・ あ。そうそう。



 これだけは云っておかないとなんですが、
 コミケと、それを通じて儂に関係してくれた全ての方々、ありがとうございました。
 不特定多数への感謝て苦手なんですけども、
 他に言葉もなさそうなので。ともかくも全ての方に、ありがとうございました。






・ 発見。


 嘘ォ。
 アイスコーヒーとチョコレートってあわねえ。






・ 猫。



 そろそろ飯を食おうと階下に降りたらば。
 飯は残ってますか、と問うと同時に。母のトートバッグの中にて丸くなるキヨを見出し。
 米をよそおうと台所に行けば、ゴミの散乱する不衛生な床の地べたに伸びるテンを見出し。
 テーブルに置かれた鉄板に火を入れ、肉を広げたところで、机の下から顔を覗かせこちらを観察してたボンを見出す。


 その頃2階の人のあんま踏み入らん物置同然の部屋で人知れず寝てたニギは見出し得なかった。






・ 要は。



 娯楽を絞ればいいのかな。
 そうかも知れない。


 或いは、今こそ隠者になるべきときなのかもな。

 いっそ隠遁してしまいたいと思う気持ちがいつ頃からかずっと御座います。
 いずれ世に触れていても幽かな影響しか及ぼさないわたくしです。
 その選択をするのに、何の支障が、障害が、躊躇いが御座いましょうか。

 ま。障害は、あるんだよ。
 文字書きとして、自己顕示欲を失ってはお終いだろうと。
 いっそ文字の公開なぞ止めて、意志を外部に向けて発信することなぞ止めてただ隠遁してローカルに呟きのみを書き綴り続ければ、それで楽だし。それでも満足出来る人間だと自分を恃んで居る部分も御座います。
 でも。
 限られた範囲にのみ、文字を発信する事の安寧を。
 mixiって場所で感じてからは、逆にそれが恐くなりました。

 制限がなくば自由はない。って概念は大嫌いなのだけど、
 責任の所在がなくば社会は居所を提供してくれないものみたいで。
 いつか文字書きとして食べていこうと願っている人間が、
 この程度の責任を負えなくてどうしましょう。と。

 でも最近、その自己顕示欲を。
 ヒトとのコミュニケーションで充足させようとしている自分に気が付きました。
 おぞましいな。


 そんな浅ましい自分に自分が気付いています。
 なので、どんなに、それによる充足を求めても、充ち足りることはありません。
 求める度に、浅ましさを確認してしまいます。厭気のみが増して行きます。
 それなのに、それでもそれを求めてしまう自分にほとほと嫌気が差します。

 出来る事ならば、文字以外での充足感は感じたくないです。


 つい最近、23才になりました。


 実際に私よりも年上な方々から。
 15才と25才が同じくらいの面白さの小説を書いたとして、
 お前が編集ならどっちに可能性を感じるよ?
 みたく言葉を云われて、その確かな説得力に、胸に重たい、焦燥感って感情を覚えました。

 こと、虚業であるところの文筆業に実年齢というものがどれほど関連あるだろうかと思えなくもないですが、胸に応えたその重ったるい危機感は本物です

 義務感が無くったって。
 責任感が無くったって。
 焦燥感が無くったって。
 書き続けていられる程度には文字が好きなつもりだったけど。
 そうか。
 世間がそれを許してくれないらしいです。


 何で世間に許されないとダメなんですか。
 寧ろ世間が僕に許しを請うべきなんじゃないですか。
 そうでもないか。
 そうでもないね。
(変なタイミングで変な冗談を入れるなよ。本気にとられるぞ)


 こういう思考に陥るから。なるべく考えない振りをしていたんだわ。
 何をしていても焦燥感が付きまといます。
 何をしていても「こんなコトしてて良いのかな?」て気分に陥ります。
 バイトしてても。こんな事をしている場合じゃないだろう。
 ゲームしてても。こんな事をしている場合じゃないだろう。
 ネットしてても。こんな事をしている場合じゃないだろう。
 ご飯食べてても。こんな事をしている場合じゃないだろう。
 面白いのは、思考の方向さえ縛ろうとするあたりです。
 思考が、小説の事について以外、脇道に逸れる事を許してくれません。
 そんな事を考えるぐらいなら小説の事を。
 そんな事を考えるぐらいなら小説の事を。
 そんな事を考えるぐらいなら小説の事を。
 そんな事を考えるぐらいなら小説の事を。


 考えられる訳あるかボケェー。

 歩いては、立ち止まり、方向を変えて、少し歩いては、立ち止まり、方向を変えて、を繰り返して、結局何処にも行けず同じ所をぐるぐる、頭だけを廻らせて、涙目になっている、迷子の気分。

 ただ、それにしたって思うのは。
 ああ。
 こうした持って行く所の有るはずがない、唯抱えるのみの感情でも、
 こうして言葉に直して得られる、この充足。安寧。くしゃくしゃに使い古して、肌に馴染んだ毛布の、良く日に干したばかりのような。この感触。






・ 私はしょっちゅう鞄を置き去りにしてる。



 主に網棚に。
 ボストンバッグごと忘れたのがこれまでに二度で、二度とも帰ってきてない。
 具体的な損失についてのお話は積極的に回避したいので回避するとして、
 そんななので、今私の手元には旅行鞄が無い。
 と、今更気が付いた。


 釣り下げられて買い手を待ち並ぶ鞄をみてしみじみ思う。
 ナイロン製のバッグのてかてか具合ってどうにも苦手。
 なんだけれども正味な話、丈夫さと機能性と、
 あとお値段との釣り合いを考えるなら他に選択肢はない。
 布製の、4泊5日の荷物にも堪えてくれそうな黒い鞄も、
 雨などに降られて濡れて、中につっこんだシャツに色落ちしたりする所を想像するととてもじゃないけど選べない。


 そうでなくとも何か今回の旅行は雨に降られるような予感がずっとしてるんだよなー。


 結局、帰路の私の肩には無印良品のWトートバッグと云う名前の鞄がぶらさがってた。
 矢張りてかてか光るナイロンで、十分役割を果たしてくれそうな大きさで、一回使ったきりで押し入れん中に押し込んでもあんまし惜しくはない程度のお値段。
 しかし。
 けども。実際に、こー。担いでみると。見事に長方形になるのだ。この鞄が。
 食パンを連想させる見事な長方形。
 うわ。なんか可愛い。


 この細い面に目玉とか付けたらダメかしら。
 あまつさえ尻尾とか縫いつけたらダメかしら!
 でも二十歳も越えた男がンなもん真顔で担いで歩いてたら引くよなあ!






・ コーミーケーのーおーしーらーせー。


『小説化遊戯。こがわみさき先生の場合。』


 って本を持って行く予定です。
 前回の名古屋のイベントでは、
 泣く泣くプレビュー版に近い状態での頒布となっちゃいましたので、
 今回はなるべく完全に近い形にして持って行きたいなーと思ってます。
 が。未だに予断が許されない状況が続いておりますコンヤガヤマダ。


 内容に関しては文字通り。
 マンガ家のこがわみさき先生の御作、しあわせインベーダーって単行本の中に収められている「ふたりなみだ」を勝手に小説へ直してみた本です。
 取り合えず素直に直してみたのと、
 そのまんまコピーしては意味がないから少々ひねりを加えた二次創作気味の二篇を一冊にー。

 今回の意図は、
1.マンガとして完成された作品を小説に直すことで、
  マンガとして描くに向いてること、小説で書くのに向いてること。を見つめ直してみる。
2.美しい場面を文字に直す練習。

 の2つ。に、加えて。
3.作品をより深い方法で愛でてみる。

 て感じ。なんですけど。
 既存の著作物に手を加えただけのモノを頒布して良いのか?
 て根元的な疑問に関しては。著作を明らかにすることと、
 責任の所在が各人個々人の裁量に強く依拠している同人誌市場に判断を委ねてみようと思ってます。

 面白さは原作が保証してくれます。
 が、そこに私の手が加わってるので、損なわれてる可能性もかーなーりー大ー。

 もちろん、原作ありきのモノですから通読してるに越したことは無いかも知れませんが。
 未読の方は、それはそれで。私ので映像を想像しつつ読んでみて。
 後々に原作をみて答え合わせをしてみる。
 とそこそこ得難くも小説ならではな体験が出来るからそれはそれでおすすめ出来るかな?

 お値段はまだ完成してないのでわかんない。300円かそこらだとは思うですが。
 量は、まあ、私んところだし何冊持っていこうとも余るだろォけど、50冊は下らないかなー。

 あ。そうそうそれから。
 もしかするとなんと「こむぎこくん」をほんとにゲーム化しましたCDが付いてくる可能性アリ!
 付いてきたとしてもステージ1までだけどね?


