江戸時代のお坊さんは何を食べていたのか
この「伝法潅頂執行諸記」は天保八年(一八三六)に不動院で行われた儀式を書き残した物です。文書にはその時に出された料理のメニューも記載されています。(献立は本膳だけを抜粋して掲載します)
天保八丁酉年八月廿二日冶定処
十一日に引上晴曇(十二日迎朝雨天)
安祥寺流
傳法潅頂執行諸記 安祥寺流 御執行
御受者 当院弟子
性應房 義應房 新山知事
松生院 多聞院 道隆寺 感神院
正観寺 光明院 安養院 勝楽寺
西光寺 延命院
明星院弟子 麟瑞房 密源房
大龍房 他
大阿闍梨高誡師 当酉六十九才
○伝法潅頂 密教で人の師となりうる 阿闍梨位を得ようとする者に対して大日如来の秘法を授ける儀式
○知事 寺院運営を司る僧の役名、住職を補佐する僧
○伝法潅頂に出席した寺院 明治の廃仏毀釈や原爆のために廃寺や合併などで現在六ケ寺になっいる。
○院家 真言宗での住職の別の呼び方
○性應房 密範性應房は後、不動院 二十世住職となる。
○義應房 学範義應房は後可部福王寺の住職になる。
御僧分廿壱人
俗弐人ハ
豊嶋六郎兵衛
吉神宗三郎
本段分壱人前
七匁五分宛ニ而請け合わせ
京橋町
三戸屋
平助
廿三人前
百七拾七目遺ス
○平助 これらの料理は広島市南区の京橋町の水戸屋平助に注文している事が分か る。調理人が不動院に来て調理して、器は不動院のものを使ったようである。(現在も黒漆のうつわが残っている)
○料理 一人前は七匁五分とあるが、天保八年は天保の大飢饉の年で米値が高騰している ので例年に比べ物価が高い年 といえる。
○請け合わせ 当時の広島の 米価から計算していくと、一人前が約6,250円となり、二十三人前で約147,500円になる。
不動院文書
平成3年春から2か年に渉って不動院文書の所在調査が広島県立文書館により行われました。江戸時代中期以降の文書がほとんど未整理のままであったものをマイクロフイルムに収めまた、分類整理して「不動院文書目録」を作成していただきました。
原爆で多くの文書を失った広島にとって不動院文書が開示された事で地域研究などの学術研究に役立つことを願ってやみません
此処ニ而少し見合酒出ス
硯ふた
やきいも
れんこん
かす寺
ひじき
さつまいも
上ケ物いろいろ
武将盆
くずに
にんじん
山のいも
太平 しゐたけ
くわひ麩
あらいも
三杯酢
水のり
鳥坂
丼 はすいも
めうが
せうが
白あへ
丼 こんにゃく
吸物出ス
不動院文書 「伝法潅頂執行諸記」
古文書を解読してみるとその時代が見えてくる
十二日御斎本段
御饗膳
生盛ちゅうほう月
みしまのり 漬香たけ
皿 梅そうめん す豆ふ
山吹大こん
猪口すみそ
すめ
粒椎茸
汁 小結ゆず
めうが木口
なら漬うり
具敷 花塩
房山枡
くすに
やまのいも
坪 ぎんなん
かんひょう
わさび
二ノ膳
からし
平 ヘに切
白みそ
粒椎茸
汁 くわい
青み
猪口入梅
白糖とうかけ
白引き盆ニ而
山のいも
牛房
茶子椀 角椎たけ
角麩
青み
ゆり
こうこに
まんかん麩
茶碗 ゆりね
しんまめ
台引
よふかん
獅子頭らこんふ上ケ