2010年02月11日(木) 天気  
父(1911-2008)の終戦
 
12月14日乗船の日、朝早く起きて布団袋へしまい、靴下6枚、6重のフンドシ、ジバン3枚、ワイシャツ、洋服2枚重ねと無理し丸くなるほど着た。集合場所で点呼を受けてトラックの上に乗って懐かしい埠頭についた。いつも管理していた3埠頭の貯炭場には、一塊の石炭も無く、その上に全部もってた荷物を揚げて支那警察税関の検査を受けている。18年も使用した上等の毛布1枚は定数外として船の中の敷物の名目で持ち出したが、トラックから落とすと同時に紛失し、やがて荷物を並べて検査を受ける。1目で1人の持ちようとして多いと目をつけられ、冬シャツ、ズボン4揃とその他新しいもの数点、わしづかみにして持って行かれた。やっと済んだと荷造りしようとすれば中々出来ない、そのうち乗船となる。内地人の残った人が勤労で荷物の積み荷には来ていてくれた。