同じく「ふるさと読本」では「朝山日乗」を採り上げた。戦国時代の島根県の武将といえば、戦前には文部省が全国の教員を集めて研修会を行った「山中鹿介」が有名であるが、日乗はこれまた研究上の問題があると思ったこともあり「忘れられた人物-朝山日乗のこと」という意味で、採り上げた。自分に小説家の才能があれば、対照的な生き方をした日乗と鹿介をテーマとする小説を書くのだが、誰か外にいないのだろうか。
 日乗を本格的に論じたのは松江出身の歴史家三浦周行氏で、日乗を織田信長政権前半の立役者と評価した。また、戦前の郷土史家で佐陀神社神主であった朝山皓氏も、日乗が朝山氏の出身で関係資料が神社に残されていることもあって「佐陀庄地頭としての朝山氏」の中で、日乗について触れている。
 ところが、戦後は、「朝山日乗」ではなく「日乗朝山」で、日乗と朝山氏は無関係であるという、織田信長文書の研究で知られる奥野高広氏の説が有力となり、古文書研究で知られる荻野三七彦氏もその説を支持された。
 それに対して、朝山氏関係史料と系図を検討する中で、日乗は朝山氏と考えるべきとの結論に達したことと、日乗の独特の生き方に注目して「読本」に採り上げた。ただし、その前に朝山氏に関する論文をまとめ、日乗に関係する記事を地元紙に掲載して貰った。
 日乗は戦国大名尼子氏の家臣として活動していたが、その立場を放棄して、中国地方を制覇しつつあった毛利氏と結んでいく。次いで、上洛して毛利氏と対立しつつあった織田信長と結ぶのである。信長は、自ら擁立した15代将軍足利義昭に対し、遵守を求めた箇条を提示しているが、それに署名したのは、信長の家臣であった日乗と明智光秀であった。(続)

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