|
|
| みことばの基礎的なこと |
| 基礎的なメッセージから |
| 8.自分自身の考えとの戦い |
救われた者には、敵がいるので、神様を深く知り、キリストのことを深く知り、その神様の子どもとなって、神様がともにおられるようになった事実をしっかりと忘れないように覚えて生きていかなければなりません。
ともにおられる神様がどんな方なのかをしっかりと知って、確認しているなら、実は何にも問題にはならないのです。なぜなら、私が問題だと思うことより、ともにおられる神様の力のほうが、ずっと大きいからです。
例えば、100円のお菓子が欲しいと思っても、10円しか持っていない子どもは、悩みます。でも、一緒にいるお父さんが数万円持っているなら、お父さんに頼めば買ってもらえるから、何にも悩まなくても良いでしょう。また、いつも、いじめっ子に殴られている子がいるとします。その子が、いじめっ子に一人で会うなら、怖くて、嫌で悩むでしょう。でも、世界一強い人がしっかりと横にいて手を握って守ってくれているなら、そのいじめっ子の前で怖がって悩むことはなくなるでしょう。
数万円どころか、この全世界を造られた方がともにいると言われています。私たちの必要は全部知っているよと言われています。すずめ一羽ですら、許しなしには地に落ちず、どんな大金持ちよりも美しく花を造っておられる方です。まして、ご自身が身代わりになって、すべての問題を解決され、ご自分の子どもとして愛を注いでくださっているのに、私たちが悩む必要があるでしょうか。世界一強い人ではなく、創造主なる神様、すべてのことを治めておられる神様が、内に住んでくださっているのです。何を怖がる必要があるでしょうか。
つまり、まず、私自身がともにおられる神様がどんな方なのかを忘れて、自分の考えで何とかしようとすることが問題なのです。何度も書いていますが、神様がともにおられない生活をしてきたし、世の中はそのような生き方は教えてくれませんし、悪魔は考えを惑わそうとだましてくるので、今までの考え方ではなく、神様がともにおられるんだということを、自分自身に言い聞かせ、確認しなければなりません。それが、自分自身との戦いです。
この戦いができなければ、この世を支配して、大きな力を持っている悪魔の策略に引っかかって、神様の導きどころか、自分の悩みの中に突入してしまいます。神様の力を信じられないのですから、神様が働かれても見ることも、体験することもできません。
ヨセフは、エジプトに奴隷として売られた時に、ともにおられる神様がどんな方か良く知っていたので、奴隷から逃げようとも、真っ暗になって落ち込んだりもしませんでした。かえって、そこで回りの人にまで神様がともにおられると見られたのです。それは、本人がまず、神様がともにおられる。その神様はどんな方かをよく知っていたからです。奴隷の後も、牢屋に行きましたが、そこでも同じでした。だから、最後に総理になったのです。ダビデも、サウル王に追われて逃げていても、「主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません。」(詩篇23:1)と告白したように、神様がともにおられること、その神様がどんな方かを良く知っていました。そのような証拠は聖書にいっぱいあります。
私たち自身が、神様がともにおられること、その神様はどんな方なのかを良く知り、自分の考えがそれを否定しようとする時には、自分の考えと戦って神様のみことばを優先することが、神様の力を体験して勝利するために必要なことです。つまり、問題は、環境でも、他の人でも、お金でも、何でもなくて、すべての問題を解決された神様の力を「私が」信じようとしないことだと気づけば良いのです。 |
|
|
|