東京オリンピック佐藤内閣
1970年(S45)24 大阪万博キャンプ 保修業務 沖縄返還前年アポロ月へ
1971年(S46)25 優子と結婚 益田電力所時代 支部書記長・代議員時代
1972年(S47〜 長女・誕生 翌年長男生れる 47豪雨 浅間山荘事件 
1974年(S49)28 組合専従へ 「人生形成時代」 長島引退 原子力運開
1977年(S52)31 電労会館竣工 組織・交渉全般 カープ優勝 FF始まる
1981年(S56)35 電力総連結成 '86書記長就任 営業所見直し
1987年(S62)41 我が家新築 親孝行まね事へ 連合結成 竹下内閣
1992年(H4) 46 組合役員退任 経済研管理職 ICEF世界大会出席
2000年(H12)54 中国産業活性化Cへ出向(理事) 電力自由化・平成合併進む
2006年(H18)60
定年・嘱託・ちゅうごく産業創造C 小泉劇場〜安倍〜福田
2007年(H19)61  退職記念(旅行山陰・家族全員鞆の浦泊)夫婦山登り・ゼロクラウンに・亜紀子夫婦宇品マン  PFI推進会議設立ほか
2008年(H20)62 4月組織改正〜悪夢〜自宅勤務10月〜理不尽な陥れに遭遇 麻生政権・株下落世界不況へ
政権交代の兆し
2009年(H21)63 真相実録完結し 「さらばCICC!」
3月末雇用満了・年金生活へ
政官と民の戦いへ。「侍ジャパン」優勝。10月鳩山政権へ
2010年(H22)64 ATAC事務局常勤・技能伝承支援へ グアム旅行 6月菅政権・民社期待倒れか
2011年(H23)65 委託事業仕上げへ・北京旅行・6月石鎚山登山・兄の叙勲祝い
12.2ATAC辞職
3.11東日本大震災・福島原発機能不全・野田政権
2012年(H24)66  3月台湾旅行 石鎚山11.7樹氷
12.25義母没 夫婦とも検査受け
 安倍政権 民主大敗
 2013年(H25)67  風呂洗面所リニューアル・ギターレッスン開始・大腸ポリープ摘出・兄弟会開催・雨の石鎚山  アベノミクス・五輪'20東京開催決定
 2014年(H26)68

2月優子・亜紀子3人ハワイ旅行
 ソチ五輪







海外出張・研修編

件       名 日 時 ・ 主 要 国 備考
民社党青年の船

三電労青年部ハワイキャンプ

欧州電力労働事情調査(交代勤務制)

電力総連熟年ツアー

第6回台湾電力工会人物交流団

第35回本部大会小旅行

電力総連タイ難民救援視察団

ICEF電力世界会議

中国電労40周年欧州旅行


中国経済連合会中南米経済視察団


グアム旅行


北京旅行

台湾旅行

ハワイ旅行
1972(S47)2.7〜20フィリピン              香港
1978(S53)1.31〜2.6米国

1979(S54)9.11〜10.3英国・仏     国・伊国・独国・スイス
1985(S60)3.26〜30タイ・シン       ガポール・マレーシア
1986(S61)10.20〜30 台湾

1988(S63)6.10〜12韓国

1990(H2)1.22〜30タイ

1992(H4)2.11〜21仏国・
         トルコ・ギリシャ
1993(H5)9.20〜27英国・仏国
           イタリア
2000(H12)9.3〜13 メキシコ
米国・ブラジル・アルゼンチン


2010(11.7〜11)夫婦のんびり

2011,6,6〜6.10万里の長城ほか、北京空港待機8時間遅延

2012.3.16〜3.20 成長に驚く

2014.1.31〜2.5 家族3人






家族4人参加



優子


















亜紀子


ふるさと島根の「遣“島”使」

私は吉原 毅です