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トワイライトい話。昼ちょっと前の適度な混雑具合で揺れる電車中にて。 ぼんやり妄想そうしている最中に、ふと。 「実は世の中の大半の人が人殺しを経験してて」 「そしてそれを互いに隠し合って過ごしてる」 ような気がしてきた。 人の世は人で溢れている人だらけの世の中で、普通に過ごすだけでも無数の人々と袖すりあいつつ生きているのだから、その中の一人くらいの事故にせよ故意にせよなんかの弾みで殺してても不思議ではないのではなかろうか。と。 一瞬背筋が寒くなりはしたけれど。 私は妄想慣れしているので。流石に本気にはしない。 本気にはしないけど。そうした仮設定の元でふらふらと散歩をしてみると妙な心地になりはする。普段は平気な人混みを避けたくてちょいと路地に入れば、しかし逆に人気の無さが恐ろしくなる。 帰ろうにも、家族の過半もまた殺人者だったりするかも知らんのである。 どこに行けばいいのか。 とかでけっこー面白かった。またそのうち思い出したらこれで遊んでみよう。 でも詳細な設定がちょいと難しくもあるんだよね。それがどれぐらいの罪の意識を呼ぶモノなのか。 もちろん殺人なのだから余人にばれないようみんななんとか忘れた振りをしつつ日常を過ごしてるのかも知らんし、世の人の多くが経験しとることなら案外と軽い気持ちで済むモノだったりもするのか知らん。 例えてみれば、それがばれたらばいっそ口封じ、と襲いかかられるようなモノなのか、 それとも「え? キミもやったことあんの?」「あれ? お前も?」「あーそうなんだよーついうっかりなー」「まあやっちまうよなあ。うん。しょうがないしょうがないお互いしょうがないよ」「なー。はっはっは」 と告白し合って終わるような。 「なー。うっかりなー。中学んときのクラスメイトとケンカしちまってさー」 「中学かー。おれは幼稚園のときだったなあ。昼寝の時間の最中に、保母さんにちょっと悪戯してたらさ。濡れたふきんを顔に被せて」 「おいおいマセてるなあ。おれは計画殺人だったぜ。母ちゃんと一緒に父ちゃんを」 「あれ? お前んち、父さん居なかったっけ?」 「いや今のオヤジ、継父なんだわ。おふくろが再婚したかったんで」 ちょっと悪趣味になってきた。 ストーブの火を有効活用っていうとリトルフォレスト思い出すやね リトルフォレスト……というとアフタヌーン系の単行本でみかけたことがあるけどそれのことかしら。 未読なのでまた機会があれば。 中二病でもいいじゃない。いいと思いますよと自称永遠の中二病なぼくがいいます。 でも中二病を排斥してもーたら世の中の明度が確実に下がると思うのよね実際。 今の世の中てなんか相互監視な社会よな。人の自意識が醜いなあ部分的な事実ではあるけれど、それを抑止しあう社会ってのもナー。 遊んでないゲームの話。なんか近頃そんな話ばかりしてませんか。 で。 ドラゴンクエストモンスターバトルロードUの話題がちらりと出た。 ドラゴンクエストモンスターバトルロードUとは各種アミューズメント施設で稼働中の、要するにドラクエをテーマにしたカードゲームである。 話題は主に豪華か過剰か悪乗りか、どう解釈したモノかわからないけれどもともあれ迫力のあるゲーム動画が主であって、実際にプレイをしている知人が「たまにギャラリーが出来たりする」とこぼす。 それへの返答として「いい大人が遊ぶのはちょっとした羞恥プレイですね」との意見もあり。 実際のところ、ムシキングが生み出した少年少女層対象なカードゲーム需要でもって製作されたであろうゲームだから、例えばゲーム中に、筐体中央に突き立つ剣が迫り上がってくるギミックがありそれを床まで突き抜けよとばかりに全体重を持って押し込む少年の姿もけっこー見られる。 ふむ。 じゃあアレか。 もしも私がそれを、休日の昼日中にプレイしたらば周囲にはガキが群がりその中心に我が身を据えられるてことか。 そうなんですか。 じゃあおれちょっとひとっ走りトイザらスまで出掛けてってぼうけんのしょを購入してくるよ。 と思ったけども、もう少し冷静にシミュレートしてみれば、稼動からそこそこの経過があるゲームでしかもカードゲームなのだから、今さら始めたところで基本は儂よりもガキどものほうが先を行っておりしてさして珍しくもないプレイに取り巻きは生まれまいと云う現実が算出された。 ほんのりしおれる。 というかそもそもの話として、ゲームとしてはどうなんでしょうね。 みた感じではあまり広くない選択肢でもって進行するドラクエシリーズの通常ザコ戦闘のように見えるんだけど。ううん。 何かしらの事象が、過去にあった類例に当てはまっているように見えたらば、 ほんとに類例にはまってるのはお前自身の思考パターンだったりもするぞ。 という良い言葉があるんですけど。いや思いついたのは僕ですが。 で。何をきっかけに思いついたかというと、シュタインズゲートというADVが気になりつつ遊ぶべきか否かいまいち定まらない姿勢でもって出てきた譫言であった。 姿勢が定まらない由縁は諸々あるけれど。 最初は小規模な盛り上がりから熱狂を呼んで、その評判が広がると共に冷静かつ批判的な文章が集まる。 という一連の流れはノベルゲー周辺に類例の事欠かない普遍的な事象が思い浮かぶが故である。 例えば KANON・月姫・ひぐらし等。 こうした一連の流れが定型と化してる由縁は、好評の影に悪評がつきものてのがもちろんあるけれども、大抵の場合そうしたムーブメントの先駆けとなるのは「小説耐性があまり付いてないひと」がその衝撃を誇張して伝えてしまうから。てのが根っこにありそう。 とまで思ったところで。 類例と判断する基準を持ち合わせもせずに、表層のみを撫でたのみで類例として片付けようとしていた己の浅はかさに気付いて塩を掛けられたように縮み居る。 縮んだところで結局遊ぶかどうかは決まらないんだけどね。 「世間で評判が良いから」という以上に、興味のフックが存在してないあたりどうにもとっかかりがないあたり。 自分はどうにもゲーム弱いので、自分に合わせると凄く低難度になってしまいますしねえ… 2作目の方は、つい先日ようやく自分でクリアできたというのはナイショ。難しすぎました! 大丈夫ー。 ゲームの攻略に必要なのは実力ではなく試行時間スよーいやそれ別の角度で絶望を呼ぶわ。 一作目の、難度が修正される前の難度もあれはあれで面白くも悶えさせていただきました。 いやー、ほんと惜しかったんだって。もうちょっとでクリアできてたんだって。 ストーブでお湯を沸かさないでください。貴方や猫達が大火傷なんかした日には私はどうすればいいんですか。確か小学生の頃かな。蹴躓くか何かしてストーブの屋根にべっとりと両手を付けて我が身を庇ったことがある私には身に染みる警句ー。 その後どうなったんだっけ。手のひらの、手首に近い部分が白く乾いたよーになったのは覚えてるけどもその後そんなに不便を感じた記憶はないので軽傷は軽傷だったのかしら。 やー。でもエネルギーの有効活用ですよ。 お湯を沸かしてると部屋の乾燥も回避できて一石二鳥ではあるんですが猫は脅威に対して敏感なので多分平気とは思いつつ何気なく火の付いてる最中にひょいと乗っかったりしそうなので適度に気を付けます。 僕の小規模な失敗と挫折。湯たんぽを家人に取られた。 ポリエチレン製の、オレンジ色に三葉虫を思わせる波打ったボディに「ダンテ」と名を与え、毎夜のごとく閨の中で身を寄せ合い孤独を慰めあった仲であった。 その略奪と呼んで差し支えのない暴虐に私の心は千々に乱れた。 だがしかし。湯たんぽ啓蒙委員を自認する身としては、彼の者に芽生えた湯たんぽへの希求をこそ喜ぶべきであり、この離別に伴う哀惜を祝福へと換え、もって別れを告げるのがあるべき姿勢であろう。我ながら殊勝な心掛けである。 というわけでとっとと新調すべくホームセンターへと赴いた。 どうせそんな高価なモンでもねえし。 そこで私はまた新たなる出会いを経験する。 私の目を奪ったのは銀ピカな輝き。それは尾上製作所製作のトタン製湯たんぽだった。 私が過ごしたことのない世代への郷愁を秘めた亜鉛メッキ鋼板の光沢と形状は、多くの人々が「湯たんぽ」と聞いて浮かべる居姿そのものであり、即ち湯たんぽのイデーに他ならない。 つまりは本物だ。モノホンだ。 どうせ買うならこれではないか。 でも値段がポリエステル製と比べてちと高価。つっても千円足らずだけど。 しかし放熱性とか保温性とかはどうなんだろう。 金属製というと熱伝導が良さそうだし、なんか熱そうで取り扱いが難しくはなかろうか。 その点でポリエステル製は今という時代に相応しい利便性を兼ね備えたボディで、実用の経験もあるので安心して購入できる安全牌。 どうしよう。 子細に素材名など表記を眺めてみれば、目に付いたのは「内容量:3.6リットル」 つまり 3.6kg。 うわ。重そう。 基本は膝の上にのっけて使うものだしなあ私にとって。ウチのおキヨさんが大体 4kg の体重だからそれを思うと割に平気そうだけどもしかし彼女は湯たんぽ使ってると好んで乗っかってきて儂の膝を壊しにかかるしなあ。 むう。 諦めて前のと同じオレンジ色なポリエチレン製内容量 2.3リットルなそれにした。 許せ、尾上製作所。 と思ったけどオレンジ色も尾上さんとこのだった。 同じ湯たんぽコーナーに、平たい形状の湯たんぽもあって。 あ、これイケね? よくね? 平たいのって膝の上に乗っけるのにも背に置くのにも便利くね? しかも湯たんぽカバーまで付いてお値段800円てマジお買い得ね? て思ったけど内容量 1.5 リットルという数字が果たして妥協できる量なのかどうなのかわかんなかったからやめといた。 帰ってから調べてみたけど、 トタン製の物は直接ストーブに掛けて湯を沸かせられるらしい。 えーなにそれぇー。いいじゃーんいかすじゃーん。 朧村正。修羅の難度で百鬼夜行もクリアしつつ朧村正エンドまで遊んだ。 加点するところは多く、減点するべきところは少なく、講談調によく練られた台詞にはにやりとさせられたし、ゲームとしての爽快感も、音楽も申し分なし。 とはいえ、佳作以上の感想はでてこないなーというのが正直なところ。 朧村正ってのはヴァニラウェアとゆー、一言でいえば「発狂」ドットワークで有名なメーカーさんの、求められた期待に違わぬ偏執的なまでに精緻なグラフィックでもって描かれた 2D アクションゲーム。 だから、最大の特徴とウリはその華美であって。それ以外のところに特徴はない感じ。 しかし比較的廉価で済む 3D ワークなゲームが主流となっている現在において、その存在はけっこーな価値があるとは思う。 思うけども。 その、幾らでも褒め称えられそうなグラフィックがゲームに還元されている部分はあまり多くはないので。大手を振って讃えるのに少々な躊躇いが生じてしまうのは確か。 いやー。でもほんとすげーのよ。 高く山となり白く砕ける波濤の細やかさ、群生するススキはこれでもかと云うほどに風に靡くし、ボスもいちいち巨大で稼動箇所の多いこと多いこと。 移動をやめて景色に見入ってみたりとか、ボスの挙動に見惚れ攻撃の手を休めて「ちょっと今のもう一回やってみ? やってみ?」とうろちょろしたりとか。 ヴァニラウェアがその名を轟かせたのは、セガサターン時代の「プリンセスクラウン」てゲームが恐らくは最初なのではあるまいか。 私的な出会いを語れば。 同ゲームではゲームを始めて先ず、赤々とした暖炉のお部屋にて、おさげの少女を操作し床に置かれた本を拾い上げ、揺り椅子に座るおばあちゃんにご本を読んで貰うー、という形でモードセレクトをするのだけど。 そのときの。少女が本を拾うためにちょこんとしゃがむ動作に 「うェえええ?」 と気持ちの悪い声を出してしまったのが最初。 ……いやー、何度みてもドット絵にみえねえ。 今回の朧村正でも、百姫が内股気味にしゃがみ込む動作を観ては「うぇえええ」と変な声を出してしまい隣で観てた末弟に気持ち悪がられたりしつつ。 