「芽吹くことの約束された種」




 髪は銀色で肌は褐色。もちろん耳は尖っている。
 そんな彼に名を訊ねたとすれば、大抵はこう応える。

「セイジといいます」

 そりゃそうだ。名前が場合場合によって変わってたまるかい。
 それでも鋭敏なひとならば違和感を感じるかもしれない。
 その上で、そのひとが自身の感覚に慎重なタチであるならば、その正体に気付いてこう問い返すかも知れない。

 ――ファミリーネームは?

 すると彼の表情は、注意深く見つめていなければ解らない程度に微妙な変化をするだろう。
 でも、わざわざ注意深く見つめる人なんて居ないだろうから、彼のその表情も、その理由も、大抵の人は知らないまんまだ。


 彼の名字はラミアレスという。セイジ・ラミアレスくんだ。
 ラミアレス家というと、世界の八割がフロワロに没した今であってもなお国威を保てているとある都市国家の、音に聞こゆる名門の血統である。祖先は建国者の一員。現当主はたしか軍事関連のお偉いさんで、それ故に政治にもだいぶ口出しできる立場だったはずだ。
 で。セイジ君はそのお家の、他ならぬ当主の血を受けた六人兄姉の、遅れてきた七人目の末っ子である。
 ついでに云えば、妾腹の子。
 そう、めかけばら。

 ここまで書けば、彼が名字を伏せる理由もご想像いただけるのではあるまいか。
 家名を汚す隠し子。
 望まれざる庶子。
 波乱を迎える跡目騒ぎ。骨肉相食む相続争い。表層に噴出する兄姉同士の軋轢。正妻と妾と夫との愛憎劇。妾は我が子に愛しいひとの面影をみとめ、正妻は後継者たる長男を偏愛し、歪な愛情は複雑な波紋を産み落とし――。

 なんぞという三文文士の書いた寸劇みたく話は別に。ない。

 むしろ逆といえる。セイジくんのご母堂はルシェの血を継いでおり、近代化により差別意識をそこそこ払拭できたその国でもなお日陰に出来るカビの如く残り続ける蔑視の中で、女一人気丈に、貧しくも慎ましやかに暮らしていた。
 そんな彼女とラミアレス氏が知り合ったのは、おそらくは政策に必要な視察に貧民街を訪れた際とか、そのへんだろう。氏は正妻に先立たれて結構な年月を経てたし、六人いる嫡出子も手がかからない年齢になってきたしで、どこか心寂しかったんじゃないかな。
 どうあれ色々ありまして。
 二人は相知り合う仲となり、少々のあやまちによってお腹に子を宿してしまった。

 英雄は色を好むというし、浮気は男の甲斐性なんて価値観もあったりするのでラミアレスさんを責めるのはよしておこう。
 実際、氏の責任の取り方は堂に入っていた。
 郊外に家を丸一件買い取って、ラミアレス家と繋がりを持った信用のおける(つまり口の堅い)メイド兼産婆さんを雇い、母体に差し障りの無いように、かつ生活に不自由することのない環境を流石の手早さで用意した。産まれてくる子に対しても、庶子としてではあるがさっさと認知する気配りっぷり。
 見事な如才無さである。
 おかげで、セイジの出生に影はそんなに落ちてない。むしろ、母親から惜しみない愛情を受けて育った。
 ご母堂も長く一人で暮らしてきた女性だったから、息子という存在が救いと感じられることも少なくなかったはずだ。セイジが母親を思い出す時、最初に浮かんでくるのは母に抱かれているぬくもりと「お前が産まれてきてくれて、本当に良かった」というささやきである。

 本家に六人の子供がいて、跡目争いとも無縁であったのも幸いだったろう。
 親戚連中に変なちょっかいをかけられることもなく、母親の愛情を素直に受けて、セイジ少年はすくすくと育つ。

 物心がついてから暫く。気が付くとセイジにはずいぶんと年上の友人が何人か出来ていた。
 数えてみれば六人。大きな友達連中は口々に言う。
「俺のことは兄と思ってくれ」
「なんなら、お姉ちゃんって呼んでくれてもいいのよ」
 等々。
 そんなことを口々に口にしつつ世話を焼いてくれる彼らが、本当の兄であり姉達であったと知れたのは母親の葬儀の場である。

