・ 後ろから数えて6度目の晩ご飯を。



 のだけど。
「……たとえ話をしましょうか」
「え、はい?」
 顔を向ける生徒に、直接は目を合わさず云う。
「貴女は、昨夜の晩ご飯を覚えていますか?」 
「え?」
 唐突な質問に当然、きょとんとする生徒。その挙動に荷物が少しだけぐらりと揺れて、おっとっとと姿勢をなおしてから、応える。
「えーと、じゃがいものシチューでした」
「ふむ。それではその前は?」
「ええーと、確か鮭のムニエルとマリネだったと思います」
「その前は?」
「冬至でしたから、小豆のお粥とカボチャの巾着にしました」
「その前は」
「寒鰤と大根の煮付けでしたねー」
「……その前」
「牛肉のポトフを」
「更にその前は」
「湯豆腐でした。その前はドリアで、その前はお豆とトマトと豚肉を一緒に煮まして、その前はカレーだったかな? それと一緒にもずくコロッケとか作ってみたんですけど家族の評判は悪かったです。それから麻婆豆腐で、えーっと、ニラ玉と親子丼はどっちが先だったかな。でも、こうして思い出してみると、やっぱりお野菜が高価なのって大変ですよねー。その前の鳥の空揚げとかだと付け合わせも大変でー、えっとそれからその前はー」
「ちょっと待ちなさい。なんでそんなに覚えてるんですか」
 話が進まないじゃないか。
「え? えーと、自分でも不思議ですね。食べ物の事だからかなぁ」
 照れ笑いだかなんだか解らない微笑みをみせる生徒に対して、やや冷然と先生。
「今日のお昼に行った授業の内容は?」
「え? え。え、えー、えええーと、確か、確かー、聖書の朗読と、その解釈について教えて頂いたようなー」
「……それは昨日の授業です」
 生徒。先生の後ろにゆらりと揺らめく何らかの気配を感じてたじろくけれど、先生は深く深く深い嘆息と共にそれを発散。
「まったく。それでは、言い方を変えましょう」
「言い方ですか」
 と。別のたとえを探す先生と、話の流れが良く掴めず相変わらずきょとんとする生徒。
「貴女は、今まで食べたパンの枚数を覚えてますか?」
「……先生。それは」
「覚えてますか?」
「あ、はい。いいえ。覚えてないです」
「でしょう」
 と。少し息を付く。まさか数えてる筈もなかっただろうけども。
「ヒトはパンのみに生くるにあらず。とは云いますが、食事とは――この場合、パンとは思想や思考以上に私達の生育に必要なものです」
「はい」
「しかし、貴女はそれを覚えていない。しかし、貴女はしっかり成長し、ここに居る」
「そうですね」
「食べたことを忘れても」
「……そうですね」
「そう。つまり、それらは」
 と。未だにその比喩の意味するところを理解仕切れず、きょとんとした中にも思案の色を混ぜながら教師の顔を見つめる生徒に、先生は、まぁ、解らないなら解らないままでも問題はないだろう。と。まるで呼吸のついでにでも云うように、いつも通り素っ気なく、云った。

「たとえ貴女が忘れても、それは貴女に宿り、貴女を成長させているのですよ」

「え……?」
 と。教え子。瞳をまるくして驚くけれど、衝撃が先行して自分が何で驚いているのかを理解出来てない様子で、少し慌てふためく。
 それを後目に先生は、やっぱり淡々と続ける。
「まぁ、ですから。安心なさい」
「え。あ、はい! ありがとうございますっ! でも、えーっと、それって、それってつまり、その――」
 と。瞳を白黒させる教え子を後目にも、たとえ理解に時間かかっても、まぁ、取りあえず云わんとする処が伝わったようなので問題はないだろう。と、やれやれと心に落とした先生に、生徒は興奮気味にその理解を伝える。

「――おいしい晩ご飯はとても大切だ。って事ですよね!?」

 先生。危うくすっころびそうになる。
 が、すんでの処で持ちこたえて、更にデンジャラスな荷物の雪崩も見事なバランス感覚により未然に防がれた。目前のその様子に教え子は腕の中の荷物をぐらぐら揺らしつつ慌てに慌てる。
「ああっ! 違うんです先生、さっきのはあくまで物の喩えでして、その、解ってますから、ちゃんと、えーと、だからつまり他の言葉で喩えればっ」
「いや。いいです。いいですよもう」
 それなりに強烈な目眩に襲われつつ行った先生のその制止は、意志がちゃんと伝わってるから。と云う意味よりもよずっと、もう勘弁してくれ。の、意味合いが強かった。
 つまり、『いいですよもう』てのは割と『どうでもいいよもう』て事であって。
 まぁ、そうなのだ。
 記憶に残って無くても、体験した経験は、確かに、自分を育てて、今の自分を作り上げている。
 忘れてても良いのだから、まあ本当にどうでも良い話ではあるのだ。
 と、先生は自らを納得させるけれど、教え子の落ち着き無く続く謝罪と言い訳とを聞くともなしに聞きながら同時に。
 ――ああ。この娘は本当に成長してるのだろうか?
 と。不安を覚えつつの暗澹たる気分にげっそりしながらも。
「まぁ、そんなことよりも」
 と。色々と割り切れない思いを残しつつも持ち直して。
「早く帰りましょう。お腹が空きました」
「あ。はいっ」
 元気の良い返事は、冬に相応しい遠く高く澄んだ夜空へ鐘のように響きわたって。
「腕によりをかけて、とびっきりおいしい晩ご飯にしますね!」





ごちそうさま。
 index  あとがき。