 あー。あと、ついでに既刊であるところの『千字一話』もついでに持っていきます。
 おまけで、3日目もきっと24川さんとこで売り子させて貰ってるかも知らんですので、儂に積年の恨みがある方などは片手にパイを構えた状態でご来場下さい。あ。でもそれだと他の方々に累が及ぶから私の目を真っ直ぐ見て「カモメを見に行こうぜ」てご宣言下さいませ。






・ 明日がありますように。明日がありますように。



 こんな日でさえ、利己的なお祈りしか出来ない惨めで卑しくて小さな私ですが。
 それでもこの日はなるべく本気でお祈りします。
 明日がありますように。明日がありますように。明日がありますように。明日がありますように。






・ 祭りがあるだろうから暇だろう。



 と踏んで少しでも時間を有効活用しようと図書館のアルバイト先にモバイル持ってったそう云う日に限ってやっぱり忙しかったりすると何か理不尽な怒りが込み上げてきますね。

 普段は。図書館のバイトで。忙しかったらば。
「あー。うん。本を読む事は何に付け素晴らしい事だ。結構、結構」
 とか呟きつつどたどた走り回るのですが。その日はもう只一言。
「いいから祭り行けよ貴様等!」
 そんで浴衣とか着ろよ! 花火もみろよ!

 でもそんなやさぐれた気分の時でも、金魚の飼育法について書かれた本を3冊纏めて請求されたりするとあっと云う間に絆されますね。
 フナと見粉わんばかりに育ててやってくれ。






・ そろそろ寝ねばならんと悟らされるこの瞬間がいつもいつも苦ッ痛ー。






・ 高校生は何故か漱石の「こころ」を強制的に読まされます


 正しい。
 いやごめんなさい流石に云いすぎでした。
 正直に告白すると私、未読なんですよね「こころ」
 中学生くらいんときに手ェだして、娯楽味の無さに挫折して(当時)そのまんまです。

 でもどうせ読ませるならそれこそ「吾輩は猫である」から読ませればいいのに。
「立て板に水」をそのまんま文字で体現する、淀まず留まらず垂れ流され続ける諧謔、諧謔、諧謔。
 けたけた笑いっぱなしで味わえる「文学」よ。

 あと、小中学生に「坊ちゃん」読ませたくなる大人の人々の気持ちはとても良く分かる。
 ビバ反骨精神。
 オチが結局負け惜しみに留まっちゃってるあたりは反面教師としても最適です(えー?






・ モノ捨てるの超苦手です。捨て下手の片付け下手。自覚してからは、モノ増やすことに凄く臆病になっちゃったような気が自分でも。



 私も儂もー。
 でも捨てるのは苦手なんだけど保持とか維持とかし続けるのがもっと苦手で気が付いたら無くなってるって場合が殆どだぜー。






・ 私はぐ。さんと違って馬鹿なので高尚な言い回しが分かりません、何が主語なのかはっきり書いてください。



 やーいばーかばーかばーかばーかばーか文盲め文盲め文盲め文盲め文盲めー。
 と。連呼したら気が晴れました(なんと幼稚な。

 
 それならば読まなければいいのに。
 と云っちゃうのは簡単だし面白くないですし、何よりも、私の感情を素直に云いますと「たとえアンタが私の文章を不快に思おうとも私はあなたに私の文章を読んで貰いたい」です。
 ついでに云えば「文字の鍛錬は成るべく日々行っていきたいけどもその努力の方向があなたの意に沿う形となるかどうかはどうしたって保障は出来ないけれどそれでも私はアンタに読んで欲しい」です。

 ここで云うあなたとは特定個人の事ではなくて、不特定多数の、ここに来る可能性がある人々全員ー。

 まあここ数日のはなんか変な精神状態でだらだら書いてたのを、
 なんか面白く感じたので特に加工せずそのまんまあげた感じなので私もよくわからんです。






・ 時計とカレンダーが僕を苛めるんです。






・ うむ。



 すげえ真面目な話とそれに相応しい硬い表情で口調もそれに倣ってるのに「姉」とか「姉さん」ではなくどんな時もあくまで「おねえちゃん」を貫き通す彼女は良い個性の持ち主です。
 しかもファンシーな人形小脇に抱えて。






・ 綱と網。






・ 世の中にはその気になれば捨てられる物の方が多く。それを維持しようと働きかける事が趣味でなくてなんだと云うのか。






・ 爆弾落ちればみんな死ぬー。






・ 謙虚であるためには常に上を向いていなければならない。






・ 家の中では傘を差さない人々。






・ 解ってるさァ。



 物語を受けとめて、咀嚼した後に感動を得た人間のそれも、
 咀嚼する以前に口の中に入れる事さえ出来ない人間のそれも、
 本質的には何の違いもないのです。

 その作品に触れたその瞬間得られた皮膚感覚が全てであり、本物です。

 言葉にすればそれらは全部偽物になる。
 なーんてつまらない事を云うつもりはないけど。

 それは多分、偽物ではなくて別物。
 偽物の本物。
 私たちは本物しか作れない。

 そもそも。
 皮膚だって経年や生活や気の配りようで色々変わるにゃ変わる。
 
 それはそれとしても。究極的には。
 評価なんてのは、面白いと面白くない。しかない。
 と云うのはなるべく書く立場に居たいなと願う、
 読んで貰う立場に居たいなと願う人間なりの自戒。


 どんな作品であれ、どんな出来事であれ、
 自分のスケールでしか受けとめる事の出来ないコレ、
 感想として言葉に纏める事が出来なければ、その作品を受けとめきれてないよな気がしてしまうこの錯覚は、きっとオタクであることの功罪だろう。

 それとも単に私が病気なだけだろうか。


 



・ マイフェイバリットシングス。て歌が好きだ。



 ラ・ミ・ミ、シ・ラ・ラ、ミ・ラ・ラ、シ、ラ。
 花びらの上の雨露。子猫のヒゲ。赤い銅のヤカン。羊毛のミトン。
 ささやかな愛らしい物を並べて行き、それが私のお気に入り。と結ぶ歌。

 お手玉よりも軽い気楽さと、そこから得られる感情が好きだ。
 もし替え歌をして、私の好きな物をその歌詞に並べるならばどれを選ぶだろうと、
 ぼんやり考えた事は一度ではない。

 けども。つい最近。人伝に聞いた話だけど。
 海外の方々で。カバーされているその歌を色々と聴き比べる限りでは、
 ささやかはささやかなんだけど、それはあまり気楽な調子ではなく。
 もうちょっと力の籠もった印象の、
「守るべき物」とか、「かけがえのない物」という唄われ方が殆どなのだと云う。

 そう聞かされて。少々がっかりしてしまったのは何故だろう。


 ああ。
 そう云えば。谷川俊太郎の爺さんが。
 この歌と同じ題名で題名で、この歌の作者である、ジョン・コルトレーンに。として。
 この詩ととても似た詩を歌っていた。


 どんなに好きなものも
 手に入ると
 手に入ったというそのことで
 ほんの少しうんざりするな

 どんなに好きなものも
 手に入らないと
 手に入らないというそのことで
 ほんの少しきらいになるんだよ






・ 先日、家の近くで花火大会がありました。
 花火よりも、花火を見に来た人でごった返す様子を見て夏だと感じる私は捻くれてるのでしょうか?



 小林の一茶さん雪解によって村中にガキが発生してるのを見て春を予感されてますからあなたの感性もあながち否定しきれるものでは御座いません。多分。

「雪溶けて 村いっぱいの 子どもかな」

 て奴。
 ……ん? ちょっと違うか?

 おじさんは、昼間なのにコンビニにいる小学生を見て夏を感じましたと云うか思い知らされました。
 今年は「……夏じゃない。まだ夏じゃない」とか自己暗示して自分の内面へこもりそこにある影で涼をとろうと画策しておりましたのに。



・ もちろんです。ただし丼にして、上にグリンピースを3つ。<蕎麦屋のカレー


 おー。なんと輝かしい緑色か。
 なんならあと3つ追加して六角形に配置したい感じ意味もなく。



・ ハウルがヘタレてたシーンだけやけにしっくりきたキムタクの声。


 ぁー。見逃したんですよねそのシーン。
 原作でも大好きなシーンなのでちょいと勿体ない気分が強いけれどもそのうちDVDで観直すので問題なし。

 木村の拓哉さんの声は、前評判ほどには悪くは受けとめられてなかった印象があるなー。
 シリアスなシーンほど棒読みだった。て意見にもある程度頷ける所ですけど、
 割と超人的なキャラなので、あの棒読みも「淡々としてる」て印象に差し替えられたのか、それほど強い違和感にゃ繋がらなかったですし。



・ ところでここの文字数制限を超えた拍手はどうやって送られてるのでしょか。 


 おっと。確かに云われないと気付けない事かも。
 Shift を押しながら右矢印を押し続けるか、それか左クリックで引っ張るかーなんですけど、そんな操作をしたところで別に何も起きません。

 ので、文章を適当な所で区切って小刻みに送って下さい。ローテクー。



・ うどん用のカレーはだしが多いので飯には合いません、まただしが多いと貧乏人には食えない物になります!


