一月一日一対の狛犬。
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元旦と云う日は、神社仏閣にとって最も無関心ではいられない日だ。 と。云うても神社も仏閣も建造物であって無意志の存在。それが何かに興味を寄せたり関心を持ったりは多分しない。あくまで比喩表現。 だから厳密に云い直せば神主さんや和尚さんらにとって大事な日。て事になる。 んだけど。そこの、まんがん神社には、少なくとも知る限りでは神主さんも巫女さんも居なかった。 まんがん。 筆者は響きだけを知るのみであって、それをどんな字で書くべきかを知らない。 満願かもしれないし、万願かもしれないし、満貫かもしれないし。 その辺りのことはその、まんがん神社にあって、実質上の主で、神主でも巫女でもない癖に正月に対して並々ならぬ興味を向けている彼に訊ねれば回答を貰えるかも知れない。けれど、ひょっとすると彼は文字が読めないかも知れないし、実は彼も知らなくて、訊いた途端に口ごもったりして恥を掻かせてしまうかも知れない。知ってたとしても或いは、「そんな事も知らないのかよ!」と、恫喝されるかも知れない。 どれも余り望ましくない。 だから知らないまんまで居よう。 それにしても。 神社と云う奴は、何故やたらと高地に建ってるんだろう。大抵は段数を数えつつ登ってみたくなるような、見上げる程の石段を経た先にあるような気がする。 神社と石段はワンセットの情景だ。それを登った先に、これまたセットになっている朱塗りの鳥居とその前の狛犬。あとは格子に閉められたお社にその前の注連縄だの賽銭箱だの。これらのどれか一つでも欠ければ、それは神社にありながらも、神社の景観として正しくない。と云えよう。 その点においてこのまんがん神社は、小さくて、ぼろっちくて、貧相で、せせこましくて、質素で、貧乏ったらしくはあるけれど最低限は備えているのでちゃんとした神社。の、景観。と云える。 いつもなら。だけど。 透明に澄み渡り冷え冷えとした冬の真ん中の空気の中。 心なしか傾いで見えるお社の、そこまで続く石畳の、その上に建つ鳥居の、その前に、門番として鎮座する二頭の狛犬の。 かたっぽが居ない。 本来、それが座っている筈の台座は少し背の低い柱のように空っぽになっていて、もう一方はちゃんと座っているからとてもアンバランスで不自然な印象を受ける。 狛犬と云えば門番であり番犬だ。 だから当然、空恐ろしい表情で通り行く者を警め威嚇し睥睨してるのだけど、今のこの一匹だけの番犬はいつもにもまして迫力のある、威厳さえ感じる、怒気満々たる形相にて虚空を――と、云うよりも、本来相方の居るべき場所を睨み据えている。 狛犬とは通路の右と左にそれぞれ座し、阿狛・吽狛の一対で一つとすべき置物である。 そのうちかたっぽが居ないのだ。 割とただ事ではない。 では何故斯様な怪異が発生したか。 何のことはない。 本人が出掛けたかったから、少し出掛けているだけである。 ……ん? いや、比喩じゃないよ。本当に、本人が出掛けたかったからひょこひょこ歩いていっただけだし。 元よりこの神社の狛犬は無生物の癖してその気になれば歩くし食べるし人語を解して会話もする。驚くにはあたわない。 それどころか積極的に活動をしてる。この寂れた神社を再建するために、日夜『街頭賽銭』とかやってるくらいだし。だからもし貴方がこの神社の近所にお住まいだったらば、そこにある筈の狛犬が二匹とも消えてるのを見掛けたかもしれないし、商店街を歩いてたら『まんがん神社再建の為の街頭賽銭にご協力おねがいしまーす!』『おねがいしまーす!』と云う呼びかけを聞いたかも知れないし、烏帽子に和装のまったりとしたお子さまや元気っぽい小学生や、やたらと赤かったり青かったり黄色かったりする子供らと談笑してるのを見かけたりしたかも知れない。 