しお誕生まで

1968年(昭和43年)4月から6月まで毎週土曜日の午後2時から4時、県庁敷地内にある県農林会館

にて手話講習会が開かれました。受講生は7人位、呉の関係者は2名でした。その年の9月呉中央公民館で

手話講習会が始まり、講師は広島大学教育学部ろう教育専攻3年生の林さんがされました。受講生は、始め

の年は4・5人でほとんどが林さんと同じ広大の学生でした。次の年からぼちぼち社会人の参加があったり

して7・8人がその倍近いろうあ者とお喋りをしながら手話を学習していきました。

 1970年(昭和45年)ごろから手話グループとしていろんな所に参加していきました。そのころのこ

とを少し紹介したいと思います。

1971年

  2月7日〜8日 第1回中国地区手話サークル研修会を呉で行いました。

その報告集を全国ろうあ者大会で販売しました。

  11月14日  庄原市にて手話研修会が開催されました。

          参加者は行政関係者・ろうあ者がほとんどで手話学習者

は5名(三次手話グループ2名・呉手話グループ3名)

と少なかったです。参加していませんが文教女子大にも

手話サークルがありました。

講演内容は、@ろうあ者の福祉行政についてを県の福祉

課の方が、Aろうあ者と手話通訳活動について故住吉重

治連盟長が話されました。お話の内容は、今でも通用で

きる古さを感じさせない内容でした。

1972年

  2月20日   府中市文化会館にて第4回文化講演会が開かれる。

          この時の講演者として、浜田ろう学校教師で前中国ろう

          連盟長の藤田威氏でした。

           スローガン

            1.ろうあ者のための専門相談員の設置を実現しよう。

2.手話通訳者の制度化を図ろう。

3.広島県ろうあセンターを建てよう。

4.すべての聴覚障害者は手をつなぎ団結しよう。

5.すべての聴覚障害者の生活と権利を守ろう。

6.自動車運転免許を獲得しよう。

 2月1223日  第2回中国地区手話サークル研修会が米子で開かれまし

た。

  3月5日    福祉大会が広島市社会福祉センターで開かれました。こ

の時、「風紋」という映画を字幕付きで上映しました。ま

ず、せりふを書いて、OHPを使ってスクリーンの下側に

文字を写す方法で上映しました。

 このような積極的な活動が手話サークルを誕生させる原動力となりました。手話サークルを作るにあたり

名前を考えました。「しお」という名前は、クリスチャンの方が、聖書の『地の塩』(世のため人のために

つくしなさい。)の一節から思い付かれました。「塩」は、人間が生きていくうえで欠かすことのできない

もの。また味を引き立てる隠し味の役目も持っている。ろうあ者にとって手話はこの「塩」と同じように生

きていく上で欠くことのできない大切なものです。
手話学習者が後ろからろうあ者を支援し、ろうあ者の人

権・生活を守るというサークルの目的に合ったよい名前だということで「塩」に決まりました。「しお」に

なったのは、指文字で「し」「お」と表していたからだと思います。また、やわらかいイメージを受けるか

らという声もあったと思います。

                                (「しお」25周年記念誌より)
このようにして,手話サークル「しお」は,1972年4月1日創立されました


サークルしおの誕生にあたって
呉手話サークル”しお”に期待する
(サークル新聞創刊号より)


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