 隠し子――というほど後ろ暗いモノではないけれど、しかしあまり大っぴらに公言して良いことでもない。
 セイジの存在は、もちろん家族に伏せられていた。のだけど、本家の六人はそれぞれに才知に長けた敏感な兄姉である。
 六人が六人、それぞれ別々の手段やきっかけで「隠し子」の存在を知り、主に興味本位で、家族に下手な波風を起こさぬよう秘かに会いに行き、歳の違いから来る可愛らしさにほだされ、繁く足を運んでいたと。
 笑い話ではある。それも、ある程度に微笑ましい。
 そんなだから母が逝去後、セイジは本家に引き取られることになるのだけど、割と複雑な環境のなかでも相変わらず愛に恵まれて屈託も屈折もなく過ごしていく。
 

 六人の兄姉は、それぞれが名家の名と血を継ぐに相応しい才能の持ち主だった。
 それぞれが別の道を歩み、そして華々しい成果や経歴をものしている。
 だから、セイジが学業を修め、何らかの職に就くにも不自由はないように思われた。

 例えば、長男は武勲も眩きファイターであった。竜の襲撃を受けた村にいち早く駆けつけ勇躍し、住民を逃がすためただ一人で三匹の竜に相対し、そして生還した等。だから彼はしきりに、セイジにも同じ道を歩むよう勧めた。曰く――人を守るためには腕力が不可欠だ。天性のバネを持つルシェであり、そして自分と同じ血を引くお前なのだから、俺なんかよりもずっと優秀なファイターになれる。ずっと多くの人を守れるんだ。いつか一緒に竜を狩ろう――。
 しかし現在の長男は、父の跡を継ぎ政界に進出している。一筋縄ではいかない老獪な政治家の連中相手にまさか斧を振り下ろす訳にもいかず。苦戦しているようだ。
 彼の世話になるのは、あまり現実的ではない。

 次男は名うてのヒーラーだった。医師としての腕もさることながら、介護システムや緊急救難を始めとして有事の対応などのマニュアル化を進め、効率的な治療法を考案し広く評価を得ている。その一環として、ヒーラー専門の学校を創立すべく駆け回っていた。曰く――ヒーラーは、全ての人に求められる存在だ。それなのに今、戦場でも、街でもその手が足りてない。集中的かつ早急に癒し手としての術を学べる環境が必要なんだ。それに、彼らを育てるための学舎は、この星から竜を駆逐することが出来ても存在意義を持ち続けるはずだ。実現したら、是非お前も第一期生になってくれ――。
 要するに医師専門の大学だ。先進的なこの提案は諸貴族にも肯定的に受け容れられ、実現も目前。セイジももちろんそちらに入学すべく学業を積んでいたが……事情の移ろいやすい時勢である。資金援助の撤回や、教師となるよう依頼していたヒーラーの事故などが相次ぎ、実現寸前で頓挫してしまった。極めつけには、次男も深刻な被害を受けた街への救難に駆り出され、計画は完全に停止している。
 アテが外れたのは確かだが、しかし誰に責任があるでもなかった。

 三女は劇歌手であり、楽器職人でもあった。しかし戦火により芸術の道が歩みづらくなるのはいつの世界も同じ事。それでも歌を捨てきれない彼女曰く――安らぎは、いかなる時代、どんな場所でも必要なモノよ。歌や音楽なら言葉以上にわかりあうことが出来る。竜に立ち向かうために人々が手を取り合わなければならない今、歌い手にも出来ることは何かあるはずだわ。貴方にも、それを忘れないで欲しい。
 そして彼女は、単身、南海に浮かぶとされる歌姫達の国マレアイアへと旅だった。
 マレアイアは男子禁制の花園だと伝えられている。
 それ故に、無事辿り着けたにせよ、そうでないにせよ、連絡を取る手段はない。

 四女は表の顔に秘書官を、裏にローグの顔を持つ隠密で、家族にさえ明かしていないその顔をセイジにだけは明かしてくれた。曰く――人々が存亡を競うようになったとき、その暗部はより深くなる。おそらく私はそれと共に姿を消すだろう。だけど、そうなる前に、私が居なくなるかも知れないことを誰かに知っておいて貰いたかったの。
 そう告げた彼女は、他の家族には「じゃあ行ってきます」とだけ言い残し、表上は外交のために別国へと旅だった。

 五男は長男と同じくファイターを志す者で、長男と共に戦場を駆けた一人だった。長男の政界進出とともに所属していたギルドを抜け、竜の侵攻を阻むためこの街を遠く旅立ちどこにいるとも知れない。