そんな町内に住んでない人間で在れば、それはそういう事実として納得して貰うしかない。 ので、納得しなさい。狛犬も食べたり飲んだり賽銭集めに精を出したりするのが普通だと。 と云っても。 無生物の癖して有意志だとしても彼らは狛犬だ。狛犬と云うからには常に二匹一緒にいるべきだ。二匹一緒にいないのだからそれは常ならぬ事態であり変事なのだ。 等々と。ここまで話したのだから、今そこにいる狛犬の、物凄まじい憤怒の形相が石職人の匠の技でしてそうなっているのではなく、本当に物凄まじく怒っている故の表情だ。て事もご理解いただけると思う。 そしてその怒りは、無論その変事を原因としている。 ざっくり解説してしまおう。 今日は元旦。 元旦は多くのヒトが初詣に詣でる日。と云うか唯一詣でる日。 つまりとても多くの賽銭が集まる、神主さんと和尚さんと、神社の再建を願う狛犬にとっては凄く大事な一日だ。 だからこの、怒りんぼうの狛犬は大晦日あたりに気合いも十分、目的を同じくする片割れに「よーし。明日は気合い入れて頑張るぜ!」とか云っただろうし。もしかすると「新年のカウントダウンから二十四時間、延々座りっぱなし決行するぞ!」とさえ云ったかも知れない。いずれにせよ一年に一回、しかも年始初っ端からの大仕事だ。その年の全てを占う並々ならぬ決意と熱意とで相棒の賛同を求めたに違いない。 そしてそれに対する相棒の返答は。 「でも兄さん。ウチ、ちっこいものファンクラブの会合で、みんなして年越して、初詣して、そんで一緒に初日の出も見ようなー。て約束しててん」 ざっくり。 ……そりゃーもう。 その瞬間の怒りんぼうの激憤はとんでもなかった。 膨大な熱量とそれに伴う強風は積年の歴史と安普請とでぼろっちくなってたお社へトドメの一撃とならんばかりであった。そして怒号は近隣の住人に。 「あれ? 何? こんな早くから除夜の鐘ならしてるの?」 と勘違いさえさせた。 荒れ狂う怒りの嵐と化した怒りんぼうは 「お前になんざ狛犬の資格は無ェ!」 とか叫びつつその台座から相方を蹴り落とし、あまつさえ石段へ突き落としさえした。 そしてその階段から容赦なく転がり落ち、それでも元が石像だから別段怪我も何もなく、それでも心に深い亀裂を受け悲痛な眼差しで見上げる相棒を、高い場所から一切の躊躇なく思いっきり見下して。そして自らの台座に戻り頑なに硬い石像となり、決然とその場に座した。 突き落とされた狛犬の心中や、如何に。 少しの合間、彼は自分を突如襲った怒撃に呆然とするばかりで、石段から転がり落ちたその姿勢のまんまできょとん。と兄を見上げてたのだけど。――その兄の、自分へ向けられた射殺さんばかりに鋭い蔑視を受けて、直ぐに兄の怒りに気付き、己の失言に気付き、そして。 ――狛犬の資格は無ェ! と云う言葉の意味を、痛みと共に刻み込まれた。 石像の身体の、何処からそれは生まれるのか。 両の瞳からぽろぽろと大粒の涙を雫し、起きあがる力すら無かったが、それでもやがて起きあがりしっぽと背中を丸くして、項垂れたまま何処かへ行ってしまった。 厳然と座す兄は、その姿すら見ることはなかった。 だから。それどころか。 「兄さんも一緒に行かへんー?」とか。 「ウチの神様にお詣りするお客さんは気楽な近所のヒトらばっかやし。2,3日目におっとり来るヒトらで殆どなんちゃうんかなー?」とか。 「それにウチらが出来る事いうたら座ることばっかやし。実は居ても居なくてもー」とか。 「それからなー、ウチ、提案があるんやけどー」とか。 その辺りの。彼が後に、にこにこしながら云うはずだった色んな事も聞く事はなく。 こたつやお雑煮やおせち料理、テレビの特番、賑々しいカウントダウン、初日の出に染まる空、そんな暖かなイメージとは何処までも疎遠の、いつだってただ暗いだけの冷たい夜空の中にずっと、たった一人で座り続けた。 