石巻ボランティアセンター ブログ
◇◇ 六人会、東北応援 先発隊速報 ◇◇
 不謹慎なれど被災地域の状況や仲間の様子を自分の目で確かめたいこと、そして少しでもお役に立てばと無理・無駄を承知で出向いた。
 4月9日(土曜)大阪伊丹から山形空港へ。当初はレンタルバイクで仙台入りを考えたが、申し訳ないことに山形まで迎えてもらうことに。結果、大変な迷惑をおかけすることになったが、3月11日の発生からちょうど一ヶ月の節目に訪問でき、今後の人生や仕事に大きな教訓を得ることができた。
 住む場所は勿論、産業と雇用の場を持ち去り、広範な地域で生活基盤をさらった地震・津波被害の現実に対して、日本全体で復興を行う必要を改めて強く感じた。ボランティアに関しては、地域によって受け入れ態勢や活動の効果も異なると思われるが、石巻で体験させてもらった限り、素人でもやれることは沢山あるし、地元も求めておられることを実感できた。
 以下に訪問速報として、被害そして見聞きした一部を報告します。
 (ヘッドのロゴは石巻V・Cで頂戴したステッカーの一部)

報告ダイジェスト(スライド)
□ 陣中お見舞い
▲安井さんの筆で六人会からのお見舞い品を・・▲ ▲お孫さんも爺に寄り添って▲

□ 仙台市内
  多くのホテルは休館▲  ビルの損傷状況▲
しかし、あれだけの揺れにも市内中心部は耐震がしっかりしている感じ・・
▲仙台市内駐車場エレベーター
被害の中で、可能な限りサービス提供されています
ガスが復旧せず給湯・暖房が提供できない中で、復旧作業者や支援者を受け入れてくれたホテル客室で・・。電気ポットの湯たんぽで暖(右)


□ 街、配電設備、産業設備の被害状況
柱は一本もありません。また電気を届けるお客様も・・
無念極まりない光景が続く(仙台市若林区)▲
▲架台から離され漏油対策されたポールトランス(石巻)
広範な被害エリアながら初動がきっちり行われている
▲“揺れ”よりも津波によるものと思われる損傷(石巻)▲ 製紙工場(石巻) 水産加工場(石巻港)

□ ボランティア参加の様子
 石巻専修大学内に設けられた「石巻市災害ボランティアセンター」へ。石巻災害復興協議会(石巻社会福祉協議会)が、センターに駆けつけた多くのボランティアを民生・公共施設の緊急復旧支援先にバス等で誘導しており、我々は住吉小学校の泥出しを手伝った。
 現在、住吉小学校の健全教室は地域の方の避難先となっているが、一階の職員室・体育館などは水没し、ヘドロが分厚く堆積していたとのこと。
 当日は、校舎外の花壇や運動施設のヘドロ除去を中心に役30人が作業にあたった。北海道からの小学校5年生、千葉からテントで自炊する72歳(私より一回り大きい寅年)の先輩・・そして多数の若者・中堅、なにより連日ボランティアに参加する遊佐爺と一緒の作業に背筋が伸びる思い。
 学校周辺の被災家屋の復旧支援とともに始業式までに少しでも良い状態にと連日作業が続いている。
▲事前に参加届けを ▲水没跡が残るバックネット ▲始業式は4/21・・ ▲泥の堆積状況
▲作業前、正直ため息。
表面の色は変わりつつあるが、内は一ヶ月たってもドロドロ・・
▲ボランティアの中には、北海道からの小学生の親子連れも。お父様が特別の指示をするでもなく、自分で仕事を見つけて大人と一緒に黙々と作業をされていました。
スコップ作業、土嚢袋の交換、袋口の支えなど本当に頭が下がります。
▲泥は乾いた後の飛散防止のため土嚢に詰めて集積場へ(安井さん) ▲作業後、少しの達成感・・
でも、被災全体からはほんの一部
もっと滞在できれば・・ゴメンナサイ
▲遊佐家、奥様・お孫様お心尽くしの昼食(これまで泥出しが終わった体育館内) ▲地域は断水状態が続き、プールの水をバケツリレーで床の泥流しを・・残った時間で運動機材を愛しく洗浄(プールには水没車が・・)
□ 石巻市・住吉町の様子
地域のお年寄りをねぎらう安井さん(背中)
左写真中央のお宅が住まいで玄関前には流された三台の車まだ残されている。今は良いほうで、通り全体が車で埋まっていたとか。気丈に当時を話していただいた。

□ 被災の様子
石巻市渡波付近

□ 発生一ヶ月の様子を伝える地元の新聞
テレビや全国紙が、津波被害の深刻さを伝えたり、原子力発電所の事故処理批判に多くの時間と紙面を割くのに対して、地元紙は情緒的なことよりも、現実とそれに立ち向かう前向きな動きを伝える記事が多かったように感じた。
被災地皆様にお見舞いを申し上げますとともに一刻も早い復興をお祈りいたします。
「前に!!」「ふんばろう」東北、そして日本。