とかまあまるでゲームがオマケのような書き方をしてきてしまったけれど、ゲームの方も十分しっかりしている。 ズバズバとめった斬る爽快感=お手軽さをコンセプトに掲げてるのは確かだろうけども、一般に云うハードモードにあたる「修羅」という難度を選べば、敵の攻撃がいちいち痛恨で回避が大事になる如何にも 2D アクションライクな遊び方も可能。 回避が大事。と書いたのだけれど、このゲームでは(例外的手段を除いて)地上でしか緊急回避動作を行えない。 ぐるりと前転・後転を行えば高速移動しつつ完全無敵。 だから、安全に戦いたい場合は地に足を付けて斬り結ぶのが基本になるのだけど、でも「大抵のボスは宙に浮いている」のな。 だから、とっさの回避は出来ず、斬りかかる際は敵の攻撃の予備動作を見極めて早め早めに退避する必要がありとてもアクションゲーム。 あるいは空中での高速移動を兼ねている特殊動作・空中ダッシュ攻撃を確実に出せるよう練習しておく必要があったり。 それから、如何にも最近のゲームらしく、敵を空中に切り上げて一方的に攻撃を加え続ける空中コンボ的な動作も可能なのだけど、もちろんこれもより長く効果的に持続させるためにはそれなりの習熟が必要。 空中コンボってのはつまり一方的かつ安全にぶん殴れる状況だから、それが長く続けられれば続けられるほど有利なのは当然だし、なによりも「空中コンボ」なので、「宙に浮いている大抵のボス」との戦いでも重宝する。 ついでには、終盤近くにて、やたらと堅くて・攻撃が痛くて・しかもめったにダウンしない敵が出てくるのだけど、コイツを安全かつ手早くたたむためにその空中コンボがたいへん効果的でやや必須。 貴重なダウンを奪ったらば即追撃で浮かせて、長く続けられるだけコンボを続ける。 要するに数少ないチャンスをどれだけ活かせるかが重要になるわけで、あんまししたくない失敗に高まる緊張感が心地よく。 ああ、この要素が終盤だけでなくもっと早くに出てきてくれたらばゲーム全体への評価もまた違った物になったに違いないと臍を甘噛みする思い。 結局のところゲーム全体を通じての難度は「そこそこ」で停まっちゃうもんなあ。 それから回復アイテムの仕様もきちんとしてて。 まずは少量しか回復できないけど連続使用できる「丸薬」と、 体力を大量に回復できるけども、食べるとお腹がふくれるので消化しきるまで一定時間使用不可能になる「食べ物(おにぎり・イカ焼き等)」と。 このあたりのよく考えられている仕様と、上記のきちんとした回避やコンボが必要な設計とを勘案すればもうちとハードコアなアクションゲにも仕立てることは出来たのだろうけど、そこを敢えて抑えてお手軽な難度にしてるのだなと推測がたつ。 (まあ、HP1 で遊ばされる死狂モードてのも隠し要素としてあるけどそれはさすがに) 欠点として「移動がだるい」てのを上げる人が多いけど、それに関しては「もうちと余裕を持とうぜェ」なんぞと返したくはなるがしかし地図を確認して目的地が遠ければうんざりとした心地が浮かんでくるのも正直なところ。 でもまあ、割と早めな移動速度に、二段ジャンプ・落下速度の調整に急速落下も可能とレスポンスの良い仕様でそのへんはあんま気にはならなかったし。背景に見とれつつ走ればそれほど苦にもならなんだもの確かか。 私的に残念なところをあげれば、もうちょいと、カタナに愛着を持てるような仕組みを施してくれれば嬉しかったなと。 全部で一〇八本あるカタナは新しい物が手に入れば基本的に使い捨てで、さくさく新しい物が手にはいるからそれにいちいち愛着を抱いてはかえって面倒な気はせんではないんだけど。便利な奥義を使えるものはそのまま帯び続けたくもあったし。 例えばカタナの強化とかな。 あとはまあ、居合い抜きをする度にそのカタナの名を叫んでくれればそれだけでもけっこー違ったような。「吹雪!」とか「飛燕!」とかなんかそんな。 それからそれから。曲の使い方が面白かった。さすがは崎元さんてところでしょうか(? 朧村正は横スクロール 2D で、戦闘はエンカウント方式。短く区切られた区間をある程度進んだらば中央に墨筆の感嘆符が浮かび、ザザザと左右からニンジャがでてきたりする。 そこの、通常移動時の曲と、戦闘時の曲の切り替えがすげーシームレスに行われてて面白い工夫だなと。 (通常時) (戦闘時) つまりは、戦闘にはいると通常曲からパート数が増えてアレンジが加わると。移動と戦闘とで場面の切り替わらない、2D アクションに相応しい素敵演出やね。 それにしてもこのストリングスがちょー素っ敵。 サントラの発売が近く決定されたんだっけ。覚えておこう。 ストーリーに関しては、台詞が講談めいてよく練られていたのは先に書いたとおりだけど、お話そのものも講談っぽくお約束を踏まえていてまあ楽しめたなと。 それはそうと。鬼助のストーリーがさ。 ・かつて狐神と犬神の争い。 ・狐神はその功徳が明神さまに認められて稲荷権現に、かたや犬神は祟り神へと変貌。 ・祟り神と変じた犬神は、その妖力を刀匠に打ち封じ込められこれを狗頭竜村正と銘し宝刀として奉り世から遠ざける。 ・しかし狗頭竜村正はその妖力でもって時の将軍綱吉を傀儡とし、世に悪名高き「生類憐れみの令」を発布し犬を奉じ、また徳川の世に仇為す妖刀として「村正」を狩り手中に納めんと謀る。 という設定書きが実に良くできてるのだけど、 綱吉さんと犬神と稲荷明神とを結びつけるのって講談のなかでは常套なのかね。 おじさん馬琴も風太郎も通読してねェ耳無精なのでそのへんに疎いのよ。 あとはー。えーと。 紺菊さんが一人で CERO を B まで押し上げてるよねとかそんな。 片桐かたなさんは最萌期間中にいくつか脱衣マインスイーパ作ってますねねー。 氏に報いるには、全霊を持ってクリアするという都合の良い方法しか選べないぜ。 すぐにデカジャで上昇値リセットしてくるところとかですねねー。 しかも眼光で行動回数を増やして、その最初にデカジャしてから思うさま攻撃浴びせてきたりねー。 プレミアがつくゲームて多くの人にプレイしてもらうことが最大の目的ではないんですかねやー。 どうだろ。プレミア価格がつくには内容よりも先に希少性のが問われるし。 在庫管理のリスクを思えば、気軽に重版はできないってのがやっぱ大きなところなんじゃないですか。 開発チームと販売会社が別れている場合、重版は販売側の意向が大きくなるでしょうし。 例えば先のメガテンマニアクスなんかはイベントキャラとして他社のダンテくんを登場させたはいいけれどもそれで版権がややこしくなって重版が出来ずプレミア化って経緯だし(後にクロニクルがでて適正価格まで戻った感があるけど) 食っていけるだけ売れればそれで良い。という職人気質なクリエイタも少なくはないでしょうが、 基本はやっぱ「プレミアが付く前にちゃんと市場に適量が流通して欲しい」てのが意見として主流になるんじゃないでしょーか。 メガテソ。「ん」を「そ」と言い換える行き場を無くしたスラングが十年ばかりの周遊を経て僕の中に軟着陸。 それはともかく。 ・真・女神転生3ノクターン クロニクルエディション 無軌道な力の向かう先。 RPG ってのは数字を取り扱うゲームである。Lv という数値で力量は明示され、相対化され、それ故に、ゲーム全体を通して「強くなること」を肯定され続ける。 強ければ先に進める。弱ければ立ち止まらされる。 だから、弱肉強食という言葉をこの上ないテーマでもって表現しているこのゲームは、RPG というゲームに最も相応しい主題を持っているのかも知らん。 私は、基本的には RPG というゲームは嫌いなのだ。 時間さえ費やせばベルトコンベア式にエンディングまで自動で運ばれるのが RPG というゲームであって、それ故に無目的・無思索でも先に進めてしまう。要するにゲームの中に「挑戦」がない。 RPG にも強いボスはもちろんいるだろう。 しかしそれの多くも結局は「レベルをあげる」という、時間の経過によって解決の可能なものであるのが普通だ。 だから挑戦は存在せず、目的や目標を持ちがたく、そうして辿り着いたエンディングは無目的ゆえに達成感もカタルシスも伴わず、ただただ終端にある寂寞ばかりが稜々と胸に押し寄せるというかなんというかかんというか。 メガテン3のエンディングは、それを看破しているモノのようにも思えた。 発売は数年前。 長い沈黙を経て登場した、アトラスの看板たる「真・女神転生」のナンバリングタイトルは、従来作からシステム面での革新を強く施された作品であった。 具体的にはプレスターン・バトルっつーんだけど。 説明は省くけど、要するに「ちゃんとアタマ使ってパーティ編成すればサクサク先に進めるけどでも油断すると一方的にタコ殴られて即死」というもので。好評でもって受け容れられたらしく、以降のアトラス社のメガテン関連なゲームの殆どはこのシステムを踏襲・あるいは改良改善したものとなる。 そのシステムを用いた第一弾たるこのゲームは、だから裏を返しちゃうと改良の余地を残したモノで、十分作品には貢献できてるけど完成度の点では後発のタイトルに劣る面があったりする。具体的にはデビルサバイバーは良い改善・発展の例だよな。 しかし、それでも、このメガテン3は儂のアタマに色々と得難いもやもやしたものを残していった。 で。 メガテン3は、とりあえずメガテンらしく先ず最初に世界が滅びます。 力を無くした世界は一度滅ぶ事によって生まれ変わる力を蓄え、また再び産まれるきっかけを人の「コトワリ」に求める。 コトワリとは、要するに人のみが持つ、或いは人のみが持つことを許された思想のことであるらしい。 滅んだ世界に生き残された四人の人間は、それぞれに理想の世界をコトワリとして思い描き、創世を担うべくそれぞれの手段によって世界の中心へと向かう。 ってのが大雑把なストーリーなのだけど、しかし主人公はその四人の中には含まれない。 主人公は世界の滅亡と共に息絶え、とある悪魔の手引きによって、悪魔として生まれ変わり、滅びた世界に生き残ることとなる。 つまり人ではない「悪魔」なので、コトワリを持つことが出来ないらしい。 それ故に、主人公は、かつての友人でもある四人の人間がもつコトワリの中から、最も好ましいもの一つ、或いは一人を選び、それが世界の中心に据えられるよう助力する。 助力というと少々暈かした物言いになる。RPG は基本的に弱肉強食。 つまり、四人の中から誰か一人を選び、それ以外の人間と、それが持つコトワリを打ち倒すのだ。 当然、この部分の選択はプレイヤー自身の意志に委ねられる。全体主義か、超克主義か、個人主義か、自由主義か。 ところで。メガテン3は改修の施されたバージョンが幾つかある。 初版にあたる無印ノクターンと、改修版であるノクターンマニアクスと、それとほぼ同じだけども追加版なノクターンクロニクルエディションとである。 私の選んだエンディングは、改修版以降でのみ観られるエンディングで、追加された者に相応しく最も過酷な関門を通り抜けなければならず、更には従来のラスボスの先にさらなる真ボスが追加された、よーするにトゥルーエンド的なそれである。 まあ。どれが真かはプレイヤーそれぞれが決めればいいことなんだけどさ。 追加されたエンディングとは。 ただひたすらに強さを求め求め続けた結果に己の中の悪魔を完全な形で目覚めさせ、その力の赴くままに全ての人とコトワリとを粉砕し、世界の中心たる創造神の如く存在さえも打ち殺し、それによって「世界」の輪廻を断ち、何者も産まれ得ぬ死んだ世界の闇の中で、己の中の完全なる悪魔の影と対峙し、そしてそれをも倒し、その果てに訪れる神々との決戦を予期させ――ゲームが終わる。 達成感とも、カタルシスともまた違う、虚脱感とさえ呼べる何かが残るエンディングである。 無目的な、無軌道な力の向かう先は、目に映る者すべてを叩き壊した虚無であり、そしてゲームが終わった後もプレイヤーの写し身たる主人公は、様々な概念においても最も強大な者である神へと、更なる「叩き壊せるもの」へと矛先を向け、力を振るう先を求め続ける。 