・ 宵待月黒猫塔。
 
 

・ 読書の秋という語は丁度良い逃げ場。外の様子なんて知らないね。

 まったくで。
 読書に没頭する人を指して、ただ一人の世界に埋没する孤独な姿と呼んだ詩人もおったけど、それに倣えば外どころか外界から逃げることになんね。
 いいね。
 一生本だけ読んで過ごしてたいね。
(別に何があったというわけではない)






・ 秋風。


 と、単語にあるにせよその記号の意味しているところが実はあんまし解らない。
 春風は駘蕩で薫風だし夏風は涼風だし冬風は木枯らしだ。秋風はいまいち浮いている気がする。まあ秋風寂寞て言葉もあるにはあったと思うけど。
 いずれにせよ、軽くびびる程度の冷え込みの中を吹くその風はもちろん温かくは無いが、木枯らしのそれに比べればまだ全然爽やかだ。
 つまり中途半端か。
 それならば好ましい。
 私の住まうところだ。

 この一週間で急に秋めいて、それを通り越しちゃってもう冬支度を考えたくなる程になった。
 先週の同じ時刻ではそんな気配すら無かった。
 空にはやたらと雲が無く、秋の空はつまらんな。と坦懐を漏らしたもんだ。夏の空はいっそあほくさくなるほど雲が沸き立ってるし、冬の空は物理的に高くて遠い。だが特徴の薄さでは春の空のが上回る気もする。少なくとも「春の空」と云う記号は無かったように思う。鰯雲が浮かぶまでの辛抱かも知らん。
「秋の空」と云う記号に対応してるのは「女心」
 とすれば、自動的に私は女心をつまらんものとみなしているのだろうか。
 概ね、そんな気もする。
 年齢が一桁くらいの頃から、男女の内面の差と云うものをずっと疑問視してきた。それが中学時分に、阿刀田高等に色々吹き込まれて「器が違うんだから中身も違ってきて当然かもな」と傾きはじめて、それからしばらくすれば何かもう男女差にまつわる一切が面倒くさくなった。考えるのもよそう。と、していたらば、谷川の俊太郎爺様が何かのインタビューで「女性とは決定的に違う存在。その差異が創作の源になったりもする」なんて云ってたので。思考放棄を選んだ己の無精を恥じちゃって、考えを改めようとしてみたけど。そっからしばらく。また煩わしくなりつつあるのが今だ。
 いいじゃん。もう。男とか女とか種別に分けずそれぞれいちいち個体として認識していけば。それでいいよ。
 等と考えていた頃は、たしか半袖でも汗ばむ程度の陽気だったはずだ。
 昼日向にぶらぶらしてたのもあって、直射日光も照らされて。
 それでも、その日差しは夏の頃の残照に似ていたな。

 寂寞。な。
 私は夏が嫌いで、冬に近づけば近づくほど元気になる。
 それと真逆の人が世の中には少なくなく、まあ統計をとれば概ね二分されるだろうけど。ともあれ、真逆の知人さんがいつだかこんなことを云っていた。ニュアンスしか覚えてないけど、大体以下のような。
「夏が終わって秋が近づいてくる。寂しい。秋や冬が好きな人はこれとまったく逆の感情を抱くのだろうな」

 そうでもないのだ。
 他の冬好き夏嫌いがどう云うかはわからないけど、私はそうでもないのだ。
 季節事に空気の臭いって変わるけど、秋のそれを嗅いだ時、私は反射的に寂寞を感じるのだ。
 秋の日差しは夏の残照に近くて、昼間っからもう夕暮れ時くさい。ガキどもにとっとと帰れと各自治体が注意を喚起するのに定番の「夕焼け小焼け」の放送も「赤とんぼ」と続くのだから秋なのだ。要するに秋は日の高いウチからなんか寂しい時間帯。
 その寂しさだとかやるせなさだとかが、嫌いじゃないのだ。
 終わり際。なだらかな下降線。残照。決して両極には位置できないもの。それらひっくるめた中途半端さ。
 なんとなくな。私の属しやすい世界な気がする。
 でもなあ。
 そんな時期もあっちゅー間に過ぎた感があるよなと。風のばりばり通過する駅のホームでぼーんやり考えてたらば。秋の行楽の遠足だろう。車両一つ分を優に占める量の、黄色い帽子被った、背の高さが私のへそか精々胸のあたりまでの制服の軍団が先生の引率に従ってホームに並んで。他の電車待ち連中がそそくさと他の停車位置に移動するのを尻目にもちろん私はこやつらの乗る車両を選んで。先生に軽く怪訝な顔をされたりしつつしてバイトに行ったのが今日の話。






