2010年02月12日(金) 天気  
父(1911-2008)の終戦
 
 ごった返した船の中、足も伸ばせないしまつ、やっと手回り品を置いて座ってはじめて生命もこれで安全といった感じで嬉しかった。リバティー型の船、戦車やトラックの積み込み船で、米兵も2、3人いて1日に1度の給食もされたが、食料は大抵十分に持って乗って、ホッチンのご飯は殆ど食べなかった。その夜暗くなる頃出船した。引き揚げ荷物の事で徹夜に近い婦人、小さい子供を多く連れた人の用便等痛ましい光景で、中にお乳で子供を窒息させたという人も出てくる。便所は、甲板に木で急増されたもので、出船の翌日から大風で甲板に波が上がり、ものすごいうなりで甲板に出られず、入り口付近での用便者多く物凄い臭気である。甲板の荷物はすっかり水をかぶって濡れている。船酔いで食欲の出る者は殆どいない。
 陸地が見える、鹿児島が見えてくる(17日)大波でやれる船でも甲板に出て皆ながめて涙の出るほどうれしかった。