力を得て、その力を振るうに相応しい者を求め、打ち倒し、それによりまた力を得て――という無間の繰り返し。そこにはもはや目的はなく、どこか虚しい。 その姿はちょうど、RPG というゲームそのものに符合しないだろうか? とかまあまるで悪口みたく書いたけど。 好きですねェ。この虚無。 同じ道化を演じるならせめても自覚的にいたいじゃん? という後ろ向きさはともかくとして。 なかなか得難い感情であったには違いありません。 それで、結局、一緒に遊んでた隣人のプレイも含めて全部のエンディングをみたのだけど。 上記に書き並べたコトワリのうち「自由主義」ってのが本来のベストエンドに近いエンディングにあたる。 自由主義の能書きは、要するに誰もがそれぞれに未来への理想、つまりは生きる力を持っている世界ってことなんだけど、しかしそれは都合の良い能書きであって、ただ一つを選ばなければならない「コトワリ」には認められない虚偽のコトワリであったのだ。 まーよーするに個人主義も全体主義もなんもかんも認められるだとかそんな都合のえーモンがとおるかーいバカモーンってこっちゃね。 で。 そのコトワリを掲げていたのは、主人公(は、元高校生だったんだけど)の恩師。何かと主人公を目にかけてくれる美人教諭である。 物語開始当初は「滅んだ世界のどこかにいる先生を捜す」てのが目的だったしな。 しかしその先生は、己の選んだコトワリが偽りの希望だと気付けず、それを看破され気付かされると共に世界から消えてしまう。 その後、ベストエンドっぽいルートを歩む主人公は、無言で、まるで目的を見失ったかのように、他のコトワリを持つ人々を打ち壊して行く。 そうしてかつての友人の屍を踏み越え、悪魔の身でありながら世界の中心に触れ創世を行い――エンディングによって描かれた世界は、滅ぶ前と寸分違わない世界だった。 悪魔らしい、自由の勝ち得方である。 面白いのは、そのエンディングに到達したその時になって初めて、(プレイヤーの意志を尊重する RPG らしく)終始無言な主人公の性格が、理解できたような気がしたあたり。 何も起こらなかったのにも等しい世界で、どこか含むところのありそうな笑顔の、かつてコトワリを巡って争った友人達と待ち合わせ療養している先生のお見舞いに向かう。 要するに、主人公てイイコだったのだな。 余計なことを書き加えれば、ウチの主人公青年が無軌道になちゃったのは、先生がいなくなっちゃってしまう力の振るう先を見失ったからという脳内設定が施されております。 あと。マネカタって存在がけっこー強く胸に残りました。 マネカタってのは、作中にて最も報われない存在として描かれたヒトモドキ連中のこと。 極々少数の例外を除いて全ての人間が息絶えた世界は、悪魔達にとっては奴隷を失ったのに等しかったらしい。だから、それを欲した悪魔が、便宜を図るために、悪魔らしい戯れによって、人の姿を模して土塊から人形を作った。それが「マネカタ」であるらしい。 表情がなく、それ故にどこか無気力で、言葉も拙く、どんな被虐にも抵抗する力を持たない。 なかなか、えげつない。 面白いのは、この所業がほんとーに悪魔的ってところだ。 何が悪魔的かというと「土塊から人形を作った」というくだりはキリスト教における神様の御技とまったく一緒なのだな。 儂らは、神様が土から自分の姿に似せて造った人形なのだ。であるがこそ、被造物である儂らは神様の寵愛と庇護を受けていたりするらしいんだけど、 神の御技の真似事をして、あまつさえもそうして造ったものを奴隷として玩弄するとは。素晴らしい悪魔の所業やんな。 それでも、何をきっかけとしてか彼らの中に意志と力とを持ったマネカタが産まれた。 彼はリーダーとして他のマネカタを統率し、悪魔の支配から逃れ、滅びた街を復興し、マネカタだけの都市を作り上げさえした。 そして、自らも「マネカタだけの世界」というコトワリを見出し、世界の創造に乗り出そうとするけれど、他のコトワリを持つ者に、酷く惨めに、あっさりと八つ裂かれて、マネカタの街もろとも潰えてしまう。 本当に、あっさりと、簡単に。力なき者として、あまりにも惨めに。 そもそもが、マネカタはコトワリを持つことを許されないらしい。 なんでだろう。 天使や悪魔の類がコトワリを持てない理由はそれなりに察しが付くのだ。 天使はあくまで神様にかしずく存在であり、彼らの理想は全て偉大なる名の下に統合される。だから理想なんて不要だ。 悪魔は、かつては天使だった身分でもあり、彼らの存在はすべて神を冒涜するためにこそある。人を誘惑するのも結局は神様に唾したいからだし。そうして存在価値の固着している彼らは、理想を持ち得ない。 それ以外の、メガテンでいうところの悪魔は多く伝承や概念として存在する連中だから、彼ら自身の変質は彼ら自身の存在意義の消失を意味しちゃうから、これもまた理想は持ち得ない。 じゃあマネカタはどうなのだろう。 その誕生の経緯が人間と似通っているだけに、なおさら疑問に思える。 では、人とマネカタの違いとはなんなのだろう? 悪魔に造られたか、神に造られたかの違いだろうか? 神の寵愛を受けるからこそなのか。だとするならば、人とは何なのだろう? なんとなく無常観の募ってくるぼんやり。 それから、なんとなく書いておきたいこととして。 曲が面白かった。 目黒さんという名前を意識したのはこのメガテン3が初めてだったけど、一回聴いただけで記憶に残る特徴的な曲ながら、ゲームの BGM としてあんまし存在を主張しすぎないという如何にも職人的な気質を感じさせる曲でしたわ。 鬼の声のような嘘ボーカル(いやリスニング力不足でハナモゲラかどうかはわかんないんだけど)もまたオサレかつゲーム内容に即してて素敵でしたね。 Normal Battle (Town) Normal Battle Reunion With Master Title Loop 2 ゲーム内容にももう少し触れておけば。 やー。ヌルいゲームきらーいとか抜かしておきながら、真空刃・プロミネンス・絶対零度・常世の祈り・衝撃高揚・ランダマイザなアマテラスさまでわーいさすが日の本の最高神ーと称揚しすつつ外国な神々を蹂躙してまわるのがナショナリズムに楽しかったりとか。 でもスキル的には申し分ないのにバッドステータス無効を持ち合わせてない所為でルシファー戦でベンチウォーマーになっちゃったのが悔しい。キー。 あとは。従来のメガテン通り Q.最強の魔法は? A.タルカジャ。 なんだけど。そうしたパーティ補助の呪文が強ければそれを打ち消すような魔法を多く用意するのが他ゲーの常識なんだろうけども(バイキルト・スクルトに対するいてつくはどう等)、 ところがどっこい常套に強い手段とあればそれを無効化するどころかボスキャラが率先してそーいう戦術で殴りかかってくるあたりがさすがメガテンですねと。 龍の眼光→マカカジャ→マカカジャ→マカカジャ→マカカジャ→メギドラオンてお前。 脱衣マインスイーパーを探してるって? スターシーカー? あれは女の裸体を見る為のゲームだけどゲームと脱衣に密接な関係もないし、単純にクリアしたら絵が見られるって程度のものですよ? 勝負とナオンと脱衣と途中でリターンキーに手が滑ったがこれ以上言うことはない・・・ ていうか一番大事なところが抜けてませんかー。 いやでもまー。こー。脱衣とゲームに相関性がなくとも構わないんです要するにご褒美が。ご褒美が。 脱衣が必然になるゲームてでも、どーいうものになるんじゃろね。 簡単には素肌に紋章があるかどうかを確かめるために剥ぐとかそんなですか狩る者たち。 でも例えば対局で脱衣なマージャンである場合、相手がおのれの柔肌を賭けてるっつーことでなんというか、臨場感というかが増すのは確かだよな。勝負してる感が。 普通にゲームを遊ぶのに加えてリビドーっちゅー目的意識が加わるのもまた大きそうだしぶつぶつ。 伺最萌の予選を見ていて、ちと思うことがあったので。つぐな、なんて名前の女の子は、世界で多分たったひとりだけなんですよ。period15は観ましたか。そりゃあもちろん。 それで色々と云いたくもなりましたけど、でも案外と私が何かを云うべきところでもないような気がするなと支援物資を用意できなかった手前も含めて沈黙しておりました。 応援いただけたかた、ありがとうーまじでー。 ちょいと思ったのは、実際にデスクトップにでてくるつぐなと、儂の脳味噌ん中のつぐなとが思ってたよりも乖離してるて点でしたかね。 あのコは案外とソトヅラのええコだから、儂のアタマん中だともうちと怠惰るく過ごしてたり。 そうした乖離が、あの日にご声援を頂いた人々の中でも起きているのならば、割とそれに優る成功はないような気も致しましたり。 脱衣とかおっぱいとか近頃のぐしゃさんが大変だ。人肌恋しい季節よね。 ペルソナじゃなくてメガテン初プレイの平成生まれにとっちゃやりやすかったですよー文面ではちょいと強調し損ねましたけど、そこも評価したいところですね。ちゃんと初心者向けでもありつつ歯応えも十分という。 それはそうと平成生まれでももうハタチ越えてたりするんだよね。びっくりだぜ(何が。 おまたせ相棒! つhttp://kt2hardrayer.hp.infoseek.co.jp/TMS.htm片桐かたな! それは期待に応える男の名! 堪能! 脱衣マインスィーパー! (眼鏡を直して)もっと詳しく! ……でも自分はとてつもなくマインスィーパー下手です。ええ、言わなくても判るでしょうけど。あれよね。誠実な人格ゆえに駆け引きが下手ってことよね。 もうすでに辿り着いたのは知ってますが、こちらの素敵サイトをご参照ください。 そんなことばっかり言ってるとこの塔に「脱衣マインスイーパ」で検索かけますよ! って二番目にきたあああ まじでええええと慌てて検索をかけてみましたが……なーんだ。 ほら。まだ10件目以降じゃないですか。はは。そりゃそうですよはっはっは。 ほらあれですよー。google さんて詳しくは知りませんがアカウント毎に検索履歴に従って表示順位が変動したりもするらしいじゃないですか多分それのせいですよ。はっは。いやいや。まさかでしたよまさか。 ぎゃああああああ メガテン。・女神異聞録デビルサバイバー。 女神異聞録というと。 今ではその肩書きは外れてるけど、同アトラス社の女神転生シリーズからのスピンアウト的シリーズであって恐らくはややカジュアルいユーザーを対象としたシリーズ。の事だと理解してる。 でもそれも、同シリーズの二作目である罪と罰を参考とした理解なので、実際のところはどうか知らない。 ともあれ。 だからこの女神異聞録なデビルサバイバーも、触れてすぐ解る、他作品と比較してずいぶんとお手軽簡単な悪魔合体システムだったりでつまりはあのー、いまいちタクティカルでもストラテジーでもないSLGの皮だけ被ったあんま思考する余地のない難度なアレやソレに近いコンセプトなのかなと首を傾げつつ遊んでみたらば。 まったくそんなこともなくて。蓋を開けてみておかずを幾らかつまむウチにゆっくりと姿を現したのは「合体はすげーお手軽にしたよーでも手軽にした分ちゃんと試行回数かさねて試行錯誤し明確なビジョンを持って合体しねーと即コロス」て難度設計だった。という話。 最終的には「全門耐性で属性攻撃は全て半減します。」だの「物理攻撃は等倍で反射します。」だの「メギドラオン撃ちます。」だので弱点を突かれる=即死な設計は「これなんてめがてん?」だったしな。 まあメガテンなんだけど。 破魔・呪殺がややナリを潜めてた辺りまだなんとかだけど。 で。まあその。 デビルサバイバーの設計がどう優れていてどう良いゲームであったのかを語ったところで既に時遅しであるし他に詳述してくれてるところがあるだろうから省くとして。 省くとして。 しかしそのへんを省いてみて。 後に残る感想は「おっぱいの立派なゲームであったな」とかそれくらいになるんだけど。 いっとく? いかなくてもいいか。 RPG においては特にそうだと思うけど。 