ドームと松の木('02年)HP版
春なれや 名もなき山の 朝がすみ
98 99 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10
1 1月1日 弥山 みせん 大社町 2 1月20日 鼻高山 はなたかせん 出雲市(平田) 3 2月3日 鼻高山 はなたかせん 出雲市(平田) 4 2月10日 高尾山 たかおさん 大社町 5 2月11日 北山徘徊 きたやま 出雲市ほか 6 2月16日 三瓶山 さんべさん 大田市 7 2月17日 弥山 きたやまはいかい 大社町 8 2月17日 鼻高山から旅伏山へ縦走 はなたかせん・たぶしさん 出雲市・平田市 9 3月2日 三群山 さんぐんざん 仁多、大原、能義郡 11 3月4日 高瀬山から加茂岩倉へ たかせやま 斐川町 10 3月9日 大万木山 おおよろぎさん 頓原町 12 3月17日 大山 だいせん 鳥取県 13 3月20日 三群山 さんぐんざん 仁多、大原、能義郡 14 3月24日 旬を味わう てんぷら ・ 15 4月 ハナタカセン考 はなたかせん 出雲市(平田) 16 4月4日 大江高山 おおえたかやま 大田市 17 4月14日 鼻高山 はなたかせん 出雲市(平田) 18 4月28日 松江北山縦走 まつえきたやま 松江市 19 5月3日 大万木山 おおよろぎさん 頓原町 20 5月4日 遥堪峠越鰐淵寺 ようかんとうげ・がくえんじ 大社平田 21 5月3日〜5日 剣山・三嶺 つるぎさん 四国 22 5月6日 三階山 さんかいさん 浜田市 23 5月18日 大万木山 おおよろぎさん 頓原町 24 5月21日 大袋山 おおぶくろやま 出雲市稗原町 25 5月26日 蒜山 ひるぜん 岡山県 26 6月9日 三倉岳 みくらだけ 広島県 27 6月15日 欲しがりません カツ までは おちゃのじかん 亜米利加合衆国 28 6月16日 三倉岳 みくらだけ 広島県 29 6月17日 満寿山近況 まんじゅやま 佐田町 30 7月7日 泉山 いずみがせん 岡山県 31 7月12日 比婆山 ひばやま 広島県 32 7月22〜26日 薬師岳・越中中沢岳 やくしだけ 北アルプス 33 8月12日 鼻高山 はなたかせん 出雲市 34 8月17日 大万木山 おおよろぎさん 頓原町 35 8月19日 三瓶山 さんべさん 大田市 36 8月25日 鷹巣山 たかのすやま 広島県賀茂郡 37 9月1日 鬼林山 きりんざん 鳥取・日南町 38 9月2日 孫三瓶 さんべさん 大田市 39 9月7日 船上山〜甲ケ山 かぶとがせん 鳥取県 40 9月8日 鼻高山 はなたかせん 出雲市 41 9月19日 涸沢・前、奥穂高岳・上高地と乗鞍岳 ほたか アルプス 42 9月22日 竜王山 りゅうおうざん 広島県 43 9月29日 琴引山 ことびきやま 頓原町 44 10月11〜14日 大台ヶ原・大杉谷 おおだいがはら 奈良 43 11月3日 大万木山 おおよろぎさん 頓原町 43 12月22日 高瀬山 たかせやま 斐川町 44 J編集後記 J J
02年(平成14年) さんすい会 山行計画
1 1月1日 弥山(御来光登山) 大社町 一年の計は元旦にあり 2 2月10日 高尾山 大社町 眼下に広がる大社湾 3 3月17日 大山 鳥取県 中国地方唯一の日本百名山 4 4月7日 花見 天王山 花より団子 5 4月28日 松江北山縦走 松江市 松江にも北山があったのだ。 6 5月3〜5日 剣山・三嶺 高知県 ・ 7 6月9日 三倉山 広島大竹市 昨年は雨の為中止。再挑戦 8 7月7日 泉山 岡山奥津町 ・ 9 8月25日 鷹ノ巣山 広島加茂郡 ・ 10 9月15日 竜王山 広島県比婆郡 ・ 11 10月11日〜14日 大台ヶ原・日出ヶ岳 奈良県 日本でも屈指の多雨地帯・原生林 12 11月3日 大万木山 頓原町 落部氏の裏庭 13 12月8日 玉峰山 仁多町 山から下りて湯っくり、湯ったり。 14 12月22日 高瀬山 斐川町 米原氏の居城跡・下山後忘年会
海の幸 山の幸
この言葉は旬のものを美味しく戴いた時によく口にする言葉ですが、食べ物ではなく山の資源からとれる物に以外な物がありました。 さんすい会には タバコ を吸う人が少ないですので、この話をしてもあまり面白く無いかも知れませんが、最近少しばかり驚いたことがありました。
ご存じの様に現在発売されているタバコの殆どは、品質が変化しないように表面にセロハン紙が巻いてあります。私たちが子供の頃にビービー紙と言っていた物で、これを広げて口の前に当て、声を出すと発音した音がビービーと濁ったように聞こえる為にそう言ったと思いますが、そのセロハン紙はタバコが湿気ないように巻いてあると考えるのは日本人の考えです。
数年前中国のゴビ砂漠に行ったとき、もちろん日本からタバコを持っていきましたが、このセロハンを切って1,2本吸った物をそのまま2日位置き忘れ、改めて残りを吸うときに感じましたが、なぜかすぐに物に当たって折れてしまうのです。灰皿へ灰を落とす時にも力の加減をうまくやらないとすぐに紙の部分が裂けてしまします。
セロハンを開封したばかりのタバコはその様なことはないのですが、出しかけのタバコは気をつけないとすぐに折れてしまうことに気付きました。湿気ないためではなくここでは乾燥しすぎない為にそれが必要なことが分かりました。処変われば品変わるとはよく言ったものです。
ところでこのセロハンの原料は何かご存じでしょうか。この原料は山に生えている木なのです。見た感じは石油製品と思いがちですが、すべて木から作り出された物だそうです。もっとも製造の課程で化学的な触媒は使うかも知れませんが、原材料はすべて木材(パルプ)だそうです。だからこれを燃やしても殆ど悪い成分は出ない、地球にも人間にも優しい物だそうです。
もっとも山の木を切るわけですから、地球に優しいという言葉は当てはまらないかも知れませんけれどネ。そしてついでに言いますとこのセロハンは江津市の某パルプ工場で国内の殆どを製造(原材料)しているそうです。思わぬ材料で、しかも思わぬところで造っていたものだと、タバコを吸いながらやけに感心しています。
東レと言う会社があります。最後の レ はご存じのようにレーヨンのレだと思いますがこのレーヨン(昔の人絹)もセロハンと同じくすべて木から造り出された物だそうです。
そう言えば江津の某パルプ工場の西隣にはユニチカの工場がありました。パルプと繊維とまるで関係ない物が並んで居るなと思っていましたが、それを知って考え直すとパルプと繊維は大きく関係があるものだと分かりました。残念ながら今 ユニチカは閉鎖になり、その跡に江津市の文化施設が建っています。
最近タバコを吸う人達にとって美味しくタバコを吸える場所と機会が少しずつ限られて来ました。エチケットを守り、セロハンの有り難さをしみじみと感じながら、タバコを吸いましょう。
それにしても喘ぎながら登った頂上で苦しかった登りを振り返りながら黙って吸うタバコの美味しさは、吸わない人には分からないでしょうネ。 もっとも本当は吸わない方がいいことは本人が一番よく知っていますけれど・・・ (た)
弥山(初日の出登山) 495.8/502.9 m:大社町(平田市境):1月 1日:参加者(14):土江:萬代:森山:山本(2):日下:清水:今岡(2):島田(5)
ドーム集合4:30>登山開始5:30>頂上6:30
厚い曇り空 今年一年の景気を象徴かと感じつつ……私は一足先矢野神社へ参拝そして AM4:30ドームへ集合 マイクロタクシーの乗車は4人程度で各自弥山広場の駐車場へ
弥山駐車場での集合が間々ならず揃ったメンバーで登り始める。登り始めの山道は倒木が道を塞いでまた暗いこともあり歩きづらい小休止も何回かとる、新年を迎えた家の灯りを時折眼下に、頂上着。
風は冷たいが積雪もなく乾いている。弥山山頂神社に今年一年の健康と安全登山を祈願。祝杯をと準備し始めていると上記メンバー揃う、7:20時厚い雲の為、ご来光は残念。それでも40〜50人は居たでしょう。
記念写真だけは一枚、下山後恒例の大社参拝をし健康と安全・幸多い一年を祈願。 (島田)
鼻高山 御来光登山 出雲市:1月20日:晴:参加者:武田 :
昨夜から空模様も気にしながら、早めに寝て途中目が覚めて外に出てみると満天の星空。丁度南の空にオリオン星座が陣取り冬の大三角形と呼ばれる明るい三つの星が輝いていました。結局目覚ましをセットした4時50分の15分前に目が覚め準備にかかる。
ポチをつれてドームへ。ここで空模様を再度確認するが、変わらずの満天の星空今日は間違いなくご来光が拝めそうだ。ところが10分前になっても誰も来ない。とりあえず集合時間の5:30まで待って天王山へ向かう
結局一人で5:40に登山開始。4路別れの方からすでに南の空が明るくなってきだした。日の出までには相当時間があると思うのだが、とりあえず先を急ぐ。結局大した休憩もせず6:35に頂上に着く。
日の出までには30分も時間があると思うが晴天の為か、すでに稜線は朝焼けに赤くなった空をバックにくっきりと浮かび上がっている。大山から三瓶の遙か西方まで稜線が浮かび上がる。5年間数十回日の出を見てきたが、日の出時間のこれだけ前からこれほど明るく山が浮かび上がるのは初めてだ。きっと中国山脈の遙か南東の方から出雲の空まで雲一つない晴天の為かもしれない。
南の空を気にしながら弁当を食べ始める。斐川町の高瀬山、大黒山の中間あたりの空が一段と明るく輝く。やがて雲一つない空に太陽が出てきた。出てきたとたん周囲はさらに明るく照らされる。
いくら印象的な日の出前でもこの手の日の出はこの太陽がほんの少し顔を出したとたんそれでおしまい。後はまぶしくてとても見られたものでない。いろいろな日の出パターンがあって今日のような日の出は太陽が出るまでの感激を味わうだけのもの。。
また反対に多少薄曇で今日はご来光はだめかと半分あきらめたような空模様の時 ヒョッコリ 出てきた日の出は今日とは反対に日が出るまでは山の稜線ははっきりしないが、そのかわり日の出後30分くらいまでも真っ赤に燃えた姿を見続けることができる。
どちらがいいか人それぞれだが残念ながらそれを両方併せ持った日の出は無い。個人的には薄曇りの中、真っ赤な太陽がいつまでも見続けることができる後者の方がいい。写真を撮るにしても後者の方が数倍きれいな写真が撮れる。
まアどちらにしても日の出が見れること自体がありがたい事ですけれど・・・ てな訳で太陽が出たとたん帰り支度をして途中の上中寺跡付近で葛退治を1時間あまりやり、家には10時に帰りました。 それにしても松食い虫の為中腹の松に被害が広がりました。(た)
鼻高山御来光登山:出雲市:2月3日:曇:参加者:福島:北村:武田夫婦:5:30ドーム集合
集合の出雲ドームで仲間を待ちながら空模様を見ると僅かながら星が見える。今日は何とか御来光が見えると思ったが登るに従って星が見えなくなる。日の出時間になっても南の空は全く赤くならなかった。次回に期待しよう。![]()
(写真左)鼻高山の 7合5しゃく ? 辺りの通称四路別れです。私はここで必ず休憩をする事にしています。ここに少し大きな松がありましたが途中からぽっきり折れてしまいました。
松食い虫で弱った処に昨年のうちの強風で折れたようです。これも名物の松のひとつですが余命幾ばくもない気がします。鼻高山登山はこの手前の斜面が一番きついと私は感じています。ここまで来るとほっとします。
この辺りから頂上まで20分くらいと思います。松の横にいるのは鹿でもなく狸でもなく我が家のポチであります。(た)
(写真右)松食い虫にやられた松が登山道にたくさん倒れていました。
高尾山(2月定例会)大社町:2月10日:雪後曇り:土江:田部:島田夫婦:勝部:山内夫婦:溝端:児玉
ドーム集合8.30中山登山口9.35高尾山頂上10.20縦走開始10.35昼食11.50〜12.40鷹取山13.10鷺浦着14.40ドーム着15.10
朝起きてみるとうっすらと雪景色。雪に怖気をついた会員もあったと見え、さんすいの会の参加は5人。 何回も登った高尾山なので、どこかもうひとつ登る経過うだろうと思っていたら、案の定、高尾山から鷺裏への縦走。面白そうだとわくわくしながら高尾山頂上。登山口の梅畑は白い花が満開だった。また高尾山への途中、椿の大木に寒椿がきれいに咲いていた。
車の駐車などで、一足遅れて登ることになった土江会長を、途中で休憩して待っていたら、当の本人が上のほうから降りてきて「頂上はこっちですよ」。これにはみんなが「一本道なのにいつ追い越したんだろう」と狐に包まれたよう。山の会のメンバーも「聞きしに勝る俊足ぶり」と驚嘆。
雪もやみ、頂上からは、日本海の荒波、すっくと立つ日御碕灯台、沖合いを航行する豪華客船などこの山ならではの展望を満喫した。2年前さんすい例会で、土砂降りの中を大々山と高尾山に連続して登ったときのエピソードを思い出す。
高尾山頂上展望台で証拠写真を撮った後、いよいよ縦走開始。このコースは山内さんが2年間かけて開拓したものという。半分は藪こぎ、半分は踏み後程度の道で、赤いテープを目印に、左手に入り組んだ海岸のきれいな景色を眺めながらいくつかのピークを越す。 大きな岩が重なったところの広場で昼食。この後ロープを使うところもあるとのことで、せっかくのアルコールも程々にする。
昼食後、出発してまもなく大きな岩場に着く。持参したロープで慎重に下りた。その後も藪の中を登ったり下ったり、おまけにルートを間違えて引き返したり。途中の大岩(中山〜鷺浦道路から天をつくかのようなその姿がよく見える)に寄り道したのは土江、山内の両氏、岩の上から「怖いー」の絶叫。苦労しながらもスリルと変化に富んだ山歩きを堪能した。 下山口の近くに、真っ白いミツマタの花が僕たちを出迎えるかのように咲いていた。(勝)(写真)高尾山頂上
久し振りに山行となり準備する。朝7:00位から天候は雪。大社日御崎線に出ると積雪なし中山の高尾山登山口着、ここで2号車を鷺浦下山口へ移送(土江さん、山内さんを待つ)梅の花も目を楽しませてくれる、土江さんは車置場の民家へ挨拶その為準備が少し遅れ、土江さんから先に登り始めて下さいと言われ山内さんを先頭に9:25時出発緩やかな登りや、トラバースする感じの登山道を繰り返し登る、寒椿も見事に咲き癒してくれる。