 そんで。
 結果としてセイジは、六女のメイジが所長を務める研究室に雇われた。
 メイジという職能は、たしかに探求と学究とを不可欠とした学術的側面を多く持つ能力ではある。
 が、しかし従来の法則とは乖離した事象を引き起こすそれは、体系立てた学習や修得が困難であり、また実際に行使、起動する際の方法も、各メイジ個々人によってそれぞれ異なる。

「一度もみたことのない夢を思い出そうとする感じ」
「想像と現実の境をなくすほどに集中する」
「絵筆を思い浮かべて、それで空間にラクガキをするの」

 要するに、わけわかんない部分が多い。
 よって、その大部分を才能に寄らざるを得ない技術であり、もっとざっくりと云えばどんだけ努力しても報われなかったりもしてしまう技術でもあるのだ。
 で。肝心のセイジの才能はというと、これがからっきしだった。
 それ故に「研究員」というのは主に名目だけであり、実際の仕事は実験に使う資材の調達や書架の整理といったいわゆる雑用くんであった。
 けれどもこれが重宝された。
 真っ直ぐに成長したセイジ青年は、素直で正直で真面目な性分に出来上がったので、整理整頓なんかは得意中の得意。恩義には素直に応えるタチでもあるから与えられた職分はしっかりこなしたし、なまじ魔法が使えないだけ雑用に集中出来たのもあっただろうし、メイジの才能もないのに研究室に居る負い目もあっただろうか。とにかく生真面目に働いて、小間使いではあるが所員からも一定の評価を得ていた。
 しかし、重ねていうが事情の移ろいやすい時勢である。
 彼の所属する研究所は、魔術をより民衆に近しい技術へ転用することを目的としたそりゃーもー日常の匂い漂うたいへん地味なものだった。例として一つあげるなら塵をどんどん吸い取ってくれるちりとりの研究・実用化とか。
 まあ、やってることは地味だけどあまりバカにした物ではない。高尚な研究成果なんてのは市井の人々が活用できるようになってはじめて価値が生まれるのだ。
 けれども時勢が時勢である。日常という言葉は竜とフロワロによって変容した。人々の生活と、生死を別つ危険との距離はかつてなく近い。今求められるのは、人々の暮らしを豊かにする魔術ではなく、人々の生活を守り、外敵を討つ魔術である。
 まさか魔法のちりとりを掲げて竜に挑みかかるわけにもいかんだろう。
 所長は有力な出資者より選択を迫られる。研究の方向性を転換するか、さもなくば予算の大幅削減。

 市井の人々が真に攻撃性の強い魔術を求めていたならば、所長も迷うことはなかったはずだ。
 しかし出資者の用意したその建前の裏側には、この時勢を利用し魔術の軍事転用をもくろむ意図が見え隠れしていた。

 結論として、所長は予算の大幅削減を甘受する代わりに従来の方向性と変わりない研究を進める選択をした。
 労働力の多くが竜との戦闘に割かれる今だからこそ、人々の生活を楽にする技術が求められるはずだ。
 とのことで。立派なご意見である。
 だから、予算削減に伴う人員整理の折にも希望退職者は多く、比較的すんなりと新たな体制を整えることが出来た。
 その希望退職者の中に、セイジがいたのはもちろんである。


 いくつか補足をしておこう。
 一つは、主に彼の名誉のために言うが、セイジが退職を申し出た際けっこー熱烈に引き留められた。それぐらいには彼の事務処理能力は認められていたのだ。けれども「こんな状況で、魔法の使えない自分がこれ以上お世話になるわけにはいかない」とした彼の決意はそれなりに固く、惜しまれつつの退職となった。
 もう一つは、その研究所の出資者の多くはお貴族様だったて点である。そう看板に掲げることは許されないけれど立場としては王立に近い。だからこそ軍事転用なんぞというきな臭いお話も出てきたのだろうけど。
 そのおこぼれに与る形となり、セイジの再就職先はさる貴族の召し抱え騎士となった。