・ 今回の東方で一番可愛らしいのは魔理沙さんの魔法使い装備のオプションだ。


 ところで今回のマスタースパークはずいぶん細いね。


 秋娘。
 裸足がよい。

 流し雛さんがくるくるまわるのは人形で関節が動かないから。
 だと判明。いや確定。僕の頭ん中で。
 彼女が災厄を人間の元に返すまいとしているのは、人間のためというよりも、単に蒐集家肌なだけな気が少しだけする。あるいは穢れに対する仲間意識? 流れてきた雛と、そうでない雛を分けるのはやはりその穢れなわけだし。
 ただ、この辺の思考はありがちなほのぼのネタに堕すのを忌避した流れが導いたものだろう。妥当ではない気がする。

 河童さんは、やられついでに道案内をしてみるあたり、さらりと気を回せる良いコか、さもなくば停滞に等しい安寧よりも発展を孕む混沌を望んでしまうどうしようもないコか。単に気分屋? 新しい物好きとも云えそう。異端児の類かもね。
 いずれにせよ幻想郷にも文明と云うものに興味を示す輩はいるわけだ。
 弾幕の完成度が解りやすく高い。青く白ピカに光る弾幕は水面のゆらめきでありそれの反射なのね。

 天狗さんは「うざい」と云う言葉遣いが新鮮で面白くて発見だ。ぞんざいな言葉はそれだけ本音に近かろう。今までの物腰はやっぱ第三者として位置を維持する為の、何歩か引いた姿勢だった訳で、(多分)初めて見せたそのほころびからは彼女のプロ意識の強さだとか、己の従事する仕事への矜持みたいなもんがのぞける気がする。
 ところであのぼんぼりは正装かなにかなのだろうか。かわよい。
 手強いと云うよりも楽しいという印象の先立つ弾幕。暴風。

 青巫女の弾幕は奇妙にレトロな感覚を誘われるんだけど、これは果たして正しいのかどうか。気合い避け以外の選択肢がほぼ無い正直な弾幕――もう少し具体的には、単純な密度で圧倒してくる弾幕と、単純な速度で圧倒してくる弾幕。ないし、かなり厳密なパターン弾幕。要素が単一で、複雑ではない。レトロさを感じるのはそこんところだろうけど、でもレトロな弾幕はハードの制約で画面にみつしりと弾幕は表示できなかったろうし。どうだろね。原初に近いと云う言い方をすればそうなのかも知れないけれど……いっそパターン弾幕の多さから、決まった手順を繰り返す、儀式的な印象を受け取ればよいのだろうか。

 いずれにせよ、強い。
 体感では HARD の時点で永の Ln の巫女よりも強いんですが。


 ラスボスと謁見。
 ……ちょっとー。どいてくれないとぉー。魔法使い装備を良い感じに設置できないんですけどォー。
 今回に限った話じゃないけど、とにかく雰囲気に呑まれる。
 実に攻略のし甲斐のありそげな弾幕。
 しかしなんとなく威圧的なサイズにシルエットに、ついでに七色にぴかぴか光ってるあたりとりやまあきらデザインなドラクエのラスボス風味。これは絶対少数派な意見。

 ところで魔理沙さんの。
「さもないと――何処かの誰かが困るんだ! きっとな」
 と云う台詞は、人助けや妖怪助けは二の次三の次で単に面白そうな厄介事にひかれてほぼ無目的にごりごりやってきた事を裏付ける台詞なのか。
 それとも、「何処か」も「誰か」も、実は対象のはっきりしてる――有り体に云っちゃえば霊夢ちゃんへの友愛なのか。
 どっちなんじゃろね。

 青巫女さんは。アレですか。
 外の世界から幻想郷へやってきたってこたぁ、普通にセーラー服きて学生さんやってたんですかね。
 秘封倶楽部ともちょいと繋がりがありそう?

 そんなあたりで。やっとこさ東方プロジェクトは10作目。風神録をクリアしました。と。
 やたら時間がかかったのはきっとHARD開始だったりパワプロやってたり今回の決めボム上等具合に慣れなかった所為だと思います。さもなくば丸一年弾幕ブランクがあったせいだ(三度目の会敵で倒せなかったストーリーボスは初めてじゃよちくしょう。
 いやしかし。4面5面とノーミスで突破できて、これでクリアできなければ首吊るか手首切るか樹海目指すかするところでした。
 それにしても。
 今まで、東方を遊びつつ口にする念仏は「いつもこころに喰らいボム。いつもこころに喰らいボム。」だったけど、今作ではいつのまにか「ボムゲー上等! ボムゲー上等!」になってた。
 ゲームのシステム上、ノーリスクでボムを撃てる場所が散在してるんだけど。これはパターン構築とそれの遵守にまつわる緊張感として寄与するところがあるのか、それともリスクコントロールをあっさり放棄できちゃって大味になっちゃうのか。
 いまいち答えを見いだせないままエンディングまでたどり着いてしまった。
 その結果は十二分に満足のいく緊張感を味わえたから。別に問題として考える必要のない部分な気もするけれど。
 それにしたって。
 ワンコインオール達成直前の、あの動悸まで起こす緊張感はまったく得難いゲーム体験だけど、一体何に感謝すればいいのかね。
 未だに原始の尻尾を引きずるSTGと云うシステムに対してか、それをすくい上げる東方というゲームに対してか、それとも未だ悠々とクリアするに至れないへっぽこな私の腕に対してか。

