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みことばの基礎的なこと


基礎的なメッセージから
9.祈り
イエスをキリストとして信じた者は、神様の子どもになって、すべての問題を解決されたのですが、信じる前にあった考えや体質で、なかなかその事実を忘れてしまいます。それで、神様は「祈り」ということを教えてくださったのです。
まず、「祈り」ということについて考えてみましょう。祈りは、どの宗教もあります。そして、時にはその宗教の人々も、答えられたと言っています。それは、Iコリント10:20,マタイ24:11にあるように、悪霊たちも一時的には良いと見えるようなことをしてくれるし、そのようにだますことによって、より大きな問題が来て滅びていくようにさせるのです。宗教で人々がするような祈りはしなくても良いとイエスさまがおっしゃいました。「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:31〜33)
では、何を祈るべきか、イエスさま自身が教えてくださいました。主の祈りをご存じでしょう。マタイ6:9〜13にあります。「天にいます私たちの父よ。」これが、私の信じる神様は、天地を創造された主なる神様であり、その方が、私のお父さんだという告白です。つまり、ここで、私自身が神様の子どもで、神様が父としてともにおられるんだ!!と自分自身の中にある今までの間違った考えと戦いをするわけです。これが祈りなのです。「御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。」こうなるのは、神様がなさることだから、なって当然なので、そのことを私自身が確認するわけです。そして、確認したとしても、どうしても日常のことで、その事実を忘れてしまうから、忘れてしまわないように「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」と祈って、神様がそこもしてくださるから、私自身が背負って悩む必要はないのですと確認していくわけです。そして、「国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。」これが、私の告白になれば、本当に何も悩む必要はなくなります。
それなら、それ以外は祈らなくても良いのか、ということではありません。すべて祈れば良いのです。(ただ、上のことを分かったら、祈りの課題は自然に減ってくるはずです)祈りには絶対に答えるという神様の約束があります。ですから、実は何を祈っても良いのです。そして、それは、祈ったとおりに答えられる場合、私に良くないことなら、答えられない場合、それから、もっと良いものをもって答えられる場合の3つで答えてくださいます。とにかく、必ず答えられますが、それは、まず霊的な部分が動くので、すぐに目には見えない場合が多いのです。聖霊が働かれ(ルカ11:13,マタイ12:28)、神様の天使が遣わされます。(ヘブル1:14,黙示8:3〜5,ダニエル10:10〜20)この部分は、目には見えませんが、その後で、見える変化も起きます。ですから、見えないことがまず起きていることを信じて、神様の良い答えを待ち望んでいれば良いということです。