 えー。ダシを良くとった味噌汁かけご飯って美味しいじゃんー?
 とは思うけど。うどんは小麦粉だしご飯は米だし。
 同じに片付けるのは流石に乱暴な気が皆さまのおかげでしてきました。



・ |・Д)ぐ。さんは13日とかって空いてませんか


 んお?
 概ね空いてると思いますよ。
 例えば13日にゆりかもめで国際展示場前へ到着した所で何の手違いかでお台場冒険王に行くつもりだったガキがそこで涙汲んでたりした場合はそちらを正しい道へ手を引き案内し序でに一緒に先着20名のトロとの記念撮影を撮った後で今更ビッグサイトに戻るのも面倒だなあと感じ序でに幕張へ「時をかける少女」観に行ったりしなければの話ですが。






・ CMでぶちぶち中断されるのが苦手なので。



  DVD でそのうち観よ。と。スルーするつもりだったんですが。

 う。
 おわ?
 え? 誰これ?
 え?
 なにこれ!
 いやちょっと待て誰だこれ!
 えー!? あのぼんくら青年が、おま、お前、ちょっと、ちょっと待ってって!
 えー!? ええー!?


 と、マルクルくんの可愛らしさに釣られて全部観ました。
 途中からだけど。
 あー。やばいわ。マルクルくん。あの可愛らしさはやばいわ。
 なんせ小さい。
 なんせ体一杯元気。
 なんせ純真。
 なんせひたむき。
 原作だと何処にも見所のない単なるぼんくら青年だった癖になあ。くそう、あれは反則だわ。それとも、原作中でもあんまり年齢に対する言及はなかったように思うし、宮崎駿の脳内では原作の時点で既にあのような可愛らしい少年として映像が結ばれていたという事か?
 だとするならば。
 あー。
 敗北感。
 日頃から「小説は脳内で楽しむべし」と叫び散らかしてる身としては、ああ、己の矮小さを思い知らされたわ。井の中の蛙でしたァー。

 でも一方で。
 やっぱ「宮崎のおっさん的にはガキを描かずにゃおられんから適当なキャラをそれに仕立てた」て印象も矢張り、あるな。
「僕たち、家族だよね?」てあの一言は確かにストーリーにもテーマにも貢献する所だとは思うが、でもしかしマルクルくんは「宮崎駿の欲望が生み出した」と解釈する方が何かスッキリするわ。
 人とは恐ろしい生き物じゃの。
 欲望とは臭くてドス黒くて粘ついてるドロドロとしたものであるのに、そこからああも美しい物を作り出せるなんて。


 しかしこの作品を観て「ストーリー手抜き過ぎ」だの「説明不足」だのと抜かす輩はどんだけボンクラなのかと。
 そのコメントや評価が「ナウシカやラピュタに比べると」や「恋愛話は趣味じゃないなあ」て言葉ならまだ理解は出来るけど、これだけ明瞭簡潔なモチーフに対して何を抜かしとるか。て気分である。
 単に、三角関係な恋愛話でしょう。これ。
 宮仕えの魔女の回りに侍る少年らを「ん。ハウルに似てる」とは感じなかったのか? 婆さんがああまで「心臓」に執着した理由に気付かなかったのか? 「隣国」と戦争してる筈の魔物が何故ソフィーを探し回ってたのか? ついでには、私は観られなかったけど、ソフィーを老婆に変えたとき、婆さんはそりゃーもう勝ち誇ってたそうじゃないか。
 そして余りに一直線で、何処にも寄り道をしないストーリー展開だ。
 その辺を感じて、受けとめた上で「趣味じゃない」や「絵だけ凄くてもなあ」と発言するなら何も云う事はないんだけどね。

 まあ、その辺は。宮崎駿の功罪とも云えるのかなあ。
 有り余る筆力で描かれる戦争のシーンなどは、ストーリーのスケールと比較すると、確かに壮大に過ぎるわ。


 しかし。その点からも個人的に感じるのは、やっぱ宮崎の御大ももうお歳なのだなあ。て事やんね。
 もののけ姫制作終了時にはもう、「体力の限界が来ている」とご本人がコメントされてたけれども、その言葉通りに、ナウシカやラピュタから感じる、あの漲るような「何処からどうみても面白ェ完膚無きまでの力作」って気配が、少なくともこのハウルからは殆ど感じられなかった。
「出来なかった」のでもあるし、「しなかった」のでもあるんだろうね。
 往年の作品は、ストーリーも、画面も、そりゃーもう壮大なスケールであった。


 まあ、淋しいかなあ。
 淋しいなあ。






・ 問:眼鏡をかけている事が個性の一部である眼鏡っこは。



 眼鏡を外すとその個性は失われるのでしょうか。


答:否。
 眼鏡を外した眼鏡っこは「眼鏡を外している眼鏡っこ」であり、
 そのアイデンティティーは永劫失われる物ではない。






・ 鼻血と云えば。



 膝枕。
 と云う単純率直なだけにどうしようもなさそうな儂の脳味噌の構造。






・ 私の折り鶴の折り方は。


 神様に教えて貰ったの。






・ 現状という物に対する姿勢には。



 肯定と否定の両者しかないのかねー。






・ それにしても筆が進みません。



 前回は遂に〆切に間に合わなかったって経験を得てしまいましたので。
 取り掛かりの時点から結構早めにしたはずなんですが。あー。
 それはともかくとして拍手、ありがとうございます。



・ あ、あなたはあの作品を知っている方なのですか!?→雷が鳴れば梅雨が終わる


 ん。どの作品かしら。
 雷が鳴ると梅雨が終わるって言葉は割と一般に云われる風俗の類げろよー。

 でも、とある作品に触れてそれを想起したのは正解です。
 隠してもしょうがないので云っとくと、こちらの方の御作でねー。



・ ぺそぺそっていいですよね。感覚的にわかるわーwその擬音使いたくなるわーw微妙にまったりでだめな感じが


 ぜってェ背中は丸めてるよねー。
 ちなんでやや興奮気味だと「だかだか」になります。



・ ヨコハマの解釈ですけれど、作者さん側の立場で言えば正直何も考えていないと思いますよん
 例えばターポンの存在意義とか、その製作者とか、乗るロボットとかその辺の経緯とか
 その辺はある種どうでもいいことであって、日常のまったりとした風景こそが重要であってナイがどうしたかとか、人間は最後どうなるかとか、作者にとってはかなりどうでもいいことで
 多分その辺読者はごちゃごちゃ言うんだろうけれど、作者的にはまぁ分かる人は分かるだろうしいいかなぁと
 そういう意思を連載当初からびしびし感じておりました。あれですね、最終兵器彼女で攻めてきた国はどこで、なぜ攻めてきたのか延々議論するのと似たような感じがしますですよ。



 んー。確かに。
 作品の脇のところをごちゃごちゃと論じてる姿に微妙な不快感を覚えた経験は、私にもありますからその気持ちは解ります。
 だから。先に謝っておきますが。

 ごめん。やめない。

 と云うか繰り返し「作品とは関係ないところだけど」とか前置きや釈明は繰り返してるんだから見逃して下さいごめんなさいて気分もありつつも。最終兵器彼女の攻めてきた国云々と並べられるのは正直真っ直ぐ不快です。
 ヨコハマ買い出し紀行という作品や、そのまったり感や、多くの登場人物が醸し出すあの雰囲気と「時間の存在」って要素は決して不可分だと私は考えます。
 彼女たちにとっての日常とは、多くの時間が経過した末の、夕凪の時間です。
 そこに至るまでの時間の形跡や、これからも流れて行く時間の形跡が、アルファさんや多くの人達が見ている風景であり、日常です。
 で。逆に訊ねるけどさ。
 タカヒロくんやマッキちゃんが全然成長しなかったとして。
 アルファさんがその時の流れに涙しなかったとして。
 アルファさんがカメラを無くしかけた時のあの表情と、見付けた時の表情がなかったとして。
 アルファさんが、あの台風の日、月の下であの月琴を奏でなかったとして。
 それら時間の存在が感じられなかったとしても、あなたは今と同じ感情をヨコハマ買い出し紀行に抱けますか?
 あの作品にとって、と云うか、あの作品から得られた私の感情にとって、時間って存在はとても大きな物なのさ。
 その行く末が気になって、誰も答えを示してくれないから、自分なりの答えを探すことが「作品と無関係なこと」かい?


