さて。
 男ってのは身勝手な生き物である。
 女に対して並みならぬ興味を持っている。種族的にいえば所有欲や独占欲も強い。そのくせに束縛を嫌い一人と決めるのにほぼ例外なく躊躇する。先天的な浮気性なんだな。
 まあ。一般論だけど。
 彼もさして例外ではなかった。自分に好意を寄せてくれる娘である。悪い気はしない。けれども勝手について来る得体の知れない人間に愛想を振りまける奴なぞ男女ののべつ無くどうかしている。当初は相当に邪険な扱いをしたものだ。
 しかし、この時点では知る由もなかったが相手は物言わぬ植物と向き合ってても退屈をしない女である。圧倒的に根気強かった。しかもハントマンとしての心得は十分に持っていたので、向かう先が野だろうが山だろうが平気でついてきた。
 その上で、いかに同業者といえども女である。同じ竜を狩る生業とはいえ、危険な獣の出没するところに置き去りにするわけにもいかず、結局は同行する機会が増えた。
 彼女が腕利きのヒーラーだと知ったのはそれからだ。
 回復役はどんなパーティにいても重宝される。
 得体の知れなさは、互いを知り合ううちに解消されて行く。

 彼は絵描き兼ハントマンを生涯自称し続けた。と、先に書いた。
 絵描きハントマン。のんきな職業である。しかし徹頭徹尾のんきと云うわけでもない。
 写生をするにせよ油絵を描くにせよ、始めた時点でしばらくその場に逗留しなければならない。先に書いたとおり、ハントマンは旅を続けていなければ食うに詰める。逗留なんぞしてはパーティのメンバーに迷惑をかける。つまり、絵描きを続ける限り彼は一人旅を続けなければならないのだ。
 自分でもそれは理解している。
 一人では出来る仕事にも稼ぎにも限界がある。危険も多い。なのでパーティに参加することもあった。
 しかしその団体行動も、ふと絵筆を取りたくなるその時までだ。
 ギルドに所属しないまま過ごすことに不便を感じたことはないではないけれど、いつでもパーティから離脱できるその立場に気楽さも感じていた。
 それでも、行動を共にして命を預けあったそれら連中の中には気の合う奴もいたし、尊敬に値する技量持ちもいたし、ずっとウチのパーティに居ろよと勧誘してくれる奴もいた。
 しかし、彼は絵筆をとり続けてきた。
 手放すことは出来なかった。何故ならば、そうして絵を描くことこそ彼が旅をしている理由であり、ハントマンを続けている理由だからだ。ハントマンを続けるために絵筆を捨てては、本末転倒も甚だしい。
 要するに、彼は絵描きであり続ける限り、ひとりぼっちなのだ。
 それを寂しいと感じたことは、なかったけれど。


 いつも通り写生をしていた。
 森から草原に抜ける、風の通りが心地よくも視界がスッキリと抜けた良い景色である。
 うずく絵描きの虫に服従し、ちゃっちゃと絵描き道具を取り出した。それが確か、早めの昼食を終えた時分だったと思うのだけど。
 良い日和である。このへんは警戒に値する魔物も居らず、ってことは小動物なんかものんびりとしたもので、過ごしやすい空気のまんまに好きな絵描きに没頭できる。
 この世界では、そんな空間がじりじりと減り続けている。
 救世の思いなんてたいそうなモノは浮かんでは来ないけれど、それでも、守るべきものを選ぶべき時期は確実に近付いているのだろう。
 なんぞと無想に思考を遊ばせていれば、気が付けばもう夕暮れ時だ。
「ああ、このへんは夕景も悪くないな」
 とか独り言を呟いて。