30分位歩き休憩、しかし、いつも特急土江さんの姿が今だ見えず、私達休憩中に山内さんが念の為様子を見に引返された、私達は暫く休んでいると上の方から土江さんが下りて来られ"いったいどうなってんの<Lツネにつままれた見たい、途中の別れ道から直登し一足先へか?逆に今度は山内さんを迎えに下へ 我々7名は先に頂上目指した。
10:15時高尾山頂上着、日御崎灯台や穏やかな日本海が良く見えバックに写真を一枚。再度山内さんの案内で縦走路へ尾根づたいに下ったり上ったり赤テープを目印にジグザグに、桁掛半島や日本海を時折眺めながら気分もいい、更に歩を進め風を避け適当な場所を見つけ11:45昼食とした。
12:20時出発尾根づたいに大岩を避けたり更にジグザグ、ロープも使用し下ったり、危険ヵ所も何ヵ所か遭遇、気を許せないが楽しい、山内さんも赤テープが見えなくなり迷い急斜面を引返す アーシンドウ! 何とか尾根へ赤テープのもとへ更に歩を進め鷹取山(213m)14:00着。ここから順調な下山鷺浦14:30時着。この縦走コースはこの時期今日のような天候に恵まれれば最高でしょう。 但し、山内さんの案内が必要でしょう。(島)
北山縦走 2月11日:雪:森山:周藤:北村:武田: 旅伏山登山開始6:35> 旅伏山頂上8:00> 伊努谷峠9:05> 鼻高山10:00> 矢尾峠10:35> 遥堪峠11:30昼食> 遥堪峠出発12:20> 鈴谷峠(リンタン)13:15> 樽戸峠14:00> 樽戸峠発14:12> 極楽山民家14:50> 国道43115:20
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朝起きるとうっすらと雪。暗い中ドームに集合。4名が集まった。当初計画では弥山と旅伏山からそれぞれ縦走をし途中で出会うという、映画 八甲田山死の彷徨 並の予定だったが4名の参加ではそれもできない。北大路欣也、高倉健は返上し4人で旅伏山から登り始める。頂上近くの神社に着いてももまだ完全に夜は明けていない。頂上で写真を撮り休憩。いよいよ縦走の始まり。ここらで15センチの積雪のようだ。木々は夕べの吹雪のため真っ白の世界。木立の中をいつもと違う縦走路をひたすら西へ向かう。。
登りはじめから10センチの積雪。昨夜は気温も低く吹雪だったらしく枯れ枝には雪が着いて何とも言えない風景だ。新雪の中を一路旅伏山を目指す。雪明かりの為特に懐中電灯はいらなかった。
気温はおそらく0度近くでは無かろうか。雪が解ける気配は全くなく、むしろ粉雪が降り続く為に次第に深くなる気がする 2等三角点を過ぎ下りになっても雪の深さは変わらない。乾いた雪のため滑ることもなく歩きやすい。伊努谷峠で休憩。じっとしていると寒いという北村氏の一言でそうそうに鼻高山に出発する。真っ白になった木立の中から時々平野が見えるが雪のため真っ白であまり良く分からない。10時ちょうど鼻高山に到着。平野は夜明けから強くなった雪のため真っ白だ。
西の方に目をやれば見えるはずの弥山が雪雲の為全く見えない。早々に出発し、矢尾峠から4つの大きなピークを越え予定通り12時前に遥堪峠に到着。不思議なもので可成り気温が低い為全く汗を掻かないのであまり疲れを感じない。![]()
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遥堪峠を出発し、久々に万ヶ丸に登る。以前眺望改良と銘打って見晴らしを良くしたため相変わらず東向けの展望は最高である。ただここからは残念ながら南の松が邪魔するために出雲ドームは見えない。いつもなら登り口まで引き返し縦走路に戻るが、今日は西の斜面を直接縦走路に下りる。しかし急斜面に雪が積もっているために相当に難儀をする。今日の行程では一番の難所のようだ。
何も好きこのんでこんな日に500m前後の山を9時間も掛けて徘徊することは無いのだろうけれど、その麓に暮らすものにとってはいつも何気なく見上げる山の稜線を今現実に歩いているのだから愉快である。(た)
いつも心は ふるさとの山はありがたきかな であります。
三瓶山 姫逃池(ひめのがいけ)〜男三瓶頂上〜名号(みょうごう)コース :2月16日(土)晴れのち曇り:勝部
姫野が池登山口発7.35>唐松林の東屋8.05>頂上9.35>頂上小屋で昼食>10.40頂上発11.50>北の原13.30
今年初めての三瓶山。快晴、何人か誘ったが都合悪く一人で出発。霧氷が見られるかもと、早朝六時過ぎに家を出る。北の原の姫逃池(ひめのがいけ)コースを登る。登山口の積雪は20センチくらい、少ないほうだ。
今朝の足跡か昨日のものか、一人足跡をつけてくれているが、とてつもなく歩幅が広い。よっぽど大男と見える。その男、途中からはスノーシューをつけてくれている。おかげで僕のほうは頂上までワカンをつけずに登ることができた。
期待していた霧氷は、気温の上昇のためか解けてしまい、ほんの少し残っていただけでがっかり。去年苦労した頂上直下の難所も今年はなんのこともなく通過、約二時間で頂上台地に着く。一面の雪原に朝日が映えてとてもきれいだ。ザックを下ろし、デジカメ途中版のフジノンのカメラをぶら下げて一時間あまり頂上大地のいったいを歩く。
思うさま写真をとった後、頂上小屋に入り、一人で乾杯、餅入りうどんで暖まる。土曜というのにだれも登ってこない。こんなすばらしいひと時を一人で楽しんでいいだろうか、などと思いながら鼻歌をくちずさむ。下山しようと思っていたら、女三瓶の方から男女三人組がやってくる。結局今日あったのはこれだけ。この快晴の土曜日にいったい山男山女たちはどうしているのだろうか。
帰りは、冬山では初めて名号(みょうごう)コースを降りることにする。ワカンをつけて静かな山の中を快調に下山。冬山の美しさを満喫した今日の三瓶登山だった。(勝部)
弥山 根性の北山徘徊 : 大社町:2月17日:晴:参加者(2):北村:須藤<>極楽山> 樽戸峠>鼻突峠>弥山頂上>鷺峠<>
鼻高山から旅伏山へ縦走 2月17日: 出雲市、平田市:島田(2)
自宅発9:30>旅伏山登山口経由>天王山10:20>鼻高山頂上10:50>山頂発11:00>伊努谷峠11:30>旅伏山12:20(昼食)下山開始13:20>旅伏山登山口下山14:30
今日の天気予報は午前中曇り午後雨とか、じゃあ北山へでもと急な思いつき、準備し二人で家を出たのがAM9:30頃、一台は旅伏山駐車場へそして天王山登山口へ。松食虫で枯れた木が倒され、かなり処理されていた。折角だから高鍔山経由で高鍔山の祠へ。
頂上付近で小雨が降り始めた。デジカメで一枚撮り伊努谷峠方向へ向かう。急な下りと滑り易く、所どころに残雪もある。備え付けのロープのお陰でなんとか下りる。伊努谷峠近くで鰐淵寺から登って来られた夫婦づれに出会う。
伊努谷峠で小休止。 ここからはしっかりした登山道を尾根づたいに登ったり下りたり結構歩いた気がする。ヤっと旅伏山の四阿(あずまや)に到着。ラーメン、こってチャンで乾杯。 一時間昼食休憩 他の登山者なし。13:20時下山開始 神社参拝後私の右ひざが痛み曲げられない(2/10の高尾山から鷺浦縦走の折 鷺浦下山終点近くから同じ右ひざが痛む)二本杖でそろそろと下山。旅伏山駐車場へやっと到着。 (島田)
三 郡 山 :3月2日:晴:勝部:出発7.55>登山口9.10>登山開始9.15>三叉路10.05> 頂上10.45>下山開始12.00>登山口13.20
記録を見たら毎年3月の中ごろから下旬に三郡山に登っている。今年は温かいからマンサクノ花がもう咲いているのでは、と思って今日登る。 去年も登山口にまっすぐ行くことができなかったが、今日もまた間違えて上久野桃源郷に行ってしまう。
マンサクに会えるだろうか、わくわくした気分で歩いていたら、やっぱり咲いていた。それも咲き始めのせいか、色がとても鮮やかだ。近年見た中で今日の花が一番美しい。残念なのは枝が高いところばかりに広がっていて、あの可憐な花びらを大写しにできないことである。
途中から残雪があり、頂上近くは30センチくらいはあったが、かなりしまっていてとても歩きやすかった。この山はわりとたやすいと思っていたのに、雪の中を登ったせいか、頂上近くの段々の辺りではかなりくたばってしまう。だんだん年を重ねたせいだろう。
頂上は、うす雲が広がっていて遠くの山並みはかすんでいたのはちょっと残念だった。船通山や玉峰山を目の前に眺めながら一人で一杯やる。今日はめざし付だ。「うまいなー」と思わず一人ごとを言いながらゆっくりしていたら、松江からという夫婦が登ってくる。
毎年登っているというが、マンサクの花のことを話したら、「あの黄色い花がそうですか」という。あまりよく知らなかったらしい。 今年も春を呼ぶ花にあえて大いに満足しながら下山する。(勝部)
高瀬山から光明寺、加茂岩倉遺跡へ 「古代出雲王国への山歩き」:3月4日:晴:参加者:(4名):周藤・勝部・北村・須谷
ドーム集合6:30>高瀬山登山口7:30>高瀬山頂上8:10>光明寺9:00>光明寺発10:00>岩倉遺跡着10:50>高瀬山登山口解散12:20
北村さんから6:30集合の呼びかけ。何でこんな早い時間にと思いながら、夕べ目覚ましを仕掛けておいたが、鳴ったのは6:10。顔も洗わずあわてて出る。 6:40出発。神立橋のところの斐伊川土手を走っていたら、左手の仏教山の背後がくれない色に染まり、今しも日の出がはじまろうとしている。
しばらく走ると今度は斐伊川の正面から、雲をたなびかせながらまさに太陽が昇りはじめている。さらに赤川土手にさしかかったら、今度は大東の山(高の峰山?)の上からの日の出だ。三度も日の出を拝んだことになる。さすがに″ご来光登山の北村さん″と感心する。
赤川の土手のところに車を一台置いて高瀬山登山口に向かう。暑くもなく寒くもない絶好の日和に感謝し、合戦の跡を偲びながら頂上に立つ。はじめての彼女は360度の眺めに歓声をあげる。
急な下りをすぎるとあとは光明寺への道はたんたんとしている。予定時間どおりの9時に光明寺着。山門横の広場で下界を眺めながら朝食。いつもだと元気を出す薬を持ってくるのだが、朝からお酒もと思って持参しなかったら、Sさん「弁当を忘れることがあってもこれは絶対忘れません」といってお手製のあんず酒を振舞ってくれた。そのおいしかったこと。![]()
いい気分になったところで、来た道を少し引き返し、中国自然歩道に入り、加茂岩倉遺跡に向かう。途中から眺める高瀬山は実に美しい形をしている。そしてこの山が要塞堅固であったことを納得させてくれる。
このコースのただひとつの欠陥であるごみ処分場のところの分岐点を右に折れ、中国自然歩道と分かれると道は笹薮に覆われているが、踏み跡ははっきりしており、要所には案内板があって迷うことはない。
岩倉遺跡ではレプリカの銅鐸を眺めながら、発達した現代の文明社会に住むわれわれよりも、昔しの人々はずっと物事をよく観察し、よく考え、自然の恵みを生かして暮らしていたのだろう、と、古代のロマンに思いを寄せる。
案内文に書いてあったとおり、まさに「古代出雲王国への山歩き」だったことを実感しながら舗装道路を30分位歩いて、朝車を置いたところに帰り、再び高瀬山登山口へ戻り解散した。(勝部)
大万木山 頓原町:3月9日:快晴:土江:田部:勝部
出発7.55>登山開始9.10>滝見コース避難小屋9.40>地蔵さん10.30>頂上11.30>頂上発13.20>地蔵さん13.45>滝見コース避難小屋14.10>登山口14.35
昨日土江さんから電話で、大万木山へ登らないかとの誘い。一人でも登りたいと思っていた矢先なので即座にOKの返事。田部さんも誘い三人で登る。
天気は快晴。この様子だと霧氷が見えるかもと、淡い期待を持って出発。2月2日に、奥井さんを誘って登ったが、思わぬ深雪で途中で引き返しており、今年はまだ頂上にたどり着いていない。
2〜3日前の新雪に太陽の光線があたって、木の影がおりなす幾何学模様がなんともいえない雰囲気を醸しだしている。 滝見コース避難小屋、地蔵尊で小休止。そこからは登山道に関係なく直線を豪快に登る。水場の標識を見つけ、さらにしばらく登ると、向こうに雪をこんもりとかぶった頂上小屋が見えてくる。
いつか登ったとき、水場で水を汲めばいいと思い、家から水を持たずに登り、すっぽりと雪に埋まった水場になすすべもなく、まわりの雪を溶かして昼飯のラーメンを食べたことを思い出す。
頂上小屋付近の積雪は1メートルくらいだろうか。いつもの年より少ない感じだが、ブナの巨木に囲まれ、一面純白の雪に覆われた小屋はまさにメルヘンの世界である。
なにはともあれ祝杯をあげ昼食を食べる。まもなく小屋の前を数人のグループが頂上広場をめざして通り過ぎ、さらに5、6人のグループが小屋に入ってくる。「勝部さん!」と呼ぶ声がしたので顔を上げてみたら、松江ハイキングクラブの顔なじみで、去年残雪の蒜山をいっしょに登ったメンバーが二人いた。
女性主体のそのメンバーの昼食風景は、飲んで食ってにぎやかなこと。中に斐川の女性が一人いて、「これから山に向かうときには誘ってくれ」という。また一人仲間ができた。
小屋を出て頂上広場へ向かったら、そこでは先ほど登ったグループが雪で「かまくら」のような壁をつくって宴会の最中。聞けば広島県尾道のグループだという。「雑誌『ゆうゆう』に、この山と船通山と地元の何とか言う山が大好きだと書いていた人がいた」と話す。
落部さんのことである。土江さんが、「今その人は病気でもうしばらく山へ登れないんですよ」と話したらびっくりしていた。 明るい頂上台地の雪の中を、三人で思うさままわってみる。こんなにゆっくりとこの山の雪の頂上を歩き回ったのは始めである。
期待した霧氷はすでに溶けていてお目にかかれなかったが、この開放的な雰囲気にすっかり溶け込み、土江さんに誘ってくれたことを感謝しながら下山する。下山は一時間半、雪のないときよりの早いくらいのペースで快調に下った。(勝部)
大 山 鳥取県:3月17日:晴れ:参加者:土江、持田、勝部 (さんすいの会三月の例会)
ドーム集合6:30>大山寺7:45> 登山開始8:00>六号目小屋9:20>頂上10:20>頂上発11:30>大山寺 13:10