 少なくともさァー。
 最終兵器彼女で攻めてきた国を云々するよりかはずっと関連のあることだと思うぜェー?(根に持ってる)
 あの作品はあくまで恋愛の話だしね。
 世界情勢なぞ無関係だってのはとっても良く分かりますが。
 

 まあ。「人類の絶滅」って点に関しては。
「そんなこと気にしてどーすんねん」ておじさんも思うけどー。

 ま。作品の愛し方や楽しみ方はひとそれぞれです。
 それは正しい事なんだけど、それに寄りかかりすぎてしまうと、見えなくなる物も、偶にある。
 ので。
 今回のあなたの意見には(今回みたいな意見をくださる方には)、とても感謝します。
 いや、ほんと。ありがとうございました。



・ カレーうどんの存在意義は、お蕎麦屋さんの物であるのが絶対条件です。普段食べているカレーではなく、和風だしをベースにしたカレー。そうじゃなきゃ、別に食べたいとは思いません。


 その存在意義は、和風だしをベースに作られたカレーをご飯の上にかけて食べても失われない物?
 そこんとこが気になるのじゃが。



・ なんで7月中旬に部屋干ししなけりゃならないんでしょうね。じめじめ。


 まったくやんね。
 こないだ、食べかけのポテトチップスが一時間かそこらで湿気ててすげびびったですよ。






・ ああ、そうね。



 雷が鳴れば梅雨って終わるんだっけ。






・ 食い意地で乗り切れ地獄の猛暑。



 今夏の生活目標。






・ 羨ましい体験を目の前でされた。



 上手く説明出来るかどうかわかんないけど、試みてみると。

 私が勤めてる図書館は4階建てだ。
 階段は勿論あるけれど、取り敢えずはエレベーターでの移動が主である。
 そのエレベーター、1・2階は職員用ワークルームに直結しており、3階は通路に。
 そんで、4階は全フロアが書庫になっている。

 この書庫、午前のバイトである儂が入るまでは、明かりが点いておらず、大抵真っ暗だ。


 エレベーターの到着する階は、1階と3階が圧倒的に多い。
 3階は職員やアルバイトの詰め所、事務所があるし、
 1階は最も職員の手が必要なフロア。
 職員のほぼ全員がそれを体感的に周知してるので、
 1階から移動するエレベーターは3階に到着するものと、
 3階から移動するエレベーターは1階に到着するものと、
 体感的に、刷り込まれている。


 そんな訳で。出勤。
 1階に降りて、挨拶をして、出勤表に印つけて。
 エレベーターへ戻り、相乗りの職員さんが例によって3階を、
 書庫のアルバイト員である儂は4階を指定する。

 程なく3階へ到着し、職員さんが下り、儂が4階へ行くのに待機してると、別の職員さんが入ってきて、1階を押す。
 エレベーターの設計上、当然、エレベーターは先ず4階へと移動する。

 チーン。と云う到着を報せる呼び鈴に、1階へ到着したと勘違いした職員さん。
 真っ暗な4階へ一歩踏み出して、びくりと身を竦める。


 この瞬間が、すげえ羨ましかった。


 蛍光灯の灯りと開館前の静けさと空調の涼しさとが渾然一体となった真っ白な空間が1階ワークルームだ。
 そこに到着し、それを思い描きながら無意識に一歩を踏み出した途端、そこにあったのは一面の黒。
 しかも空調の行き届いていない生温い空気だ。

 何事かと思うよね。
 一体何が起きたのかと。
 何処に行き着いてしまったのかと。
 恐らくその職員さんの脳味噌は、一瞬のことだろうけど、かなりの急角度にでんぐり返ったに違いない。


 まァ、直後、苦笑いしてエレベーターに戻ってきて、それで済んだんだけど。
 いいなあ。意図的には体感出来ない恐怖だわ。すげ羨ましい。






・ 謎の擬音「ぺそぺそ」について真剣にかんg



 あー。アレです。あれ。えーと。ああ云う表現に近い物なんですけど。
 タラちゃんが歩く時の音みたいな。


(本当はキーボードのタイプ音にちとしょんぼり気味のニュアンスを加えた擬音)






・ 強い不満。



 せっかく「日本沈没」と「時をかける少女」が映画化されるんだから星新一先生の御作も何かしら映画化して御三家揃えようぜえー?(未だに出してるこたつの机をばんばん叩きながら)






・ それはそれとして。



 地元ローカルな情報番組でこの「日本沈没」の特集組んでて、その司会者してた地元局アナウンサーが「阪神大震災、新潟震災と、日本人全員にとって天災とは身近なテーマですが、それはこの、比較的地層が穏やかと云われている中国地方でも変わる事はないと思うんですね」と、うん。もっともだ。君の云う事は良く解る。と前置きを置いての感想として「この映画を通じて私は、日頃からの防災意識が大事なんだな、と、強く感じました」と結んでててえええええー? そっちィー? いや家族や隣人との絆とか日本というアイデンティティーに関してとかもうちょっとあんじゃねえのォー?

 とか驚いちゃったんですが。
 でも原作未読でそちらはいつか読むにせよ映画版のそれを観る気がいまいち無い儂は何も感じなかった事にしてバイトへ行きました。






・ ラスボス直前。



 セイバーの全体的な弱体化(攻撃範囲が狭い・威力ちと低い)によって一撃で倒せないザコキャラが増加し、従来作にあった「敵をズバズバ斬り伏せながら高速で突っ込んで行く」っつーリスキーな爽快感がちと損なわれたように思えちゃうのが先ず残念なところ。

 次いで、ボスの弱点部位を突けば大ダメージを与えられるけども、その後得られる武器のゲージが少なくなっちゃうよーてシステムは上級者にも初級者にも適合した良いシステムだと思うけど、肝心の武器ゲージの使い途に乏しく、ちと意欲に繋がりにくい。
 尚かつ、ボスがあんま強くないのでリトライする羽目になってもさほど負担ではなく、ただ面倒なだけでちょっと作業感。

 フルボイスに関しては……まあ、そう云う需要があるんだろうな。どうのこうのとは云いますまい。各声優さんもしっかり演技出来てるよう感じるし。
 あと、各フォーム毎にもうちょっと攻撃バリエーションがあっても良かったんじゃないかなあ。まあ、どうせ従来作ではセイバー8割バスター2割で他0割な使用感だったからこの辺は微妙なところだし、一応、それぞれに個性は出せてるから、不問。そのへんは次回作に期待。

 ついでには、ステージクリア型ではなく、マップ探索型になった意味がよくわかんない。
 これは別に良くも悪くもなく、単に「なんで?」ってだけなんですけど。


 ナドと。
 先ず欠点に感じたところを論いましたが、それ以外には殆ど欠点無し。
 相変わらず基本が良くできたゲームで、遊んでて素朴に単純に楽しいです。
 これぞアクションゲーム。ドット絵で動く2Dアクションに、特に、攻略し甲斐のある難易度に餓えている方には是非シリーズを通して触って欲しい。
 のが、
 このロックマンゼクスなんですけど。
 いや、ほんと。
「なんかアクションゲーム遊びてえなあー」て帰りがけの自転車で朱に染まる西の空を見上げつつ呟いた経験がある向きは是非遊ぶべし。
 と云うか前作にあたるロックマンのゼロからのが個人的にはお薦めか。でも1はゲームオーバー時の処理が鬼だから2か3からにしたまえよ。


 ところで。一番の不満はやっぱ「最初っからハードで遊ばせて下さい」だわな。
 いわゆる8ボスは全部殆どノーダメージで倒せちゃうぞノーマルだと。正直ぬるい。
(ゼロだとノーマルでも結構歯応えのある難易度だったように思うけど)


「シリーズ初の女ロックマン」てことで折角だからとエールちゃんで始めたんですが、
 思いやりの強い激情家さん。敵と味方とを冷酷なまでにきっぱり区別しちゃうところなぞは熱血でよろしい。
 んだけど、ぎりぎりの所で良いキャラになってくんないねーこの娘さん。

 人々を守れる力を手に入れたけど、でも本当に守りたい人は既に喪われていて、その事に虚無を覚えちゃったりとか。
 民衆を助けに向かうか、復讐を果たす為に敵の後を追うか選択を迫られて、激しい怨嗟に突き動かされるまま敵を追っちゃって結果民衆を見殺しにしちゃったりとかー、それが流石にきつかったらばやっぱり人々を助けた後でそれでもやるせなさに一人泣いたりとかさー。

 といった展開はやはり小学生もターゲットに入れているこのシリーズに求めるにゃ酷だろうね。ちえー。
 





・ 京都アニメーション。



 と云う名前は儂にとっては「涼宮ハルヒのアニメつくったところ」では無く、
 パワプロのOPアニメ作ったところです。

 →参考 参考その2


 ウツクシイOPだと思うのよ。
 正味1分かそこらにゲーム内容を余さず詰め込めてる。


 でもパワプロ13は買いません。てか買えません。
 その理由はここでは明かしませんが。
 ヒントはコミケの〆切もいい加減差し迫ってきた感があるのに全然筆が進まなくてなんかもー小説の書き方を忘れてるどころかそもそも儂って小説の書き方知ってたっけーて気分になってきてるからです。


 ……あー。
 でも甲子園編なんだよな。
 うー。


 ん。でもなんか今回のOP、しょぼいね?