 いずれにせよ、楽しかったです。
 さーて。次はエキストラだ。






・ KEI画廊さんの肩だし絵は嫌いじゃないけども。


「あの鐘を鳴らすのはあなた。を歌わせたいって釣り餌は見事だと思うんだ正直」

「アッコさんは悪くないよ! というかスルーで通したい話題なんだけど。
 どうせすれ違うしかない話題なわけでしょ?
『これだからマスゴミは』だとか、『しょうがないよオタってほんとキモイし』だとか、
 今回の件以外でもそのまんま当てはまる愚痴を吐いたところで脊髄反射程度の意味しかない」

「一度この目でみてみたい。耳たぶつまむ、若奥様。
 いやまあ、私もね。そんなことを云うつもりはないんだけど。
 だってほら、オタクって語の定義はとっくに放棄されてるから、オタクの正体は依然不明な訳だ。
 だから『オタク』擁護もできんし。同じ理由で叩く側にもまわれない。
 じゃあTV局を叩くかと云うと、ある意味で彼らは仕事に忠実だっただけだし。
 オタクってイメージを既成化して、そんでそれを叩いた。いじめてると云うべき?」

「つまりオタクって言葉は、それを作り上げたメディアの所有物だと」

「そんな感じかね。同音異語とでもいうか。
 極端に云えば、私ら当事者の云う『オタク』とメディアの用いる『オタク』はそれぞれ別物。
 その意味でほんと、実存するオタクと、虚構のオタクを叩くメディアとはすれ違い続けるしかない。
 そうやってメディアは、いくらでも既成イメージを作り上げることが出来るんだね。実存を無視して。
 それはオタクという曖昧模糊とした集団でも可能だし、政治家とか芸能人とかスポーツ選手とかの個人でも可能。
 その部分を実際に考えてみると、嫌な話ですよほんと」

「そんなの、ずっと繰り返されてきたことじゃん。今更な話題だよ」

「そうなんだけどさあ。こうして、ね。事の始まりから順に追えるような時代になっちゃって、
 実際にその手順や『仕事の痕』をまのあたりするとまた嫌な感じの深度が違ってくるわけですよ。
『そこに嫌なモノがある』と知ってても、実際に確認すると『うえええ。やっぱりぃ』てなるじゃん?」

「ゴキブリホイホイ開いてみたときとか」

「ちょっと違うけど。まあね。そんな」

「つってもなあ……悪いのは、メディアじゃなくて、TBSというか、番組だったんじゃないの?」

「あー。まーねえ。アッコにおまかせってお昼のおばさま向け番組だしね。モロだね。
 じゃあ NHK ならどうか。我らが国営放送」

「NHK は……だって、真面目に作っちゃうもんなあ。答え見付けちゃいそう」

「あー。そうだね。アレに否定的なオタのいいがちな、
『本物の声優に歌わせれば?』って揶揄を、根本的な疑問にしちゃって、答えまで見付けちゃいそうだね」

「国営の利点であり義務だからね。真面目に撮るしかない。ってのは」

「『彼らは何故、機械に体温を求めるのか』みたいなさ。『合成音声に、感情のこもる日はくるか?』の方がいいかな」

「そんで糞真面目すぎて、結局だれにも向かない絵になるわけだ」

「いいね。やっぱ我らが国営放送だね」






・ 処分した本、漫画はやっぱり読み直したくなる。選んだはずなのに。

 私の好きな現代詩人は「ブックオフを貸し本棚だと思えばいい」て云ってただよ。
 もちろん処分に弾みをつけるための讒言(?)だったですが。


・ 帽子とカメラを持っていれば完璧<タンクトップに近いシャツからたくましい二の腕を出した

 今の私だとシルクハット状の帽子しか浮かばない面白図。
 せっかくだからカメラも蛇腹式とかにして欲しい。


・ SSってどっから読めるんだろう

 IIコンのマイクに叫んでみて。

 いやごめんなさい。このサイトの改装時に一時撤去してそのまんまですわ。
 えーと、SS って呼び方をするてぇことは東方wikiからいらした方ですかね。
 東方のにかかわらず、今まで公開してきた同人とか全部手直しして再公開しようかなーと云う予定だけがちゅうぶらりんの状態でして。
 尻に火を付けるつもりで、せめて東方関連のだけでも公開しておこうかしら。
 と、ごそごそしてみれば。一番新しいのでも3年近く前のになったり html で保存しているものがなかったりで。
 SSとも呼べないものなら書いてる最中だけど……えーと、せっかく興味を向けて頂いたのに申し訳ないですが、もうしばしご猶予を。
 ふっかつのじゅもんを再入力するか、さもなくば忘れた頃にまた訪れてみてください。






