162.平成27年10月25日(日) 呉市文化振興財団主催の「くれまちかど寄席in音戸」に出演しました。  ジャンボ衣笠さんが、出演者を手配されてまして、落語会で色ものとして私の、南京玉すだれと回転の曲芸をオファーして下さいました。 出演者は、ジャンボ亭小ぶし(中学3年生)、ジャンボ亭かれん(84歳)、ジャンボ衣笠、中入りで、私、芝辻としを、秋風亭てい朝というメンバーでして、私以外は当然落語でして、落語ばかりの中で日ごろあまり見ることのない大道芸をご覧頂きました。 
 今回、準備していたBGM用CDが、施設のデッキで再生すると途中で音が出なくなるという現象がテスト段階で発覚し、念の為に持っていっていたデジタルオーディオプレーヤーで、曲芸のBGMは流す事ができてほっとしました。 作成したCDは、パソコンでも、ラジカセでも確認していたので間違いなかったはずなのに、途中でエラーになりましたが、デッキの相性かどうなのか、家に帰ってから再生しても全く問題がありませんでした。 準備確認していてもこのようなことがあるので、備えあれば憂いなしですね。


161.平成27年9月19日〜23日までは久々のシルバーウィークでした。 5連休中3日公演というハードなスケジュールでしたので、日記に書き込みます。 20日(日)は、知人が老人クラブ(その会は○○朗人会という)の交流会で、広島市のとある公民館で行いました。 40分の持ち時間で、南京玉すだれ、マジック、オカリナ演奏、回転の曲芸を演じました。オカリナは、そんなに上手なわけではないが、今日のプログラムは、「芝辻としをのバラエティパフォーマンスショー」と銘打ったように、私が一人で40分以上の持ち時間を与えられた時は、5年くらい前からこのパターンで行っています。 お客様の趣味も多様化しているので、一流の芸を出せてもすべての皆さんが満足されるわけではないので、どれか1つでも興味を持って見て頂けたらという気持ちで見てもらっています。  4つの演目の中で最もレベルが低いのが、オカリナであるにもかかわらず、オカリナが一番楽しかったと言われることもある。 (オカリナは上手くないので、聞いてもらうだけでなく、イントロ当てクイズとして皆さんに参加してもらい、皆さんが一緒に歌って下さるのが非常にいいと思っている。)    21日(月)は、敬老の日で地元の社会福祉協議会主催の「敬老記念式典」のアトラクションで30分のパフォーマンス。 こちらは、南京玉すだれと回転の曲芸で、今回用に準備した大ネタ(舞台を暗くして、蛍光発光のバーを皿に付けて、舞台上の4箇所で回す)なども加えて、張り切っての出演だったが、音響担当が音出し、音止めを2、3度失敗し、曲芸は上手くできても作品としては、失敗作だった。  23日(水)は、妻がパート勤務しているディサービスの介護施設で、70分の公演を行った。 これは、これまで、一人で公演した最長時間でしたが、利用者さんのトイレ休憩の関係で、30分演技、10分休憩、40分演技というパターンでしたが、10分休憩のお陰で衣装替えも出来て、少し休めたので、60分連続より楽のような気がした。 今回のプログラム名は「芝辻としをの大道芸祭り」ということにしました。 日ごろ見ることの出来ない大道芸を前半は、南京玉すだれ、後半は、傘回し、皿回し等を中心でしたが、時間が十分あった関係でオカリナイントロ当てクイズで童謡唱歌、ナツメロを各8曲ずつ演じで、当たった人には、折バラのコサージュをプレゼントして、皆さんで歌を歌ったのが、一番よかったかもしれません。


160.平成27日3月31日(火) NHK Eテレ「Let’s天才てれびくん」に出演しました。 収録は、3月1日(日)に渋谷のNHK放送センターで行われましたが、私は遠地の為、前日から、入り、打合せを行い、当日は朝9時入りで、打ち合わせ、化粧を行い、10時過ぎから3時間くらいかけて収録しました。 台本には、その部分が8分39秒となっていましたからテレビに出ていた時間は3分程度でした。 これまで、何度もテレビに出演させて頂きましたが、化粧をしてもらったのは、初めてでした。 オンエアーを見てみると、あまり面白い内容ではありませんでしたが、Eテレから初めてのオファーだったと言うことは、いい記念になりました。 30人程度の友人、親戚にテレビ出演の案内を出しましたが、内容的には、前回や前々回に比べると、一寸見劣りのするものでした。 次はもっと面白かったと言われる番組にしたいです。 (私の力だけではどうにもなりませんが) 一つ前の日記で、エージアピアランス宣言を行いましたが、2ヵ月後に出演できた事は、いい再スタートが切れたと思います。


159.平成27年1月12日(祝) 広島テレビの「テレビ派ランチ」に出演しました。 成人の日の今回が、テレビ出演50回目となるメモリヤルな出演となりました。  広テレさんには、これまで一番お世話になっており、平成7年に今回と同じMCの「柏村武昭のテレビ宣言」に出演させて頂いており、まさに成人の日にふさわしく20年後に又、柏村さんの番組に出演となりました。  実は、日本テレビ系列では、過去に「ズームイン朝」、「ズームインスーパー」と言う番組があり、それらに4回出演させて頂いており、そのスタッフをされていて、今は、テレビ派ランチのプロデューサーをされているMさんへの年賀状で、「テレビ出演が49回となり、50回目は、一番お世話になっている広テレさんに出演させて頂きたい」旨の事を書いていたのですが、新年早々に夢が実現しました。
 テレビ出演1回目は、昭和61年9月21日で、フジテレビ系列で、「花王名人劇場・サラリーマン一芸名人集」でした。 通常は番組名通り、名人劇場で落語や漫才、コントなどを放送していましたが、年に1回程度、全国のサラリーマンの一芸を持った人を紹介する番組があり、それに応募、採用されたのがきっかけとなり、その後も継続的に出演させて頂いて、今回の50回目を迎えることが出来ました。
 平成17年に30回目のテレビ出演の時、50回くらい出演できたら立てていた大目標が達成できたわけですが、次の目標を「エージアピアランス」とします。 これは、ゴルフの世界で18ホールパー72を年齢以下でホールアウトすることを「エージシュート」と言うらしいのですが、それに習って、年齢以上テレビ出演する事をエージアピアランスと私が名付けました。   70歳までに達成するためには、コンスタントに年3回出演する必要があります。  これを次の目標にします。