・ 発見。



 和式のが出してると云う実感は強い。






・ 近頃。



「折れる」とか「砕ける」とか表現してたアレは、
 最近だと「溶ける」って感じです。

 胸の奥とか腹の真ん中だとかにあるそれが、どろどろに溶けて口から出て来そうな感触。






・ 作業効率を少しでも上げる為に。



 集中力補助を目してインナーイヤーヘッドホンと云うかカナル型と云うか耳栓型のイヤホンを購入。


 ……うーわあークッキーを噛み砕く音がすーげえ頭ん中に響くー。






・ まあ確かに。



 大体において私は「自分の為ー」と標榜してぺそぺそ活動をしておる訳ですが。
 しかしそれは単なる事実で。そんなもんを掲げてもしょうがないのかも知れない。
 だって、「自分の為」にならないことなんざこの世にはそうそう無いのです。
「自分の為」になるのは当然の事なのです。

 つまり、こー。自分の為に何かをするのって、目標が低すぎるのかもね。


 まあ、目線が高かろうが低かろうが、出来るモノにゃ案外と影響は及ぼさないものっぽいので、結局は意欲だとかモチベーションだとかのお話に過ぎないけどー。


 逆に云えば。真に自分の為だけに活動出来てる人は尊敬出来るな。
 未だにやる気だとか気分だとかにぐらぐら左右されてる儂なぞからしてみると、とても眩しい。






・ 何度も思うんだけど。



 カレーうどんって何でわざわざうどんにかけるんですか。
 米でいいじゃん。
 別に一緒じゃん。
 まあ、実際は触感とか違うんだから確かに別物なんですが。
 でも同じでんぷんだし。
 似たような味だし。
 カレーうどんって何でわざわざうどんにかけるんですか。
 美味いけど。
 おかわりもしたけど。






・ ヨコハマの解釈だけど(省略されました。全文を読むためには爺さんとマルコの後ろの人影について書くこと)



 ええええなにそれうそきづかなかったまじでえー?
 と大急ぎで部屋ん中から14巻を掘り出して(注:比喩表現ではない)大慌てでページ繰って、ちょっと待ってちょっと待って。えー!?


 って確認してみたんスけど。
 ……んー。
 省略された部分と、私がそれから直感した何かとはちょっと、違うみたい?
 いや、違うでしょう、この背中。多分だけど、あの人じゃないでしょう。

 ……でも、それらしい根拠を求めるなら、この帽子には見覚えがあるような気がするにはするけど……。いや、でも多分違うんじゃないかなあ。そうだとする理由がそんなにない気もしますし。

 でも、最後の、カバーの折り返し部分のみんな集合してる絵に、一応、飛行機は飛んでるんだよね。他に操縦する人も居ないし。或いはコレが存在証明……? とも思えるんだけど、集合絵には作品との矛盾があったって構わないだろうし。いまいち証明とするには弱くて。んー。あー。


 とまで書いたところで、あなたが省略した解釈とは全然見当違いの事を云ってる可能性て結構な数字ですよね。
 それほど気になるんだよううわーん。






・ W杯。



 ジダンのヒトの最後は、まあ、残念なモノでー。
 その後の展開がややスローペースだったのも含めて、なんとなく神妙な気持ちで最後まで眺めたりー。
 けどもそんな気分も優勝したイタリアさんらの狂喜っぷりに良い感じに中和されたりー。

 とにもかくにも、おめでとうございます。
 こういうイベントでも無ければ年間通してのサッカー観戦数が完璧ゼロな儂の如く傍目モンがこんな上等なお裾分け貰っちゃっていいんだろうかーてぐらいに楽しかったです。

 観戦中、何度も浮かんで、特に試合終了直後に浮かんでた言葉は「贅沢」でした。
 うむ。やー。贅沢だわ。ホトトギスの舌で吸い物を作るよな、そんな感じの。

 ヒト一人が一生賭して見付かるかどうかわかんない希少な原石で
 ヒト一人が生涯全部使って磨き上げて作った宝石を、
 全世界中からかき集めてゴンゴンぶつけて砕き合って勝負するような?
 飛び散る欠片のなんと美しくきらめく事かですよ。

 スポーツ選手ってのはつくづく偉大だ。






・ 夜空を仰ぐ。



 ただし七夕の前日に。
 別に天の邪鬼というわけではない。
 その日の19時50分前後に、ディスカバリーが日本上空を過ぎるのだ。


 バイトをさくさく切り上げて駅前の歩道橋の足下に自転車を止め、適当な歩調で駆け上がって仰ぐ。
 ディスカバリーが見えるのは北東の方角で、水平に近い位置だそうな。
 この季節のこの時間帯の空の色は濃紺で、それを、未だ梅雨の明けない雨続きの重ったるい雲が丁度二分している。

 南が快晴。北は曇天。


 まあ、日頃の行いの悪さにゃ自信があったさ。
 帰り道に飛行機の速度で頭上はるか上空を過ぎる発光体があったけど、
 頭の真上だったから、まあ違うだろうなあ。


 それはそれとして。 
 飛んでったねーディスカバリー。

 まんがサイエンス2巻の「ロケットの飛ばし方教えます」て作品に感銘を受けたのと、
「そう云えば、ロケットの発射をリアルタイムにみたこと一度もないな」てのが視聴した主な理由。

 当たり前の話だけど、本当に火ィ吹いて飛んでくんだね。
 他に方法なんて(今の所)ないのだろうけど、「宇宙へ飛んでいく」と云う現実離れな行為に比すると、全然に現実と地続きで、あっけないほどシンプルで、強引な力業な方法に思えてしまう。

 しかしそれでも、噴射口の炎が覗ける、なんでそんな処に付いているのか分からないカメラは、燃料タンクを切り離した後に暗い宇宙と青い地球を映した。






・ web拍手ありがとう。



 更新の末尾が定位置と云うのもどうかしら。
 と少し思いましたけども変更案もさして思い付かず。

 掲示板と同じ要領なのだから、別ページでも用意すればいいのかしらね。
 と思ったけどこれも考えたには考えたけど以前却下したっけな?

 んー。

 それはそうと今思い付いたんだけど、
 そのうちweb拍手に送ってくるスパムのスクリプトとか出来そうやね。
 公式が対応すれば一発で駆逐できそうだけど。



・ や、思うんですけど「後に夕凪の時代と呼ばれる」っていう最初の方の言葉から人類はその後も健在なのでは?


 おう。それは私も一番最初に思い付きましたけど、
「……雅のない解釈だな」て思ったので忘れました。

「後に呼んだ」のは人類以外の知的生命体って解釈はどう?



・ 思い入れがなくても利害関係はあるしね。出場さえしていなかったら、決勝一試合の録画だけしか見られなさそうだ。


 成程。
 日本が決勝トーナメントに出場出来てたら、TVやらHDレコーダやらの売り上げに結構な影響が出たかも知らんですねー。

 出場さえしていなかったらー。の仮定には、全日程を終えた今でこそ「うわ。勿体ね」て反応が出来ますけども、そもそも世間的にこんぐらい騒いでくれないと興味すら覚えなかったろうなーって自覚のあるミーハー人間は他ならぬこの儂です。



・ 不老不死=遠くに行くこと。と、ある目的のために不老不死を目指している私が考えてみたり。


 あー。そーねー。
 時間とは距離であり、距離とは空間であり。そう解釈すると、時間っつー概念から解き放たれた不老不死って存在は、あらゆる空間に存在できることになりますやんな(?
 それともその言葉の意味する「遠く」って、距離じゃなくて、観念的なモノかしら。
 この世の生物は例外なく時間の影響を受けて生きてるからなあ。と云うか時間の影響を受ける事こそ生きるってこととも解釈出来ますし。そこから離れた不老不死ってのは確かに遠く隔たった存在なのでしょう。

 ん。「ある目的」に関しましては敢えて訊ねますまい。



・ 季節はもうほとんど夏ですが、いかがお考えですか?


 殺される。


 夏が来るたびに「おれはいつか夏に殺される」とか繰り言を垂れ流しておりますが。
 何かどんどん冗談じゃ済まなくなってってる感じ。ちょうなつばて。






・ 寝不足の足跡。


 ドイツvsアルゼンチン
 ブラジルvsフランス
 ディスカバリー打ち上げ(延期
 ディスカバリー打ち上げ(延期


 どうなんでしょうね。
 燃料タンク(の断熱材)故障つったら結構深刻そうにも思えるんですが。
 一日以上の延期もあり得るんかなー。つっても、故障が見付かっても直ぐには延期発表がなかったくらいだし。そんなに問題でもないのかな。
 と、情報の伝わってこない午前4時。英語読めんねん。


 ブラジルvsフランスは……まあ、結果だけ見るなら単純だったよね。
 結果だけ見るならね。
 かたっぽのエースが絶好調で、もうかたっぽのエースがいつもの活躍を出来なかったってだけ。
 なんだけどなあ。
 ごろごろ。

 儂は別段、意識するようなナショナリズムとか愛国心とかは持ってない。
 ので。何気に日本のグループリーグ戦は全部観たんだけど、それも「面白い試合を観たい」てのが目的の9割を占めており、応援しようって気分は殆どなかった。
 のにさー。
 やっぱり負けてると何か微妙な気分になっちゃうのよ。
 単純で素朴な「傍観者」にぎりぎりのラインでなれない。
 
 ブラジルさんにぼこぼこに熨されてる時も、これが日本でなければ「やっぱブラジルさんはつええんじゃのー」と半笑いで観られたんだろうけど。それが日本だというだけで奥歯の方に微妙な苦みが浮いてしまう。

(それにしても。クロアチアとオーストラリアとの勝負は勝てておかしくない勝負だったけど(それだけに負けてもしょうがなかったと思うけど)、ブラジル戦は、ほんと、「無理」の一言やったね)