・ いや。


「マンガ買ったらいつかは捨てにゃならん」なぞ小学生でも悟っている無常を何を今更再確認しとんのかって話ですがおじさんこの年になるまでずっと真剣に片付けなんかしたことなかったのよ。
 あるいは今でも無いのかも知らん。まだ片付け、済んでないし。
 とっとと家政婦さんを雇える身分になったほうが色々な物の為だな。






・ おもちゃ箱と墓場。本棚と棺桶。


 七月。本棚を買わないと部屋が片付かないな。
 八月。本棚を買ってきた。
 九月。本棚を組み立てないと部屋が片付かないんだけど、部屋を片付けないと本棚を組み立てられない。


 さて今月の本棚はどんなかしらね。
 などと悠長な姿勢でいるのもいい加減飽きた。部屋を片付けた後に開始する予定のタスクもずいぶん溜まってしまったし(なんせ7月から溜まりっぱなしだ)今月の頭にはちょいと真剣に清掃を続けた。有数の家具を避け払い、捨てるのを後回しにしていた不要物を分別してゴミ袋にまとめ、我が部屋の構成比の8割を占めるゴミを地道に集めて。その一環に、床に直に累積する本を一時的に退避させようと古本屋仕込みのロープワークで縛り上げて、廊下に並べおいた。
 そこで力尽きて。しばらく。思うよりも先に口を突いて出た言葉がある。
「……捨てちまうか。マンガ」

 十月。本棚とか要らん気がしてきた。

 マンガと一緒に思考や労力も放棄してしまえ。と云うことである。確かにちょうど、掃除に飽きて疲れてくる頃合いであった。
 しかしそれは、短絡で安直で惰弱な発想ではあるが、それだけ問題解決の最短路であり、ついでに問題の本質を掴んだつぶやきでもあったのだ。

1.マンガを追い出せばそんだけで部屋がある程度キレイになる。
2.マンガって身近になくても全然困らない。
3.買ってきた本棚ではマンガが収まりきらない。

 冷静に考えてみても上記三つの問題をクリアできる、確かな方法なのだ。
 部屋の清掃にかかるリソースを大幅に削減することができるし。新たな本棚の購入にかかる費用もまた不要になる。
 選択肢としては十分に魅力的だ。
 が。
 しかしいまいちそれの実行に踏み切れないまま、本を縛り上げたままでしばらくだらだらと過ごしてしまった。棄てるか否かを決めなければ、掃除を次の段階へ進めることができないのもあるが。
 ともかく。その踏ん切りの悪さを少し観察すれば、なるほど面倒な思考がいくつか浮かんできた。

 マンガを不要なものだと認識することそのものが先ず面倒なのだ。
 
 いままではマンガの購入にあたって、「要不要」と云う材料を検討したことはなかった。読みたいマンガを、私の部屋でぐだぐだに横臥しつつ読みたいが為に買っていた。何故かと云うと、それを考えることは結構にめんどいことなのだ。
 要不要とはつまり「手元に置き続けたいか・再読性は高いか」であり、それを考え始めればそれの「保存期間」もセットで付いてくる。さらには本棚の空き状態も考えなければならないし、それら要不要の度合いに応じた投資額もまた懸案として浮かび上がってくる。
 如何にも面倒だ。
 だから、それとは無縁でいられるよう、本やマンガはおおむね無造作に扱ってきた。
 しかし、捨てる物・保存する物と選別をしてしまえば以降、「要不要」と云う概念から離れられなくなる。
 一度マンガを捨ててしまえばそれで最後。
 私は以降、気軽に本屋さんの本棚からほいほいと読みたい本を抜き出すことが出来なくなり、そして継続的な整理と整頓と維持とを強いられるようになるのだ。
 如何にも面倒だ。

 そういえば。思い出した。
 そもそも私はそんな理由で今まで本棚の購入を躊躇ってきたのだった。
 図書館にあるような整然と整頓されたそれは好きだし、古本屋さんにあるような、大雑把な分類で雑然と並ぶそれも好きなのだけど。しかしそれは程度の差こそあれ維持の為の働きかけの上になりたつ好ましさなのだ。
 私がそれをできるとは思えないのでな。
 それに。偶にだけど。私は私の買い貯めた本が、私の出した老廃物みたく見えることがある。
 澱の様にこびりついた垢だ。だからこそ棄ててすっきりしたくなる。
 本棚なぞ所有してしまえば、そんな気分になったときに逃げ場が無くなる。
 そしてそんな気分になってない時でも、整理が行き届かねば、本棚はあっというまに埃を被る。
 私は、私の愛する書物が、明らかに長年手に取られてない様子のまま埃を被って居並んでいるところなぞみたくはない。