だから頭も冷えた。 ……やりすぎた。と、思う。 でも。怒って当たり前だ。怒らないでどうする。とも思う。 狛犬が自分の神社じゃなくてどっか別のとこでお詣りなんてどうなんだよそれ。聞いたことも無いし考えられもしねーよ。と思う。 狛犬としての義務を疎かにするなんて絶対に許されることじゃない。と思う。 それから。共に悲願成就の為に努力してきた今まではなんだったのか。と思う。 二人して一緒に目指していた悲願よりも、優先させるべきものなんて、あるのか。と思う。 思う。思うが。思ってたが。 つまり。 ……あったのだな。 他に優先させるべきものが。 そして。怒りんぼうの頭に直感が閃くけれど、冷えた頭はそれに動じることはなく相変わらず目前の空っぽの台座を眺め続ける。 ――アイツはもう、帰ってこないのかも知れない。 他に優先させたい何かがあるのに、もっと他に大切な物があるのに、わざわざオレのやりたい事に付き合う必要なんて無いじゃないか。それも、怒られてまで、殴られてまで。……いや、それどころか。これまでずっとアイツは一番やりたいことを我慢して、オレと一緒に賽銭集めだの境内の掃除だのをやってたのかも知れない。だとしたら寧ろ。 帰ってくるべきではないのだ。 奇しくも。狛犬の資格など無いと告げたのは自分で、怒りに半ば我を忘れたままの勢いで云ったのだが、案外と的を射てたのかも知れない。……だから、怒り過ぎたことで、謝る必要もないし、謝るつもりもない。 しかし。 お礼を云いたくなった。 これまで、付き合ってくれた事に。 と云ったところで。怒りんぼうはふと、足下にもぞもぞとした感触を覚えて右足をみる。 そこには――どう形容したものか、使い古しのぼろ雑巾のような生き物っぽいモノが、紙切れを狛犬の足に結びつけようとしていた。 「……何してんだ。お前」 ぞんざいに声を掛ける。 ぼろ雑巾。等と失礼な形容をしちゃったけれど、畏れ多くもそれは一応、神様だ。 ただし、貧乏神。ぼろっちぃまんがん神社に安寧を覚えたのか、いつ頃からか住み着いていると云うか取り憑いている。神社の復興を願う怒りんぼうからすれば疎ましくてしょうがないのだが、小っこいもの好きの相棒が大層惚れ込んじゃってるので、……なおさら、疎ましい。 貧乏神様。控えめに可憐な声でぼそぼそ応える。 「おみくじ、結んでるんです」 「あん?」 「ほら。おみくじって、引いた後に木とかに結ぶでしょう? 引いた神社の木に結んで帰っても良かったんですが、折角だから怒りんぼうさんに結ばせて貰おうと思って」 「そうか」 ゆっくり、小さく、控えめに、ぼそぼそと、無気力に聞き取り難くされど可憐な声色と仕種で結び終える。 「ほら。リボンみたいで可愛らしいでしょう」 「……そうかい」 「もちろん大凶ですけど」 「コラ」 元石像の狛犬は、それでもそれなりに疲労を感じたりはするのかも知れない。少なくとも、心は持ってるのだから気疲れはするだろう。だから、少しだけぐったりした声色で聞く。 「なんだよ。初詣、もう済ませたのか?」 さりげなさを装いたかったから丁度良かったかも知れない。 「はい。でも私、活気のある人混みって苦手で、一人だけ先に帰らせて貰いました」 「そうか」 じゃあ、アイツが帰ってくるまではもう少し間があるって事だ。 怒りんぼうは幾らか安堵する自分を自覚している。 「でもにこりんぼうさんも、すぐ帰ってきますよ」 うっ。 「そうかよ」 もちろん、ごくごく平静な返事を返したつもりで、それを全うできたように彼は思うけど。……瞬間的に逆立った毛や、この寒い中に俄に浮かんだ汗が気に掛かった。 いやいや冷静になれ。別に、アイツを怒鳴りつけたことなんてこの貧乏神は知らない筈だし。ばれた処で別に何も。 