ゲームってのは小さな目標と、それの成就による小粒な達成感の積み重ねでできている。 例えば「次に必要な経験値は××××じゃ」という目標と、ぱらりらぱっぱっぱーというファンファーレと共に訪れる達成感。 これら小さな目標にどれだけの意欲を見出せるか、そしてまた意欲に見合った達成感を得られるかってのがゲームの質感および感想を左右する。ので、クリエイターはそこんところを試行錯誤して設計をするわけだ。 多分。 で。その観点に立てば。 女神転生シリーズの有する悪魔合体てシステムは、しみじみと優れた発明だなと感じる。 ザコキャラと会話ができ、うまく交渉ができればそのザコを仲間にできる。 =仲間を増やす・交渉を上手にこなすという目標とそれの達成。 仲間同士を合体させて、新たな仲間を製造する。 =強い仲間を手に入れる・合体させるための仲間の調達という目標とそれの達成。 仲間を呼ぶのには必要なレベルがある。 =そのための成長という目標。 そしてレベルはゲーム進行に応じて常に上昇するので、常に目標が現れ続ける。 等々。悪魔合体てシステムを一つ、中心に据えただけでその周囲にいくつもの小目標がそれぞれに現れてくるわけだ。ゲームを回す歯車として実にマスターピース。 で。女神転生の外伝的位置づけである女神異聞録のデビルサバイバーはこれら悪魔合体に思い切った簡略化を施したのだけども。 いっそのこと悪魔合体を最大限に行かせるゲームってそれこそ SLG なんじゃねーのかなあ。とさえ思わされた。 先ず一つに、RPGだと同時に使役できる悪魔に限界がある。従来シリーズでは最大四体(か五体)。 しかし SLG だと逆にユニット数をある程度揃えないとゲームにならないのだから、同時に活動させられる仲間の数が自ずと増える。 少数精鋭で絞り上げていくのもまあ面白さとしてはありだけど、SLG ならば取り敢えずは数を揃えなければならず、それ故に悪魔合体の機会が増加して。楽しい。楽しかった。 で。デビルサバイバーのシステムそのものが「弱点を突くと有利・突けないとジリ貧・突かれると壊滅」というカバーリングを大前提とした設計なのもあるんだろうけど、これがあるお陰でバランス良く数を揃える必要が出てくるし、ついでに、弱点のあるチームを他チームが庇ってやる、というゲーム性もあるから、弱点を突かれる不利を思い切ったものにも出来るんだよな。 でもまあ。SLG にすることの最大の不利益は、悪魔交渉が出来なくなっちゃうことだけど。 フィールド上で隣接して会話ーで悪くはないんだろうけど。でもそれも。なあ。 ともあれ楽しかったぞSLG女神転生。と。 ん? 魔神転生? ああうん。 え? ロンド? あー。あー……。まあ、うん。 他にも、従来の女神転生の世界観を踏襲しつつ現代風な価値観を組み込み直した設定とテキストとか。 ミニマムで低予算ながらもそれを欠点としない上手なゲーム作りや、軽いアドベンチャーの要素を含ませた進行など。 誉めるところの実に多い、隙のない良作でした。うむ。良いゲームだった。 あとおっぱいな。 うむ。 いやまあ。で。 おっぱいなんだけどさ。 デビルサバイバーが発売前にちょいと話題になったのが、ヤスダスズヒトさんをキャラデザインに採用したことだったね。 うむ。 魂をみせて貰いました。 それら魂の一端は公式サイトで確認して貰うとして。 こと物語序盤において。 デビルサバイバーは例によって進行はADV風味にキャラクター同士の対話形式で話が進むんだけど、序盤は懇切丁寧なチュートリアル的な会話が差し挟まれるのな。しかしこと序盤においてはソデコさんの立派な部分にばかり目が行って話が頭に入ってこないこと甚だしゅうございました。 それから養護教諭なー。マリ先生。 まあその。初対面の時から「フラグ! フラグは!」とつい鼻息を荒くしてエンディングに至っては「え!? ないの!? ルート別じゃなくてキャラ個別の好感度エンドはないの!? ちょっとおいなんだよ SRPG ってそーいうもんじゃねェのかよ!!」とか偏見を撒き散らしつつ取り乱してしもーたもんですが。 で。 悪魔に害された恋人の仇を討つため、体にまた別の悪魔を内に宿しているという女性なんだけど、その悪魔が彼女の口を借りて話している=悪魔に憑依されている状態の表現として、こー、やや下の方から光源を当てて陰影を濃くし、髪の毛や服装が軽い風で煽られている感じで浮いているーって手法が採られてるんだけど、そのときに先生のお胸まで一緒に浮揚してるのをみたときにゃーNDSを陽の昇る方向に捧げ持ちたくなったね。うん。 うむ。 まあそれで。あとはコスプレ少女さん。 正義の味方に憧れる彼女は、悪魔を使役する力を得て思考を飛躍させて救世主たらんとその力を誇示するかのよーに振るいまくるのだけど。 ワア。メンドクサソーなキャラクターだア。 この娘のルートはないナ。との第一印象に基づきそれを迂回するように距離を取ってたのだけれども、パーティのうち一人が離脱し、「使役できる悪魔が減っちゃうじゃない!」と焦っていたところを丁度仲間に入りそうな話が流れてきたもんでそのまんま編入したりとか。 結局のところ、閉鎖された東京の中で前後不詳になってる人々の前では、彼女の力はしょせん悪魔の力であり、人々の悪心を煽り逆に弾圧を受けることとなる。そんで「正義」を挫折し中庸の道を選ぶこととなって。主人公の後を付いてくるのだけど。 その一方で。それと対象を描くように、彼女の同級生な少年は、悪魔の力を思うさま正義の元に振るって悪人をバッサバッサ燃やし尽くして回ってたりする。 なんでしょうね。 一時は回避しようと思ったルートだけども。正義を挫折してしもーた少女と、人の倫から外れてでも正義を世に下そうとする少年とのコンフリクト。さて。けっこー見所かも知れない。 とか思ってたら案外とあっさり解決するんだけどな。なんだよう。 それはそうと、ゲーム中の表示だと腰から上の絵までなのでわかんなかったので彼女は彼女で立派なふとももさんであったのだな。 なんだゲーム中にそれを知ってれば遇し方ももう少し違ったモノになったろうに。 (いやラスボス戦にまで至るスタメンの一人でしたが。 等という煩悩の混ざる余地もなくゲームは進行していくわけだけど。 弱点属性を付けば俄然有利になる。というゲーム性だから、このゲームで重用すべくステータスは即ち魔力である。魔法は全部、各種属性に属しているからね。 そう気付いたからには各キャラクターのステータスを精査せずには居られんわけで。そうしてみてふと気付いたことがある。 喝破! このゲームにおける魔力はお胸の立派さに比例する! いやじゃあ彼女はどうなんのよと。 いや十分ご立派ではあるんだけども。 主人公達よりも早く悪魔を使役し使いこなしているっつー人物で、ゲーム中最強候補の魔法使いさんである。 巫女という立場で、若くして人々を導く役目を負うためか小理屈がいちいち理路整然としていいコなんですよね。彼女と、彼女に力を貸す天使が語る秩序ある世界というか、ロウルートな世界は従来のメガテン世界の中でも一番人倫に近いよーな気さえしたぞというか基本メガテン世界の天使て「主に従うならついておいでーそれ以外は全員ゴミなので業火に投げ込んで始末します我が神の怒りを受けて死ね!」な姿勢が基本だったしなで。 で。魔力だけど。あんまし捨てたくはない仮定だがまあ客観的事実に即さないのであれば諦めざるを得まいよとか思ってたんだけどしかし。 しかしである。 ![]() おおおおおお……。 まちがってなかったよ。おれ間違ってなかったよ。 とかでまあ。 良いゲームでしたよ。うん。ほんとに。 つらつらつづらつつうらうらうづら。それで電車が止まれば合法的にサボれるな。 とはもちろん、過去十年最大級の台風て予報に接した時の感想。 だって。傘を差せば台風と一緒に日本を縦断できそげな暴風の中をわざわざ来館するようなひとがどれだけいるのか。 そいつが借りて帰るのはおそらくメリーポピンズかオズの魔法使いだ。 要するにすげー暇になるだろうから暇を頂いた方が余計な賃金を払う必要もなくお互い合理的だろうとかそんなぼやきなのだけれど、 思考レベルが小学生時分からさっぱり進化してません。 翌日。 目を覚まして窓を窺えば、台風一過とさえ呼びがたい半端な晴天。 期待はずれも甚だしく、腹いせに布団を干して出掛けた。 脱衣マインスイーパーってもっとないんですかね。 ないんですかね。 ですかね。 いや。その。 マインスイーパーが面白いモノだと云うことは知っていたのだけど、 数年に一度、低めのレベルを暇つぶし以上の期待もなくいっぺん遊んでそれでお終いという頻度でしかなくて。 そんなだから。 高レベルの、マス目が小さく地雷の数もまた多く、必然的に長丁場な勝負を強いられるというそれを遊んだことなんてほとんど無かったんですよ。 クリアまできっちり遊んだことなんてほとんどなかったんじゃないかな。 だから、地雷の過半数を確定しクリアも目前。ここに来るまで半刻は費やした。しかし目の前に立ち塞がるのは、安全確実なマスが一つもない地雷原。 なんとか分の良いバクチを張るしか突破する手段はありません。 と。 そんな緊張感を味わったのは脱衣マインスイーパーでやっとのことでさ。 そりゃーもちろん。 そこに至ってはナオンのラなんざ度外視なワケよ。わかる? 男と男の、オレ自身との勝負っつーかさー。 当然クリアはしましたよ? しかしそれは、全面クリアを達成するまでに投げ捨ててきた時間っつーかけがえのない戦友への弔いの意味のが強くてさ。 で。まあ。面白いモンだなマインスイーパー。と。再発見をして。 再発見をしたモンだからもうちょっと遊びたいんだけど。 だから、こー。もうないのかなー他に脱衣マインスイーパー。と。 いや別に。脱衣じゃなくてええねんけどな。 無味乾燥なOS付属のそれを延々遊び込むほどの根気はないから。 なんというか、変化といえばいいんですか? それが欲しいと云うだけで。 具体的にはご褒美というか。いやいや無味乾燥でなければそれで。うん。 とかで検索してみれば、かつて業務用として稼動していた「どきどきアイドルスターシーカー」というゲームがそれに近いようだ。 ついでには DC にも移植されている。 ふむ。 でもなー。 DC は沈黙して久しいし、それの為にだけ本体を購入するというのもさすがに億劫だ。 だからどっかそのへんのゲーセンで稼動してくれてたらありがたい気もするんだけどな。 DC 版はどうせ全年齢版だろうしな。 ああいやいや。 朝方の電車ってのは憂鬱なモンで。 布団から身をもぎ話すのがめんどくさく。 ひげを剃り髪を整えるのがめんどくさく。 定刻に電車に乗るのがめんどくさく。 こうして感じるめんどくさい行為の一つ一つが、社会というものとの接点なのだなと感じ入る。 めんどくささに抵抗するのに必要なこの気力は、社会というものにしがみつくのに用いている労力とまったく同じものなのでしょう。 あー。 捨てたい。 等と思いつつ電車の中を見渡せば。なんか。もー。みんな憂鬱なツラしてんな。 そんなに憂鬱ですかキミタチ。ぼくもです。 そうしてホームに降りれば、集団登校に二列に整列させられている学童どもの笑顔にぶつかった。 ちくしょう。眩しいなあ。 自身の感性が摩耗している様を確認するのはあんまり快い体験ではありませんねとかいいたくなったけど小学生時分から通い事が苦手な気質なのでそんな感性は恐らく前世から持ち合わせていません。 でも私ぐしゃさんのナナドラ好きだよ?あらそれはどうもありがとう。 正直を言うと自分でも好きです! ニーノさんというと、フェイトのRPGも手掛けてるみたいですがそっちはどうですか。フェイトというと文学という言葉が先ず浮かんでそこから先の連想が続かない程度の知識しかないんですが。 なんだろ。ラストランカーと比較すれば、そっちのが遊ぶ可能性は高いような気が。 わかった、袖口から指先しか見えないくらいだぼついた服を着用すればいいんですよ!そうして自分の体を小さく見せて相手の警戒を解くという逆エリマキトカゲの論調ですね。 