早朝6:30ドームに集合。山陰道を走って8時前大山寺到着。登山口から雪はあるが、去年よりはうんと少ない。それでもだんだん多くなり、三合目の下で軽アイゼンをつける。
日曜日というのに登山者はそんなに多くない。やがて左手に宝珠尾根の連なりが見え、その向こうに三鈷峰の美しい姿が見えてくる。元谷方面への分岐を過ぎるとまもなく六合目避難小屋に着く。目の前に立ちはだかるように広がる北壁を眺めながら休憩。土江さんからまだ温かいような餅をいただき食べる。
西宮からという女性主体の二十人くらいのパーテーが休んでいた。全員12本爪のアイゼンにピッケルという、構えだけ(?)は本格的ないでたち。冬山装備のことなど、知識のひろさをアピールしあっていた。
六合目を過ぎると急斜面となり、しかも雪がかなりしまっていて、ストックもはじかれるようになる。こんなときはやはりピッケルがいい。アイゼンをしっかり雪面に食い込ませて登る。頂上近くの木道はほとんど雪の下だった。あおげで木道を少しも歩かず頂上に立つ。
頂上小屋も西側は屋根まですっぽりと雪の中。八合目から彌山頂上付近の雪は去年よりかなり多い。頂上からの眺めを確かめ、小屋の中へ入る。一瞬真っ暗で何もわからない。先についてもう昼食の支度を始めていた土江さんと持田さんが、「ここここ」と呼んでくれる。日本酒、ビール、シソ酒(僕)と思い思いの飲み物で乾杯。
カメラの三脚をもっていた隣の人に話しかけたら、徳島から一人で来て、夕べはふもとで車の中で寝たとのこと、大山へは一年おきに登っているといっていた。五月に登ることにしている、剣山と三嶺のことなど、四国の山のことを聞く。
昼食の後、去年は行かなかった三角点ピークへ行って見る。すぐ足元から剣ヶ 峰へつらなっている稜線、切れ落ちている南壁、その向こうの天を突くような烏ヶ山の岩峰。これが大山だという思いを実感させてくれる展望だ。
下山は、緩んだ雪の急斜面を快適に滑り(!)降りる。六合目で一服、登山口へ一時間40分で降りた。駐車料金1000円を払い「確か去年まではお釣りがあったはず、旅館が不景気で駐車場でもうけるしかないのか」などと話しながら帰途につく。 湯船の中から大山が見える「うなばら荘」の温泉で汗を流し、大山雪山を満喫した余韻を持って帰った。(勝部)
三郡山 (亀嵩コース) :3月20日:晴:田部、錦織、持田、勝部
出発9.30>登山開始11.00>頂上12.00> 頂上発13.10>登山口13.50
15日に兄弟会で玉峰山荘に宿泊した折、上着と財布を忘れた。翌日、山荘から電話がありやっと思い出す始末。いずれにしても取りに行かなければならない。ならば近くの山へと、玉峰山か三郡山にと思って呼びかけたら、田部さん、持田さんがOKしてくれ、先日大万木山の頂上小屋であった斐川の錦織さんにも電話したら、二つ返事でOK、美女三人といっしょに亀嵩からのコースを登る。
今月二日に大聖登山口から登ったときもうマンサクの花がきれいに咲いていた。今年は暖冬で花が早いから、マンサクはもう終わっているだろう思っていたら、登りだしてまもなく、Nさんが「頭の上マンサクがきれいですよ」と。
急登で下ばかり見ていて気がつかなかったが、ところどころにきれいに咲いている。そして、アブラチャンが品のいいうす緑の小さな花を咲かせている。三郡山はじめてのTさんはマンサクとの面会も初めて。大聖コースからと桃源郷コースから何回もこの山へ登っているというNさんもこのコースははじめて「明るくてこのコースが最高」と喜んでくれる。
いくつかのピークを超えてちょうど一時間で頂上へ。晴天だが春霞で遠くの展望はよくなく、大山などは見えなかったが、すぐ目の前に玉峰山、頂に雪を見せる船通山がその後ろに見える。
今日の僕の飲み物は久しぶりにビール。始めていっしょのNさんは二缶を空ける。相当にいける口らしい。帰りはるんるん気分でいっきに下山。登山口から200メートルのところにある「長寿の滝」へ寄り、亀嵩温泉「玉峰山荘」で汗を流し、今日の本来の目的である忘れ物、財布と上着をを受け取って帰った。(勝部)
旬を味わう 3月24日
時々一緒に山に登る人達と恒例の旬の山菜を食べる会を開きました。時期的に少し早かった為、野山から採って来たのはフキノトウ、カラシナ、セリくらいな物でしたが、フキノトウは天麩羅にして美味しく戴きました。
その時裏山の竹を加工して徳利(写真)を作ってくれた人が居て、大変盛り上がりました。竹徳利から出てくる酒は大変美味しく旬の味を堪能いたしました。当日は野外で行う予定でしたが風が強く室内で行いました。
この徳利がなければだだの飲み会で終わっていましたが、おかげさまで野趣たっぷりの山菜を食べる会になりました。心のこもる一品を加えるとこうも豊かな食事が出来ることを感じた次第です。上に付けている紐は手編みという大変凝った作りであります。(た)
ハナタカセン
山の名前に付いて何気なく使っているが改めて考えてみると面白い。神奈川県に大山という 山 があって オオヤマ と発音する。山陰の人なら100%がダイセンと発音するだろうがそうではない。(江戸の頃は大山詣で(おおやまもうで)として結構賑やかだったらしい)
また小生がホームグランドとしている鼻高山はハナタカセンと読む。全国的にはどうなのかよくは分からないが山と書いてセンと読む山が結構ある。 此の山陰、特に出雲、伯耆、因幡の国には極端に多い。
東から氷ノ山(ひょうのせん:若桜町)、扇ノ山(おおぎのせん:国府町)、矢筈ヶ山(やはずがせん:大山)、甲ヶ山(かぶとがせん:大山)、烏ヶ山(からすがせん:大山)、大山、鼻高山、弥山(みせん:大社、頓原)とざっと浮かんだけでもかなりある。何故此の地域に多いかは分からない。
今の日本では山の訓読みは(さん)と発音する。この(さん)と発音するのを(せん)と発音するようになったと見て間違いないらしい。それでは サン が セン の発音にどうしてなっただろうか?すぐに頭に浮かぶのは出雲弁特有のなまりである。
しかし、出雲弁でも先生がシェンセイに成る事は有っても、三角定規をシャンカク定規と訛ってもセンカクジョウギとは言わない。どちらかというと セン も割ときれいな発音で セン 言う。と言うことは出雲弁の訛による物ではない。それでは何故そうなったか。
それは漢字を送り出した大陸側に原因がある。言葉は不変でなく常に変化をしている。だから大陸でも山とかいて サン と読む以前は セン と発音していたのではないだろうか?
今中国では シャン という言う発音に近い(ダイハツ自動車のシャンテという車のシャンという発音) セン が サン となりやがて シャン となる(順序は不明)。間にもっと微妙な発音の変化が有ったかも知れない。
だから日本に入って来た時代時代に新し物好き(大陸からその時代毎に移り住んだ集団)がいて大陸で流行っている発音に替えていったのではなかろうかと想像する。ところが何故、因幡 伯耆 出雲 が古い発音の セン が多いかは解らない。
物好きが多い地域で敢えてその発音を残したかも知れない。(漢字を含めた大陸の文化が入ってくると言うことは大陸から人そのものが移り住んできたと言うこと、そしてその人達の権力が強ければその影響はより顕著に現れた)
大昔の日本語(漢字)というのは今のように漢字が持つ本来の意味と直接結びつかない。今で言うところの当て字の類と言うことになる。漢字そのものは大陸から伝わってきた物であり、日本に漢字が入ってきた頃、日本語と同じ発音をする漢字をそのまま当てはめていた。
伊豆毛?と書いてイズモ(出雲)と読むように、当時の日本語と同じ発音をする漢字を当てはめたらしい。だからその頃付けた地名や、山、川の名前の字にはその字が持つ意味と結びつかない。只発音に合う字を勝手に当てはめていた。
たとえば
夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁
(やくもたつ いずもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを)
と言う風に今人にはとても簡単には読めない。
山の頂上を峰(みね)という。家の屋根の一番高いところを棟(むね)という。これはどちらも元々は同じ意味で同じ発音をしていたらしい。ところが当てはめる漢字が異っていたことによりその後の進化が異なったようだ。
因みに韓国では頂上のことを丸(まる)と言うらしい。鼻高山から西に向かうと遥堪峠を過ぎたところに万ヶ丸(まんがまる)と言うピークがある。変わった山の名前だと思っていたがこれはどうも朝鮮から来た名前ではないだろうか。(この山の正式名は万ヶ丸か万ヶ丸山のどちらか不明であるが、もし後者であれば馬から落ちて落馬したの類になってしまう。機会があったら調べておこう)
ところが、全くの当て字の山や川の名前を組織的に改めた時代があった。その最初は風土記の作られる時代である。文字がまだ無かった頃の地名や山の呼び方と同じ発音の文字(漢字)を無造作に当て付けていたのを改めた。
漢字の字そのものの持つ意味が、不吉な意味の字は同じ発音の吉兆な字に、また山や地名が3文字以上の物は2文字に改めるよう時の権力者が指示を出した。
ハイブリッドに構成された日本もそろそろ統一の兆しが見え始めた頃、まず始めに時の権力者は文字による日本の統一を図ったかも知れない。
それ以後 日本の山や川、地名の類までことごとく字が変わってしまう。簡単に言うと我がふるさとは伊豆毛から出雲に書き改められる。
言葉なんて時代と共に少しずつ、あるいは時には権力によって大胆に変化をしていくものかも知れない。
てなわけで鼻高山はこれから先もハナタカセンと呼ばれるかハナタカサンと呼ばれるかハナタカヤマと呼ばれるか! そんな事はこの際どうでもいいことなのである。・・・
・・・今度の休みには鼻高山に登ってこよう。(た)(写真:中央ピークが一等三角点(補点)のある鼻高山。と出雲の青い空と白い雲)
大江高山 4月4日(木):勝部
出発13.40>登山口14.40 >登山口18.10>頂上16.30>下山開始17.00
今朝、落部さん来訪。「もう行かれましたか」「どこへですか」「大江高山へ」という会話。先月末から風邪気味、その上、一日から昨日まで我が家はトイレの補修で大工さんごと、「今年は花が早いから早めに大江高山へ登ります」と、落部さんに話していたことをすっかり忘れていた。
そうだ今日行ってみようと思い立ち、午後、持田さんがトイレの手洗いを取り付けて帰られるのを待って出発。一人なのでぐるっとまわることができず、山田側からピストン。歩き始めからかわいいスミレが足元を彩り、頭上には山桜が最後の饗宴を見せていた。
やがてピンクのイカリソウが、さらに可憐なイズモコバイモが姿を見せてくれる。一人身の気安さ、デジカメと一眼レフ、さらに花用の三脚と反射板と、″一人前″の道具を使い、人に後れることを心配もせず、思うさま写真を撮りながら登る。ギフチョウもその鮮やかな羽を大きく広げて目の前に止まって歓迎してくれた。
山田側のピークを越えてちょっと行ったら、期待していたミスミソウが、小さいが華麗な花を落ち葉の中に咲かせていた。うっかり歩くと花を踏みそうで、気をつけて歩きながら写真を撮らせてもらう。
快晴の頂上からは、東に三瓶山と石見銀山の山々、北側に矢滝城山から馬路高山とその向こうに広がる日本海、南には見事な双耳峰の石見冠山と中国山地の山並み、最高の展望である。
パンをかじり、ビールを飲みながら、すばらしい展望と美しい花に恵まれた今日の山に感謝し、このかけがえのない自然がいつまでも保たれ、後世に受け継がれることを願いながら、日の傾いた道を下山する。(勝部)(写真左:ミスミソウ。右:すみれ)
鼻高山4月14日:晴:武田:天王山10:15
久々に出雲に帰りゆっくりした日曜の朝を迎える。ふと見上げた空は快晴。北山に目をやると鼻高山が登って来いと待っている。何も持たずにポチを連れて10時15分に登山開始。麓の天王山の駐車場にはたくさんの車がある。
今日は天気も良く大勢が登っているのかと思いながらポチは鎖につないだまま登り始める。鹿の柵の手前の所でたくさんの子ども達とその親たちがタケノコ堀をやっていた。駐車場の車はこの人達のものらしい。鹿よけの柵を入ったところでポチを解放してやる。
四路別れまで登ると可成りの強風だ。その上の岩場では足を取られるほど強い。その風がかえって気持ちよく晴天にも係わらず快適な登山が出来る。頂上まで誰にも会わなかったが、頂上には人の気配を感じたのでポチに鎖を付け直下の木につなぐ。
頂上に出るとなんと20人ほどの人達がちょうど食事中だった。連日続く黄砂か春霞の為に見通しは良くないが、頂上から2,3枚の写真を撮りすぐに下山開始。途中3人の登山者に会う。その度に鎖につながれるポチは多少機嫌が悪い。松食い虫とカズラの為に荒れた登山道の周辺を目にしながら12時15分天王山に下山。ちょうど2時間の山行だった。(た) (写真:頂上直下の登山道)
松江北山、大平山〜枕木山縦走 4月28日:晴 土江、飯塚、勝部、島田、島田夫婦、持田
ドーム集合7:30> 講武トンネル入り口の登山口から登山開始9:30> 大平山頂上、休憩>三坂山・昼食>枕木山
雨で一週間順延されていた春の松江北山縦走。さんすいでは二度目、僕は何年か前一人で傘をさして大平山まで歩いたが、初めての人も。三台の車で出発、県道松江島根線の峠にあるトンネル入り口の登山口で下車。運転者だけで枕木山頂へ。ここへ二台を置いて再び登山口へ。往復40分もかかり、さぞ待ちくたびれているのではと思っていたら、付近で蕗や山菜をとっていたとすまし顔。
中国自然歩道になっているこの道はよく整備されているが、登りはじめから急な木段が続く。「なぜこんなにだんだんをつけるのかね」と文句を言いながら、次から次へとつづく段々道を汗をかきながら登る。 一時間近く歩いて大平山山頂。風が心地よく、南に松江から宍道湖方面、北に加賀から大芦にかけての入り組んだ海岸線。すばらしい眺めに疲れも吹き飛ぶ。「こんなにいい眺めだったんかなー」と土江さん。よくみると周りの木がずいぶん切り倒されている。展望が開けるのはいいが、あまり自然に手をつけてもらいたくない。「ちょっときりすぎではないかね」と話し合う。
