みことばの中で
日々の生活の中で
祈りの手帳や、メッセージから、私個人が受けた恵みを書きつづっています。
祈りの手帳とメッセージのサイトは、参考リンクの中にあります。

         

2006年8月6日〜9月7日は、こちら


2006年11月6日(月)
キリストにあって
なんと、一ヶ月も経っているのですね。すみません。
忙しい10月でした。飛ぶように過ぎて行きました。私自身のこれからのことを祈らされ始めた一ヶ月でした。(まだ、祈り続けていますが・・・)
自分の中から出てくる神様に従いたくない思いや、他の人や状況のせいにしたい思いが、いくら消そうとしても、どんどんわき出てきて、なんとみじめな人間なんだろうと本当に思いました。しかし、その時も、神様は「わたしはあなたを罪に定めない」と言われたことを知りました。そんなあなたのために十字架で死んだのだよと。だから、今、私は神様がご覧になる時に、「義人」なのだと知りました。
どれほど感謝なことでしょう。神様は、こんな私であっても、いつも、いつも、ともにおられます。そして、そんな私であることを、私より先にご存じで、「あなたがそんな人だとは知らなかった」と言われたり、見捨てられることは、絶対にないことも知りました。つまり、私にある祝福や恵みは、私とはまったく関係なく、常にあり続けるのです。キリストゆえに。
キリスト・イエスの愛は偉大です。

2006年10月6日(金)
福音
気になっていたのですが、ついつい更新できずに過ごしていたら、もう、10月になってしまいました。忙しかったといえば、そうなのですが、神様と向かいあって過ごした感じです。(もちろん、やることはして、生活は普通にしていましたが・・・)
昨日、やっとすべて筋が通ってきました。「神様の計画は何ですか?」と問うこと、私の船の船長はイエスさまだから、イエスさまがどこに行かれるのか、なぜ、今ここを通ってられるのか、イエスさまに任せることなど、今週のメッセージだったのでずっと祈っていました。そうしたら、神様はどんな時もともにおられるということが、事実的にわかってきました。
私が心の中で悪いことを考えても、それは罪です。しかし、その罪を一瞬にして赦し、その罪を無いものとしてともにおられ、その罪を通路として入ろうとする悪魔を退けてくださるのは、イエスさまがキリストだと告白したからです。イエスがキリストなのは、十字架と復活の証拠ゆえにです。私が罪を犯さないからではありません。
そして、罪を犯さないように、というのは「聖霊充満を祈ること」なんだということもわかってきました。これが、パウロがローマ人への手紙で書いていることなんだなぁと・・・
そうしたら、今起きているすべてのことが、ヨセフが言ったように「神様がすべての人を生かすためにしておられるんだ」と素直に告白できるようになりました。みことばが成就しているんですね。

2006年9月21日(金)
みことばの成就
初代教会は、祈りの課題、祈りの答え、みことばの成就をいつも語っていました。私の口からどれくらい、そのような言葉が出ているかと、考えされられています。
この世を動かしておられる主権者は神様です。この世界の歴史の主人公はイエスさまです。そして、今、聖霊が救われた者の中にいて、福音化の働きをその人々を通してなしておられます。それなのに、自分の考えでこの事実を認めずにいるから、口から出るのは文句や批判なんだなと思いました。
少しでも、みことばが成就した事実を口から出せるように。祈りつつ生活したいです。

2006年9月16日(土)
使命
イエスはキリスト。それで十分で、すべての問題は、それで解決。その告白の上に教会は立ち、悪魔の勢力にも勝つ。天国の鍵があるから、足りないことは全くない。
なのに、他に理由をつけて、言い訳することがどれほど多いでしょう。だれかのせい、何かをしなかったから・・・それなら、イエスはキリストという告白は何なのでしょう!
それで十分なのだということを62億の地球上の人々に知らせるために、私だけでも、それで十分だという信仰を持って、イエスがキリストだと伝えて行くことこそ、私の使命なのだと今日、痛感しました。

2006年9月14日(木)
感謝をもって
「すべてのことを感謝をもってささげる祈りと願いによって・・・」というみことばを思い出しました。どんなことがあっても、感謝の課題なのだなと考えることにしました。問題は、祈りの課題ですが、まず、良い祝福がその中に入っている感謝の課題なのだと。
何が感謝できるかなと思ったら、すごく感謝だらけでした。イエスさまを知らなくて苦しんだ時期、その時に苦しみがなかったら、イエスがキリストだと気づかなかっただろうなと思うので、そのことも感謝です。人間関係に葛藤があった時期、その時にキリストの前にひれ伏したからこそ、すでにもらっている祝福がどんなに大きいか気づき、人間的な方法ではなく、神様にしてもらうことを「すこ〜し」だけでも味わうようになりました。神様が働かれたら、葛藤はうそのように晴れました。そのすごい力を見ることができただけでも、どれほど感謝でしょうか。
実は、感謝することしかないのに、自分の考えでつぶやいていたんだなと、ふと、主の前でものすごく申し訳なく思ったのでした。

2006年9月13日(水)
みことば成就
みことばは、絶対に成就します。だったら、何を心配する必要があるでしょう。
神様の計画は、神様がすべてなされます。世界の基がすえられる前から、神様はすべてを備えて、私にも計画をもってこの世に生まれるようにされました。今、それを成しておられる途中です。何者も、その計画は止めることはできません。
モーセは、出エジプトのために誕生したので、出エジプトするまでは絶対に死ぬわけにはいきませんでした。私も、私にある神様の計画を神様がなさることは、絶対です。それは、みことばを通してなさるから、みことばの成就だけを見ていけば良いのです。すごい祝福の人生になっていることを感謝します。

2006年9月11日(月)
内なる人
涼しくなってきて、夏の疲れか、体がだるく感じます。確かに外なる人は、年々老いていくのだなと痛感して、運動をし始めています。しかし、内なる人まで老いていくわけにはいかないと、福音を味わうことを祈っています。
世の中の考えに染まって長年暮らしてきたので、少しでも気を抜くと、世の中の考えで判断してしまいます。世の中の考えの根本には、人間の目で見た比較、それにともなう競争心、なんとか努力したらそれが解決すると思う意識、つまり、神様抜きの考えがドンと居座っています。その方向で考えることが、どんなに私にとって簡単か!それが事実だと考えることが、どれほど正常に思えることか!
しかし、聖書では、神様抜きの人間中心こそ不信仰であり、罪だと言われています。世の基準に捕らわれず、聖霊充満によって神様の無限の力を受け、内なる人が強められ、私の考え方が根本からすっかり変えられて、みことばを基準にして導かれる生き方に変わるように祈ります。
そうすれば、全身にキリストの武具をつけることになり、悪魔に打ち勝つことができるでしょう。