なにかそれはそれでリスカさんと似てはいないけれど同程度に厄介なニュアンスのキャラクターが定着しそう。 連想ゲェーム。「エレベーターといえば」 「貧血」 仕事先のエレベーターから異音がする。 軋む音、といえばそれで済む気はするけれど、金属質に高音な、モーターのうなりに混ざる擦過音。 悲鳴にも似た耳障りな音である。 要するに、不安を掻きたてられる。 何につけエレベーターってのはありがたいもので。そのありがたさは階段の長さに比例している。その意味で言えば、件のエレベーターのありがたみは地上四階分。 割と控えめなありがたみ。 さて。エレベーター事故を頻発させていた会社の名をなんと云ったか。 時事に疎い私はそれを思い出せず、思い出せたところで不安は払拭されないだろうから考えるのをやめる。 不安とはよからぬ事態の想像である。地上四階分の高さを上下する箱から連想される事故とは、まずは落下。それから半端な場所で停まって閉じこめられることくらいか。 もしそうなったらば。 合理的に仕事をサボれる。 ありがたさは地上四階分。落下しても、死傷に至る可能性は少ないのではなかろうか。 安静を採るために仕事途中で早引け。帰宅。 うむ。 じゃあ落下でなく、閉じこめられた場合はどうだろう。 押し入れのなかでお仕置きされるのとは訳が違います。 空腹と喉の渇き、暑苦しさに苦しみつつも一切の為す術を持たずただ空虚に待たされる。 人の頭は刺激がない状態に弱いらしく、だから変化のない密室に閉じこめられれば次第に幻覚を起こして自ら刺激を得ようとするらしい。そこまでは行かなくとも、止めどない妄想が嗜虐的に嗜虐的に儂の感性をいたぶるだろう。 それはそれで貴重な体験であるように思える。 不安で狭い密室。 自分でそんな境遇を用意して試みた場合、簡単にギブアップできてしまうだろうから体験としては不十分だろう。 しかし、ギブアップ権を放擲するような形で、マジで脱出不可な密室を用意したらば下手すると死ぬ。 死ぬのは怖い。 その点、四階分のエレベーター事故での閉じこめられは、救出にもそんなに難儀はしないだろうし割とカジュアルに体験できそうな気もするが。 さて。 まあでも。 そんなことがいざ起きて巻き込まれたらば、このへんの「被害への想像力」の欠落した妄想を悔やむのが目にみえているし。 こうして、妄想に終始してニヤニヤするのが関の山だろうなと益体もないことをつらつらと思いつつ仕事をこなして済ませ、四階分程度のありがたみならば危うきを避けて階段を選んだ方が得策であるだろうかだとか思いつつ、件の悲鳴エレベーターホールに通じるドアを開ければ。 そのエレベーターがばっちりと口を開いて儂を待ちかまえていた。 ホールには誰もおらず、儂一人。 エレベーターは口を開けてはいるが、そこから出てきた人の気配は皆無で、開ボタンを押しっぱなしで待ってくれているひとも居らん。 素直に背筋が寒くなったけど。 ひょいと乗り込んで一階のボタンを押下。 悲鳴にも似た異音。 無事、到着。 用事を済ませて、――三階までのところを、四階まで昇ってもらって。 悲鳴にも似た異音。 無事、到着。 階段を使って三階まで降りて、そのまんま帰った。 手首を切った。物騒な物言いになった。正確に言い直そう。 手首を切られた。 仔猫の無知を責めるまい。 猫は学習能力を持つケモノだから、逆にいえば幼子は割とバカである。 バカだからこそ加減を知らず爪を出して儂の右手首を切り裂いた訳だけども、 バカだからこそ、猫の優れた三半規管を確かめるために鞠のように放り投げては着地させるという野蛮な遊びに付き合ってくれてたわけだし。 不問に付す。 だからそれは別に良いのだけど、問題はキズの位置。 動脈こそ逸れてはいるけれど、カジュアルな自殺として最適なリストカットに程良い位置に赤い線のマーキング。 まあストレス社会と呼ばれて久しい今の世を生きる(元)若人としては、スネならず手首にも傷の一つや二つ持ってて然るべきかも知らんが、 職能にも人徳にも欠けた、ソトヅラだけで社会性を保っているよーな儂の如くにとって、要らん誤解を受けたらばとたんに落伍者である。 とは云っても割とどうしようもないのでそのまんまで出掛けた。 絆創膏や包帯の類はケガの記号表現であり余計に目立つし(傷ではなく、そこに傷があることそのものを隠さなければならないってのも何か面白い)、長袖などで隠そうにも手首というのはそれをするには微妙な位置にある。腕時計なんて普段からしてないので適当なモノを持ち合わせていない。 そうして難儀してみれば、真性のリストカッターさんの苦労が偲ばれこれはこれで良い体験であったかも知れない。 手首というのは思ってたよりも目立つ。 つり革を握る手。形態をいじる手。コンビニで精算を済ませる手。 思えば手というのは人の体の中で最も活発に動く部位なのだな。だから注目を集めやすい。 加えて、図書館のアルバイトで本棚の高さ、つまりは人の目線の高さにしょっちゅう手を挙げるし。炎症を起こした傷口は真っ赤に赤く、儂の生白い手首で大げさに自己主張しとるし。 前向きに逃避すれば。 「リストカット」という記号は、割と狭い文化での記号なのではあるまいか。 そしてそれら記号のでてくる世界てのは例えばマンガ文化でありネット文化であり。 「手首の傷」と、自傷行為や自殺企図にともなう内向や鬱屈、不安定な情緒というイメージは、先入観をリセットして考えてみれば、結構な隔たりがあるように感じられる。 うむ。 まあ。ほら。オタクって元々自分の世界っつー狭い価値観で生きてるからそれの中の知識を世界の常識と誤認しがちなのよねー。 という解釈のもとに同僚さんたちに手首の傷を見せつつ「仔猫が手加減を知らなかったみたいで弾みでざっくりと行かれちゃったんスよー」と説明してみる度に相手さんが露骨に安堵しているようにみえたのは僕の気のせいかしら。 「ああ、猫ね。そういえば飼ってたよね」と応える声がどこか揺れてはいなかったかしら。 「ちょっといけない傷みたいに見えるよねー」というコメントはどこかフォローめいたニュアンスがありはしないかしら。 まあリストカットてカジュアルでキレイめな自殺だからテレビドラマやら映画とかでもけっこー採択されることが多いしな。 なるほど。なかなか広く知られた記号であるようだ。 でもめんどくさいので自然治癒に期待する以外はなにもしない。 新納さんの新作が発表されたらしいですよ。カプコンのラストランカーでPSPだそうで。 ニーノの新作きたこれ。ところでナナドラは?ナナドラは。アレやねん。 それぞれの旅立つ理由なお話をまだ書き最中なのになんかラストダンジョン手前な雰囲気になっちゃったのでひとまずは書き優先にして中断してたらば見事に筆の進みが鈍ってそうこうしている合間に新作ゲがちらほらでて疎遠になってたところをプレイ日記保存してたモバイル機がへちこわれてあーあもう。 で。止まってて。 そろそろ再開しようかなと思ったタイミングで下の弟共にポケモン効果でDSを占領されてな。 まあそれはともかくさ。 ラストランカーな。 第一印象はー。なんというか。口外しづらい。だからそれを詳述する代わりに、初報に触れた際に儂の口から漏れた呟きを引用しておきましょう。 「……うえ」 まあその。 カプコンさんだし。 PSP だし。 短絡でうがった見方をすれば中高生をメインターゲットに据えたカジュアルげでスターイリーッシュな RPG とかそんなところかね。せっかくモンハンで捕まえた年齢層なんだから逃げられる前に撒き餌ぶっとけ。みたいな。なんかそんな? いや。だって。FF のシナリオライターとかいわれても。 「主人公が喋らない RPG ならそれだけでファミ通のクロスレビューで言うところの2点ほど上昇! 喋るなら5点ほどマイナス!」 な大変ニッチな層に属する人間が儂なのでなんというか目を逸らしたくなるばかりなのだけれども。 その他、ファミ通の紙面から拾える情報のことごとくにうっへりさせられます。 引用された台詞の凡庸っぷり。掲示された固有名詞もなんというかかんというか。 まあこのへんはファミ通さんの見せ方が悪くもあるような気がするんだけども。 それでも、読み進めてみればけっこう期待は持てそうな要素はあるにはある。 音楽が下村陽子さん。 うむ。 まあそれだけじゃなくてね。 特に引いておきたいのが、 「人口のほぼ全員に、強さを基準としたランキングが施されている」て点。 で。主人公はそれのてっぺんを目指すことを目的とした青年。と。 「RPG とは即ち数字である」と看破された新納さんらしい設定で設計といえる。 RPG てのは、数字を育てるゲーム。て側面がある。 そもそが RPG における成長ってのはレベルという数字を上昇させることであるし、 「つよさ」や「かしこさ」とラベリングされた数字の大小に個性を見出して、それを元にプレイヤーキャラの性格を妄想してみたりもする。 或いはモンスターに与える・与えられるダメージて数字の大小に一喜一憂したり、そこから敵の強さを感じ取ったり自身の成長をみとってみたり。 RPG のほとんどはプレイヤースキルとは無関係の世界。 そんな世界において、数値ってのは価値の判断基準のほとんどを担うモノ。 それを「自分の今現在のランキング」て形でゲームのど真ん中にずん。と据えたその世界設定は、なるほど真っ正直に RPG。 数値の大小多寡がこそ世界を構築する RPG に、どっしりとした、新たな価値基準を設けたわけだ。 わかりやすくも面白そう。 底辺近くからはい上がれ! てのが解りやすくてよさげで、ついでに戦闘を行う理由付けもはっきりしてるよね。 ランクのすげー高い人物とすれ違えばそれだけでドラマが生まれそうだし。 自身のランクが五桁に、四桁に、三桁に、二桁に、一桁にと移行していく瞬間瞬間にドラマがありそうだし。 数値という形で明確に上下が隔てられているからこそ、のし上がるモノ、蹴落とされるモノ、勝者と敗者、達成と挫折とにドラマが生まれそうであるし。 なかなか、こー。な。 そうしたドラマに期待が持てそうなんだけども。 それを手掛けるのがFFのひとでなー。 目に付く台詞や固有名詞のしょぼくれ具合がなー。 まあ発売前から云々してもしょうがなくはありますが。 ゲームシステムそのものはブレスオブファイアのVに近い感じなのかな。 あれはまあ。独特ではあるけどもかといってどうということもないシステムだったような気もするが。 まあ発売前から云々してもしょうがなくはあるね。続報待ち。 だっだらーん。だららららららららららだっだらーん。・バットマンビギンズ。 当時はアメコミの映画化っつーと近例としてスパイダーマンがあり、後続もぞろぞろな時節だったし。 しかもバットマンは既にティム・バートンが立派な娯楽大作として仕立ててるんだから単なるアクション映画として作ってもしょーがない。のは解るけどしかし金持ちのボンボンが水戸黄門よろしく勧善懲悪に正義を振りかざすよーなお話にリアリティやら葛藤やらを持ち込んでみてもなんというかしょぼくれるだけだろう。 と思うんだけど。 例えばさ。 親父さんの遺した街の象徴たる高層ビルにケーブルカーが突っ込むのを防いで悪の親玉さんをぶちのめせたところで、 街中に散布された恐慌ガス問題は大量生産に数週間が必要なワクチンを待たねば解決せんわけで。 そんじゃあ親玉退治よりも先にやんなきゃなんないことがあるだろうよバットマンとか。 復讐に生きては個人の感情に流されるに過ぎない。故にそれは正義ではない。 ならば何故バットマンは戦うのか。 という葛藤を用意してみるのは良いけれども。しかし惚れたスケにほんのりと正体を明かすコメントを残しちゃっては結局んところ私情を捨てきれず個人として生きてることになるんだから半端物じゃんよバットマンとか。 等々。そうした、本来ならば「おいおいこれはアメコミなんだからそんな野暮なツッコミはよしとこうぜHAHAHA」で済んでしまうような疑問が、作中に混ぜ込まれたリアリティによってなーんか浮き立って見えちゃうんだよね。 