2010年02月10日(水) 天気  
父(1911-2008)の終戦
 
 会社での引き継ぎもまだ完了せず、課長は残れとのことであったが、強く言い張って12月14日の乗船にあれこれと手続きをとってこぎつけた。民団や領事館や引き揚げ世話係の所へ、病気上りのふらふらとなって手続きして回る。なかでも正金銀行での千円の小切手を切ること、預金高証明書をもらう時の混雑ぶりは大変なものであった。終戦後預金で置くべきか、個人で現金を持っているべきか、人々は種々悩み出したり入れたりしたものだが、後には生活費とかで1か月5千円位出したように記憶する。
 同居中、単身のために小生といつも同室であった荒井君は、青島病院に勤めていたが、支那姑娘と恋仲となり(女学生)家は親日派でなく、先方の姑娘が家に会いに来るのを待って日曜を楽しみにして、2階から目を皿のようにして待ちわびて、奥の茶室でゆっくり密会していた。みんなにからかわれながらも、内地引き揚げも断念して中々猛烈で、おしまい頃は遂に最後の線まで辿りついた様子であった。