「にこりんぼうさん、帰ったら、何よりも先に貴方に謝りたいって云ってましたよ」 がくり。と、怒りんぼう、肩と首とを一緒に落とす。 「お前な。いつ気が付いた」 「気が付いた。って、何ですかそれ。私はただにこりんぼうさんが貴方に謝りたいって云ってたのを聞いただけですし」 「いや。もう、いい」 と。溜息を吐いて。 謝りたい。とアイツが云っていた。 何を謝るつもりだろう。殴って蹴飛ばして傷付けたこのオレは、謝る事なんてないと決めたのに。 それに。 謝られた処で、オレはアイツを許すのだろうか? もしかすると、一緒にいない方がアイツの為になるかも知れないのに? 「あ。帰ってきましたね」 ッ!! と。思わず四足歩行に立ち上がり、帰ってくると云えば方向は一つしかないのに慌てて周囲を見回し、そして何故か高台にある神社の、見晴らしの良い景観ゆえに、まだ小さく見える程度の相棒を見出し、それが少し駆け足気味なのを認めた辺りで浮いた腰そのままに無性に逃げ出したい衝動に駆られた。 が、貧乏神のヒタとした視線に自我を取り戻し、ふ、フン! と云った風情で再び座す。 が、たらたらと垂れてくる汗は最早止めようが無く、急ぎ足で迫ってくる相棒はもっとどうしようもない。 そしてとうとう石段にまで辿り着いた相棒が、ふと足を止めて兄を見上げ――意を決した勢いで突撃してくるのを半ばおののくように見返して。 その背中にはためく、『出張初詣』・『初日の出と同時にご祈願を』と謳われる旗に気が付いて。その背中に携帯賽銭箱を担いでるのに眼を止めて。 それの意味を。一緒に初日の出を見に行こうと、自らの過失で聞かなかった彼は咄嗟にはその意味をはかりかねて、その代わりにある必然的事実に思い至る。 ……謝るってことは、オレと一緒に居たいって事じゃないのか? ――否。 それこそがオレの思い上がりじゃなかったか。 相棒の意志をロクに確かめもせず、余りに一方的な意志の押しつけ。コイツもそうだと勝手に信じて、勝手に怒って勝手に傷付けたのがオレじゃなかったか。ならばコイツは、謝るべきではないのだ。 じゃあ、どうするべきなのだ? 「兄さん、兄さん……!!」 「お。お、お、おう」 等と、数瞬意識を飛ばしていた怒りんぼうは半ばびびりつつ我に返り、相棒は、息せき切った勢いそのままの、そして突撃してきた息切れに荒い息遣いで、肺を鳴らしながら呼吸を整えて。鼓動が治まるのを待たずに一気に云う。 「あけましておめでとう!!」 ……。 「あん?」 そして、呆気に取られた兄を全く鑑みることなく、と云うか多分、あまりに決死の覚悟で必死に一生懸命だったので、そこにまで気が回らなかったのだと思うけど。ブンと風を切る勢いのお辞儀と共に続けて云う。 「今年もよろしくおねがいしますッ!!」 ……。 残滓のように、少しだけ沈黙が吹いた。 その連続攻撃に意表を突かれた兄は、意識を吹き飛ばされたまんまに。 「お、おう」 と、間の抜けた返事を返して。地面にのめり込まんばかりに深いお辞儀をして、きつく眼を瞑ったまま、小刻みに震えている相棒を見て。 やっとこさ。 自分が、一番云って貰いたかった言葉を云われたのだと、気が付いた。 今年もよろしくおねがいします。 言い換えるなら。 今年も一緒にいましょう。 怒りんぼう。相棒の余りの勢いにずっと逃げ腰が続いてて、それが故にへたり。と、腰を落として、そのままぼとりと台座から落下した。 目的を同じくする相棒であり、同じ狛犬であり、それ故に産まれた瞬間からずっと一緒にいる片割れは、兄のその落下にも気付かないほど一生懸命にお辞儀をしたまま、食いしばるように目を瞑ったままで返答を待っている。 ――ああ。そうだ。オレも、謝らないと。 「なぁ。ニコ坊」 落下したまんまの弛緩したままに、怒りんぼうは謝罪する。 「……今年もよろしくな」 |