 一拍子遅れて冷や汗が吹き出た。

 やっと時間を過ごしすぎたのに気が付いた。
 何時間、書き呆けていたのか。
 何時間、彼女をほったらかしにしていたのか。
 そのときにはもう、彼と彼女はそれなりの期間を共にしてきた。一緒にいるのが当然になりかけている頃合いである。だからスケッチを始めたところで、彼の方から「ちょっと待っててくれ」なんて云ったのだ。
 彼女の方も馴れた調子で「じゃあ、書き終えたら声をかけてね」とかなんとかいって。
 それ故の冷や汗である。
 いくらなんでも待たせすぎだ。
 勝手に付いてこられて、勝手に待たれるのとは話が違う。自分の方から「待っててくれ」と言ったのだ。
 町まではちょいと距離がある。この辺りは獣もおとなしいはずなので、夜を徹して歩くよりかは野営を選択した方が安全だろう。しかしそうとなると嫁入り前の女と二人きりで枕を並べるという事態が発生する。それはちと問題があるのではあるまいか。それともないだろうか。
 よくわからん。
 本人に選んで貰うのが楽ではあるが、しかしその前に「待っててくれ」と云った手前きちんと謝らねば。いやそれよりもそもそも彼女はどこにいるのか。もしかして痺れを切らして一人でとっとと町に向かっただろうか? それはそれでありがたくはある。けれど。
 けれども。
 犬も三日飼えば情が移るという。
 見渡してみてすぐ見付けられなかったのは、森に面した場所だったからだ。藪を分け入って探してみれば、はたして彼女はそこにいた。
 背の低い野草の花畑の中心。
 そこにぺったりと座り込んで、夢中で真剣な仏頂面で、それこそこちらの存在なんか一切忘れている様子で、花を睨んでいた。
 気迫さえ感じられる集中っぷりである。
 声を掛けるのが躊躇われたというか、邪魔するとどうなることやら少々空恐ろしかった。
 耳の奥に、いつ言われたかも覚えていない「だって、あんまり真剣だったから。邪魔しちゃ悪いじゃない?」という彼女の声が響いた。
 そうしてみれば、ふと。なんとなく目が離せないその仏頂面な横顔を、絵に描いてみたく思った。
 ひたすら草花を観察し続ける彼女に、気付かれないままその横顔を見つめ続ける彼。
 二人とも気付かなかったけれども、それはいつかの風景をそっくり逆にしたものだった。

 その瞬間、彼は籠絡されたといえる。
 形だけをみればいわゆる「押しかけ女房」である。
 けれども、一方が絵を描くために留まれば、もう一方は喜んで周囲の草花の調査を始める。
 結局は世間ズレした変わり者同士。納まるべきところに納まったと云える。

 余談ではあるが、彼女はこのときのスケッチを後に発見し、以降肌身離さず後生大事に持ち歩いたとのこと。


 ファイターとヒーラーの組み合わせはバランスも良い。
 命を張る生業とはいえ、きっちり選べば安全な仕事も多かった。
 他のハントマンが敬遠するような、フロワロへの接近が必然となる仕事もあまり厭わなかったので職にあぶれることも少なかった。
 そうしているウチに熟練と呼んでも差し支えのないハントマンになっていた。
 手に手を取り合い、白地図を埋めて行く。


 ――けれども。
 経験の蓄積は、たしかに彼と彼女の技術を育てた。
 しかし世界は反比例に竜とフロワロで満ちていく。
 危険はより身近なモノとなり、連絡の取れない知人が増え、いつかスケッチを描いた景色も消えていく。

 そして、どんなに腕の良いハントマンでも十のうち一や二は失敗を犯す。
 いやむしろ、それだけの失敗に抑えられるのが熟練の証であると、そういった方が事実に則している。
 しかも運の悪い日はどうしたってあるものだ。
 その日に彼らが犯した失敗は幾つもある。天候を見誤ったのもそうだし、特殊な形状をした洞窟は予想よりも奥深く、それのせいで竜の生息数を計り間違えたし、町からやや遠い地点にあるので、食料等の必須物に圧迫され予備薬を削減したところ毒や麻痺など嫌らしい攻撃をする魔物ばかりにぶつかった。
 それでも逃走のタイミングは悪くなかったはずだ。しかし斥候役のハントマンが持って帰った情報に致命的な誤りがあった。
 逃走を謀り向かった先、出口があるはずの通路は行き詰まりだった。