結局のところ。素直単純なアクション大作として仕立てては二番煎じになってしまい、だからといってリアル志向の貫徹に適した題材とも云えず、じゃあどうすんべかと腰の落ち付け所を探しているうちに上映時間が終わっちゃってタイムアップーて印象な映画。 続編にあたる「ダークナイト」の評判が恐ろしく良くて、それの予習として観たつもりだけど。うーん。ほんとに面白いんだろうなダークナイト。 ・ダークナイト 参りました。土下座させてください。 素晴らしい。脱帽。クラーイムサスペーンス。 「スクリーンに映されるものはなんだって娯楽」との姿勢に少々のひび割れをさえ入れてくる圧倒的な悪逆非道。 ジョーカーさまのカッコよい悪っぷりに少々引いちまったけども、しかしやはり娯楽は娯楽だ。バットマンやその他諸々の人々が必死扱いて守り抜こうとするゴッサムシティと、その人々と、その人々の持つ価値観や道徳観念や誇りや友愛や尊厳を完膚無きまでにぶちこわしてぶちこわしてぶゥちこわしてまわるジョーカーさまがまじかっけーまじかっけーまじかっこええ。 大爆発。大炎上。 残るのは黒く焦げた残骸と、内面的にも外部的にも大事なモノをぶち壊されてただ呆然とするしかない人々ばかり。 大・爽・快。 この映画の何が素晴らしいかっつって、「バットマンはジョーカーに勝てない」というその一点だ。 ジョーカーが信奉するものは何なのか。その正体はわからないけれど、彼が憎むのは正義がもたらす秩序と平穏だ。そんなのは退屈です。 であるが故に正義を憎む。平穏を破り秩序を乱し、正義の対義である悪意をこそ拠り所にする。 彼は純然たる悪意の塊だ。「悪党」でさえない。悪党ってのはマフィアやらちんぴらのことで、彼らが行う悪行は地位や金銭に結びつく。 しかしジョーカーはそんなもんは欲しがらない。保身なんてものは考えない。保身とは安全であり、安全とは平和であり即ち退屈だ。 故にジョーカーは、ただ純粋に世間を乱し悪意を振りまき、社会を破壊し尽くす。 彼が自らの安全を確保するのは、今起きている「面白いこと」をより長く味わうために、「特等席」に居座るための手段に過ぎない。 そしてそれこそが、バットマンが、恐らくは未来永劫に、ジョーカーに勝つことができない由縁だ。 それは何故か? もしも仮に、バットマンが彼をふん捕まえることに成功したとしよう。 しかしバットマンに出来ることは何もない。ジョーカーの胸ぐらを掴みあげた彼が、「正義の怒り」に燃えジョーカーを撲殺したとしよう。 それはジョーカーの勝利に他ならない。 もしくはジョーカーの信奉する「悪意」の勝利であり、バットマンがその化身たらんと願う「正義」の敗北である。 正義の怒りなんぞといえばまだ聞こえは良いかもしれないけれど、それは仇為すモノを排除したに過ぎず、他者を排除しようとするその心の動きはまさしく「悪意」に他ならないのだ。 バットマンは身を窶し「正義の権化」としてゴッサムに君臨している。 恐らく、ジョーカー最大の目的は、その「正義」に唾を吐くことなのだろう。 故に、ジョーカーは我が身さえを人質として悪の限りを尽くす。 それを防ぐためにバットマンが「悪意」でもってジョーカーを殺害したならば、その瞬間こそが正義が悪に屈した瞬間であり、ジョーカーの勝利が永劫に刻まれる瞬間となるのだ。 なのでまー、映画内容に関連のあることを云うとさ。 「殺して排除」という一番手っ取り早い予防法の取れないバットマンは終始後手に後手に回らざるを得ず、一方でジョーカーは完全に捨て身。 ので。基本的にやりたい放題。 そりゃーもー思う様に悪逆非道の限りを尽くしてまわるのだ。 視聴者はただその悪意の奔流におののきながら身を委ねていればいい。 エーンタテイメーント。 こっから先はネタバレ話になるけど。 船のシーン。爆破スイッチ。お話のハイライトにあたるシークエンスだったけど、それの結末に対する儂の感想はジョーカーさまと同じく「なんだツマンネ」であった。 他人に任せるとホントろくなことにならんねーというか。 今まで胸のすくほどの悪意を見せつけてくれたのに、ここで突然ひとのぬくもり的な人情話に移られてもなんだかなあという気分だったけど、視聴後に少し間をおいて考えてみれば、やっぱりあのシーンがこそダークナイトというお話の肝なのだなと思いついた。 爆破スイッチを「ならば私が押そう。文句は出まい」と奪い取って、脂汗を掻いて硬直。後に結局はすごすごと箱に戻してしまったおっちゃん。 その思考を探ってみると、なかなか面白い。 犯罪者が爆死するのは自業自得。とまで結論がでているのだから、今さら正義の心が芽生えてスイッチを押せなかったって訳でもあるまい。 親指に力を込めたその刹那、氏の脳裏に浮かんできたのはきっと無事に助かった後の世論だったりしたのだろう。もしかすると無責任に糾弾されるかも知らんし。 多数決の結果ではあるけれど、しかし自ら進んでスイッチを押したならばもしかすると彼個人の責任になるかもしれないし。 こっちの船が爆破されてないのだから、実は犯罪者グループの船はもうすでに鎮圧済みだったりするかもしれないし。 何よりも、自分で押したらば、犯罪者といえども、自分の手で殺すことになるのだ。しかも大量に。 等々で。 要するに役得などを含めた思考に気圧されプレッシャーに負けて押すことが出来なかったのだろう。 彼は決して、正義の味方ではなく、 そして、悪党にもなれなかったってことだ。 市民ってのは結局、基本的に、そういうものなのだろう。正義でもないし悪に徹することも出来ない。 ひゃー、うぃー、ごっ。と、少々はしゃぎ気味に予告をしたけれども空振りに終わってしまったジョーカーさまの胸に去来したのは、単なる不満でも有りつつ、裏切られたような心地もあったろうし、もしかすると仲間を手に入れ損なった一抹の寂しさなんかが混じったかも知れないし。ひょっとすると孤独を感じたのかもしれない。 まあジョーカーさまにそんな人間的な側面を期待するのも野暮だろうけども。ともあれ。 正義でもなければ悪に徹することも出来ない人々が支配する世界において、ジョーカーという存在はやはり浮いていて孤独でありフリークスだ。 そして同時に、バットマンもやはりフリークスなのだ。 そのあたりをキレイにくり抜いてみせてくれたあの船のシーンは、まあ退屈な結論ではあるけれども、大事な見所には違いがないのだろう。 えー。その他雑感としては。 ・真っ黒焦げになったコインの残酷さがすげー残酷でたいへん僕好みな残酷さでした。哀切! ・ビギンズでも散々思ったけど、執事のおっちゃんが可愛らしすぎ。 手元に実際のそれを用意せずに要するにバーチャルに楽しむ行為にエアと付けるのはなんというかもう。というわけでエア近頃のギャルゲ。 ・ドリームクラブ。 柳の下にいるらしい二匹目のドジョウに迷わずヘッドスライディングなその志が低いのか高いのかわからん勢いは決して嫌いではないし、 キャバクラ通いのフリーターを主人公に据えた「甘酸っぱくはなくただひたすらに酸っぱい」感じのテキストやシナリオにも局所的な期待が持てそうではあるけれど。 なんというか。こー。 「そもそも俺はお前に興味がない」という問題に盛大にひっかかりそうな品ではある。 ギャルゲがそれでもまだ「ゲーム」という名を穿いている由縁は恐らく、登場人物な女性人格を「攻略」するからであって。 故に攻略する気が起きなければゲームとして没交渉なんだよな。 この、ゲーム目的に対し積極的になれない様を(特にギャルゲにおいて)「おれはお前に興味がない問題」と呼称する。主に俺が。 話題に乗っかるのを目的として遊ぶっつー方法もないではないのだけど、 それを目してゲームを購入した試しなぞ一度もないのでなにをかいわんやではあるし。 てのはともかくとして 「毎晩のように夢の中で呼び掛けて来る亜麻音を追いかけてドリームクラブへたどり付き、会員資格を認められた作家志望の青年・夢野三郎とドリームクラブ店員達との交流を描くオリジナルストーリー」て。 ・アイドルマスター。 「おれはお前に興味がない」問題に対しては、プロデューサーとしてアイドルをマネジメントするという如何にもゲームゲームした目的でもって突破できそうな辺りが心強くはありつつ。 単純な技術力に「シェーダーモンスタァァアー」と呻くためだけに買ってみる。てのもナシではない。 ゆめりあから、いやいや永瀬麗子から、いやいやダンシングアイの頃からナムコが地道に研鑽を続けてきた3D美少女のまさしく収穫期に参加をせず済ましてしまうのは一ゲーム好きとしてあまりにもったいないのではあるまいか。 とか思うんだけど。 次回作はNDSでのリリースだそうだしな。 最先端に触れるというお題目でもって遊ぶには携帯ゲームはちと。 限られたスペックだからこそ発揮できる技術力ってのもあるんだろうけどもまあ枯れた技術の水平思考は任天堂に任せておけばいい気もする。 周辺の盛り上がり具合もたいへん微笑ましく、でもまあ微笑ましいのだから微笑んだまま眺めておくだけでいい気もしてしまうあたりがなんとも。 三浦あずささんが三十路ならとっくに遊んでた気もするがな。 アイドルマスタの成功は寡占事業としての成功でもあろうし。 対抗馬の出現によって今後どのよーな状況になってくかはちょいと面白そうなところではある。 ・ラブプラス。 きたよ。極北。もしかするとあらゆるゲーム会社ん中で本気にさせると一番怖いかもしれないコナミさんが放つ少子化問題加速ゲー。 もちろんタッチパネルは活用するし、マイクを用いた音声認識を強要するといった容赦のなさもすさまじい。 リアルタイムでの時間的拘束はそうした不自由さをも楽しめってことだろうし、音声認識を強要し気恥ずかしさを散々味合わせるのも、「そのへんまで全部ひっくるめて彼女が居る毎日だろ?」って事なのだろうな。 あらゆる娯楽がユーザーへの負担を減らす方向減らす方向で設計されている昨今。英断と呼んで差し支えはないんじゃないですかね。 あんまし賛同してくれるひとがいないんだけど。 例えばホラー映画が「わざわざ怖い思いをするために観る映画」であるよーに、 ギャルゲも「わざわざ気恥ずかしい思いをするために遊ぶゲーム」なのだと思うんだよな。 ゴーヤが「わざわざ苦いモノを食うための食材」であるようにだな。いやこれはちょいと違うか。 ともあれそーいう意味ではこのラブプラスはまさしくギャルゲの本意を遂げてくれるゲームなのではないかと。 とはいえ儂てギャルゲてエロゲも含めて2・3本しか遊んだことないからよーわからん。 わざわざ気恥ずかしい思いをしたい気分でもないので、回避行動をとる必要もなく目前を通過していきそうなゲームではあるのだけど。 しかし上述の容赦の無さや、周囲の環境、あるいは「リアルタイムなギャルゲを遊んでいるおれ」などメタに楽しむにはこの上無さそうなタイトルであるあたり遊びとして面白そうなのは確かではありちょいと被弾してみたくもなる。 ムービーなどで確認するにもうその時点でもキツいから結局はファーボールを選ぶとは思うけど。 それから。ちょいと話がずれるが。 こういうリアルタイムで実生活とリンクする系のゲームは、飽きたときの後ろめたさがちょいと怖くてあまり積極的には乗れないのだ。 楽しめるモノには感情移入をし続けて、むしろ感情移入しなくば楽しめないような体質となった私にはそういうゲームはちょいと重いのだ。 まったく同じ理由で「どうぶつの森」も遊べてないのだよな。 ということを知人にばもらしたら 「でもキミ、どこでもいっしょ大好きだったじゃん」 いや、アレはだって猫だし。もとい猫ならざる人語を解する猫モドキだったし。 それに期限つきだったしなーまあ遊んでる最中は期限があるとは知らなかったけど。 「じゃあラブプラスの適当な娘が実は人間になることに成功した元白猫。 という脳内フィルタをかけて遊んでみればどうか」 目の前の人間が何を云っているのか、理解するのに数秒間要した。 「実は寧々むかしは猫だったのニャ。とかいうイベントがあって。 それ以前からデコピンに過剰な反応をしたりする」 うわニャとか云ったよこの人。 