 じゃあこまめに掃除すりゃいいもんなんだけどね。でもそんなめんどくさいこと私が出来るはずないじゃないか。
 だからまあ、今までは、読後、積み重ねるままに放置しておいた。所有しながらも擲っている状態だ。
 それが一番、精神衛生も良いし。ついで面倒ではなかったのだけど。
 けれども。その結果、堆積した本により文字通り足の踏み場をなくして。本を踏みつけなければ歩けないような状態になって。そのうえさらにコーヒーをこぼしちまって、酷い有様になってしまえば。状況の改善を試みるしかなくなるじゃないか。

 んだから。
 最初は大型の本棚の購入をもくろんだのだ。
 私の部屋にある本を、無造作に突っ込んでいけば全部呑み込んでくれるようなものを。整理という言葉から意図的に遠ざかり、意識しないよう努めることでそれら労力と無縁のままでいよう。と思ったのだ。
 しかし。いきなり大型に手を出してには失敗のリスクが恐かった。まず資金面の問題がある。大型の本棚ってなあ、物を選べばたかが知れている値段だが、それでもフリーターの身としては高額な買い物になる。あんまり失敗はしたくない。そしてもし失敗してしまえば……部屋に置き続け、ずっと目に付く物なのだ。ドンと買って目に障るような調度であったら、それに費やした資金も相俟ってどれほどの不快になるだろうか。
 なので。さしあたってというところでやや小振りな本棚を購入したのだが。
 その妥協が余計だったのだ。
 適当な落としどころを見付けたつもりで購入した本棚は、当初に回避するつもりだった「整理するリスク」をそのまんま体現したかのようにこんまい。

 ……あー。
 どうしたもんか。
 まあ。どうしたもこうしたも。現実的に。今でなくともいつかは不要なマンガを処分せにゃならなくなるのだ。ならばそれが今であっても構うまい。なので本の整理・処分はもはや確定事項なわけだけど。
 部屋の清掃に関してはまた。

 十一月。本棚を買い足す。

 を、待つことになりそうだ。






・ いっそ週に一度の更新と定めればいくらか更新状況もマシになろうかしら。そうでもない?






・ アリスが出てきた下りを読んでそういえばぐしゃさんはお話を書く人だったと思い出した


 思い出された!
 て云うか忘れられてた!






・ ついったーは。


 どうにも継続できない書録の代用として丁度良いかもしれない。と。思って登録したんだけど。日々のつぶやきメモもそこそこ面白そうなのでそちらをちまちまと書きこんでみた後に、書録とつぶやきとが一緒くたに混じるのはあんましうまくないと気付いた。
 いっそもう一つアカウントとるか。
 と思ったけどそれも面倒で。
 それが面倒になってくると日々のつぶやき更新も面倒になってきてと。

 ソーシャルネットワークな使い道とかほんと眼中外ね。






・ 古本屋バイトの或日。


・予備知識。古書の汚れは、おおむね消しゴムで落ちる。薄くかぶった埃とかね。

 やたらと勤務時間を少なく感じた日。
 勤務時間は、客観的に云うと朝10時から晩8時までの、お昼とおやつの休憩を挟んだ10時間。
 体感で3時間だった。
 3時間しか働いたつもりはなくとも、客観事実に従いお給金はきっちり10時間分出る。いっそお得なモンであるが。
 理由はわかっている。
 岩波さんの、「日本古典文学大系」を仕入れたので延々消しゴムをかけていたのだ。
 知っている人は知っているだろう。「古典文学」の下に銘打たれた「大系」っつーあざなは伊達じゃない。
 最古の歴史書は古事記から始まって万葉集に古今和歌、源氏物語に枕草子に方丈記に東海道中膝栗毛、川柳に浄瑠璃に歌舞伎に落語にとほんともー古い文学の一切合切を収めて余さず校注を付けたっつー大作だ。
 全100巻ある。
 索引も含めれば101巻だ。
 全部の函と表紙とに消しゴムを這わせた。
 私論だが、時間の経過てなあ、体感であり、要するに目に映る変化の多寡が早く感じる・遅く感じるの要因の一つだろう。例えば、秋の夜長って云うでしょう。アレは早くに日が落ちて、目に見える変化が少なくなり、時間の経過を実感しづらくなるからより夜長に感じるのだな。
 いやまあ、実際に長いんだけどさ。
 ついでに云えば、体の疲労なんかも時間経過の指標だろうな。お腹がすいてきた。ってこたァもう昼飯時だろう。てな具合でさ。