 洞窟の壁を殴りつける鈍い音。
 精一杯の強がりでもあるし、切実な八つ当たりでもあった。食い縛った歯から、かろうじて軽口を叩く。
「行き止まりのことを、デッドエンドって呼ぶんだっけ」
 あまり気の利いた冗談ではない。
 彼のその冗談に、彼女は何も言えなかった。縁起でもないと眉をしかめてはみたが、それよりも「言い得て妙」といった納得の方が勝ってしまった。
 それに、彼女はヒーラーだ。持ち合わせた薬剤は全て使い果たしたときの絶望は薬剤師であるが故に余人よりもよほど深いし、ヒーラーであるが故に、お互いの限界を、残った力の乏しさを彼よりも正確に見抜いている。
 だから、相づちさえ打てずに杖を握りしめる。
 壁を見つめたまま、彼が呟く。
「提案」
「なに?」
「俺が囮になって飛び出すから、そのうちに逃げろっていうのはどうかな」
 それを聞いた瞬間、彼女はそりゃーもう見事に唇を尖らせた。不機嫌を隠す気一切ゼロで反論。
「絶ッ対イヤ。あなたと出会ってからずーっとついてまわったけど、今以上に一緒にいたいと思ったことなんてないのに、自分から離れろっていうの? もしもアナタがここから竜の前に飛び出してったら、私も絶対それについてくからね。いつもどおり!」
 と一息で言って、表情を空白にする。
「それに、あんまり賢い作戦じゃないよそれ。私一人じゃ竜どころかそのへんの獣も追っ払えないし」
 通路を振り返る。天然に出来上がったくねくね曲がりの一本道。今は見えないその奥に、四つ足で歩く死に神が徘徊する。
「同じことをするなら、私が囮になった方がずっと正解に近いと思っ――」
 そこで言葉が途切れたのは、腕に急な痛みを感じたからだ。
 反射的に振ったその手を、彼がしっかりと掴んでいた。
 驚いて彼の顔を見返せば、咄嗟の行動だったのだろう、彼は自身の行動に驚いたかのように手を離し、それからまた改めて彼女の服をつかみ、ばつが悪そうに顔を伏せて云う。
「スマン。それだけはやめてくれ」
「……なにそれ。自分から言い出した癖に」
「うん。スマン」
「ずるい」
「スマン」
 素直に謝る。しかしやはり掴んだ手は離さない。
 それは、一度手放しかけた風船をもう手放すまいと気張って握りしめる子供を連想させた。
 ――だとするなら風船は私の方か。
 なんぞと彼女は思う。
 思いつつ、自分の中にこの場にいまいち相応しくなさそうな色の感情がふつふつと沸き始めているのを感じる。
 歓喜である。
 なんだか、妙に嬉しかった。胸が躍るほどに。
 危機的な状況に相応しくない自身の情動に、気が狂い始めているのかも知れないなと自己診断しつつ、まるで走馬燈の如く浮かんでくるのは彼と初めてであった時、こちらの手を握りかえしてくれなかったその手のひらである。
 ああ、そうか。
 そりゃ嬉しいはずだ。と思う。
「どうせ掴むなら、こっちのほうがいいな」
 言いつつ、彼女は彼の手に指をからめる。彼は少し驚いたが、もう片っぽの手を握りかえしてくる。

 以下の思考は、どちらの思考かはわからない。
 重荷になるのは嫌だった。
 自己犠牲に助けられて、気分良く喜べる奴なんてきっといない。助けられた側からすれば、勝手に重荷を押しつけられたのにも等しいのかも知れない。
 もしも重荷を背負ったなら、その瞬間からきっと旅の意味は変わってしまうだろう。
 だとするならば、重荷なんか背負いたくなんかないし、背負わせるのも絶対にイヤだ。
 そこまで考えてしまえば、取れる行動なんて、そんなに残って無いじゃないか。


 彼女はその場にぺたんと座り込む。そして彼に微笑みを向けさえした。
 彼の方はまだ躊躇があったらしい。けれどもやっぱり手を握りかえしたまま座り込んで、あぐらをかいた。
 彼女はそのあぐらに乗っかるようにして体を預けて――。


 ――というか。
 その日最大の失敗はその後のことだ。
 結果から云えば二人は無事、生き延びることが出来た。
 複雑な洞窟は竜どもにとってもそうであるらしく、幸運にも奥まったその行き止まりまでやってきた魔物は一匹もいなかった。
 その場で一晩を過ごした結果に回復した気力と体力を振り絞り、半死半生。なんとか町まで逃げ延びることが出来た。
 そして後になって考えてみたところ、思い当たる日はそりゃあまあもちろん色々あるけれど、計算してみると「あのとき」しか該当しないのである。
 結局、二人は別の形でお荷物を抱えることになった。
 笑い話といえば笑い話である。

 それから十月十日の後。
 産まれたのは玉のような女の子であった。