大平山を峠まで下りると舗装された林道に出る。この前一人できたときは、この林道を歩いて帰ったが、ずいぶん難工事だったことを思わせる急斜面を切り開いた道だが、車も通れないほど荒れはてており、"ここにも無駄な公共工事の典型が"と怒りながら歩いたことを思い出した。この道を横切り澄水山へ。ベンチがあるところに「左500メートル滝空山」とあり、探究心旺盛な一行のこと、「行ってみよう」と衆議一決向かってみたが、だんだん藪になり、行く手にそれらしき山も見えず、あきらめて帰る。
このあたりから三坂山までの自然歩道はほとんど勾配もなく、イカリソウ、ヒトリシズカ、チゴユリ、ホウチャクソウなど、春の山野草が咲き誇り私たちを歓迎してくれた。ワラビやゼンマイもたくさんあり、僕がそれをつんでいたら、みんなが採ってくれる。おかげでビニール袋二つにいっぱい。
三坂山からは、テレビ局や気象庁、航空関係のアンテナやドームのためにつけられている舗装された道を歩く。中海が真正面に見えるところの道端で昼食。ビールが最高にうまかった。
いささか単調だが、右に中海と大根島、左に日本海の海岸線と、眺めのいい舗装道路を歩き、枕木山頂上に二時過ぎ到着。"はじめうんうん、あとるんるん"の松江北山縦走だった。(勝部)
大万木山 頓原 5月3日:晴後曇り雨:落部
今年初めての山登り、それも心臓の手術後6ヶ月ぶりの山で、木曽駒ケ岳以来である。山登りの復帰は大万木山に決めていた。 4連休の最初の日、明日の天気は悪くなるので今日しかない、午前中の雨は大丈夫のようだ。さんすい会のメンバーはバスで四国の剣山に向かっている。
今日は吉田の杉戸林道からの大万木山登山の最短コースから登ることにした。地蔵尊直下からでここで標高865メートルある。今日は風が強い、9時55分登山開始する。地蔵尊まで13分、ここでは掛合道の駅で買ったあん餅を食べ、しばらく休憩した。
イカリソウ、オオカメの木の花の白い花が咲いていた。今は緑がとてもきれいで心が洗われるようだ。秋の紅葉もいいけれど、萌黄色も混じったこの若葉の季節もまたいい。デジカメ共々二台のカメラで写真を撮りながら、新緑を楽しみながらゆっくり登る。先ほど走って下りてきた男の人以外誰にも会わない。
神戸川の源流の少し上では思ってもいなかったサンカヨウが咲いていた。ラッキーである。今年はどんな花も早いのだ。 頂上には11時5分に着き、小屋の中は気温13度だった。広場には誰もいない。
私も久しぶりの山登りだったが、家内も私が入院以来あまり運動もしていないし、まして山も久しぶりで水とガスが重たかったと、ぶつぶつ言っていた。その分私は軽かった。
緑の350で乾杯し、ラーメンと弁当で少し早い昼にする。やがて多くの人が登ってこられた。平田高校の生徒達も先生と登ってきた。先生少しばて気味?のようだった。今日は風が強く食事中も物が飛ばされないよう気をつけた。
天気はだんだん下り坂のようだ。11時55分下山開始する。上る時には気が付かなかったが、源流のすぐ近くにタムシバの白い花が残っていた。なぜ?と思った。12時35分車の所に着いた。
他にも2台の車が止まっていた。帰りは頓原の方に出ようと緑のトンネルを楽しんで走っていたら、道を間違えてしまって吉田の町に出てしまってとんだ回り道になった。その分緑のトンネルを多く楽しむことが出来た。途中買い物して3時前には家に着き、この頃雨になってきた。久しぶりの山で疲れた。少しずつ慣らしていこうと思う。(お)
雨の遥堪峠越え 5月4日(小雨)大社町・平田市 参加者:日下:清水:北村
ドーム集合6:20>遥堪峠(ようかんとうげ)7:15>鰐淵寺8:35>遥堪峠10:35>ドーム着解散11:20
小林さんの思い出を背負って遥堪峠を越え鰐淵寺まで行って帰りました。登山道はどこまでも涙雨で濡れていました。(北)
剣山と三嶺 5月3日〜5日 四国: 参加者13人:さんすい会(土江、加藤、島田夫妻、増原親子、岡、万代、勝部)・出雲山の会合同山行
<3日> ドーム発5:20>登山口の見の越着・昼食 リフトで西島へ 11,30>西島発12,45>剣山頂上13,15>頂上ヒュッテ発次郎笈へ13,40> 次郎笈発14,25>剣山頂上ヒュッテ着16.30
5時ドーム集合、四国剣山と三嶺へ。曇り空の中米子道から岡山道、瀬戸大橋を渡って四国へ。坂出インターを下り、貞光経由で登山口の見の越へ向かう。 前回来たときのことを思い、見の越は相当混んでいると思っていたがさほどでもなかった。食堂で腹ごしらえの後西島までリフトで。
ここで時間を稼いで、次郎笈と一の森へ足を伸ばすためである。リフトに乗るころから小雨が降り出していたが、西島へついたころからは本降り、合羽、スパッツ、ザックカバーと完全防備体制で歩きはじめる。 頂上は雨に加えて猛烈な風、まずは頂上ヒュッテ雲海荘へ入り荷物を置く。吹き飛ばされそうになりながら、笹原の中の木道を歩いて頂上へ。
好天なら、これから向かう次郎笈の堂々とした山容がすぐそこに、反対側には前回泊まったヒュッテのある一の森とそこへの稜線が見えるはずだが、今日は足元の四国熊笹以外には何も見えない。あまりの強風で何も考える余裕はない。
女性二人を除いた面々は、斜面にたたきつけられそうになりながら次郎笈へ向かう。この強風と雨の中次郎笈の頂上に立ったことは、忘れることのできない思い出になることと思う。帰りはトラバースしながら剣山頂上ヒュッテにたどり着く。
ありがたいことに風呂があった。早速暖まり着替えをしてくつろぐ。ストーブで温めてある食堂で夕食の後、ヒュッテのオーナーが温かい挨拶。その中でまもなく100メートルはなれたヒュッテ本館で、剣山のビデオを上映するからぜひ見てくれと案内がある。
みんなで見に行こうとドアを開けると、そこは強風と低温、濃霧と雨の別世界。一度暖まった身にはとても出る気は起こらず、部屋へ帰って大布団をかぶって寝ていたら、今回の山行のリーダー山内さんが、「たった30秒だ、行こう行こう」とみんなをけしかける。
老齢の僕はいささか疲れと寒さで参ってしまい布団から出る勇気が起こらずごめんこうむったが、皆さんは元気いっぱい(実際はぶつぶつ言いながら)ビデオ鑑賞に行く。(勝部)写真(頂上近くの刃掛け松)
<4日> 起床5:15>朝食5:50>出発6:30>見の越へ下山7:35>マイクロバスで名頃から三嶺リンドウに入り三嶺登山口へ>平尾谷登山口8:40>三嶺ヒュッテ、昼食>ヒュッテ発>三嶺頂上>光石駐車場へ>下山
目が覚めると、今日も外は濃い霧雨と轟々という風の音。朝食を食べ、今日も一日雨の中の山歩きと覚悟をして出発。リフトはまだ動いておらず見の越まで歩いて下山。見の越からは待っていてくれたマイクロバスで、奥祖谷の道を三嶺登山口へ。
奥祖谷かずら橋の前を通り名頃から三嶺林道に入って平尾谷登山口へ。雨の中何組かのパーテーが登山の準備をしていた。地図ではここから頂上は3時間30分とある。登りはじめからかなりの急登で、健脚組みと僕を含むゆったり鈍足組みが離れがちになるが、時々小休止をして全員の体制を整えてくれたおかげでどうにかついて歩くことができた。
樹林帯をすぎて一面笹原の中を登るとやがて視界がぱっと開けてきて、雨とガスの中、突然きれいな池が現れる。写真に出ていた頂上直下の池である。そしてその向こうに頂上がかすんで見え、反対側にはすぐ目の前に三嶺ヒュッテが建っていた。あい変わらずガスが立ち込め霧雨が降っている。
そしてまたしても吹き飛ばされそうな強風。まわりは何も見えないが、足元にひろがるコメツツジの大群落と池から頂上へゆったりと連なる山容。四国一美しいといわれるこの山の雰囲気が体中にしみこんでくるような感じだ。ヒュッテの中は満員。剣山頂上ヒュッテでつくってもらったおにぎり三個入の弁当を食べる。
疲れであまり食欲はない、押し込むように二つをやっと食べる。ヒュッテには85歳という老人がいて食後のコーヒーをおいしそうに飲んでいた。僕もまだがんばらなければと激励された。一方、はちきれそうな若さにあふれた高知大の女子山岳部の一行も。ヒュッテを出るとき、入り口の雨の中においてあった彼女たちのザックをそっと持ち上げてみたら腰が抜けそうな感じ、「20キロか30キロはあるぜ」と、みんな舌を巻く。
ヒュッテからコメツツジと熊笹の中を15分登ると三嶺の頂上である。360度の展望のはずの山頂も、今日は濃霧にすっぽり包み込まれているが、"今度は三嶺"と胸の中に描いてきた山の頂上に立った喜びをかみしめながら下山する。予定では、ここから西熊山を通りお亀岩まで縦走しカンカケ谷を堂床へ下りる組と、直接堂床へ下山する組とに分かれることになっていたが、強風と雨のことを考え、いっしょに堂床へ下りることになった。
一時間あまり急な斜面を何回か谷を渡りながら下り、まっすぐ降りる道に分かれて、左手へ大きくトラバースする道をさらに一時間あまり歩き、今度は分岐を右手にとり堂床休憩舎に向かう。ところどころにブナ、ミズナラ、モミなどの巨木をちりばめた森は、雨に打たれた若葉がさらに美しく、四国の山の大きさと奥の深さを強く印象付ける。
かなり下りたところで山シャクヤクが群生し白い可憐な花を咲かせていた。さらに下りたら、マムシグサに似たユキモチソウが、その名のとおり茎の真ん中から白い餅を出すように咲いていた。両方ともはじめて見る花で、カメラが雨にぬれることを心配しながらシャッターを押す。「この美しさは雨の中だからこそだね」と強がりを言いながらひたすら歩くことさらに一時間半。マイクロバスが待っていた光石登山口に下りたときは、「よく歩いたね」と、みんなと自分を互いにほめながら車内の人になる。
宿舎の高知県河北町「ピースフルセレネ」に着くと、真っ先に温泉に入り温まる。生き返ったようだった。夕食のパーテーが大いに盛り上がったことは言うまでもない。(勝部)(写真:(左上)三嶺の頂上:(右下)山シャクヤク)
<5日> 宿舎発8:30(高知市の西島園芸団地、五台山の展望台、竹林寺、牧野富太郎記念植物園などをまわる)>五台山發12:30>ドーム着18:30(勝部)
三階山 378m:浜田市:5月6日:武田(2)
3年間、毎朝のように見上げていた三階山に一度は登っておこうと急な思い立ちで出かける。県立大学の裏の大きなパラボラアンテナの付近に登山口があったと思うので辺りを気にしながら車を走らす。
このまま車で上れば頂上まで行けそうだが、それでは芸がないため、旧KDDのその大きな二つのパラボラアンテナがある中継所の前に車を置き、少し先にある鳥居をくぐり登り始める。何処かに登山道の別れがあるのかと思いながら20分程舗装道を登ると、何とそこは頂上だった。
浜田の思い出にと登った山にしては何とも登り概の無い山だった。頂上には立派な神社があり、その裏の何処かに見晴らしが良い処があるのではと探したが、全く無く、結局頂上までの舗装路に市街地が見えるところが一カ所あった。
市街地から見上げると頂上からはさぞかし眺めがいいのだろうと思っていたが全くの逆である。それにしてもこの街は山と海のに挟まれた猫の額のような処で平坦部がほとんどない街である。 (た)(写真:三階山から見える浜田市街)
大万木山 頓原町 :5月18日:曇り:参加者:岡・福庭・田部・勝部
ドーム発8:00>登山開始9:33>地蔵尊10:25>頂上11:18>頂上発12:20>下山13:50
蒜山へ登ろうと呼びかけていたが、天気が芳しくなく、急遽大万木山へ変更する。 八時ドームへ集合。出発してまもなく岡さんの携帯が鳴り出す。相手は落部さん。
「ついさっき、私の車の後ろを勝部さんが走っていた。きょうはどこですか」。「悪いことはできないものですね」と岡さん。所原で奥井さん、向名で田部さんを拾い、五人で一路大万木山へ。
二月、三月に続いて今年三回目。滝見コースを登る。この山は春夏秋冬いつ来ても人々を温かく迎えてくれる。今日も登山道の脇には知った花、知らない花が僕たちを歓迎してくれる。
途中の避難小屋と地蔵尊で一服、頓原道の駅で買った柏餅をみんなでひとつずつ食べ、頂上のすぐ下にある神戸川の源流水で水を汲んで上がる。
ブナの若葉はもう幾分その緑も濃さを増しているが、それでも若々しさをあたり一面に発散しているかのようだ。 頂上広場で昼食。帰りは渓谷コースを下り、横手コースを門坂駐車場まで歩く。(勝部)
大袋山 出雲市稗原町 :5月21日(火):上野夫婦:勝部夫婦
出発9:00>登山開始9:20>三角点頂上10:40>展望台・昼食10:50>下山開始11:40>下山12:40
去年秋の稗原要害山登山のときからの宿題になっていた、大袋山へ上野さん夫妻を誘い、悦子も久しぶりに同行、四人で登る。登山口への畑のふちの道が草で覆われていたが、やがてはっきりした道になり、大袋山という案内標識に沿って右手の山に入る。
登山口から急な坂が続くが、それでも以前の藪こぎの山のことを思うと楽なもの。五合目あたりを過ぎると右手に稗原要害山の険阻な姿が谷を隔ててすぐそこに見える。ギンリョウソウによく似た花を見つける。帰って調べてみたら、ギンリョウモドキ(?)とわかる。三角点のある頂上は一休みしただけで大岩の展望台へ向かう。
展望台からの中国山地の眺めは雄大。左手から、三瓶山、万寿山、黒山、王院山、大万木山、鯛の巣山、猿政山などの山やまが一望できる。足元がすぽっと落ち込んでいる大岩の上で缶ビールを飲み昼飯を食べる。持参のビールに加え、上野さんからもらったビールも飲み、いささかいい気分になりすぎる。
労山の全国会議で、山の上の飲酒が問題にされていることを新聞で見たばかり。ほどほどにしなければと思う。80を越える上野さんが元気で登られた。僕ももっと頑張らなければ。(勝部)
下蒜山から中蒜山 5月26日(日): 晴れ:勝部、田部、持田、奥井夫妻、錦織、吉岡
出雲発7.00>犬挟峠登山口発9.30>頂上発14.40>雲居平・休憩10.50>下蒜山頂上11.20〜35>中蒜山頂上13.35>塩釜へ下山16.10>塩釜発16.40
下蒜山から中蒜山縦走、塩釜へ下りる登山を呼びかけたら、さんすいメンバー三人、松江ハイキングの仲間二人、去年から山仲間入りの新人夫婦の七人が集まる。わが家に五人が集合七時出発。斐川道の駅で二人が合流し高速を通って蒜山へ。
