2010年02月14日(日) 天気  
父(1911-2008)の終戦
 
埠頭の駅に着くと早速自分の荷物を貨車に積んで、その上に乗り発車、藤森君は立派な革カバンが朝行ってみるとない、一装の洋服カバンと共に取られている。出発まで探したが結局ない代用のものを失敬して乗る。小さい子を持った人は、貨車の中までオムツを干す。至るところの都市は爆撃され、とてもみじめであるが、農村のみは昔のままのんびりしているように思われる。
 門司まで着いて鉄道の管轄が違うから、乗り換えるよう命じられたが、一同立腹し鉄道と交渉し、引き込み線で一夜を明かして明朝出発とのこと、火の気も電気も無く油断して行李を切られるというものも出たが、あまり寒いので作業員のストーブをたいているところで暖をとった。大阪止まりの貨車で、一般の乗客も山口県で多く乗り込んだ。荷物もだいぶん駅毎に少なくなるが、その代わりの乗客で荷物もなかなか出ない程だ。未明門司を立ち、午後2時過ぎか広島に着いた。一面の焼野が原でみるかげもない、ホームの屋根も駅も無い。いよいよ着いたが荷物をホームに下ろす時間がなく、あせって反対のレールの上にころがして下ろした。便で汚れているので一大事、赤帽もいない、ようやくホームに上げた。重くてどうにもならん、一人でもてあましたが布団袋は二分して駅前の急造バラックの荷物預かり業に、分けて持ち出し一時預かりとして、リュックサックのみ背負ってとぼとぼ歩いて馬木の実家へ帰った。