みことばの中で
日々の生活の中で
祈りの手帳や、メッセージから、私個人が受けた恵みを書きつづっています。
祈りの手帳とメッセージのサイトは、参考リンクの中にあります。

         

2006年6月26日〜7月29日は、こちら


2006年9月7日(木)
イエスがキリスト
イエスがキリストという告白をすると、告白をした人は、すでに岩のような揺れない祝福を受けて、ハデス(つまり、悪魔)に打ち勝ち、天国の門を開く鍵がもらえます。サムエルが生きている間、敵は主の御手によって防がれていました。それと同じことが起きるということです。
イエスがキリストという告白は、聖霊によらなければできません。だから、告白によって、神様の国が臨むのであり、主のすばらしい計画が成し遂げられて行くのです。
これを信じて今日一日を過ごすことができますように。

2006年9月5日(火)
イエスがキリスト
昨日書いていたように、統一教の人のことで、いろいろ祈らされていました。その中で、気づかされたことがあります。
イエスはキリスト。これを知れば、みんな救われて、すべての問題が解決します。だから、神様はこれを知らせようと、あらゆる事を動かしておられます。ある人は困難に遭わないと、この事実に目が向けられないから、困難に遭わせても、この事実を見るようにされるのです。だから、困難が問題ではなく、イエスがキリストということを知らないことが問題なのです。
しかし、この事実は、聖霊によらないと絶対に分かりません。でも、聖霊が働かれて、この事実を知って受け入れたとすれば、救われて、すべての問題は解決されました。今度は、そのようにすべて解決したという事実を知って、祝福を感謝していくことを神様が願われて、あらゆることを動かされます。だから、救われた人には、他には問題はなく、ただ一つ、イエスがキリストだと告白した以上、すべての祝福はすでに来ているということを知らないことが問題なのです。
それが、聖書の中に書かれている核なんだなと、気づいたことに感謝しています。

2006年9月4日(月)
イエスがキリスト
統一教の人と出会って話をしました。イエスがキリストだという話をしました。キリストに対しての話はとても喜ばれるのですが、なぜかどうしても文鮮明が出てきて、それに対する信仰があります。
イエスがキリストだから、それだけで信仰が持てるということが、ものすごい恵みなのだと実感しました。求めて、求めて、どうしようもなくて、出会ったのが統一教だったというその人を見ながら、福音を伝えるべき私自身の使命と、飢え渇いていた時にその人に出会って伝えられなかった残念さが、心にぶつかってきました。
イエスがキリストです。その告白の上に立つ教会は、マタイ16章の約束通り、暗闇にも打ち勝ちます。そして、その告白によって与えられる鍵で、天国の門が開かれることを味わっていきたいです。

2006年9月1日(金)
文句は言わない
あれれ・・・という間に8月が過ぎてしまいました。
忙しかったというのは言い訳になるでしょう。ちょっと体調も崩していました。でも、多くの恵みを受けた夏でした。
一番、教えられたことは、「文句は言わない」ということです。なぜ文句を言うかというと、自分の枠にあてはまらないからです。つまり、自分では良いと思うことにならないから、文句になるのです。それは、横の人の問題でも、状況の問題でもありません。私が「キリストによって神の子になって、すでに神様がともにおられて、導かれて、今、ここにいる」という霊的な事実を逃しているから文句になるのです。どんなことがあっても、神様はともにいて、導いて、足りないことがないように守っていてくださっています。それを信じていないから、あれこれと文句を言うのだと気づきました。
出エジプトした民で、文句を言った民は、荒野で滅んでいきました。文句を言わずに、カナンに向かっていることを告白させてください、と祈ります。

2006年8月16日(水)
モデルになる
今日、聞いたメッセージの中で言われていたことです。
実際に神様がともにおられることを自分で味わって、体験している人は、それがどんなにすばらしいか、自分の生活の中でのできごとで分かっているので、人に言葉で言うのではなく、自分がモデル(お手本)として、味わっている事実を少し見せてあげることができるということでした。見せること、これが「証拠を持っている証人」なんだなぁと思いました。
実際に、神様がともにおられるのに、未信者と同じように考え、行動して、失敗していたら、神様がともにおられることがどんなにすばらしいか、人に伝えることは難しいでしょう。神様の願いは、祝福されている証拠を私が見つけることです。そのために祈れば、必ず見せてもらえるでしょう。

2006年8月12日(土)
聖霊に満たされる
また、韓国に行く用事があったので、しばらく更新できませんでした。
神様の願い、この地球を動かし、歴史を動かしておられる理由。それが、世界の福音化だということが頭では分かっていたのですが、「そうなんだな」と思うようになりました。だったら、それを願えば、その波に乗っているのですから、聖霊で満たされ、導かれるので、楽に生きることができます。人を生かすために、十字架にまでかかられた神様です。人を生かす以外の理由があって、この地で神様が私とともにおられるのではありません。気が付いたら、とても簡単なことでした。聖霊充満の結果、それは、私が生かされ、人が生かされるのです。

2006年8月6日(日)
考えのいやし
長い間、福音を知らずに育った世代と、若い時に福音を知った世代の差に気づかされました。それは、考え方の違いです。
神様はすでにすべての問題を解決されたから、何かがあっても、それを問題をして見ず、神様の良い計画を探して祈るのが若い世代でした。集会には、多くの人が集まって、いろいろ不便な点があったのですが、若い世代は、それも良い計画の中にあると分かって、文句一つ言わずに、自分に神様が何をメッセージとしてくださるのかと祈っています。しかし、必ず、そのような場面で文句を言う人は、大人の古い世代でした。何かが足りない、自分にしてもらえない、困った、などなど、確かにその通りなのですが、文句を言い続けていては、何の進歩もないということも見ました。
私はすでに福音を知らずに育った世代です。だから、少しでも考え方をいやされて、文句だけは言わないで、祈れるようにさせてくださいと願っているところです。