まず犬挟峠の登山口へ。ここから車を一台塩釜の下山口へまわした後、下蒜山へ向けて登山開始。蒜山高原や米子自動車道から眺める蒜山三山は、いかにも流麗で美しく、女性的な優しさで山男や山女に誘いかけるような感じだ。
天気は快晴、るんるん気分で歩き出したが、すぐに出くわした急な疑木のだんだんに悩まされ、あえぎながら登る。女性的どころかなかなかの急登だ。ところどころ鎖やロープがつけられている。雨の日で滑りやすいときにはありがたいかもしれない。
やがてあたりが急に開けると雲井平、その名のように雲が流れるような草原に心地よい風が吹いて、きつい登りの苦しさを忘れさせてくれる。行く手にはゆったりとした草原の中の登山道、左手下方には蒜山高原、これが蒜山だといいたくなるような眺めだ。
八合目あたりで、ちょっぴりだが雨がぽたりぽたりと降り出し突然雷が鳴り出した。一瞬、昨年那岐山で快晴にだまされて登山口に雨具を置いて登り、急な雷雨でびしょぬれになったことを思い出す。「雨合羽のない人は?」と聞いたら、さすがに皆さん快晴でも手抜きはない。だがその中でまだ新人の奥井さん夫婦だけがハイと手を上げる。親切なアドバイスがたりなかったことを反省する。
幸いに雷と雨雲はだんだん遠のいてことなきを得、九合目からの最後の急登を登りきるとまもなく中蒜山の頂上である。遅い昼食だったが、それだけにビールが特別にうまい。ゆっくり休憩し写真を撮って下山する。中蒜山から塩釜への下山がまたかなりの急な下り。ところどころロープや鎖がある。去年の四月、残雪のときに前からも後ろからも尻餅の悲鳴を聞きながら歩いたことを思い出す。
かって、さんすいの例会の時も雨で大変だったという話を何回も聞いた。それを思うと今日は快適な下山で、鎖に頼らずに歩くことができたが、登山暦の浅い奥井夫人にはいい経験だからと鎖を使ってもらった。塩釜の下山口にある名水のおいしかったこと。さあ、帰ろうかといっていたとき突然こぶし大(決して大げさではない)の雹がふってきたのにはびっくり。しばらくはなんだろうかと思っていたが、雹とわかりあわてて車の人となり岐路についた。(勝部)
三 倉 岳 スリルと展望を期待して、鋭く天を突く三つの岩峰の山に登る
広島県大竹市:6月9日(日) さんすい会定例会:参加者:飯塚、勝部、持田夫妻 出雲発6.00>登山口の三倉平駐車場着9.30>登山開始9.40>上の岳(朝日岳)10.45>中の岳11.25>下の岳12.00>(夕日岳)昼食> 下山開始13,25>四合目避難小屋14.00>三倉平駐車場14.25
さんすいの会で、去年計画されていながら、あいにくの天候で中止になり、今年あらためて企画された山である。会長の土江さんから一週間延期の通知が昨日の朝あったが、持田さん夫婦と飯塚さんが仕事の都合をつけて参加することにしておられるといったら、「四人で登られてもいいですよ」とのこと、持田さんに話したら、ぜひ今日登りたいとの返事で、さんすいの会一次隊として登ることにし、あわてて地図とガイドブック、インターネットで道順や、登山コースを調べ、6時に我が家を出発。
登山口の三倉平駐車場までちょうど三時間半かかる。五分ほど車道を歩き、キャンプ場の中を右手の登山道に入る。しばらくは縦間のなだらかな道だが、五合目くらいから上になると、急な石段が延々と続き、両側には岩峰がそそりたっており、山全体が岩山であることを実感する。
一時間あまりで上の岳(朝日岳)と中の岳の鞍部に出る。ここから五分あまりで、最初の岩峰、上の岳頂上の大岩の上に立つ。ここから眺める中の岳はなかなか迫力がある。最近あまり山に足を踏みいれていないTさんは、ちょっとまわって展望を楽しむこともせず、一人で早々に頂上の岩から下りる。
いったん鞍部まで引き返して中の岳に向かう。鬼の踊り場という岩場を過ぎるといよいよ暗い谷あいの中の鎖場である。勾配は急だが岩はしっかりしており、ところどころに鉄の足場が埋め込まれていて、だれでも安心して登ることができる。最後の鎖を登りきると中の岳頂上の大岩である。
難儀した上やっと大岩に達したTさん、「岩が動く!」と言ったきり身動きもしない。この四人は、数年前、いっしょに槍ガ岳の頂上に立ったことがある。そのうちの一人とは思えない状況だったが、この数年からだの調子を壊して山から遠ざかっていたことがそうさせたのだろう。
しかし、ここから眺める下の岳は、「あんなところへ登るのか」と、だれしもいっしゅんたじろがせるような威圧感がある。再び鞍部に下りて再び鎖に挑戦し、最後の岩峰である下の岳(夕日岳)へ向かう。ここではIさんも度胸がすわったと見え、落ち着きを取り戻す。岩峰のすぐわきの木陰で昼食。今日のビールのうまさは格別である。
下りはBコースを歩き、九合目避難小屋から四合目非難小屋を通り、ここからAコースへ合流する道を歩き、一時間ちょっとで三倉平駐車場に着いた。三つの岩峰が天をつくようにまっすぐに突き立っている得意な山容。
全山岩で固まっているかのような特異な様相の山、ここ三倉岳は中国地方では外にない山である。それだけにここでしか経験できないスリルと興奮を感ずることができる山である。人間、だれしも怖いものに怖気づくとともに、大なり小なりそれに惹かれるものがある。
その間の一線はそれを経験することによってだんだん変わってくると思う。岩山登山は、人生を生きる大胆さと注意深さを身につけるいいチャンスではなかろうか。 (勝部)
三倉岳 (701m):6月16日:晴:広島県大竹市栗谷村:参加者:5名:土江・福庭・田部・島田夫妻
AM 6:10ドーム出発、市民会館の駐車場で田部さんと待ち合わせ大田〜大朝インター、山陽道〜大竹、岩国道、大竹インターへ一般道191号でキャンプ場を抜け登山口駐車場 9:10着 身支度をし案内板に目をやると三倉岳とは、三本の倉つまり岩峰が独立している山の形容で右から上ノ岳(朝日岳)、中岳、下岳(夕陽岳)と呼ばれていると印されている。
Aコース、Bコース、Cコースと有り,私達はAコースを9:25登り始めました、登山道はしっかり整備されていました、さすが多くのロッククライマーを育てた山と言われたぐらい丁度訓練中らしく姿は見えませんでしたが山口県からこられた女性のクライマーの人と思われるザックが置いてあり側を通り抜け、上ノ岳頂上10:30着、一休みし中の岳へ向う11:00中岳頂上の岩場狭いが展望はいい。
降りたり登ったり、鎖場ありで慎重に登りきると岩場の山頂下岳着11:20 岩場の上は広く展望もいい、広島湾や宮島が一望できました。ここで昼食、ビールが美味いでも、三倉岳の三角点はここではないとの事、昼食後下山途中に少し離れた小高い所に三角点があり、全員でタッチ、12:15 下山途中振り替えり岩場を見るとロッククライマーの人達が数人訓練しておられるのが遥か上の方で見える
下山駐車場 13:30着 途中で入浴でも、… … 羅漢温泉へ 一人800円汗を流すだけ、… 躊躇 …びっくりし、やめた! 車のクーラーで汗も引きそのまま 一路出雲へ 初級者から上級者まで楽しめる山だと感じ、いい山行でした。(島 田)
満寿山近況 6月17日:佐田町吉野
平成10年12月15日 さんすい会 定例会で総勢11人で楽しく登った事がある。当時は農道の工事の終点部分から、峠に向かい古道を登り始めた。特に思い出に残る山では無かったが、下山後、麓の児玉さん宅でお茶を戴き、やがては工事中の農道の先にトンネルが付き、満寿山の向こうに抜けることを聞いた。そんな思い出が有ったのでよく覚えている。
あれから4年、仕事の関係で訪れる機会が有った。微かな記憶を便りに山道を進むと終点の吉野に無事着いた。児玉邸の前を通過し、以前行き止まりだった道は先に延びていた。そのまま進入禁止の鎖まで車で進むと正面には新しくできたトンネルがあった。
ここら辺りまで来るともう記憶には無いが現場を見渡すとちょうどトンネルの入り口の上の方が登山道らしい。今後トンネルの入り口付近に小さな公園が出来、その公園から登山道の登り口がつながるらしい。
秋口にはトンネル内の照明工事も終わり、今年の10月26日には開通式があるそうだ。その頃また登って見ることにし、今日は辺りの状況を確認するだけにし麓の児玉さんの元気な顔を見に寄ってみる。益々元気でトンネル開通のことをことのほか喜んで居られた。(た)写真:満寿トンネル佐田町側入り口(赤線が登山道)
泉山 (いずみがせん)(1209m)7月7日:岡山県苫田郡奥津町:参加者:土江・増原・岡・持田夫妻・飯塚・島田夫妻・貴臣
6:00 ドーム前、3台に分乗出発 今日もいい天気だ。山陰道〜米子道、蒜山Pで休憩、中国道、院庄ICで降り国道179号を北上し奥津温泉へ入る少し手前を右え泉イワ神社駐車場着
8:40 下山場所(奥津温泉の上 Cコース)へ2台移動しもとの神社駐車場へ 9:30登山開始 Aコース(一般向き)をジグザグに急斜面を登る杉林を抜け、雑木林の間を登ってやがて稜線鞍部に出た、笹に囲まれているが、登山道の部分だけはきれいに刈り取っ手ある。「泉山2・5k」とあるが尾根伝いの斜面が長い。
巨大な岩の突き出たピークがある井水山の、のぞき岩とか、アップダウンを繰り返しピークを超えた感がする何人かの登山者に出会い「泉山の山頂は?」あの山のひとつ先とか?少々うんざり、一休みし気をとり直しガンバロウやがて山頂が見え12:30やっと到着。
昼食のビールや「こてっちゃん」が格別うまい、天気も良いし、頂上からの展望もいい、下山は「Cコース」長い急斜面を時折常設のロープを伝い尻餅を着きながら降りる、膝にもこたえる、途中休憩をとりながら、やっとCコースの駐車地点へ
14:30着 やっと奥津温泉で汗を流し、暫し寛ぐ、帰りは湯原ICが距離的に近いと「カーナビ」が表示、しかし狭い県道の山坂をいくつも超え、やっと米子道(湯原IC)へ一路出雲へ、ドーム着18:30 天気がいいと、やはり山は楽しい。(島 田)
比婆山…出雲峠から烏帽子・御陵・池の段・立烏帽子 <梅雨の晴れ間、初夏の比婆山連邦を歩く> : 7月12日:晴れ:持田夫人、飯塚、勝部
出発8.00>六の原駐車場10.00>出雲峠11.20>烏帽子山12.15>比婆山12.40>池の段14.45>立烏帽子駐車場15.20>展望台地16.25>駐車場16.45
今日は梅雨の晴れ間。この一ヶ月間、公私ともに何かと用事が続いた上に、あいにくの空模様。すっかり山と遠のいている。このままでは今月下旬の北アルプス山行が危ぶまれる。ということで、昨夜急に思い立って比婆山へ行くことにした。電話をしたら持田の奥さんと飯塚さんが同行することに。
六の原登山口へ行ってから相談して、出雲峠から烏帽子山、比婆山、池の段、立烏帽子と歩くことに決める。幸いに思ったより涼しく、ワンダフルな一日になった。
上朝山で乙立の二人と合流。途中、昼食のラーメンとガスコンロを忘れて出たことを思い出し、ループ橋の道の駅で餅を買う。昼食だけでなく途中の休憩時にも一つずつ食べることができ、結構いいものだなと思う。
まず出雲峠へ。オオバギボウシの群落がきれいだった。一休みして烏帽子へ、途中の水場で冷たい水を飲む。烏帽子の頂上ではまわりの展望をたのしむ。烏帽子岩で写真を撮り比婆山御陵へ。
ブナの自然林の中の登山道を、せみ時雨を浴びながら歩く。ところどころに一生をおえた古木が倒れており、その横たわっている巨木の上に幾種類もの新しい生命が育っているのを見ると、生命の不思議さ、絶えることのない自然の生命力を感じさせられる。
12時40分御陵着。ゆっくりと昼食を食べ、カメラ片手にブナ林を歩く。御陵から池の段へ。池の段のまわりにはササユリがたくさん咲いていた。また、ユウスゲ、ヤマトラノオもきれいだった。
池の段からの展望はいつ見ても最高。大山、道後山、福田の頭、そしていま歩いた比婆山から烏帽子、毛無へと連なる比婆山連邦の峰みね。さらに大善原から吾妻山。猿政もくっきりと見える。澄み切った青空とおいしい空気、360度の展望にすっかり満足し、立烏帽子から長い下りを歩いて六の原へ下りた。(勝部)
室堂から、五色ケ原…ザラ峠…越中沢岳…薬師岳…折立 花と展望のロングトレイルを一人で歩く 7月22日(月)〜26日(金)
1日目…22日(月): 出雲市駅発…5:13(スーパー八雲2号)新大阪、富山、立山、美女平> 室堂着…16:10 > 宿泊「室堂山荘」
昨夜ザックのパッキングが終わったのは11時。いつもぎりぎりになる。途中の電車の中で眠り、いくらかは寝不足を取り返す。 立山からケーブルカーで美女平に降りたら一面ガスで何も見えなかったが、バスに乗ったら上に行くにつれて晴れてくる。
室堂は、立山の峰こそガスに覆われていたが、おおむね視界良好。驚いたのは雪渓が多く残っていたことである。宿泊手続きの後早速カメラを片手に みくりが池 を一周する。背景の立山にガスがかかっていてあまりいい写真は撮れなかった。
2日目…23日(火) : 室堂5:25…浄土山7:20(朝食)〜8:25…鬼岳10:10…獅子岳11:10(昼食)〜48…ザラ峠13:00〜10…五色が原山荘14:00
室荘山荘の横から一の越へ向かう道と別れ浄土山をめざし長い雪渓を越える。やや急な石畳の道を登り、展望台の手前から長い雪渓を横切ると浄土山の登山口。ここから急な斜面を登ると浄土山頂上(2831)である。
目の前には、これから歩く五色ケ原から薬師岳への山々の全貌ガくっきりと見え、左手下方には一の越と一の越と雄山(3003)の堂々とした姿が聳えている。遠く、槍・穂高や鹿島槍など懐かしい山々もくっきりと浮かび上がっている。
四年前、一の越からの展望に感激し、一度あすこを歩こうと誓った、そのコースの一歩を今踏み出そうとしていると思うと感無量だった。雷鳥の親子が出迎えるかのように岩角からハイマツのへりを歩いてくれる。 (写真 浄土山で五色ケ原と薬師岳を背景に)
朝食におこわご飯をつくってゆっくりと食べる。雄山へ向かう登山者で賑わう一の越の喧騒に比べるとここは別天地、ときたま一人歩きか、2〜3人のグループに出会うだけである。
浄土山からは、まずゴツゴツした竜王岳(2872)をトラバース。長い雪渓と短い雪渓を渡って鬼岳(2750)へ向かう。コバイケイソウ、ハクサンイチゲ、シナノキンバイ、ミヤマキンポウゲ、ヨツバシオガマなどおなじみの花が道案内をしてくれる。そして、左側には、一昨年歩いた針の木岳から赤沢岳への従走路、その左手奥の方に鹿島槍ケ岳が。振り向くと立山連峰と剣岳の鋭鋒がずっと見守っている。従走路なればこその展望である。
