2010年02月08日(月) 天気  
父(1911-2008)の終戦
 
昼食はメリケン粉をフライ鍋で加工して、食糧延ばし戦法をとった。酒1升千円位で売り出され、晩酌を怠りなく傾けて愉快に談笑した。碁や花札に打ち興じ、かけ事をしておごり合いした。じっとしていると食べることのみ考えて、ふぐ料理やカキ飯、まんじゅう等鱈腹食べた。夜遅くまで引き揚げて蟻共同体として一致して生産部面の殖産しようなどと話合い、まずとりつきとして下駄製造にとりかかろう等と決めた。男子は殆どポーズであったが、髪を伸ばし始める。日本人の支那服着用が目立つ、朝鮮人が終戦後朝鮮服で闊歩する。
 11月中ごろからか、内地引き揚げ船が入港する話題も起こり活発化した。命の危険にさらされる所での生活に飽き、引き揚げと大連の家族の事でも念頭から一刻も離れない。子供らが大きくなっていることを思い浮かべたり、病後全滅になったのではないかと考えたり、一喜一憂しつつの毎日である。