 そんな体験をした後で、
「日本は愛国心の強い国民性を持ってますよ。それがあまりそう見えないのは、政治愛が無い所為です」
 てコメントを見付けて深く頷いたりした。

 それだから、日本も居なくなったので(なっちゃったので)
 残りの試合は面白おかしく楽しく観れるぞっと。
 思ってたんだけども。
 やっぱ微妙に辛かったりする。

 アルゼンチンの試合終了後の小競り合い。
 絶対優勝候補だったブラジルの茫然自失。
 もし結果が逆だったとしても、やはり辛い部分はあったろう。
 開催国ドイツの敗退。4年前から叩かれ続けてきたフランスのベスト8止まり。
 
 試合たァ両者の優劣を明確に分ける為の勝負だから、明暗がきっぱり別れて当然なのだ。そこに厳然と存在するリアリティは、明るい感情だけを掠め取ろうなんぞと云う野次馬根性を傍観者にすら許しちゃくれないのだろう。
 うーむ。
 やっぱ娯楽は酸いも甘いも苦いも、清濁併せ呑む覚悟で臨まにゃダメなのだろうね。
 残りの試合も全部観るぜワールドカップ。


 と云ったミーハーな人間の戯言。
 あー。寝不足。 






・ うええ。



 街中からビニールプールの臭いがするー。
(梅雨のにわか雨時)






・ 世の中は矛盾に満ちている。



 例えば夏こそがアイスを美味しく食べられる季節なのに、
 食い過ぎると体調壊しちゃうところとか。






・ なんで。


 三日置きに週末がやってきてるんですか。






・ 知る人ぞ知る。と云う言葉を用いる必要がない程度には知名度のある作品。だと思う。


ベルカって栗鼠って意味らしいけど。 二倍サイズー
 ベルカねーちゃん。頑強で怪力でおおらかで大雑把な娘さん。
 元傭兵が旅芸座の一員になって今は保安官。と書いてみると結構良くわかんない来歴の持ち主。
 でも養成学校に行ってただけで傭兵職に就いた事はなかったりとかもしてそう(親父さんが傭兵だったから成り行きで入学ーみたく。


 
やっぱりライカ犬から? かける2サイズ。
「……ライカ。お前、尻尾あったよな?」
「……あるよ。ホラ」
 てシーンが大好きです。大ッ好きです。

 ベルカさん描いたなら描かずにはおれまい。と云う勢いにて、ライカさん。
 それにしても毎度思うのだけど腕組みってどう描けばいいのか解りません。



わかんねえよ元ネタ。 クローズアップ脳味噌
 物語の主人公であるコロナちゃんのペット。リスのターくん。
 人気投票があるなら私は間違いなくこの方に一票入れます。ん? や、マジで。ほんとほんと。

 見た目とは裏腹に献身と人情の人。
 ペットと云うよりも従妹に甘い親戚の兄ちゃんって感じ。
「そんなにいうんだったら、ターくん捨てちゃうよ!」
「捨ててもいいもん!!」

 ……考えてみればペットって扱いからして酷いよなあそもそも。
 因んで元ネタは「顔のない悪魔」と云う昔懐かし往年のB級ホラー映画からだそうですが、それにしたって何故「リス」で何故「ペット」なのかは作中では一切触れられず。
 元ネタを隠すのはSFのヒトのたしなみですかー?


 と云う訳で唐突にあさりよしとお作「宇宙家族カールビンソン」のドット絵でした。
 SC版基準だけど割と適当。
 ここまで描いたからには全キャラ制覇も良いかなあとか思わないでもないですが、
 ドット絵を描き始めた理由がそれを阻みます。その理由はここでは明かしませんが、
 ヒントは「夏コミが近くなってるのにいまいちやる気が出ず夏バテも併発して何かもう危機感ばかりが募っちゃったからちょいとばかり現実逃避」です。






・ ちょっと前のアフタヌーンにヨコハマの後日譚が載ってたよ。4Pくらいだけど(やぎ)



 とのことで即時本屋さんへ向かったですがそこには置いて居らず。
 他の本屋さんへ向かうにはちと遠い。コンビニにも置いてないではないけどいちいち探すのもめんどい。等と考え始めるとらちが明かないので、後日、バイト帰りに普段はあんまし利用しないアニメイトさんにお邪魔する。
 首尾良くアフタヌーン本誌を発見し、レジに並びつつ。あー、アニメアニメした買い物袋だったらどうしようか。それで電車に乗るんかい。まあ鞄もあるから平気か。そもそもおれオタクだし。と云う思考がのったり可能なぐらいにレジの対応が遅い。
 けども別に急ぐ用事もないので、のっぺり待っていると、どうやらアンケート参加のお願いをしているらしい。
 ふむげ。
 まあ、そう云うのに答えるのは嫌いじゃないし。答えないでもないですよ。あんまし利用しない人間が統計に混じっちゃうのも何か問題はあると思うけど。
 と思ったところで順番待ちが終わり。
 商品渡して。
 お金だして。
 お釣り貰って。
「こちらが商品になりますー。ただいま、アンケートを実施しておりまして」
 ああ。そう云えばアンケートってどんなだろ。
「好きなキャラクターの名前を一つと、その理由を――」

 原因は良く分からんが、吹いた。
 好きなキャラクターですかよ。意表を突かれた事は確かだったけど。

「あ、そうですか、よろしいですか。では、ありがとうございましたー」

 自動的に断ったことになったらしい。
 ……んー。どういう風に解釈されたのか。気になる。

 帰る道々で、そのアンケートを受けていたらば何と答えたかなあと考えたらば、
 取り敢えず山崎努に帰結した。


 それはそれとして。


 安心した。かなー。読んでみて。
 ヨコハマ買い出し紀行のエンディングに[人間の姿が全く映らなかった事から、人類の絶滅めいた不安を]覚えた方もちらほらいらっしゃるみたいでしたけれども、個人的な受け止め方になりますが、タカヒロくんとマッキちゃんのお話の結末が[「子供を産んだ」]って処辺りから、何となく作者さんの意図を汲み取れそうな気がします。
 彼と彼女は、云うまでもなくヒトの時間の象徴。
 その彼等が[次の世代を生んだのだから、そりゃーまあ、多分ですが、まだまだヒトの歴史は続いて行く]のでしょう。
 個人的な解釈なのは断るまでもないけどねー。

 その解釈が、この後日譚を読んで、ちょっくら補強された感じ。
 元気そうで、利発そうでよろしい。

 単純な想像だけど、[ヒトの個体数って今現在(物語の言葉で云うなら「お祭りの時代」)に多過ぎただけだから、他の生物の個体数と同じくらいな規模に縮小するだけなんじゃねーかな。まあ、大縮小であるには違いないんだけど。]
 あと、それに[物語の本質としては、あの後に人間が絶滅しててもしていなくても関係はないんだよね。
 アルファさんは、自分の行けるところまで、ずっと見続けて行くって約束してくれたのだから。
 その約束に、ヒトが残っているか居ないかなんて関係ないのでしょう。
]

 ……ああ。そうそう。それに。それにさー。そんなことよりもさー。気になるのがさー。
 口に出しては云わないようにしようかなあって思ったんだけど、云っちゃうとね?
[――ナイ君はどうなったんですか!!
 なんでいないんですか!! なんで……ああ。その答えはナイ君自身が云ってたよ。男のロボットのヒトはなんでか……。ああ、ああ。これ以上は云えねェ。
]


 あー。やっぱ儂もなりてェなあー不老不死ー。
 ともかくも、情報ありがとうございました。>やぎさん
 そんな訳で以下、web拍手の返信に御座います。
 例によって保存し忘れちゃった方が居られるやも知れませんが、いやほんと大変申し訳なく。



・ 以前迷路の先の鏡のアンケート(?)でお邪魔して以来の者です。こんにちわ。
 本日の記事――行ける所まで行ってみたい。この言葉に、もらい泣きをしてしまいそうになりました。
 ただそれだけの事なのですが――今のわたしにたぶん大切なことだったので、証を残していきます。



 おお。望外の光栄にて御座います。
 取り敢えず前を向きたい時に有効な言葉です。
 もしよろしければ折を見て呟いてみてくださいまし。



・ 箱舟で思い出しましたけど夢枕獏さんの瑠璃のは?