獅子岳(2714)で、パンとコーヒーの昼食。ここから、途中はしごもある350メートルの急な下りを一気に下りるとザラ峠だ。その昔、佐々成政が冬の積雪時この峠を越えたという。後で地形図を見たら、有峰の奥から急な道を登り、ここからは黒部の方へ下りたのではと予想される。今でもとても歩けそうにないところを、装備もない昔、しかも積雪時に、どうして成し遂げたのか、ただただ驚くばかりだ。
ザラ峠から100メートルの高度をゆったり登り、木道が現れるとそこはもう五色が原の一角である。やがて左手に無人の五色ケ原ヒュッテが見え、それへの分岐をまっすぐ30分歩くと今日の宿、五色ケ原山荘に着く。 山荘前のテラスで、途中いっしょに歩いた仲間とビールやお酒、焼酎とめいめいの飲み物を持って集まり、まわりの山々を眺めながら山談義に花を咲かせ、針の木岳のきれいな夕景を撮る。
小屋には小さいながらも風呂があり、トイレも洋式になっている。夕食にはジョッキの生ビールとしゃれ込んだ。
3日目…24日(水) : 五色ケ原山荘5:18…鳶山6:10(朝食)〜7:10…越中沢乗越9:10〜20…越中沢岳9:55〜10:20…スゴの頭11:50(昼食)〜12:10…スゴ乗越12:30〜13:00…スゴ乗越小屋15:30
早起きして、針の木岳からの感動的な日の出(写真)を写す。 山荘から鳶山へはゆったりとした登り。鳶山への登りかけの大雪渓が朝日に輝いてもやい、ハクサンイチゲが朝露にぬれる光景は、美しさを越えて神々しささえ感じさせた。鳶山(2616)でサーモンピラフの朝食。
ここからの展望もすごい。これから向かう薬師岳が大きく聳え、左手には野口五郎岳、水晶岳、赤牛岳が並んでいる。遠く槍ケ岳や、笠ケ岳もくっきりと見える。
さらに歩いてひろびろとした越中沢乗越で一休みしていたら、昨日から同じコースを前後して歩いている三人組みの女性が「とてもいい雰囲気、一枚撮りましょうか」と声をかけてくれる。
帰ってデジカメの写真を見たら、薬師岳をバックに幸福そうな笑顔で映っている。しかし、実際には朝の10時というのに疲労困憊、これから先を思って重い気持ちだったが、そこは女性たちの前、とっておきの笑顔で写してもらう。 (写真右…越中沢乗越で)![]()
越中沢岳で早めの昼食。といっても疲労と暑さで食欲がなく、持って出たステックパンを、お茶と梅干で無理やりに押し込む。 昨日から前後して歩いているN氏が後から登ってきたのでコーヒーをサービスする。
何箇所かのロープがある急坂をいっきに400メートル近く下ると、。 坂の途中に遭難記念碑があり、三人の男性が休んでいた。50年前の今日、いっしょに歩いていた仲間が落雷で亡くなり、今回が最後と碑の補修に来たという。
いったんコルに下り、さらに200メートルくらい登ったスゴの頭で一服。ここからは、樹林帯の中にあるスゴ乗越小屋が見えるのだが、そこへたどり着くためには、真下の谷間に降りてまた登り返さなければならない。
下りたところがスゴ乗越だ。一足先に降りていた女性三人組が休んでいる。水がなくなり困っていたN氏は女性たちから分けてもらう。僕も残り少なかったので少々分けてもらった。
樹林帯を登り、やっとの思いで小屋にたどり着いたのは予定より二時間遅れ。樹林の中にこじんまりとたたずんでいる小屋は、人の心を和ませてくれるようないい雰囲気だった。
小屋へ入り横になって一休みする。ビールがおいしくのめればと思って、テラスで缶ビールを傾けたが、一缶飲むことができず、最後はゲボしてしまう。 夕食はご飯を軽めに、おかずは半分を残したが、何とか食べることができた。7時には布団の中に入り、8時から翌朝の4時までぐっすり眠る。
4日目 25日(木) : スゴ乗越小屋5:35…間山7:13〜40…2832ピーク9:20…北薬師岳10:20〜30…薬師岳12:25〜45…薬師岳山荘13:50
昨夜ぐっすり眠り元気を取り戻す。今日はきつくても登るだけ。"小またでゆっくり"を心がけて歩く。最初のピークで一休みした後、間山(2685)、北薬師岳(2900)と歩く。
間山を過ぎると、正面に北薬師のとがった姿が見ながら歩くのだが、こうなると逆になかなかやってこないものだ。それに遠くからはまっすぐの稜線に見えるが、小さなアップダウンの繰り返し、しかも足元は岩石帯の道で、赤いペンキマークを頼りに歩くところが多い。 (写真右…間山から見る北薬師岳)![]()
10時20分薬師岳の一角、北薬師にたどり着く。目の前に薬師岳が聳え、そこへ向けての左側に、薬師岳氷河圏谷群の一つ、金作谷カールが美しい雄大な曲線を描いて広がっている。思わず吸い込まれそうな神秘的な美しさである。
金作谷カールの稜線を歩く薬師岳頂上への道は、目の前に目的の峰を眺めながら四つのこぶを乗り越える。薬師岳の長大さ、重厚さをいやというほど感じさせる近くて長い道のりだった。
薬師岳頂上に立ったのは12時25分。やっと今回の計画の最後のピークに立つことができたことを感謝し、頂上の祠に吊り下げられていた釣鐘を鳴らす。太郎平からのピストンという二人連れがいただけの静かなピークであった。
黒部源流から雲の平、赤牛岳、水晶岳、鷲羽岳、黒部五郎岳などの北アルプスの山々を眺めながら、ここまでの道のりを振り返る。疲れたことも苦しかったことも今では楽しい思い出である。至福のひと時を過ごし頂上を後にする。(写真左…頂上から眺める中央カール)
頂上から避難小屋までは文字通りルンルン気分。中央カール、東南カールを左右に眺めながら30分歩く。東南稜との分岐には立派な石組みの避難小屋があり、愛知大生の遭難記念碑がある。 それぞれの人生に夢を持っていた彼らが、吹雪の中で何を思いながら短い命をたったかに思いをはせる。
13時50分薬師岳小屋着。今日は太郎平小屋まで降りると言っていたN氏も先着していて、「ここまでが限界でした」と迎えてくれる。 昨日の経験から、真っ先にビールを飲むことを止め、甘酸っぱいレモン入りの飲み物で腹を調整し、様子を見ながらビールを飲む。小屋の前から夕日の写真を撮りながら今回の山行最後の一夜を、まわりの人たちとそれぞれの山を語りながら楽しく過ごす。
5日目 26日(金) 薬師岳山荘5:38…薬師峠キャンプ場6:40〜55…太郎平小屋7:20〜8:10…2196ピーク8:50…1870ピーク10:50〜1:00…折立12:00
今日はN氏と行動を共にする。山荘から薬師平、薬師峠までの下りはかなり急で足場も悪い。 太郎平の下のキャンプ場で一休み。ここから小屋までは約30分の最後の登り、ニッコウキスゲが広い太郎平いっぱいに咲き誇っていた。食欲のない僕はまた甘い飲み物ですまし、途中の飲み物を補充して出発する。木陰のない草原の中の下りは風もあまりなく猛烈に暑い。
やっと二人が入れる影を見つけて休んでいたら、折りたたみ傘を日よけに使って下りてくるのがいる。これはいいかもと早速真似てみたら最高。帽子もしまって傘をさして歩いた。途中、カモシカにあう。N氏も僕もはじめての対面に大いに喜ぶ。
12時丁度に折立着。富山行きのバスが待っていた。バスの中は、一昨作日越中沢乗越で写真を撮ってくれ、一昨日スゴ乗越で水を分けてくれた女性三人組と僕たち二人だけ、助けてもらったお礼を言う。僕とN氏は、有峰口にある亀谷温泉に入り、すっかり汗を流し、着替えをしてさっぱりさせ、温泉の車で有峰口の駅まで送ってもらう。
JR富山駅のみどりの窓口で特急サンダーバードの指定席を申し込んだが一枚も無い。千葉へ帰るN氏と別れて自由席へ飛び乗ったが、幸運にも、サンダーバード、ひかり、やくもと、間一髪で全部座ることができ、夜半の午前0時過ぎ無事我が家にたどり着いた。(勝部)
鼻高山 8月12日:晴(曇)参加者:落部・山内夫婦・佐藤・北村・武田・渡部(3人組)
ドーム集合18:30>登山開始18:50>頂上20:00>下山10:30
あんなに暑い夏の好天が続いていたのに昨日から天候が安定せず時々雨も落ちてくる、日中何度と無く見上げる鼻高山は時々雲をかぶり、はたして今晩の斐伊川花火大会は予定通り開催されるだろうか心配になる。勤めの都合でそれぞれが都合のいい時間に鼻高山を目指す。私も一日の勤めを終え、天王山から登り始める。登り口には2台の車があった。
一人で登り始める。四路別れまでは殆ど風が無く汗が噴き出す。此処からは多少風の通り道らしく、時々吹く風に救われる。8時過ぎにやっと頂上に着くとすっかり暮れていた。早速ランタンに火を灯し例年通り松の木に竹を結んで頂上の中央部に灯そうと思ったが、残念ながらその松が根元から倒れていた為それも出来ず、今年は残念ながら三角点の上に置く。
多少は雲が懸かっているらしく眼下に広がる市内の夜景がもう一つはっきりしない。やがて花火が上がり始めるが、やはり時々雲が覆い隠す。暫くすると佐藤さんがリュックの中から大きなスイカを出す。これには皆、驚き感激した。勿論冷えていてことのほか美味しかった。山の上で冷たいスイカを食べる事など想像していなかったので、あっという間に無くなってしまった。
やがて若い二人が登ってきた。それから5分すると30キロは有ろうかと思われる荷物を背負って岳友会の渡部さんが登って来られた。本日は3人で頂上でキャンプをするとの事。今年は総勢9名の鼻高山花火鑑賞になった。
頂上はやはり雲に覆われている様で時々音しか聞こえない。今年はどうしたわけかクライマックスも無くいつの間にか終わってしまった。もっとも、話に花が咲き花火を見ているどころではなかったけれど....。
来年も元気で此処で再会する事を誓って下山する。下山後、家の庭から見上げると天候は回復したようでたくさんの星が出ていた。何故かたくさんの長く尾を引く流れ星が見えた。(ペルセウス座流星群 2002だったそうです。)(た)
大万木山 権現コースから頂上、滝見コース : 8月17日(土): 曇りときどき晴れ:持田夫人、田部、勝部
8.00…出発>9.20…門坂駐車場発>11.10〜12.30…頂上>12.30…頂上発>14.00…下山
先月の26日、北アルプスから帰って以来どこへも登っていないと思ったら、無性に山へ行きたくなり、昨夜電話して三人で大万木山へ出かける。
どのコースを登ろうかと相談、権現コースは下りには二回歩いたが、登りに歩いたことはない。今日はこのコースと話が決まる。健脚者向きと書いてあったが、なるほど、ほぼ一直線の急な登りである。しかし、道はよく整備されており、二箇所あったロープも、一箇所は木段の坂になっていた。
昨年だったか一昨年だったか、松江ハイキングの仲間が、このコースで熊に出会ったという話を聞いたので、ひょっとするとその幸運(?)に恵まれるかもと期待したが、残念ながら実現せず。1時間50分で頂上。
下りに神戸川源流の水場でおいしい水を飲み、空になったボトルに詰めて帰る。二人の女性は、はじめから水を汲んで帰るつもりで、余分にボトルを持ってきていた。「いつもは帰りのザックは軽いが、今日は重くなった」と笑いながらも元気で滝見コースを下山。
途中、ぐさっと山を割ったような林道に出る。いつもながら腹が立つ。最近、やっと工事が中止になったが、「もっと早く止めたらこの自然破壊もなかったのに」と話しながら歩く。 頓原道の駅「やまなみ」で風呂へ入って汗を流して帰る。(勝部)
三瓶山 名号コースから男三瓶、女三瓶、室の内、子三瓶、男三瓶、北の原:8月19日(月):曇り:飯塚、岡野、勝部、田部、持田
9.20…青年の家発>11.00〜11.15…頂上小屋>11.55…女三瓶>12.30〜13.40…室の内池>14.00…風越>14.40…子三瓶>15.30…男三瓶>16.45…北の原
山口方面から見た三瓶は中腹から上がすっかりガスに覆われていた。青年の家駐車場に車を置き、名号コースを男三瓶へ向かう。フシグロセンノウの群落をはじめ、登山道わきには早くも秋の花がいろいろ咲き出していた。途中からはガスの中の登山。頂上付近のブナ林は幽玄の世界だった。
頂上小屋で一休み、先が長いのでパンを一切れずつ食べて出発。女三瓶への急な下りはガスでぬれていてすべりやすく、気をつけて歩く。犬戻しのあたりからは、室の内を挟んで子三瓶と孫三瓶が美しい姿を見せるのだが、今日はすべてガスの中。
女三瓶頂上は、リフトで登った子供づれの一家が遊んでいただけ。大平山手前の分岐で、孫三瓶へ向かうか、室の内へ下りるか相談。はじめての人もいるので無理しない方がいいと言うことで、室の内から風越へのコースに決める。
急な段々を降りて室の内池へつき昼食。さわやかな風に吹かれながら、まずビールで乾杯。思い思いの昼食の後は、一昨日、大万木山の頂上近くの水場で組んで帰ったおいしい水を沸かして熱いコーヒー。最高の昼食休憩だった。
風越、子三瓶で小休止。扇沢から男三瓶への急な道をあえぎながら登る。男三瓶の頂上台地はシシウド、コオニユリ、シコクフウロなどのお花畑が、たちこめたガスの中に溶けこみ、なんともいえない雰囲気をかもし出していた。 北の原への下りは、また、ガスにかすむブナ林の幽玄の世界を歩く。(勝部)
鷹巣山とカンノキ山 8月25日(日) : 晴 : 定例会 :土江、飯塚、岡野、勝部、田部、増原親子三人、持田夫婦
6.30…ドーム発 > 9.10…登山口 > 9.20…登山開始 > 10.20…鞍部の分岐点 > 10.50…カンノキ山 > 11.20…鞍部の分岐点 > 12.00〜13.00…鷹巣山 > 14.10…登山口
広島県のほぼ中央部にある鷹巣山とカンノキ山へ。
岡野さんはさんすい会初参加。遠距離のため出発は六時半と少し早い。布野の道の駅で休憩、三次の先でR54号と分かれて高田郡向原町へ。林道を少し歩き、登山道へ入る。
石ころ交じりの坂道は、昨夜の雨で滑りやすく慎重に歩く。一時間で八合目の標識のある鞍部に。ここにザックを置いてまずカンノキ山へ向かう。もっとも、訓練になるから担ぎたい人は担ぐことになり、土江さん、岡野さん、それに祥平君はお父さんの重いザックを担いで登る。