 納屋。という印象さえ浮かぶ家屋。
 利点は明かり取りを考えなくとも始終光が差すこと。欠点はすきま風が酷いこと。
 湯気のくゆる陶器の皿。ミトンでもってそれを持って、ベッドまで持って行く。
「昼食が出来ましたよ」
「なんじゃい。昼飯ならもう食い終えたろうが」
「……まだ食べてないと主張するご老人の話は良く聞きますけど、その逆は初めて聞いたなあ」
 しわがれた声がベッドから返ってくる。枕元から溢れる白銀のショールは白髪であり、垂直にそびえ立つそれは立派な鷲鼻である。
「とにかく。間違いなく今日最初の昼食です。でもまあ、まだ正午前ですから、昼食でなければ今日二度目の朝食ですね」
「ふん。儂が耄碌しとると抜かしよるか。じゃあその碗の中身を当ててやろうか? 塩のポリッジじゃろうが」
「……すいませんね毎日代わり映えのない献立で。我慢してくださいよ、今日は午後からフォーレルさんとこでソーセージ作りを手伝う予定ですから」
 言いながら、ベッドに寝る爺さまを起こしつつ肩掛けをかけてやりベッドテーブルもちゃっちゃと設えて水差しの中身も換えて。
 大変手慣れた老人介護の風景である。
 ぶつくさと老人らしい愚痴を漏らしながらスプーンを操る爺さんを、ベッドの傍らの椅子に腰掛けて見守るのは、質素なエプロンと厚いミトンとがよく似合う妙齢のメイドさん――ではない。「召し抱えの騎士」になったセイジくんである。

 零落貴族。といえば話は早いのだが、それで済ませてしまうとご老体の沽券に関わる。
 貨幣経済の定着により労働力を金銭で購えるようになった結果、一部商人や、土地を広く持つ農民なんかも力を持てるようになったのが近頃のお話。このご老体は王家の血脈をもつご立派な貴族様ではあったが、子を為せぬまま妻に先立たれ、その愛の深さ故に後妻も迎えられぬまま歳を召された。そうしてもはや自分の代で血脈を途絶えさせる覚悟をした爺さまは、自身の領地を商人や農民に切り売りし、静かな余生を過ごすこととした。
 と。
 そう珍しいお話ではない。
 老人は敬われ慕われる名領主であった。実際、彼が土地を切り売りしたのも死後に国に召し取られるよりかは臣民に分け与えてやろう的配慮だっただろうし。ので、自身の領地をほぼなくし「領主」という名の資格を無くして後も近隣の人々からなにかれとなく世話を焼かれ、余生も老後も安泰ではあった。
 人徳ってやつだ。
 だけども、当然フロワロと竜はそんなこともお構いなしにやってくる。
 人々は土地を捨て散り散りに逃げていくが、老人はそこから断固として離れようとしなかった。
 領主としての最後の誇りであっただろうか。短い余生をあわただしく過ごすのは嫌だったのだろうか。それともそこが愛しの奥方の墓前だったからだろうか。いずれにせよ、本人は何も喋ろうとしないので真相はわからない。
 けどもいつ竜が来るとも知れない土地に老人一人をほっとくわけにも行かない。尊敬する領主様なら尚のことだ。しかし本人は頑固にもそこから動こうとしない。結果、折衷案として、かつての臣民達が共同で出資し、ご老体に側仕えの騎士を雇うこととなった。
 セイジくんが呼ばれた経緯はそんな感じ。
 竜を呼び、生命を奪うとされるフロワロに囲まれた生活である。セイジもそれなりに覚悟はしていた。
 が、いざ仕事に付いてみるとずいぶんと呑気な日々が待っていた。フロワロは満足げに風に揺れるだけで何もしてこない。竜どころか獣一匹滅多にこない。むしろ獣ならその肉が晩飯のおかずになるのでありがたいくらいだ。資産は二人が暮らすには十分すぎるほどあったし、彼に仕事を依頼した農民さんがちょくちょくと様子見がてらに挨拶に来てくれるので食料にも事欠かない。
 なんのことはない。老人介護の日々である。
 爺さんはやや偏屈なところがないではないが、名君として評判を得ていただけあって見識と含蓄の深い、話してて面白い爺さんでもあるし。
 穏やかな生活が続く。
「それで、セイジや」
「はい」
「お前、儂が死んだらどうするつもりじゃ?」