 探してるけど無いんだってば。
 でもなー。作家的な教訓を得られる作品だとするなら、プロにでもなった後に読みたいかも。
 ひねくれ者でして、そう云う教訓的なのって自分で見付ける前に誰かに提示されちゃうと悔しく感じちゃうのさ。

 まあ、前向きな意味で、機会があればちゃんと読みますよー。

 

・ 不老はともかく不死はちょっと・・・


 そうかなあ。
 そちら様の感性をちょっと否定する形になって申し訳ないですが……不死単体よりも、不老単体のがおぞましく感じますよ個人的には。

 ま、正味な話、どっちも「おぞましい」んだけどさ。
 てのを前提として。

 不老不死ってのは、終わりが無く、変化も無い。これはまあ当然の事のように思えますが、
 不老となると、変化が無いのに終わりは来る。
 それって、今以上に、明日死ぬのも50年後死ぬのも一緒なことになりません?
 むしろ、いつ死んだって結局一緒。ってのをより具体的な形で与えられるような気がして、凄く怖いス。

 そう云えば、何の番組だっけ。思い出したんですけど。
 不老研究の第一人者さんが「それでも死は不可避だろう」とコメントしてて、
 それでは、人類が不老になった時、老衰死はどのようにして訪れるんですか? と尋ねられて返した言葉が

「簡単です。いつもと同じように寝て、二度と目を開かないのです」



・ ヨコハマ買い出し紀行の音楽はショーロ・クラブとゴンチチ、どちらがお好みかしら?(w` suka)


 んが。探してるけど未入手なのよゴンチチの方はー。
「月の調べ」と「夕凪のダンス」だけはドラマCDから入手したんですけども。纏められたのが出てるんでしたっけ?
 感想としては取り敢えず流石だな。と。
 このヒト等はヨコハマだろうとなんだろうと居心地の良い曲を作りやがるぜ。
 月の調べも好きですけど、夕凪のダンスに特に拍手かな。
 ショーロ・クラブさんは弾いてくれなかった、活発的なヨコハマっぽい曲。

 まあ、ショーロ・クラブさんの方はアニメに必要な曲と云う縛りもあったでしょうけど。
 しかしやっぱイメージ曲としてはショーロ・クラブさんらの演奏する「cafe alpha」だなやー。すべらかに呑気な優雅さが素敵。



・ ヨコハマ買出しのアニメいいですよね。椎名へきる女史の良さを認識しました。


 ……あー。申し訳ない。
 私個人としては、悪い作品じゃないんだろうけど、特に良いところの認められない作品でもあったかなあ。
 マンガの持ってる雰囲気を再現し切れてなかったように思う。

 と云うのはフェアじゃないんだよね。
 2つある内の、片方は観たんだけど、もうかたっぽのはかなり最初で観るのやめちゃってねー。
 全部を観てないのに批評めいたことを口にしたら反則になるわさ。

 台風の直後に、アルファさんが月の下で月琴を弾いてるシーン。
 それがあるのを予感しちゃった途端に、イジェクトボタン押しちゃったんだわ。
 あの時の月弦の音は、本物じゃないと、聴きたくない。

 あ。でも。良いところはあったかなやっぱり。
 マンガではなかなか観られない角度の喫茶店を見る事が出来てさ。
 特に窓だな窓! 窓からの風景!
 あのテーブルに座った時の風景ってどんなじゃろなーまー草ぼーぼーなだけだろーけどよーとか妄想してただけに再現してくれたシーンではちと鼻血噴きそうになりましたわ!



・ 不老不死といえば「人は全て死す」ですよね。死無き生に自由は無いという命題を認識しました。


 む。知らない。>人は全て死す。
 んー。ちと難しいかなあ。自由ってのは簡単に考えると束縛があって成立するもの。
 だとして、不死と云うか、無死ってのは束縛からの解放を意味するのかしらね。
 考えるとちょいと面白そう。


 思うのは。
 不老不死ってのは、時間という世のあらゆる物にある概念から外れちゃったのに、それでも世の中に居続けなければならないという、とんでもない仲間外れさん。
 ついでに、束縛だとか制限だとかって時間と結構距離の近い概念だと思うし。
 私らの思う自由とはもうちょっと違った何かがあるのかも知らんですね。

 アルファさんの行き着いた結論がそんな感じも、ちとしたな。今。



・ 1日1冊だと無理だと思うのに、1週間で7冊は毎週だとちょっと多めかな程度にしか思わない不思議。


 儂的には1日1冊なら何とかなりそうだけど毎日一冊だとすげぇ無理に感じる不思議。
 継続力がないだけです。

 月に10冊読めれば日本で5%の例外になれるそうですね。
 それ聞くともうちょっと頑張ろうかなあとも思うんだけど。



・ 遠くへ行きたくなってきました(解放されたくて


 行けるとこまで行くと良いよー。






・ 私は多分、「遠くに行きたい」と云わなくなった。



 ヨコハマ買い出し紀行が最終回を迎えて、最終巻が刊行されたと聞いた。
 その時の衝撃は、不意打ちに近い――と云うよりも、不意打ちそのものだった。
 人に限りなく近い人ならざる存在として、ゆったりとした世界の、それでも変わりゆく人や物を朗らかに柔らかく眺め続けるアルファさん。
 ヨコハマ買い出し紀行とは、私にとって不老不死の追体験をさせてくれるマンガであった。

 その不老不死の物語が、よもや私よりも先に終わりを告げるとは。

 当然なことでも、考えていなければそれは衝撃を伴う。
 一つの物語が私よりも先に終わる。まあ、当然なことだ。分かりやすい。
 でもそんなこと、考えても居なかった。
 その茫然自失から私を回復せしめたのは、そんな面白くもなんともない事実の認識ではなく、
 ――アルファさんは私たちとは違う時間で生きている。
 と云う理解で、再認識だった。
 そりゃそうだ。いつかお別れは来る。
 私たちは、私たちの時間に、押し流されるようにして、進んで行く。彼女を残して。
 そうだ。当然のことだったのだ。


「個人的イベント」の日にしよう。と思った。
 デジカメを尻ポケットに入れて自転車に跨り、陽がまだてっぺんに来てない頃から漕ぎ始める。
 通り尽くした道筋の途中で、ハンドルを今まで向けた事のない方向へ向ける。


 ヨコハマ買い出し紀行の最終巻は、今まで一度も行った事のない本屋さんを見付けて、そこで買う。


 古本廻りと、自転車でふらふらすることを趣味にして十年ちょっと。
 自転車で行ける範囲の本屋さんは殆ど知り尽くしている。
 ついでに云えば、どっちかと云えば間違いなく田舎に属する我が町だ。
 そんな中で、「知らない本屋さん」を見付けるのは結構、生半な事じゃない。

 今まで行った事のない方角を選ぶと、自然と、足を遠ざけていた場所にたどり着く。
 漕ぎ始めておおよそ4時間程。
 私は、幼稚園入学から小学校の4年まで過ごしていた町に居た。
 よくある話だけど、記憶の中にあるその風景と、実際のスケールの違いがすごかった。
 歩いて1時間だった友達の家までは自転車で5分。
 丸一日過ごせていた公園はボールを蹴れば端まで届きそうで、
 万が一落ちちゃったら絶体絶命だった川は、底までの浅さが簡単に見通せる。
 ミニチュアのように狭い世界。

 アルファさんが、「自分の世界が広がって行く」と、何処かで云っていたなと思う。


 日の暮れる直前ぐらいに、新しい本屋さんを発見出来た。
 小旅行の気分はとても居心地が良く、家路を辿るのが惜しかった。

 もちろんコーヒーを淹れて、買い込んできたおやつを取り出して、PCの前に座って、
 ショーロ・クラブさんの演奏するヨコハマ買い出し紀行がアニメ化されたときのサントラを流す。
 最終巻を買いに行くと云っても、それの直前の巻も買ってなかったので、そちらから読み始める。
 ……居心地と云うか。読み心地のよさにはかなり気を遣った筈だけど、何かがずれている。何かが足りない。
 違和感の元みたく思えたスピーカーの音量を少し絞って、もうちょっと絞って、結局電源を落として、ついでに寝室に移動した。
 無かったのは無音だ。
 ヨコハマ買い出し紀行は、静かなマンガだった。


 のちに
 夕凪の時間と呼ばれる
 てろてろの時間

 つかの間のひととき

 ご案内しましょう
 夜が来る前に



 私は、不老不死に強い憧れを抱いている。
 むしろ不老不死になるのが将来の夢ー。などと日々嘯いている。
 時間さえかければ大した人間になれると自らを妄信しているし、
 世の中に溢れている大好きな面白いモノに触れるには、私の持っている時間は限られすぎているように思うからだ。
 そんなだから。
 お話の中に登場する多くの不老不死が、惨めな末路を辿るのが、どうにも悲しくてしょうがない。
 それは、大した人間になった所で、行き止まりに辿り着いてしまえばそこに閉じこめられるだけだと云う事を示唆しているし、世の中の面白いモノもやがて詰まらないモノに変ずるという、私の大好きなモノの全否定に繋がっているからだ。
 そんなだから。
 私はいつか、私自身の手で、朗らかに過ごす不老不死を生み出したいと。大逸れた夢を持っている。
 いつか、そんな不老不死に会いたいと願っている。
 そんな不老不死が居て欲しいと祈っている。


 人間とロボットの違いをさらりと口にするようになった彼女たちに、
 登場人物の一人一人をクローズアップするような展開がカーテンコールのようなモノだと気が付いた時に、
 無自覚に成長して行く子供たちに、
 なんでもない時間に、
 何度も泣きそうになりながら、意味もなく意地になって涙を堪える度に。
 ――居てくれたのだ。
 と思う。
 行き止まりの存在なんて気にせずに、鼻歌交じりで何処までも歩き続けてくれるヒトが。
 この何でもない楽しみに溢れた世界を、全身を使って全肯定してくれるヒトが。
 見て、歩いて、よろこんでくれるヒトが。
 ここに居てくれたのだ。


 我慢の限界に達しかけたのが、飛行機のシーン。
 呻き声まであげて泣くのを堪えた。
 否応なく訪れる「お別れ」のシーンが、ここだと思う。
 そこから以降は、もちろん、泣きかけないなんて事はなかったけど。読めた。不思議な安心を伴って。


 お別れは、済んだと思う。




 個人的イベントにした日。
 小さな頃の自分の、小さな世界を実感した日。
 でもその小ささは、今の私の広さを照明してくれるモノではなく、むしろ、まだまだ小さなモノだと照明しちゃったようなモノだった。

 新しい本屋さんを見付けて、夕暮れ時を通りすぎた時間に家路以外の道を選べなくなった私は。
「行けるとこまで行ってみたい」
 と思った。


 アルファさんは、私たちと違う時間をいつまでも歩いて行く。
 だから私は、「遠くに行きたい」とは、もう二度と呟かない。
 これから呟くのは、「行けるとこまで行こう」、だ。






・ web拍手ありがとう。


 それはそれとしてヨコハマ買い出し紀行の最終巻は初めての本屋さんを見付けて買う旅の道中と家路の最中に宇宙家族カールビンソンのSCコミック版の9巻までと宇宙家族カールビンソンのアフタヌーン版とまんがサイエンスの1巻3巻7巻と少女セクト1巻2巻とLOVELESSの6巻と夜叉の瞳と御緩漫玉日記とアランジアワー全集とエマの7巻を買いました。

 前回のそれと併せてまあ買いすぎの分類だと思うけど。
 古本屋さんの3・4軒を廻ればこれっくらいは買っちゃうのが当然だっよねー?