ここの登りもとても滑りやすい。カンノキ山頂上は大岩。ここからは、これから登る鷹巣山が向かい側に聳えているのが見え、その左手に高田郡の盆地が展望できる。一休みの後鞍部へおり、今度は全員ザックを担いで鷹巣山へ。
始め緩やかだった道は、途中からかなりな急勾配の滑りやすい道になる。やっと緩やかになり、左手が雑木林になると頂上は近い。鷹巣山頂上は草原になっており、一等三角点がある。鉄骨つくりの休憩小屋の屋上が展望台になっている。
自然の山頂にちょっと不似合いな施設だが、薪も用意されており、焚き火の跡もあって、途中の標識や案内板とともに、地元の方たちのこの山に寄せる思いが伝わってきた。広島の人たちにはかなり人気のある山らしく、反対側のコースから何組かのグループが登っていた。(写真:鷹巣山頂上からの展望)頂上広場の一角に、絶滅危惧種の「オキナグサ」が一本生えており、「絶滅危惧種だから大切に育てよう」との注意書きの看板があった。一本あるということは近くのもまだあるものと思う。三瓶山で以前見たことがあるが、最近は姿を見せてくれない。人々に見守られ、しっかりと育ってくれることを祈る。記念写真を撮って下山。下りのスピードの早いこと、標準タイムの半分あまりの時間で下りた。おかげで二度尻餅をつく。
鷹巣山という名前は全国的によくある山名である。おそらく何か共通のいわれがあると思うが、そのうちに調べてみたい。道が滑りやすかったこともこの山の特長だった。鞍部からはカンノキ山への登りも、鷹巣山への登りも直登の急な坂だったが、これはもともと防火帯として切り開かれた道のためである。帰路の途中、掛合町波多に新しくオープンした「波多温泉 満壽の湯」で汗を流して帰った。(勝部)
鬼林山 9月1日(日) 曇時々雨:勝部
9.30…出発>12.00…ゲート脇から登山開始>13.30〜14.10…頂上>14.10…頂上発>15.30…下山
横田から鳥取県へ入り、さらに岡山県の山へ向かう道は、右に左に大きな山塊を眺めて蛇行する。手前から、鬼林山、大倉山、花見山と並んでいる。大倉山へはさんすいで登ったが、後の二つは登っていない。空模様はもうひとつぱっとしないが、この地域の空白を埋めようと遅い出発となった。
登山口がわからず、かなり行き過ぎてしまう。引き返してから、家のまえにいたおばあさんに聞いたらすぐ近くだった。いつものことだが、わからないときはもっと早めに確かめることだ。
頂上にはアンテナ群が林立しており、林道が頂上までついているようだが、少し入ったところのゲートの付近に車を置いて歩く。 ほとんど舗装されている雰囲気のない道だが、小さな秋を求めて、道端の花を一つ一つ確かめるようにゆっくりと登る。八号目くらいの登山道の脇にかなりちゃんとした避難小屋があった。どういう必要性があるのかわからないし使った形跡もない。
頂上からは、晴れていたらかなりの展望が期待できると思うが、まわりはどんよりと雲におおわれていて何も見えないのが残念。三角点のそばでビールとラーメンの昼食を食べる。
帰路も着た道を引き返す。ゲンンノショウコの伸びたのがたくさんあり、来年の薬茶用に採って帰る。(勝部)
孫三瓶から奥の湯峠、室の内、風越峠 9月2日(月) 晴:勝部
「さんべ荘」へ下見と打ち合わせに行ったついでに孫三瓶へ登る。三瓶の登山道で唯一歩いていないのが、室の内から奥の湯峠の間なので、今日はさんべ荘上の登山口から孫三瓶、奥の湯峠、室の内、風越峠、登山口と一周することに。さんべ荘のレストランで山菜どんぶりの昼食を食べ、お茶のボトルとデジカメだけと超軽装備で登る。
陽射しがきつい上に風もなくとても熱い。おまけに帽子を忘れてきたので、頭にバンダナの鉢巻を締めて歩いたが、その上から汗がしずくになって落ちてくる。男三瓶、子三瓶、と比べ孫だから少しは楽の登りと思ったら間違い、この登山口からの登りはなかなかのもの。やっとのことで頂上に立つ。ここからの男三瓶と子三瓶の眺めは実に堂々としている。
奥の湯峠へ下り、さらに室の内へ向かう。フシグロセンノウがたくさん咲いている。この前名号コースを歩いたときは高く伸びたフシグロセンノウの群落を見たが、ここのは背丈が短く、節の黒い模様がはっきりわかる。やっぱりこのかわいいのが僕はいいと思う。
そう思いながら歩いているうちに、「おや、ここは以前歩いている」とつぶやく。確かにいつかはわからないが、歩いたような気がする。もうすでに、三瓶のすべての道を踏破していたわけである。風越峠の付近では、フシグロセンノウとともに、マツムシソウが鮮やかな紫の花をつけて出迎えてくれる。(勝部)(写真:マツムシソウ)
船上山〜甲ケ山 9月7日(土) 雨:今津、奥井夫婦、田部、万代、持田、勝部
19日からの穂高登山のトレーニングで、岩稜帯のある甲ケ山を登る。
六時ドーム発の予定だったが、この日ドームでは「千人の吹奏楽」があり車が混雑するのではと、9号線ぞいの「サントピア・いずも」に集合場所を変え、曇り空の中を6時出発。高速で米子まで、さらに9号線を東進して船上山登山口に。
登山口の展望駐車場は濃霧に覆われていて何も見えない。雨は降っていなかったが、濃霧の中滑りやすい道をまずは船上山へと向かう。
先頭は、ただ一人このコースを歩いており、提案者である今津さん。「僕は遅いから、遠慮なく先に登って下さい」」と言っていたが、遅いどころか、いつの間にか、今津、持田、田部の健脚組みと後の四人の亀さん組みに分かれる。
途中まではときどき休憩して合流していたが、やがて、大声で叫んでも聞こえないほど距離が広がる。
途中から笹が背丈ほども伸びているところをブッシュで登るようになり合羽の上着を着る。まもなく雨が降り出しだんだん強くなる。
あわてて、合羽のズボンをはき、ザックカバーをつけたが、そのときはもう体もザックの中もかなりぬれてしまっていた。
雨の中、どこが勝田ケ山の頂上かわからないまま、いくつかのピークをもくもくと登る。やがて健脚三人組が上から降りてくるのとすれ違う。
あと50メートルくらいで頂上手前の岩稜帯に出るが、雨で岩が滑って危険なので、登頂をあきらめ引き返したという。亀さんチームのわれわれもともかくそこまでは行って見ることにする。
やがて写真で見ていた頂上直下の岩稜帯にさしかかる。雨とガスでその全容は姿を見せてくれなかったが、るいるいと折り重なる巨岩の群れ、両側にスパッと切れ落ちている稜線、それは想像していた以上のアルプス的な豪快な姿で僕たちの前に迫っていた。頂上へのアタックはあきらめたが、ここまで来てこの眺めを見たことに大いに満足する。
先に下りた健脚組みが、昼食のいい場所を探しておくことになっていたが、またしてもいくら呼んでも応えがない。仕方なく亀さん組だけで雨の中の昼食をとる。
下山は、奥井の奥さんが何回も滑って尻餅をつき、恐るおそる歩いているようなので、老婆心で山歩きの基本を話しながらいっしょに降りた。
日吉津村の「うなばら荘」で温泉に入り、我が家へ着いたのは八時を過ぎていた(勝部)
鼻高山 9月8日:武田>15:20天王山登山開始>16:20頂上>16:55下山開始>17:45下山
遅い時間だったが下山中二人の男性が登ってきた。頂上からビデオ撮影をするという。綺麗な夕日が撮れたことだろう。
涸沢・奥穂高岳・前穂高岳・上高地と乗鞍岳 : 9月19〜23日 : 今津、岡野、奥井夫妻、勝部、萬代
19日(木) 晴れ 3.10…出発 7.00〜7.55…大津SA 朝食 12.00〜13.00平湯バスセンター昼食 13.30…上高地 14.30…明神 16.20…徳沢 17.20…横尾山荘
午前三時出雲ドームへ集合、一路平湯へ向かう。平湯には正午到着。村営駐車場に車を置き、シャトルバスでバスセンターへ。ここで昼食。バスで安房トンネルを通って上高地へ。
河童橋は今日も人でごったがえしていた。梓川の清流にみとれ、どこまでも澄み切った水の色のきれいなのに驚ろく。穂高を仰ぎ見ながら、梓川沿いに明神,徳沢、横尾へと歩く。
明神橋を渡って明神池へ寄り道。穂高神社奥の宮の神苑の中にあるこの池は、神秘的な美しさで、見ていると心が洗われるようだ。 さらに歩くこと1時間で、井上靖の小説「氷壁」で有名な「徳沢苑」の前に着く。
数年前、はじめての北アルプスを一人で歩いたとき、徳沢で泊まる予定だったのが、雨と風とガスでほうぼうの体で「蝶が岳ヒュッテ」にたどり着き、翌日ここへ下りてほっとしたことを思い出す。
徳沢を過ぎるとあたりは完全に登山者の世界。上高地以来の観光客の姿はない。パノラマ新道につながる新村橋を過ぎ、あたりが暗くなった頃、今日の宿である横尾山荘に着く。(写真:河童橋から焼岳と梓川)
20日(金)晴れ 6.25…出発 7.45…本谷橋 9.55〜10.45…涸沢ヒュッテ 14.00…穂高岳山荘 15.00…山荘発 15.30…涸沢岳 16.00…山荘
朝起きて見たら、すぐ目の前に、前穂高岳の岩峰が鋭い姿を朝日に輝かせていた。全員で写真を撮り、まわりの自然とまったく調和しない「近代的」な横尾大橋を渡って涸沢へ向かう。いくら架け替えるからといって、少しは自然との調和を考えることはできなかったのかと、少々腹を立てる。
しばらく歩くと、左手に直立に聳える屏風岩が迫り、また行く手には穂高の峰みねが姿を見せはじめる。本谷橋のたもとで一休み。ここからは登りが一段ときびしくなり、本格的な登山道になる。
息を弾ませながらも、やがて夢にまで見た涸沢に着く。ナナカマドがまさに紅葉をはじめようとしており、その向うに白い岩峰の穂高の峰が連なっている。涸沢ヒュッテのテラスでまわりを眺めながら感動のひとときを過ごす。
ヒュッテのお姉ちゃんの「今日はパノラマコースがおすすめです」という言葉につられて、パノラマコースをザイテングラードへ向かう。 涸沢カールは、白い岩礫の中にところどころ黄葉したオンタデが筋を描き、はるか上の方に鋭角にとがった岩峰が連なる稜線との対象が特異な光景を醸し出している。
写真ですっかりおなじみの光景に胸をとどろかせながらパノラマコースを歩き、ザイテングラードから穂高岳山荘へ。 ザイテングラードは、勾配は急だが足元はしっかりしている。慎重に登って白出コルにある穂高岳山荘に着く。
登ったばかりの涸沢を上から一望する光景は夢のような世界だ。一休みの後涸沢岳へピストン。30分で涸沢岳(3110)の頂上。槍ケ岳方面の展望がすごい。また、振り返ると白出のコルの穂高岳山荘から直登ルートの向うに奥穂高岳が行く手を阻むような厳しさで聳えており、それにつづいてゴツゴツしたジャンダルムから西穂への稜線。
さすがに日本で最もアルペン的な眺めといわれるだけの迫力ある眺望に感激する。ふたたび穂高岳山荘に引き返し、東に燕から大天井岳、常念、蝶ケ岳と連なる山々、西には弓折岳から笠ケ岳へ連なる峰みねを眺めながら夕日を迎えた。(涸沢ヒュッテの下から)
21日(土)晴れ 6.45…出発 7.20…奥穂高岳頂上 8.50〜10.40…紀美子平 13.30…岳沢ヒュッテ
山荘の前でご来光を仰ぎ、朝食を食べて六時出発。山荘からすぐに急登。重いザックと体調を整える間もないいきなりの急登に僕はすっかりまいってしまい、早くも一人大きく取り残された。何度も息を整え、何人かに先を越されながら、やっとのことで奥穂高岳(3190)の頂上に着く。
ガスがかかり、強風が吹き荒 れてとても寒い頂上では、奥井さんが一人僕を心配して待っていてくれた。 2メートルあまり石を積んで北岳を抜いて日本第二の高さにしている祠によじのぼって写真を撮りあう。
紀美子平への吊尾根はさほどの難路ではなかったが、これまでに滑落者が多数出ている。おそらく強風のときだろうか。右に岳沢、左に涸沢へと切れ落ちる稜線を右に左に交わしながら、岩礫の道を慎重に紀美子平に向かう。
紀美子平ではたくさんの人が休んでいた。前穂頂上へは、ごつごつした岩石帯を30分まっすぐに登らなければならない。 朝起きてすぐの急登でへばった僕は、ここで十分休んで体力を温存し、今度のコース一番の難関だと思っている重太郎新道に備えることにした。
幸いにも、まわりで休んでいる人の中に何人か僕の同類らしいのがいて心強く(?)思った。 ゆっくりとまわりの景観を眺める。ジャンダルムから西穂への鋸状の稜線。薄く煙を吐く焼岳、そしてこれから下りる重太郎新道。その先、足元には上高地と大正池、はるか遠くに乗鞍岳と御嶽山。まったく退屈することはない。
時間のたつのも忘れて見つめているうちに、やがて兎さん組の三人が下りてくる。そしてしばらくしたら奥井さんも。頂上近くで岩場のコースを間違え、ひやりとしたという。無事でなによりだった。
まだ10時過ぎだが、ここで早めの昼食を食べることにした。奥井さんがわざわざもって来てくれたコーヒーセットで、熱いコーヒーをみんなにご馳走してくれる。
いよいよ最大の難所と思っていた重太郎新道の下りにとりかかる。いきなり長い鎖が連続してはじまった岳沢ヒュッテまでの下りは、鎖とはしごと足場の悪いガレた急勾配の道の連続。こんな勾配のきつい坂が長時間続くのははじめての経験。真下に岳沢ヒュッテを見つめながら慎重に降りる。
降りなら僕もなんとかついて歩くことができる、今度は五人ひと組になって歩く。岩石帯を過ぎ、ダケカンバの森の中の道をさらに降り、若い女性の声に迎えられて岳沢ヒュッテに着く。ダケカンバに囲まれたヒュッテはとてもしっくりとした雰囲気のある山小屋だった。
着いたのは一時半、しばらくの間テラスで、きびしいコースを歩きとおした安堵感に浸りながら、ジョッキの生ビールを飲み歓談する。 五時には夕食、六時半にはふとんの中に入る。(写真:涸沢岳から北穂、槍への展望)
22日(日)晴れ 6.00…出発 8.20…上高地 9.00…平湯駐車場 12.00…乗鞍肩の小屋口 12.30〜13.30…肩の小屋
14.30〜15.00…乗鞍岳頂上 5.40…肩の小屋 16.00…肩の小屋口 17.00…白骨温泉
昨夜の話しあいで、せっかく予備日があるのだから、それを使ってもう一つ登りたいと、急に乗鞍岳へ向かうことになる。車のラッシュで三時間くらいの渋滞を覚悟しなければならないかもと話しあったが、言い出した奥井さんはじめ、ともかく行ってみようと決まる。
朝六時に岳沢ヒュッテを出発し、8時20分には河童橋につく。奥井の奥さんはすでに一足早く着いていて、残念ながら、昨夜来の推理小説にはピリオドが打たれた。上高地からタクシーを飛ばして平湯へ。
