みことばの中で
日々の生活の中で
祈りの手帳や、メッセージから、私個人が受けた恵みを書きつづっています。
祈りの手帳とメッセージのサイトは、参考リンクの中にあります。

         

2006年4月24日〜4月29日は、こちら


2006年5月18日(木)
福音
一週間、急にすることが押し寄せてきて、更新できませんでした。
ずっと福音について考えさせられていました。神様が、この世界の基が定められる前から、みこころのままに選ばれ、時になって、私が救いに導かれたことなどを考えました。(エペソ1章)私を通して神様ご自身が、神様の計画を成し遂げられるのだと思った時、今まで、どれほど自分が自分の力でがんばっていたかに気づきました。
あまりに体調がおかしいので、整体に行ったところ、からだのあちこちのバランスが崩れていて、いつもよけいな力がどこかに入っているから、からだが堅くなってしまっていると言われました。確かに、自分ががんばっていたゆえに、精神的にもすべての面で堅くなって、その結果、体にも力が入り、そして、弱い部分(私の場合は胃腸と目と鼻)の動きがおかしくなってしまったのだと分かりました。イエスさまは「休ませてあげよう」と言われたのに、私は神様がなさるのを見るのではなく、自分が力を入れてしまっていたと気づきました。それこそ、不信仰です。それゆえ、主のからだである教会、信徒の集まりなどで、どこかの動きがおかしくなり、葛藤が生じたり、アンバランスになっていたのです。主にあって、主の中で安らごうと思うようになりました。そして、私に定められた働きを主が私を通してなされるように、人々に主の光を照らすように、そのことを祈れる者にしてくださいと、神様に願います。

2006年5月12日(木)
神様の力
いろんなことが続いてあって、時間的にも追われるように過ごしてきました。しかし、キリスト・イエスの中に入れば、そこには無限の力があることを教えられています。
福音。神様がともにおられるようになったのです。神様がすべての問題を解決して、それを与えてくださったのです。そのことを黙想するうちに、何があっても、どんなことがあっても、大丈夫なのだなと思えるようになりました。キリストの救いは完ぺきです。キリストの救いは完全です。誰もキリストの愛から私を離すことはできません。神様以上に強いお方はおられないのです。

2006年5月8日(月)
神様の愛
東京で集会に出て、帰ってきて、しばらく、いろんなことがあって、大波にもまれるようでした。確かに神様は生きておられます。そのことが、今回の東京集会の前になされた伝道の働きで現れたそうです。そこに参加できなかった私は、「参加した」というラインの前に、×印を付けられたようでした。確かに、私は参加できなかったのですし、参加した人々は恵みを受けたのですから、キリストの体の部分として、その人々が恵みを受けたことをとても喜んで感謝していれば良いのですが、律法で○×をつけて生きてきたので、ちょっと引っかかりました。引っかかったら、やはり、サタンが隙をついて攻撃してくるもので、集会の時も帰宅後もすごい嵐でした。
立て続けに起きる事件に、私のみじめな姿が見えて泣きました。
実際に、私はみじめな者です。すべてに渡って×をつけられる者です。しかし、その×は、キリストが十字架ですべて取り去って、神様の目からは○しか見えない存在であることを告白します。キリストは、すべて勝利されたので、どんなに事件があろうとも、それを通して私もキリストゆえに勝利するしかないことを告白します。攻撃するサタンは踏み砕かれたのです。神様にとっては、私はキリストゆえに、ものすごい尊い者です。これを告白して、神様の愛に感謝するとき、暗やみが去っていくことを確信します。

2006年5月2日(火)
神様の絶対性
神様は、絶対にレムナント運動(次の世代に正しく福音を伝えていく運動)をすることを望んでおられます。神様が願っておられるのですから、絶対にならざるをえないことです。次の世代に正確な福音を伝えるために、まず、私自身が福音の中にある祝福を味わうことを、神様が願っておられます。神様がともにおられる、インマヌエルの祝福。絶対に罪に定められることがない解放された祝福。サタンに打ち勝つ権威が与えられた祝福を、今日も生活の中で味わうように、主のすばらしさをほめたたえつつ、主の前に祈ります。

2006年5月1日(月)
根源
源というのは、外から受けるのではなく、自分自身から出てくるものがあるということです。それは、神様がともにおられる、そのインマヌエルの「神様の力」です。神様の力を受ければ、確かにすべてのことに打ち勝って進めます。
聖霊が臨まれる時、力を受けます。このメッセージだけを握って、初代教会はローマを福音化し、世界を福音化するほどになりました。私にも、その力が臨んでいます。外から受けるのではなく、すでに臨んでいるインマヌエルの神様の力。これを味わうように、聖霊充満を約束として祈ります。