 要するに。私は10時間延々、本の表紙ばかりを眺めて過ごしていたわけだ。
 消しゴムを握った手の先ばかりを動かし続けて10時間。
 おかげで今、右手が痛い。


・さしたる根拠があるわけでもないのに、しかしオタクはオタクを確実に見抜ける。

 と云う話を実感する機会があった。
 来店したのは、タンクトップに近いシャツからたくましい二の腕を出した、体格の良いおにいさんである。
 本棚の合間から見えるその姿をみただけで、なんとなく直感があった。
 けども。さしあたって自分の妄想にゃ頓着せず、本の清掃作業を続けていると。そのにいさんが訊ねて曰く。
「日本刀の本はどこにありますか?」
 あー、日本刀でしたら古美術にあたりますから、そちらの棚に。
 と、案内したところで、すぐそばに店長が居たので日本刀に関する本をお探しのお客さんがー。と呼びつけて、私はカウンターに戻って仕事続行。
「古刀ですか? 新刀ですか?」から始まって。「日本刀に関する本は確かに値が張るんだよね。刃紋とかみる必要があるでしょう? だから〜〜印刷っていう特殊な印刷技術で……」等の漏れ聞こえてくる話が少し面白かった。
 にいさんはその後、ライトノベル等が置いてある棚をやや熱心に眺めて帰って行かれた。
 ……絵描きさんで、資料探しだったかな?


・京都に行く予定がある。

 今月の、後ろの方の三連休だ。土日祝は図書館勤務なのでお休みはそちらに申請してある。
 ところで、もう何度か云ったと思うけど、古本屋さん勤務ってのは重労働だ。例えば古本市なんかがあったりすると 1000kg まで積めるワゴンに、明らかに積載量オーバーな量をみっちり詰め込んで持ってたりする。これら搬入に用いる機材はきっぱりと台車だけで、後は全部自力根性の手作業だ。1000kg つったらつまり1トンだ。おそらくはそれを上回る量の本を担いで詰め込んで、その日のウチにおろして、そんでその日のウチに並べるのだ。
 しかも持ってったからには、持って帰らねばならない。
 で。
 お店に行っておはようございますと挨拶をして。コレを貼っといてーと渡されたポスターは今月の古本市の告知。ああそうか、今月もあるんだよなと確認してみた日付の最終日。つまり持って帰らなければならない日付は、後ろの方の三連休の最後の日。
 ……えーと。
 古本屋さんの方にはまだ「京都に行く」とは告げてない。
 つまり。図書館仕事の振りを決め込めば。バックレかませる。
 訳であるが。
 ――そうとなると。手伝いの手はどうなるんだろな。私の参加したときは3人でえっちらおっちら運んでたんだけど。つまり私が来る前にはどうしてたかって話で。……男の子がいたんだっけたしか。まあ、そのコの手伝いが期待できなくなったから私がココに居るんだろう。このお店の労働力っつったらもう残るのは女の子ばっかだしなー……。3人と2人じゃえらい違いだ。なんせ6本の手が4本になるし。
 いやまあ、3連休の最後の日はどうせ移動日に当ててるから、早めに帰って手伝うくらいの余裕あるだろうけど。……でもなあ。旅から帰っての重労働ってなあ。
 ……つってもな。
 足の数も含めりゃ12本が8本になっちまう訳だし。
 別の労働力があるかどうか確認する意味で。こっちから訊ねようか。「古本市撤収の日、私、京都に居るんですけど。早めに帰ってお手伝いしましょうかー?」的に。うん。それがスジだろうかな。でもなー。それで遠慮されると云うのも何か。

 とか考え込んでたんだけど。仕事してたらすっかり忘れててその日のウチにシフト表組んでた店長さんから先に訊ねられた。
「撤収日、図書館に居るんだよね?」
 先の打算が諸々ありつつ、失念してた衝撃も含めてうっかり「京都にいます」と言い損ねた私の返事は以下の通り。
 あ、ウィッス! そですね祝日スから!
「何時まで?」
 えっと、14時から18時までですね! 6時までです!
「じゃあ、六時半にはこっちにこれるね? しんどいだろうけど、お願いできる?」
 ウィッス! 行きます!
「あー、そう。じゃあ、土日と仕事続きだろ大変だろうから金曜日を休みにとって貰って――」