「乗鞍へのスカイラインはものすごい渋滞だから、そこを避けて乗鞍高原からの道を行ったほうがいい」とのタクシー運ちゃんの助言でそっちの道を行く。
しかし、ここも相当な渋滞で、僕と奥井さん夫婦は車の渋滞の列を一時間くらい歩いて登った。涸沢ではこれからだった紅葉が、ここは今が見ごろで、剣が峰の裾野に、ナナカマドの紅葉とダケカンバの黄葉がひろがりとてもきれいだった。
ともかくも肩の小屋口まで車で上がり、30分ほど登って肩の小屋へ。昨年、悦子、田部さんと三人で泊まった懐かしい小屋である。
小屋の食堂で軽い昼食をとり、一時間で乗鞍岳・剣が峰(3026.3)頂上へ。目の前の木曾御嶽山が今日も美しい。それに遠く白山の優美な姿もくっきりと浮かんでいる。
穂高に登れなかった奥井の奥さんも含め、みんなで「百名山」をもう一つ登ることができた。木曾御嶽山をバックに喜びの写真を撮る。降りでは、はじめて僕がトップで方の小屋へ着き、やっと面目を施す(?)。
今夜の宿は白骨温泉「つるや旅館」。昨日かたっぱしから電話してやっと見つけた宿だけに、どんなところかと心配していたが、宿に着いたら、正面さんという変わった名前で、とても愛想のいいお姉ちゃんが迎えてくれる。
この人が今夜の僕たちの担当。心配とは裏腹に、温泉は最高、部屋も料理も大いに満足。「今度の旅ははじめから終わりまでつきまくっている」とみんな満足。(写真:一人余分な人もいる乗鞍・剣が峰頂上)
23日(月)晴れ 9.00…出発 19.00…出雲ドーム着( 勝部)
秋の竜王山 (1255.8m)9月22日:広島県西条町:曇のち晴: 竜王山・立烏帽子山・池ノ段(比婆山連峰)
土江・福庭・岡・島田(男)
当初 9月15日の計画が9月22日に変更になり、その為に参加できホットしたとこでしたが、だが外のメンバーは、すでに穂高方面を計画されていたとか?その為か4名の小人数で出発(7:30)⇒横田ループ橋経由⇒R314比婆温泉の前で右折県民の森方面へ⇒工事中通行止め回り道の案内板に沿って熊野神社到着(9:10)
9:20登山開始 境内の御神木の老杉、樹齢1000年以上11本(国の天然記念物に指定)とか、参拝を済ませ登り始め30分、那智の滝に到着 だが滝らしき滝は見当たらず更に登る天狗の相撲場9:16着 稜線に出て更に急坂を尾根づたい進む竜王山の支稜線とともに避難小屋も見えてきた。
すぐ上の第一駐車場へ出たワゴン車が4〜5台止まって無線で何処か交信されていた感じ、そこを通り抜け竜王山頂上到着11:00天候にも恵まれ素晴らしい眺望比婆山連峰を一望 福田の頭・立烏帽子・比婆山・毛無山・大山・猿政山・大万木山と来られなかったメンバーにも見せて上げたい。
100m程下ると第二駐車上に出た、横の山道に沿って歩を進め「トリカブト」の群生等季節の花々を楽しみながら立烏帽子山の駐車場に着く11:30
トイレ、水飲み場と完備されドライブの家族連れが目立つ判り易い案内板も有り其の横の山道を登ると立烏帽子山頂11:40 下って登って最終目的地 池ノ段山頂12:00(1275m)竜王山と同様の眺望、記念写真をパッチ、パッチと撮って貰う。
下った盆地で昼食 駐車場から近いせいか犬を連れた5〜6人のメンバーはゆっくりと秋の山での昼食に時間をかけ楽しんでおられた。空模様も少し怪しくなって来た、来た道をおり返す13:30
竜王山、納得できないまゝ登ってきた「那智の滝」を再確認廻って見ると、やはり滝だった、30mと記されてあった、水量が少ない為滝の下まで来て見上げると判った。14:20
駐車場着小雨が降り始め今日は運が良い。帰り途中予定通り湯村温泉清嵐荘で汗を流す。私は都合に依りここで別れる、天候にも恵まれ良い登山でした。 (島田)
(写真:トリカブト 国内にも広く自生するキンポウゲ科の多年草。「アコニチン」と呼ばれる毒性の極めて高いアルカロイド成分を含んでいる。成人の致死量は2〜5ミリグラム。中毒症状は、舌や口、胸などにしびれを感じ、さらに進むと冷や汗、吐き気、手足のまひなどの症状が現れ、最終的には血圧や体温の低下、不整脈、呼吸不全などを起こして死亡する。
(1986年5月には、夫が1億8500万円の保険金を掛けた妻にカプセルに入れたトリカブト飲ませ殺害したとされる「トリカブト事件」があった。おかしなもので猛毒ではあるが一方では薬として利用されてきた。塊根を乾したものを草鳥頭(そううず)とよび、リュウマチなどの鎮痛剤として用いる。
北山鼻高山を含め近くの山にたくさんある。これらはサンイントリカブト?で多少は毒気が少ないらしい。 )
琴引山 9月29日:晴:参加者 9名 : 北村(3) 畑 武田 土江卓 他3名
8:40ドーム発>10:20琴引山登山開始>>登山時間 1時間20分 下山1時間
久々の琴引山。
栗拾いが目的のひとつだったが残念ながら今年は裏年の為あまり採れなかった。子供が二人いたので、また登る途中キノコを取りながらの登山だったので多少時間がかかった。
頂上下の鳥居の前で先程採ったキノコ汁で昼食を取る。山内さんの奥さん、下古志の児玉さんも登られたようで途中で山内さんに、また下山後麓の温泉で児玉さんにばったり会った。
食事後頂上に登る。本日は見晴らしが非常に良く、四国の山まで見えるようだと畑氏が言っていたが、そこまでは見えないだろう・・・。今日は秋の楽しい一日だった。
大変美味しかった昼食のキノコ汁は毒キノコで無かったらしく、下山後も全員元気である。本日はキノコ名人が同行していたので安心 安心。(た)
(写真:西には三瓶山・杉木立の中を歩く)
錦秋の大台ヶ原・大杉谷トレッキング H14年10月11日(金)〜14(祝) 大台ヶ原(日本百名山)・大杉谷峡谷(日本三大峡谷)
土江・児玉・嘉本・古福・加藤・勝部・万代・山内夫妻・増原親子・深津・溝端・坂田・高木・岡・田部・持田・島田夫妻 計20名
仕事の事や突発事が起きない事を念じつゝ出発の朝を迎えた。早朝5:00出発、松江から坂田さん、高木さん2名乗車。今回の日程は、天候にも恵まれる予想。準備してもらったビールや茶菓子で地図を見ながら会話も弾む。
少し早いが10:30西名阪自動車道の香芝SAで昼食 交通渋滞もなく順調に走り予定より速く13:40大台ヶ原駐車場へ到着。すでに駐車場辺りの標高1580mぐらいとか?
早速、周辺を散策途中シカも歓迎してくれている? 正木ヶ原方面と大蛇グラ方面とに別れ各々時間まで楽しむ。夕食は17:00から、入浴は18:30 宿泊は男女同室の大部屋
翌、12日出発7:40 日出ヶ岳(1695m)まで2km、40分、8:20着快晴 鮮やかに、いろずき始めている、眺望もきゝ、遠い北の方は富士山か?休憩し、しゃくなげ平、しゃくなげ坂、これほど山一帯がしゃくなげは見た事がない、5〜6月頃はすごいだろうと想いを膨らませながら歩く。
10:30粟谷小屋到着 12:00堂倉の滝到着、昼食12:30出発 堂倉滝の吊り橋を渡り、与八郎滝、隠滝、七ツ釜滝とアップダウンも激しく下を見れば緑の淵、上を見上げれば断崖 危険度も高い再三「警告」の表示看板が目に触れ気が緩めない。
15:05 本日の宿泊地「桃の木小屋」に到着、先ずは、ビールで咽を潤し暫し休憩、風呂は混雑し汗を流す程度(石鹸、シャンプーは禁止)、水量豊かなこの大杉谷の渓谷美は汚されたくないと誰しも感ずるとこでしょう。
山小屋の夕食は早い、美酒を味わい今日の山歩きの話に酔う。三日目13日 5:00起床、かなり足にきている階段がこたえる。5:30 朝食 6:40出発小屋の前の吊り橋で全員で記念写真を一枚、加茂助吊り橋、平等ぐら、平等ぐら吊り橋、今日もアップダウンを繰り返す随所にクサリが取り付けられ、このコースはとてもクサリを頼られずには進めない。
ニコニコ滝(落差180m)8:10 シシ渕、9:25千尋滝休憩所ここへ来て始めて山のてっぺんから流れ落ちる滝にビックリ。落差135mとか、10分休憩暫し見とれる。
10:23 京良谷、地獄谷吊り橋、能谷吊り橋、大日ぐら吊り橋を渡り11:30宮川第三発電所到着 ここから船、乗船場の待合所での缶ビールが甘い、12:20乗船 12:50船着場 昼食
13:30迎えのバスに乗車 15:08伊勢神宮参拝 連休とあって観光バスや人出が多い、16:10最後の宿泊地松阪ハイツ ゆっくりと身体を風呂で癒す。
鍋料理をつつきながら無事終えたことに皆で感謝し一人一人が感想を一言。吊り橋10〜11橋、滝8〜9つぐらい、数多い警告板とクサリ場、そして岩くぐりあり、樹齢1000年級のスギやヒノキ、透き通った水、大岩、日本三大峡谷の一つとか。(後二つ富山県黒部峡谷・長野県の清津峡谷)
翌 14日 8:30 松坂ハイツ 出発
12:10 加西SA 昼食
14:30 蒜山SA 昨夜の残り物でビールやお茶休憩
15:30 予定通り 出雲ドーム着
天候にも恵まれ、また非常に危険度の高い山も事故も無く無事に帰りました。 すばらしい、大台ヶ原と大杉谷渓谷の山行でした。(島田)
大万木山 11月3日 頓原町 雪 参加者:土江・勝部・落部夫婦・武田
門坂駐車場>渓谷コース>尾根>頂上(登時間2時間30分)昼食>滝見コース>門坂駐車場(下り1時間)
落部氏のさんすい会の復帰の最初はやはり大万木山だった。ドームに集合した頃は雨は降っていなかったが頓原の道の駅につく頃は小雨になった。ここの軒先で雨具を着け、門坂駐車場へ向かう。雨は降ったりやんだり。ここまでの山の様子では紅葉はあまり期待できないような気がする。
今年は市内の医大前のケヤキなどは例年に無く綺麗だったが、この辺りは反対にあまり綺麗で無いらしい。駐車場には車が一台停まっていた。
頂上の紅葉を期待しながら小雨が時々落ちる横手コースを歩く。途中の非難小屋までくると薄っすらと雪がある。10分ほど休憩し取りあえず尾根を目指して歩き始める。
さすがにこの辺りまでくるとブナの葉の紅葉は里とは違う。そう思った頃から道の周りの雪が多くなり、もう7合目辺りからは真っ白の世界になってしまった。昨夜は風も強く気温もかなり低かったようで、ブナの木は紅葉した葉をつけたまま真っ白。幹も風に吹き付けられた雪ですっかり白銀の世界になった。
尾根までくると積雪はさらに多くなり、30センチ、40センチある。特に尾根筋の道はまだ葉を落とす前のところに雪が降ったため大きく道をふさぎ、普段1時間30分で着く頂上へは2時間30分もかかった。
しかし雨を覚悟して登ったつもりがこんな新雪の中を歩けるとは、想像もしていなかった。落部さんの復帰に大万木山が華を添えてくれた。
12時に頂上の小屋に着き。食事を済ませ13時にそろそろ降りようかという時、滝見コースから40人ほどの集団が登ってきた。岡山からバスで来たとのこと。何もこんな日に来なくても良いのではと言うと、2ヶ月も前から計画していたので止めるわけにはいかなかったとの事。降りしきる雪の中で弁当を広げて黙々と食べていた。
岡山を出る頃は晴天で紅葉の大万木山を楽しみにしていたそうだが、白銀の世界にびっくりしていた様子だった。しかし反面ニコニコしている人の方が多かった気がする。
大万木山は岡山のほうでも人気の山らしい。おかげで下山は踏み固められた登山道を軽快に降りていく。神戸川の源流も雪に埋まっていたが、いつもと同じように水が出ていた。
今日の大万木山はすっかり冬山の様相だった。(た) (写真:渓谷コース登山道:神戸川源流の湧き水:地蔵さん前)
高瀬山 12月22日 斐川町 曇り:土江・勝部・島田夫婦・浜崎・山内・武田
ドーム集合9:30>荒神谷公園駐車場> 武部蓮台寺登山口10:30>頂上11:40>直接駐車場へ
今日は夕方より さんすい会 の忘年会。この日には近くの低山を歩くのが恒例となっている。本日は斐川町の高瀬山を計画した。
荒神谷駐車場に車を置き南部農道を武部の蓮台寺まで歩く。ここまでの登りも結構あり足慣らしには十分すぎる。
本堂の左から出雲札所巡拝の道が加茂の光明寺まで続いている。昔からたくさんの巡拝者が歩いた道らしく、広くて歩きやすい道だ。 この道を約1時間歩き峠で左の高瀬山に向かうと間もなく頂上だった。頂上は城跡らしくその面影を感じさせてくれる。
(その昔、尼子の配下に出雲十旗といわれる国人がいて、白鹿、三沢、三刀屋、赤穴、牛尾、高瀬、神西、熊野、真木、大西と出雲の各地の拠点にそれぞれ難攻不落の要塞を構えていた。高瀬城もその一つ)
360度のパノラマ。斐伊川の向こうにはドームが見える。米子からの3人の先客がおられた。昼食後、下りは道を変え駐車場へまっすぐ下りる。
夕方からは恒例の忘年会。併せて03年の山行計画が決まる。本年もみんな元気でたくさんの山に登ることが出来ました。(た)
今年もたくさんの記事をいただきありがとうございました。(文字サイズ 小 で編集しています。)
編集後記
3年間の浜田の勤務から6月に出雲に帰り半年が過ぎました。その浜田の3年間の一番の思い出は匹見町の山中で熊に出会ったことであります。それまでにも時々県境の山の登山口に熊注意の看板を見かけたりしたことは有りましたが、実際に熊に遭遇するとは思いもよりませんでした。
遭遇した時 20m ほど離れていましたし特に死んだ振りをする? などと思う間もなく道を横切り逃げていきましたけれど、その姿は野生の熊と思えないほど黒い毛は綺麗で色艶が良かったとの印象があります。考えて見れば動物園の狭い檻の中に居るそれよりも野生の方が綺麗かもしれませんね。
その思い出一つを持って出雲に帰ってきました。
そして、今年も勝部さん・島田さん・落部さんに沢山の山歩きの記事を送って貰い無事に完成することが出来ました。hpにしてからは以前のように冊子に製本して配布する手間は省けましたが、会員の皆さん全員に見て頂くことは出来なくなりました事は残念ではあります。
しかしながら一年で9000回ほどのアクセスが有ったと言うことは内容の良い悪いは別として 近隣の山行情報は結構不足しているという事でしょうか。もともと 『休みの日に近くの山に登りました。』という発想から作り出し物ですからその粋を抜け出すことは出来ませんが、どうにか5年目の今年も無事に終了することが出来ました。ありがとうございました。
来年も皆さんの安全で楽しい山行を願っています。