 ――考えてなかった。

「それはもちろん。お館様の遺言を全うし奥方の隣に墓碑を建立します。そうして眠るお館様のたもとに我が剣をうずめ、騎士の誓約に従い眠り続ける主君の墓前を生涯御守り進ぜ続けま」
「それは前にも聞いた」
「前にもって……。そりゃあそうでしょう。将来の展望ってやつがそうコロコロ変わるはずもありませんし」
「ふん。紙に書いた絵空事のごとく能書きを垂れよる癖に何が将来の展望じゃ」
「けど、主君には忠義をもとにそのように応えるのが騎士としての礼節でしょう」
「は、能書きと認めおったわ。主従という言葉を覚え違えるでないわ。主がなくば従は成り立たぬ。儂が死ねば貴様は騎士でも何でもない。となれば礼節も何も無効じゃ。死した主君にまで仕える義理はなかろう」
 む。あんまりな言われようにセイジ、少しムキになる。
「ですが、願望ではあるかも知れませんが、お館様の墓前を守り続けたいというところは本心です」
「やめておけやめておけ。というよりもやめてくれ。貴様みたいな若造を縛り付けるような墓石はさぞ重かろう。そんな錘を頭上に安眠が出来ようものか。死者に思い入れなぞ残すべきではない。それ故に人は死骸を石の下に埋めるのじゃろうが」
 先立たれた奥さんの墓前から動こうともしない爺さんが何をいうか。
 とは思うが、流石に口にはしない
「それにお前のそれは騎士の誓いでもなんでもない。変容を厭う稚気たワガママじゃ」
「……ワガママですか」
「そうともよ。窓より頭を巡らせてみるがいい。世界というとてつもなく大きな物でさえもああして竜とフロワロにより疾く変容しておる。変化は否応なく訪れるものじゃ。それ故に安逸を貪るな。常に前を見据え兆しを見逃すな。意志の決定権を決して手放すな。――土地を捨てた者どもをみよ。望みうるならその手にいつまでも鍬を持ち畑を耕し続けたくあったろう。彼らを見るだけでも、お前の願望とやらが如何に無体なワガママであるかを悟りうるはずじゃ」
「ワガママですか」

 そうかも知れない。
 ここで墓守として暮らすとしても、確かにそれは漠然とした願望のみで、どうやって生計を立てるのか展望があるわけでもない。
 思い返せばしてみれば、今まで自分は、おしなべて成るに任せて環境や立場の変化を無作為に受け容れてきた。それでなんとかなってきた。心優しい人々に恵まれた、与えられたものに甘えて過ごす日々。
 それこそ父と母の間に生まれ落ちてからずっとそうしてきた気がする。
 そしてまた、親愛なる老人を失えばまた別の誰かが手を差し伸べてくれるまでぼんやり待ち続けるのだろうか。
 自分から動こうともせずに。
 結局のところ、自分は何者にもなり損ねてここにいるのだ。
 ファイターにもヒーラーにもメイジにもなり損ねた、そして今ナイトにもなり損ねようとしている。
 なろうともしなかったのかも知れない。

「それじゃあ……」
「うん?」
「主が身罷りその守の要が果てたならば、いま再び剣を取り領主様の失った土地を奪還すべく竜どもに挑みかかりますよ。でも、僕だけじゃ無理に決まってるから、ハントマンの多く集う街へ出向いて味方を募ります。そうしてこの土地をフロワロと竜から取り戻し、また農民の人たちに分け与えて、その上で領主としてお館様の墓守として暮らしますよ」
 口にしてみれば、今まで考えても見なかった言葉がするすると出てきた。老体はじっとこちらの目を見据えてくる。
「竜とフロワロは数が多いぞ。生半に蹴散らしただけではまた再び押し寄せるじゃろうな」
「それでしたら、安心してぬくぬくと安逸を貪れるようになるまで竜を追い散らしながら世界を放浪しましょう。そしてその旅の終着点をここにしますよ」
「ふむ」
 お館様。さして面白くも無さそうに瞬きをして。
「絵空事には変わりなかろうが、まだマシな部類じゃな」
「ハントマンて今の世の中だと割とポピュラーな職業でもありますし。なんとかなるんじゃないですかね」
「……貴様はほとほと甘やかされて育ったんじゃのう。まあええわい。せっかく妻とやっとこさ水入らずの時を過ごせるようになるんじゃ。あまり野暮な邪魔はせんでくれよ。それさえ守るならまた世話になってやるわ」
「はいはい。よろしくお願いします」


 お館様が亡くなったのはそれから数日のことである。
 静かな末期だった。葬儀の列の長さが老体の人徳を伺わせた。
 整理すべく遺品もほとんど遺ってなかったので、身辺整理も程なく済んだ。
 葬儀の場で、かつての臣民代表的立場の人に「今までありがとう。私からも礼を言わせて下さい」と、挨拶のついでに訊ねられた。
「これから、どうされるおつもりですか?」
 そりゃあまあ。明確な約束は交わさなかったけれど。