近頃のゲーム事情。ゲーム事情といっても基本はなんかもう「ゲームはオラタンさえあればそれでいいや」という状況が配信以来続きっぱなしなのだけど、しかしお手製ツインスティックの故障率がやたらと高く、オラタンを遊んでいる時間とツインスティックを修理している時間を比べてみると、ひょっとすると修理している時間の方が長くないか……? 等と首を傾げてしまいそうになり、正確に時間を計測しておかなくてほんと助かったとか何も救われてないのについ安堵。 つまり下手すると、僕にとってのゲームってのは「ツインスティックの修理」てことになりかねないのよな。 まあインターフェイスなり操作系に工夫を凝らすのもまたゲームの延長線上にあるとの解釈もしようと思えば出来るし。 我が棺桶たるエンジェのメンテナンスだと思えば(妄想すれば)何とか乗り越えられそうな。 うん。乗り越えられそうな。 ……。 公式ツインスティックー。はやくきてくれー。 その他のゲーム事情。 ・東方星蓮船。 日本の夏はコミケの夏で東方の夏ですか。という呟きの是非はさておいて。 知人の手を借りて入手済みなんだけど、前作の地霊殿の Ex ボスをまだ撃破できてないので未開封のまま鍋敷きにしてます。嘘ですしてません。 東方オタのせめてもの矜持として、Extraをクリアしとかんことには次回作に手を付けられんのじゃよ。 地霊殿のExボスは従来ボスと比較してそう難度が高いわけでもないと思うけど、 気合い避けの比率が高めで、そのへんが壁になってるというか。 ラストスペルまで到達して攻略法も大体確立できたところで満足しておいちゃってを三度くらい繰り返して無駄にクリアが長引いているというか。 まあそう急ぐ必要もないやね。 (とか書いた翌日あたりにクリアできた。ビバ) ・斑鳩。XBLA。 コインを投入すると(起動させると)いとも容易く僕の命(睡眠時間)を吸いあげる恐ろしいSTG。 覚えゲーは褒め言葉ッ! パターンの構築と、そのパターンの遂行と、新たなパターンの模索と発見とがすこぶる楽しい。 この、繰り返し遊び続けることを肯定するために注がれた技術と、それにまつわる妄執と、 そしてゲーム全体を貫く「輪廻転生」という世界観と。メタに解釈できそうな部分は大きいけれど、そのへんを語るのはまた後々に機会を設けよう。 ゲームキューブ版のも持ってたけど、あの立方体を観賞目的以外で物置から引っ張り出してくるのも面倒なので現役機で気軽に遊べるようにわざわざ購入。 でも東方を先にクリアしておきたいので一時封印。 ところで儂の箱○の稼働率はオラタンが七割で斑鳩が三割で合計十割。 なんか時代を一〇年ばかりさかのぼってます。 ・東方非想天則 東方関連のイベントがある度に「緋想天の追加ディスクの発売はまだですかね!」とか叫びつつ実際その通りになったってー運びなのだけど。 うーん。 どうにも、調整に関して疑問に思える箇所が多いというか。違和感ばかりが付いてくるというか。 「固め」やコンボの制限がきつくなりゲームの根幹をなす要素でなくなった。割に、それ以外の各種立ち回りでの選択肢が緋想天からさして進歩してない感じで。 要するに緋想天と比べて出来ることが削れただけのように思える。 その結果、相手が迂闊な事故を起こしてくれるまで強めの射撃や判定の強い打撃を振り合うだけのゲームになってるよーな気がして。 どうにも微妙。 まあこれは魔理沙さんしか使ってないからこそ出てくる感想かも知れないし。 スキルカードの使い勝手大変更やシステムカード大幅追加など新しい要素はたくさんあるし。 発売してさほど間があるわけでもないのだから変に断定しては角が出る。 調整パッチを含めて、まだ様子見かね。 ああでもチルノのバカっぷりと諏訪子さまの可愛らしさはがっちりです。 ・デススマイルズ2 ver3.0 とーりあーえずーおうーちにー かーえーりーたーいー。 は、1の方だったか。 例に漏れず ver2.0 の「つづく…」にぽかーんとしてしもーた人間の一人だけど、それもまあもう遠い話題なので忘れるとして。 アイテムカウントを 1000 溜めて放てるハイパーモードは、攻撃力大上昇に加えて発動の瞬間画面中の弾を全て消去できる。 で。上手くパターンを組んで繋いでいけば1ステージ中ずっとハイパーでゴリ押せるーというお手軽な難度で楽しめるSTGって設計。かな? それはいいんだけど。大復活のハイパーのはっちゃけ具合に比べると初心者救済としては半端な処理に思えるし。その割にほんとずっとハイパーな状態でゴリ押せるから、中級者以上にとってもどことなく半端な印象ばかりが残るのではあるまいか。 とか思ってたけども取り敢えずワンコインオールを終えてみれば、常時ハイパー状態へいかに早く到達できるか等を初めとしてスコアアタックする分には試行錯誤を重ねまくる必要がありそげで、そーいう視点からなら十分に良いゲームと呼べそうな気がした。 したんだけど。 おじさんはしがないクリアラーなのでそのへんはちょいとわかんない。 Ver4.0 になったらばもうちょいと触ってみよう。 ひとつしかないいちごをーとりあってーけんかしーたー。 ・DQ9。 なんだかんだと手間を掛けて、隠しボスのうち一柱である名前にデのつく緑色をしたあの魔王様にやっとこさ出会うもなんか右手だけで勝てちゃったような気分になるくらい楽勝しちゃったあたりで途端に意欲消沈。目標喪失。 だれかLv30くらいまで育てた魔王の地図をフルセットでください。 そもそもがRPGてあんまりプレイヤースキルを求められない世界のゲームなので、 「強いボスキャラに苦労したい」という願望は求めるだけ無体なのではある。 試行錯誤するよりかはとっととレベルをあげてきてくださいという設計がこそRPGのRPGたる由縁だし。 だから、私はRPGに「インタラクティブな妄想誘発ゲー」としての役割しか求めてなくて、 ゆえに。ほとんどのストーリーが収束・終息したあとの舞台に居続けたところで私の求めるモノは見付けようが無いのだ。 でもストーリーそのものはクリア後も延長で続くようで。 週に一回で配信のクエストに何処まで付き合うか頭を変な角度にして悩みつつ、でもそもそもがクエストっていわゆるお使いイベントばかりで、そこに楽勝なボスばかり並べられても味のしないあめ玉を延々舐めさせられるようなモンである。 なのでいっそのこと Lv が1にまで戻る「転生」をば実行して Lv40 あたりにまで巻き戻して遊ぼうかしらとか思うんだけど、 でもなー。 「強敵を倒すための工夫」と、「敵を強敵であり続けさせるための工夫」ってのは、結果は同じであっても心情的にさっぱり違うことになるから、そのへんを割り切るのは難しそう。 とかで煮え切らない態度のまま放置中。 まあクリアまではほんと高い満足度で遊べたから大満足なんだけど。 各種仕様をどんな角度から摘み上げてみても「妥当」や「合理的」な仕様ばかりで、目立った欠点はほぼ皆無で終始快適なままでエンディングまで運んでくれる。 いかにもドラゴンクエスト。 人の手で撫でて作られたような滑らかさ。 DQ9に対する細々とした不満は、「Wi-Fi でマルチプレイさせる予定だったから」てのを当てはめると次々に納得できてったりします。 例えば、職業毎に装備の差違が少なめなのはマルチプレイ時のソロプレイを想定してのことだろうし、 やり込み要素強めの設計なのにその割に職業やスキルが少なめに思えるのも、マルチプレイでは基本的に主人公一人を育てることになるからだろうし。 賢者やスーパースターへの転職可能時期がえらく遅いのも、この二つの職業がソロプレイだとかなり厳しく、初心者が迂闊に手を出すのを危惧してのことだろうし。 「○○でトドメを刺してこい」的なめんどくさめのクエストは、たぶんマルチプレイでおうえんを使わせたかったんじゃないのかな。 等々。 どれも大きな欠点ではなく、微妙に肌触りがひっかかる程度の違和感だから結局は余談。 極個人的にはシナリオも評価したい。 そりゃあまあ。帝国軍の出現はシナリオ的に唐突だし各所にご都合主義な点が見え隠れはするし。船を手に入れてからの果実関連シナリオの薄味たるや「果実って4つまでで良くなかったですか」とか素で云いたくなるくらいではあるし。 ついでに云えば「ゲームの進行を牽引する役目としてのシナリオ」としては凡々たる評価だけど。 でも、孤高の石職人の親父が生涯を掛けて作り上げた大作が「自分の故郷を全て再現した彫刻」とか。 その無言で迫ってくる孤独と妄執に打ちのめされたし。 ついでには、画面にモノクロの効果をおっかぶせるだけで「石の町」を表現してみせるなんてもーファミコンを思わせる容量の節約っぷりが何か堀井節とでも呼べそうなものを感じさせたし。 あとなー。 ラスボスも、「おいおいお前スケの一人が来ただけであっさり解決とか手前ェイザヤールがタマぁ張ってまで為そうとしてた救済は一体何だったんだよ」的な見地もあるだろうけれど、 でも「天使に反応を示して光を放つペンダント」が、悪鬼羅刹の如くなったラスボスを前に燦然と輝くー。とか。大変心憎い演出で唸らされたし。その点に言及がないあたりもまた渋いし。 その後のラスボスの「イザヤールの弟子であるらしいな。彼に伝えておくれ。不出来な師で迷惑をかけたと……」的な台詞でもって「ラスボスはイザヤールがタマ張ってるのを知らなかった」「にも関わらず心を砕く台詞を残した」て展開でさらりと遺恨を晴らしてみせるあたりも結構な手腕じゃないですかと。 思うので。シナリオ……というよりもテキストと呼んだ方が良いか。うむ。 テキストはほんと素晴らしいと思う。 等々で。 総合評価をかなり高いところに置いた上で、ついでにまだクリア後という形でやり残しているモノもついでに棚にあげて儂の DQ9 はいったん終了しておこう。 結局。![]() 件の猫はどうやらおんなのこであるらしく、詳しい原因は不明のままだけど右目は生涯失ったままらしく、名前はウロとされて、そんでもちろん我が家に住まわせることになった。 遠い血統がそうさせるのか、利発ではあるが賢明ではない気質のようで、つまりはやたらと元気で、要するに愛されやすいバカである。 玩畜に相応しい特性とはいえるけれど、こうまで素直に人の庇護を受けることに特化した、ペットに最適な性格のコと付き合うのは初めてなのでかえって戸惑ってしまう。 ウチに来た猫らはみなそれぞれ適当な部分がねじ曲がってたからなあ。 やたらと頭をめぐらせる。 近くを見るのにも遠くを見るのにもぐりぐりと頭を動かし、場合によっては体ごと向き直る。 その動作がいちいち機敏で俊敏で、まあその、愛らしい。 これは恐らくは隻眼を補うための動作なのだと思う。 人の手から糧を受け取り続ける家猫なのだから、隻眼という欠損も生きるに障害となることもそうないだろうし、むしろそれによって愛らしい所作を獲得しているのだからかえって生存に有利と云えるかも知れない。 まあ今どき隻眼なんて個性ですよ個性。 地べたでも平気で寝る。 私の知る猫は、腰(腹?)を落ち着けてる際は必ず何かしらの上に乗った後に丸くなってばかりで、地べたに寝そべらないことを矜持としている節さえあるのだけど。 ついでに、人の顔をガン見する。 私の知る猫は目を合わせることを嫌って、目を直接見ると数秒ほどでそしらぬ顔でそっぽを向くのが常なのだけど。ウロは平気で「なんか用?」とでも問い返してきそうな風情で、別の何かに興味を引かれるまではずっと見返してくる。 まだ猫になりきれてない部分が結構残っているようだ。 人の脚は例外なく味方だと思い込んでいるらしい。 コンビニ付近に棲息していたそうで、そこの客、あるいは店員から施しを受けて生き延びていたのだろう。 他の猫はメシをねだるときぐらいしかまとわりついてこないけれども、ウロは特にようが無くともこちらのスネに体を押しつけてくる。 移動は常に全力疾走。 仔猫らしい部分ではあるけれど、主に直線で構成され区切られてる人家で生きてるからこその直角移動なのかも知れないし、もしかすると人間の歩行速度、というか一歩の広さに合わせての疾駆なのかも知れない。 