 言い損ねた。
 いや。まあ。どうせ手伝いに行く方向で心積もりしてたから構わないんだけど。
 なーんとなーく。恩を売り損ねた感。






・ ひがしのかたの、かざかみさまのおんきろく。


 ――と、いうわけで。流し雛とはつまり幼き子の身代わりなんですね。この日本にはかつて「7歳までは神のうち」なんて言葉もあったぐらいで、つまりそれだけ乳幼児の死亡率はたかく、いつ「神隠し」にあってもおかしくなかった訳です。だから、人の形をした雛人形に様々な災厄を背負ってもらい、川に流す。自分の子供の代わりに神様の元へ行ってもらうんですね。
 親御の願いをたっぷり抱え、およそ七年分の災厄を前倒しに引き受けた、神様のものになる筈の人形。それが流れ雛な訳ですが、それを不用意に拾うことが如何に恐ろしいことであるか……漠然とではあれ、理解いただけたと思います。
 さて、それでは。その辺りの諸々を踏まえたうえで、ここ幻想郷における人形遣いの大家、アリス・マーガトロイドさんにお話を伺ってみましょう。

「え? 流れてきた人形? 拾うわよ?」


 そんな訳でノーマルで開始したところうっかり初見で4面ボスのカラスさんを撃破してしまい慌ててポーズ→タイトルに戻るを選択したりしつつの東方は10作目の風神録。
 そんでやっとハードで5面到達。ライフ5つ消費してやっとカラス撃破。
 楽しい。

 私自身のこのへんの、「ゲームは苦労してナンボじゃー!」て姿勢もはてさて如何なモノかと近頃思い始めたんですが、でもまあ、インストールして最初に触ったコントローラーを離さないうちにエンディングにいたるのは単純に、もったいなさを感じるよねーて辺りで妥協することにしましタ。

 そんな姿勢のせいか、それとも丸一年の休養が確かな効果を及ぼしたのか、新しいスペルカードをめくるごとに感じるこの威圧感こそが東方を他の STG と隔てている一線よねーなどさしたる根拠もなく定かでもないことを呟きつつ。それでも今回のスペルカードは従来作以上に凝ったモノが多いように感じるね。河童さんの弾幕は水面のきらめく反射だし、天狗さんのは吹き荒れ渦巻く旋風じゃよまさしく。
 

 

 

  ・ 旅行ば。


ひねもすよもすがらなつのそら

アーティストでありクリエイターでありエンターティナーであり

本なら何でも揃う。揃うったら揃う。

あつまれダメ人間ども

真物の呼気。

人工物、神々しく。

横を向かなければ目を合わせられないものども。
 

 


  ・ まあ、そりゃあな。


 その場から生還した当事者さんでさえ、60余年考え続けて、それでも答えをだせていない問題なのだ。
 私なぞでは感想さえ抱けず当然なのだろう。

 小学生時分は、いっそそれでも構わないのだと考えていた。
 修学旅行の原爆資料館の感想はただひたすらに「怖い」の一語だった。
 単純で根源的な感想未満の感情。戦争を忌避するにはその生理的な恐怖感だけで十分だと思った。
「原爆のおかげで戦争が終わった」なんてしたり顔で云いたがる級友とは馴染めなかった。前日に被爆者の語り部さんの話を聞いていたせいもあるだろうし、そんな理由で肯定してしまえば、いつかまた、それと同じ理由でもう一度原爆が降ってくるかも知れないし。かと云いつつ、「人一人の命は地球よりも重い」なんて言葉にうさんくささを感じたがる年頃でもあった。
 だから、「ただ、怖い」「戦争をしてはいけない理由は、怖いからだ」と云う感想は態度を決める必要もなくて。如何にも寄りかかりやすかった。

 戦争には感情でもって反対する。
 今でも偶にそれで構わない様な気がしているけれど。
 戦争ってのは政治行為に他ならず、とすればそれは理性の範疇の行動だ。理詰めで計られ、利害関係で画される行為であり、合理的であると判断されればそれは執行される。
 理性のみの世界である。
 それと対立するには、確かに感情がもっとも選びやすい手段なのかもしれない。
 けれどもしかし、集団に理性は存在しない。
 人が沢山いればそれだけの思惑がまじりあう。それら思惑と云う名の方向性が戦争という一つの方向に向けられたとしてもそれは奔流だ。絡まり合う利害関係の摩擦熱で煮えたぎるスープであり、理性で統御しきれるような事柄ではないのだ。
 とすれば、それは結局、感情と変わりはない。
(イラク侵攻なんかはそのまんまヒステリーの産物(にみせかけられたもの)だったし)

 だから結局。何を思えばよいのかさえ、わからなくなる。
 以上。NHKの硫黄島のドキュメンタリの感想。
 

 



・ 更新の長期停止を謝罪する感性は私にゃ備わってないのだけど。



 あれ。そういえばここんとこあの人のサイト更新してないな。
 と思ってブックマーク代わりのアンテナで確認してみれば自分のが更新停止期間が長かったりとか。
 
 でも一月分くらいの停止ならそしらぬ顔で通せる気もする。
 つかず離れず。
 烏合と離散。
 検索ワードさもなくばアドレスを打ち込むだけで繋がって、Deleteキーいっぱつで切れる関係の世界。
 だからどうとかは、あんまし、思わない。





