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| みことばの基礎的なこと |
イエスさまをキリストとして受け入れたのに、なんだかよくわからない状態かもしれません。それは、「救い」について理解していなかったり、救いの祝福をあまり知らないからでしょう。ですから、まず、救いについてよく理解しましょう。
今まで1から5に書いて来たように、救いとは、人間は根本にある問題ゆえに滅びるしかなかったのだけれど、神様がイエス・キリストによって解決してくださった(福音)その事実を自分のこととして受け入れた人が、その事実を自分のものにして、滅びから出てくることです。
ですから、自分がまだ滅びの中にいるような考えに縛られて、苦しんでいたら、もう一度、救いの意味を考えてみなければならないでしょう。神様が滅びから出してくださいました。そして、イエス・キリストを受け入れることによって、聖霊が内に住まれ、永遠に神様がともにおられます。だったら、自分一人で滅びるかと心配したり、悩んだりする必要はまったくないことが分かるはずです。
イエスをキリストとして信じて受け入れたなら、まず、自分がどのように生まれ変わったのかを知って、それを自分の事実として適応しなければなりません。
たとえば、橋の下に暮らす乞食の子どもとして育っていたが、実は王の子どもだった。それで、王が探し当ててくれて、王子(王女)として王宮に迎え入れてくれたとします。そうしたら、王子(王女)としての生活をはじめるべきで、まだ橋の下の乞食のように、朝起きて自分で食べ物を捜しに行こうとしたり、お風呂にも入らず、道ばたで寝ていては、せっかく身分が変わったのに、祝福も何も味わうことができません。
まず、自分は神の子どもで、神様が面倒を見て下さるということを自分が確認しなければ、結局、どんなに救われて神の子どもとして身分が変わっていても、生き方はまるで昔の滅びるしかない生き方のままになってしまいます。それは、ものすごく‘もったいない’ことです。
つまり、「救いの確信」を持つことが、最初に必要なのです。
自分自身は、救われて何も変わったように思えないかもしれません。霊的なことだから、表に見えるようになるまでは、時間もかかるし、自分の考えもなかなか変わらないでしょう。でも、イエスをキリストとして信じて受け入れた以上、聖霊は内に住んでおられます。救われた、いのちのある者に変わってしまっているのです。自分の胸に感動がなくても、事実は、受け入れた以上、神様はともにおられるようになっています。神様から離れた人生は、もう終わったのです。
また、罪の代価はすべて支払われたので、過去、現在、未来、どんな罪を犯しても、その代価を支払われたから、罪に問われることはありません。瞬間的に赦されます。自分で自責の念に捕らわれる必要は、まったくありません。
そして、悪魔は、神様がともにおられるから、絶対に触ることはできません。しかし、考えを通してだまそうとするので、神様がともにおられるという事実を握って、だまされないようにしなければならないのです。
イエス・キリストを信じ受け入れたなら、自分の条件はまったく関係なく、神の子とされました。(みことばヨハネ1:12で、神のこどもになったと言われています)ですから、まず、自分が救われて身分が変わった「神の子だ」と宣言しましょう。もう少し詳しくは、次に。 |
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