 まあいいや。
 ちょいと遅れた返信。web拍手、いつも感謝しております。

 
・ まんがサイエンスは何年か前にまとめて新刊を買いましたよ。
 8巻まで買ったんですが、ここで見るまで新刊のことを忘れてました。五年の科学は読んでないから続いている



 あー。いいなー新刊大人買い。
 私もそっちに走っちまおうかと思えども何か amazon さんに頼るのは負けた気分になるのでもうちょっと意地。
 あ。でも、amazon さんに注文して到着まで待つ感覚はすこぶるすばらしいものがございますね。

 最近の巻だと当然だけどもう21世紀なんだよなー。
 何か5年の科学購読しちゃってリアルタイムに読みたい気もするぜまんがサイエンス。



・ 愛はコンビニで売ってるらしいっすよ?


 但し時価でな。
 足使って探した方が結局は安上がりじゃねーのと思うんですけど、
 最近のはパック詰めされててもけっこーヘルシーらしいねえ。

 

・ HALは、復刻版が出ていますけど、元のほうは、古書店見ても出てないですよ。


 え。
 それは根気を使ってもどうにもならないレベルで?
 つっても、回収騒ぎがあったわけでなし(あったの? と云うか古書店には改修騒ぎのあった本でさえ並んでる)時間と足さえかければなんとでもなるように思うですが。

 でもまあ、希少性にゃ拘らないタチなので新装版をさっくり購入してもいいんですが、そちらでは用語紹介が削られちゃってるとも聞いてねえ。出来れば元の方を入手したいですやな。



・ 書きたい時に、書きたいことを書く。読むものは、それに何らかの期待を持って読む。あるがままを受け入れるのは難しくて、まず作者に対して”何か”を期待してしまう。さもなければ、お金払って読んだりしません。


 まーねー。
 私的な体験としても、モロなホラーを期待したのに現代風人情が加味されちゃっててちょっとがっかりー。単品で見れば褒める所の覆い作品なんだろうけど、そのがっかり感の分だけ鑑賞後感は割減だぁなー。
 て具合の事が何度かございましたな。

 でも、どうなんでしょね。
 お金を払ってまで期待する「何か」って結局んところ「面白さ」以外にない気もしますし。
 私としては、あるがまま受け入れるのは無理なんだからその方面は諦めて、自分の固定観念の所為で感じた不満と単純な不満とをなるべく区別するような、観賞後の配慮に行き着いたりしてますけど。



・ 純粋に求めるのなら、作者が誰であるかは関係ないです。手当たり次第に読んで、愕然としたり、たじろいだり歓喜に打ち震えたり。文章ってそんなものでしょう? と思ってしまいます。


 そんなもんやね。
 ただ文章だけを求めるなら事前情報なんて邪魔なだけだったりしますよね。

 新聞に書かれた記事とかでも、「ほらこれだから右翼は」だとか「やっぱり○○新聞は左翼だぜ」みたくコメントを見掛けると、自分の政治的無知を棚に上げて「……ちと穿って見過ぎじゃねえ?」だのと感じてしまう事が御座いますな。
 まあ、これは脱線かな。

 でもまあ。
 作者が誰か。と云う理解からくる情報の蓄積は、それがないと到達出来ない感情にも繋がったりするから結構微妙。
 長編の物語なんかはそうした蓄積が不可欠だったりもするし。それと「作者が誰か」と繋げるのは乱暴な気もしますけど、なかなか無下にできん事柄だとも思う。

 まあ、読むヒトそれぞれって結論しか出ませんけどね。
 蓄積情報があった方が良い物語に、それが無いヒトが感動を覚えたとしてもそれは本物ですし。


 
・ とある所で文章書きやったりしてますが、気に入っても、気に入らなくても、遂行したら表に出す。そして、鼻先で笑われようとも、難しいですねと言われても、よくわかりませんといわれ、読む人に迎合はしたくない。
”自分の論理”が最初に来るのは、文字書きとしては、正しいのでしょうか? それとも?



 私自身で例示出来ないあたりに情けなさを覚えますがー、
 でもそれって、両立出来るもんですよ。多分。
 自分が書きたい文章と、誰かが読みたいと思う文章の両立。
 それが出来てるプロのヒトはごろごろ御座います。

 文字を書くって行為は自分の思いを形にして現出させるって行為。
 自分の為だけにせよ、衆目を相手にするにせよ、
 思いを形にする時点でそこには必ず「解りやすくする工夫」が含まれます。
 それって案外、迎合する為の工夫と大差がなく感じますやな。
 より多くのヒトを相手にしなければ商売として成立しないプロのヒトは、
「自分の書きたい事」を「より多くのヒトに読ませる為の工夫」が当然求められるだろうし。
 むしろプロならそれが必須であって、それを持ってないヒトのが例外っぽい。


 それとは別に、迎合ばかりして良い結果になっているヒトも、悪い結果になっちゃってるヒトも、
 一切迎合せずに良い結果に結び付いたヒトも、悪い結果に結び付いちゃってるヒトも、
 殆どのパターンで先例が浮かんじゃう辺り、とても難しい問題でありますやね。

 因んでここで云う「成功」ってのは単に私の価値観から来る言葉なので細かく突っ込まないでください。
 でもまあ、私でさえ浮かぶんだから、殆どのヒトが十分に浮かぶ筈だよね。

 それはそれとしても。
 人文主義とか啓蒙主義とか、先人の言葉が色々あったっけ。
 世間対個人の葛藤ってのは創作を発表する人間にとっちゃ避けて通れない問題みたい。


 まー私個人としましては。
 プロにならない限り気にする必要も、気にする事もなかろう。とのたのた書き散らしております。
 とっとと気にする必要を得たいモンですわがっはっは。
(がっはっはじゃねェよ)



・ 小児魔法科はぜひ読んでみたいです。とてもおもしろそう。びびっときました。


 お。そうですか。そう云って頂けると嬉しい。
 のですけども。
 設定だけじゃあ結構しょうもないですし。
 なんとか期待はずれに終わらないよう頑張りたいモノです。



・ 「小児魔法科。」の設定を読んで「羊の箱舟」を思い出しました,
 えぇ…強く願った結果能力が身につくというお話しですが
 その中の、一切の攻撃を弾くというのが面白かったのです。お薦めというより思いついただけですごめんなさい



 ふむげ。ビジュアルノベルなのかな検索しましたけど。
 お薦めではないと云うことでしたら特に求めぬことにしますよ。

 強く望んだ結果に「一切の攻撃を弾く」て力を得た。て事はそれだけ平和主義者なヒトだったんかね。それともあらゆるモノを拒絶したのかしら。
 小児魔法科はあんまし戦闘シーンの出てこないお話ですが、云われてみればけっこーゲーム的な設定にもなりそげなお話にござんすね。






・ そう云えば。


 以下、ぜーんぶ「楽しくてしょうがない」と云う麗しい微笑みで。


「ところで、シュークリーム作ったんだけど。
「わーい。
「昨日のお昼に。
「……え?
「美味しくできたよー。一人で全部食べちゃうぐらい。
「……えー。

「うにゅう、ちょっと目、瞑って?
「え? なになに?
「……。
「……
「……。
「……なにー?
「ん。瞑って貰っただけ。
「えー。


「スパゲティとうどん。どっちが好き?
「んー。スパゲティー。
「じゃあ、今日はうどんね。
「……えー。

 しかも手打ちから作ります。

「うにゅうちゃん、晩ご飯のお使い、お願いして良い?
「うん、行くー。
「じゃあ、お願いね。

「行ってきたー。
「ご苦労様。晩ご飯出来てるから、冷めないうちにどうぞ。
「わーい。……え?


 とか。白姉さん→悪い。→しかもえろい方向に。
 の、えろ方向に思考を進める事が出来なかったから儂の脳内ではこんな具合。






・ 宵猫塔。


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