広い場所でも結局は最短距離を選びそうな猫ではあるが。 眠りが深い。 外敵から隔離されて生きる家猫は全般的にそんな傾向があるけれど。平気で腹見せて寝るしな。 ただ、寝ているときにm手を握って、はなして、握って、はなしてを繰り返す癖がある。 ぐーとぱーを繰り返すのだな。 これが大変愛らしいのではあるが、成長にともなってなくしてしまいそうな癖である。 できれば保持しといて欲しい。 まだ片手にぎりぎり納まる程度の大きさしかない。 撫でてやると、全身を使って体を押しつけてくる。さながら、掌中で勝手に回転を続ける鞠。 体の使い方をまだ覚えきっていない様子で、 例えば進行方向に自分の尻があろうとも先ず前足を動かし、更にあくまで進行方向へ前足をだそうとする。 無論、体の構造的に無理な行為。 しかし生得のしなやかさと運動力で無理を通してぐるりと向き直れたりする。 腹をみせるように寝そべっている時も同様。前転かなにかのようにぐるりぐるりと回る。 好奇心で死ぬタイプの猫だと思う。 風呂に浸かっていると、目を丸くしてこちらの様子を窺ってくる。 そんで、介護用の風呂椅子に飛び移って、浴槽をしげしげと観察する。 で、私が水音を立てる度に、毛を逆立てて全力で逃げる。 一〇秒も持たず戻ってきて、また観察を再開しては、風呂の縁まで登ってきて目を丸くする。 素性の知れないところがある。 どうやら野良の生まれではないらしい。 何せ簡単にトイレを覚えた、というかあらかじめ知っていた。ついでには耳ダニに感染している様子もなく、雨に濡れてはいたがきれいな毛並みをしている。 人に飼われていたのは確かだろう。しかし。 捨てられた(嫌な表現)にしては、兄弟がいない。 猫はまあ四匹ほどいっぺんに産まれるわけで、飼えない事情があるならそれらが一時に捨てられる場合が多い。わざわざ一匹をえり好んで捨てるってのはちと考えづらいだろう。けれども彼女はただ一匹、コンビニの看板の側にうずくまっていたそうだ。 このへんで妥当な線は、迷子猫である。 しかしそれもあり得なさそうなのだ。 話に聞くに、そのコンビニは港近くの、人家から遠く真っ暗な中にぼんやりと浮かび上がるコンビニなのだそうで。住宅地ならばともかく、迷うにしたってどこからきたというのか。 よくわからん。 伺か最萌。![]() だ、そうで。 十周年とのことなんですが。 十年前の自分は十年前の話なんて出来なかったけれど、しかし今では割と余裕で出来てしまうあたりに時間の流れですとか歳月の積み重ねってェものを感じておくべきなのでしょう。 けど。 十年という歳月を、伺かや偽春菜に触れた時期というスケールで見直すなら「ああ、まだ十年しか経ってないんだ」とかそんな感想が出てきます。 特に理屈があるわけではない率直な感想なのでいまいち説明できる感覚ではないのだけれど、 私は偽春菜という存在から透かし見るようにしてインターネットへの触れ方を体得して、それでもってそれ以前とは比較にならないほどの情報量に身を晒すこととなり、それが日常・常態となって。今に至ります。 以降、偽春菜に触れた直後ほどの情報量の広がりは今のところ私には訪れておらず、 いわば人生の転機と呼んでもそんなに過言にゃならなさそうな変化をその時に受けたわけです。 もうちと装飾的にいえば第二の人生とか、そんな? だから。「お前が産まれてから十年経ったんだよ」と言われても。あれ。そんなもんだっけとつい首を傾げてしまいます。 もっともっと隔たってるものだと思ってたなあ。 ま。何かと足の速くなった今の時勢において、十年て歳月は世界を変えるのに十分な時間でもあるのだろうけど。 とかそんな。ともあれ恐縮なことにウチの娘もエントリーを頂いております。多謝。 なんか。ウチのぶとうかがたいへんあいらしいです。 ![]() 背中に映える大黒柱(墨書。 ![]() 元々ぶとうかは扇を装備させるつもりだったんだけど。 棍を装備したときの、敵まで一足飛びに跳んでってそのまま叩き降ろす仕草がかわゆーてフィーリング重視で棒術の道を歩んで貰うことにした。 そもそもぶとうかを入れるかとうぞくを入れるかから悩んでたけどそんな選択も吹っ飛んだね。 攻略的な話をすれば、棍スキルは思いっきり早期に「あしばらい」という敵1グループの動きを封じられる技を覚えられ、しかもぶとうかは素早く大抵の敵から先制を取れるので。ほんとお役立ち。 ただし、棍を装備できる職業に汎用性が乏しいあたり悩みどころ。 選ぶならスキルレベルを100まで育てる覚悟が必要かも知れない。 (そもそもぶとうかなら気合いスキルでいきなりおたけびを覚えられたりするというオチ。 あ。あと、ウチのバトルマスター♀がガチでかわいらしいです。 ![]() や、だってバケツヘルム(とは少し違うけど)は RPG の花形装備じゃん。 ね。ほら。 湖畔で行きあうと失神しちゃいそうなレベル。 ……ちょっと前までは、はがねのよろいにきんのかみかざりを戴いた、麗しの女剣士だったんだけど。 あとは男衆だけど。まあどうでもいいや。 とかでドラゴンクエスト9絶賛プレイ中。ビバ国民行事。 ところで。 世の中を軽い気分で見渡せば、どーしても DQ9 をクソゲだとしたい人たちがちらほらと目に付いてしまう。 極個人的な感想を述べれば、DQ9 がクソゲならば今までのドラクエも全部クソゲになると思うんだけど。 でもまー名作とクソゲって平気で両立するからなあ世の中って。 ともあれ私としてはそんな程度には従来通りのドラゴンクエストなわけです。 相変わらずの旧態依然。変わってる箇所は大なり小なり結構な数はあるけれど、 しかし変革に技術を要したのに同程度か或いはそれ以上に、 保持保存固持の部分にも努力が割かれているよう感じられるので、 やっぱり口を突いて出てくるのは「いつもどおりのドラクエだなー」という感想。 DQ9 の初報で、アクションゲームっぽくなるとの報道があって、 その頃からもう人によっては結論さえだしちゃいそうな具合で賛否両論があったけど、 私的には DQ8 にて主人公の姿が戦闘中に表示されるって変革以上の失望はもはやドラクエに対して抱きようがなかったので。 今さらどこ吹く風。 しかも結局、発売日と同時に PS2 ごと購入してまで遊んでみた DQ8 は相変わらずドラクエっぽくはあったので、 最大の失望を乗り越えた私はドラクエにはもはや賢者になれようかというさとりっぷり。 なんだかんだでいつも通りのコマンド選択方式に落ち着いたドラクエならばなにをか況んや。 とかいいつつ。発売直前までは 「DQ2 のふっかつのじゅもんを覚えるためにひらがなを覚えて、 初めてクリアしたゲームが DQ4 なこの私に、ついに発売日に購入しないドラクエが訪れるのか。 遠い目にもなろうってもんです」 とか呟いてたりしたんだけどーねー。 その他こまごまとしたプレイ最中の所感。 ・堀井裕二氏がインタビューにて「相談しながら遊んで欲しいので、難度はだいぶ高めに設定しました」と仰ってたので 8はともかく。でも6も7も結構な難度だったよね。 ……じゃあ2ですか! 2並の難度を期待してもいいんですか! 期待したのになんか今のところは「どこが?」 ・遊んでて何が安心かというと均一に整えられたテキストの質だねえ。 どこが良いと明確に指すのは難しいけれど、堀井氏の書くテキストは良い。素敵。 まあこの良さは、単純に氏の手腕によるものか、 それとも儂の感性がドラクエのテキストに最適化されてるのかどうかはちと解らん。 冗談半分ではあるが、ゲームって存在を知って以来ずっと読み続けてきたテキストなのであながち否定しきれん。 少し分析めいたことをしてみれば、プレイヤーの視点や興味がどこにあるのかを熟知してるというか。或いはその誘導がうまいというか。 文筆家のしての顕示欲をきっちり薄めつつ出すところではアクたっぷりにだしているというか。 よくわからんごにょごにょ。 ・シンボルエンカウントは妥当ではあるし合理的ではあるんだけど妥当すぎだし合理的すぎだしでよくわからん。 否定する要素はあんましないかな。 未知の敵との遭遇はまあ、見慣れないシンボルがでた時点で感じられるし、 危険な体力で追い回されるのもまた良いし。あるいは敵をすり抜けてMP節約という要素も増えるし。 そもそもドラクエにそーいうスリリングさを期待する方がちょいと的外れな気もするし。したけど。 ついでには練金に必要なドロップアイテムを求めての狩りもやりやすいし。合理的。 なんか旧来のランダムエンカウントには戻れなさそうではあるけれども戻る必要もさてどうだろう。 その一方で、ダンジョンなど狭い通路を用意して敵を回避しづらい場面なんかもきっちり作ってしっかりバランス取りしてるし (半ば無理にでも戦闘させて経験値を溜めさせる意味や、ボス戦までに消耗させておこうというゲーム的側面も強いだろう) 他のシンボルよりも二回りほどでっかい魔物を出現させてプレイヤーをびびらせるなど相変わらずツボはしっかり押さえてる。 ついでには、狭い通路をそのでっかいモンスターがずーんと塞いで待ちかまえているのに笑った。 いいツボの押さえ具合だ。 ところで、このへんの仕様変更で極限クリアや最速クリアはどうなるんだろと思ったけど、 それを考えるのは儂の仕事ではないので考えない。 ・懐かしい感じのモンスターがちらほら出てるのはまあ素直に喜んでしまうところだけど。 その選定基準の謎っぷりが何か面白い。 「おいおいドラクエモンスターズに出演できたことさえギリギリだったろうキミタチ」な顔触れが結構ぞろぞろ。 例えば DQ2 に出演された「ゆうれい」とかね。 「ぐんたいガニ」はギリギリ出ても問題ないレベルな気がするけど、シンボル時にしっかり横歩きしてたのは大笑い。 あとは「おおくちばし」とか。残念ながらさとりのしょを落とす方ではありません。にしても 3D 映えするねえこのコ。 ところで「ゆうれい」とか「まどうし」とかの、ドラキーみたいなコウモリマークって、どこかで「ハーゴンの紋章」だとの解説を読んだ記憶があるんだけど。 相変わらずのコウモリマークなのねお前達。それとも単なる記憶違いか非公式設定なのだろうかハーゴンの紋章。 (そんなにこだわるところでもない説) ・マルチプレイは絵に描いた餅。 RPG ってことは進行の具合に応じてシナリオがあるのだけど、 マルチプレイを行う際、その進行具合はおおむねホストを基準とされるみたい。 この点に問題があって、ゲストとして参加する側は「既にクリアしたシナリオをもう一度やりなおす」か、「未見シナリオのネタバレに付き合わされた挙げ句、もう一度同じ事を繰り返さなければならない」の二択になる。 ついでに、ゲスト参加するには主人公一人しか参加できないみたいなので、経験値稼ぎ的な旨味も薄そう。 要するに、わざわざそれを遊ぶ意味がない。 シナリオを進行させるカートリッジは一つに絞って、マルチプレイのみを遊ぶなんて選択肢もあるだろうけど、 そんなもんが実現できる環境にいるひとなんて何人いるだろうね。 Wi-Fiでの通信プレイが可能だったら或いは実現したかも知れないけど。 まあオフだけでも問題なく楽しいのでそれはそれでだし。 (このへんがいつも通りなドラクエ感を助長している部分もある) 既にクリアした人の手助けを欲するプレイヤーも或いはいるかも知れないしで、餅なりの使い道はあるだろうけど。 とかとか。 あともうちょっとで船が手に入りそうな時点での雑感でした。 梶井基次郎と聞くとギタリストのアール・クルーを連想する。ごつい顔で繊細な芸風がギターの音色と文章との連想かー。良い感性をお持ちだ。 梶井のひとが丸善にレモン爆弾を置いて帰るのと、 ギタリストがライブ壇上でギター叩き折るのとでも対比できそうですね。できません。 ともあれ今度聴いてみますよ。よさげな情報を有難う。 |
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