・ 今回のパワプロ。


 12・13での試行錯誤が実ったのか、投打を始めとしたシステム周りに破綻がなく、さっぱりとまとまっているように思える。
 ミット画面が無くなった件に関して個人的な意見を云えば、それで正解だと思う。そのシステム一つを変えるだけで、打席に立つ人間の「考えねばならないこと」が格段に増えるからだ。
 前作ではそれのフォローとしてストレートの体感速度を下げ、結果各所で不興を買ってたみたいだけど。その反省は十分に活かされてると思う。

 150km台のストレートの速さが、もー、素敵でさー。ボタンを押すタイミングだけ合わせて後は着弾点に向かって必死にバット振ってくしかないの。緩急つけられたらもうどうしようもなさそうね。これで160kmのストレートとかだされたらほんとどうなるのかしら!

 とかで。要するに。速いまっすぐな球がしっかり武器になりうるのは良いことですね。と。
 難しすぎて打てなーいとか抜かすアマちゃんはバントでホームランでも打ってて下さい。


(肝心要の)サクセスに関して云えば、3人ほどプロ入りさせてみたところそこそこバランス良好だと判断。育成理論さえ固まればオールB位の選手なら量産できそうで、しかしオールAは生半には作れなさそうっつー理想値っぽい。
 1人当たりの育成時間が小一時間ほどに抑えられてるのも嬉しいか。
 ただ、それだけストーリーが薄味にも感じられるけど。これはまあトレードオフだろうな。濃くても短くてもどっちでもありがたい人間としてはとりあえず歓迎するところだ。

 ……64の時代のなー。1人作るのに3時間からかかるってアレはなー。そりゃーもー。楽しかったけど。それでも「今やれ」って云われると。……ちょっとなー。

 ただ不安なのは育成の幅ですかね。今までの経験上、良いサクセスモードってのは、確立した育成理論に沿いつつもランダムに起こるイベントや友情練習の成否の具合に応じてその都度柔軟に方向性を変えて行くーって事が出来る程度に選択肢のあるものが理想なんだけど。
 今回のサクセスは短いだけに幅もそんなには無さそうで、育成理論が確立しちゃったら後は単調な作業の繰り返しに陥る危険もありそう。従来作みたいに初心者救済・実力重視・運重視の複数のチームから選択――と云うフォローもなさそうだし。

 あ。そうそう。高校球児らの監督になる栄冠ナインモードは「普通に楽しい」スよ。地味な作業の繰り返しなので好みを選ぶだろうけど、一定ライン以上の野球好きさんなら確実に楽しめそう。

「栄冠編で、今までで一番優秀なプロ入り選手は(選手ステータス)かなー。優勝経験も持ってて、3年の夏にホームラン5本打って清原と並んでさあ」

 等と語ってる人がいて微笑ましかったス。
 このコメントで向き不向きが判断できると思う。

 あ。強い選手つくれなーいクソゲーと仰る向きはエディットモードのあるゲーム遊べばいいじゃない(マリー。






・ エディタを起動した日とエディタを起動しなかった日。






・ 書くこともなく忘れていった記憶はそのまんま消失である。


 筈なのに、蓄積や堆積と云った言葉を選びたくなる私の精神構造。
 うずたかく、うずたかく。






・ 無糖のカフェオレ。


 いっそそうした中途半端が望ましい。






・ それでも結局「いま、幸せ?」と訊ねられたと仮定した場合わたしの返事は。


 え?
「いま幸せかなーって」
 なに?
「や、君がいま幸せかどうかと」
 すまん、もう一度云って?
「いや、だから幸せかと」
 ん? なんて云った?
「……えーと」
 あれ? どうかした?
「幸せですか?」
 ごめん聞いてなかった。なに?






・ あー。


 夏来たりなば冬遠からじ。






・ 七夕。


 コンビニさんとかがあんまし賑やかじゃないねと思ったけどアレか。食い物に繋げられないからか。
 せいぜいコンペイトウくらい?
 織り姫様の別名が細蟹姫だけど、だからっつってカニ食うわけにも行かないし。いやそもそも細蟹ってクモのことだし。
 でもカニカマボコは食べた。






・ なんとゆー豊かな情景を含むお話であろう。


 人の手で作られたモノでも、人の手から離れてしまえばそれは天然のモノとさしたる変わりはないよな多分。渡り鳥のように、空の底を往く雁の群れのように。しかし彼らには目的地も終着点もなく、ただ一途に旅を続けて行く。旅のみの為にただ旅をする真性なるバカボンドだわよ。
 ちょっとニョロニョロを思い出したなー。
 

 



 
web拍手。"


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